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「手を組む、とは」
アリアドネは眉を寄せた。
手を組む。手を組む?
望めば何でも手に入る王子が、何も持たない奴隷と何をどう手を組んで成し遂げようというのだ。
アリアドネよりも簡単に言うことを聞き、自由に動く手足が、王子であるリカルドにはあるはずだ。隣に座って黙り込む、側近の少年然り。
「言葉の通りだ。手を組もう」
「私と組むことが殿下の利益となるとは考えにくいのですが」
リカルドは首を振る。そうでもない、音もなく唇がそう動いた。
「君は常にシェヘラザードの傍にいて、傷がつかないように守るだけでいい。恐らく、君は特異点だから」
「とくいてん」
聞いたことのない単語に目が点になる。
「僕は何度もやり直しているけれど、君の存在を認識したのは今回と、その前だけ。君の言う【一度目】に、アリアドネ、君は突然現れた」
リカルドは何度も何度も、それこそ数えるのを諦めてしまうくらいの回数をやり直している。
しかしその夥しいやり直しの生の中で、アリアドネという名の半人や奴隷、侍女を見たことは一度としてなかった。その名前自体はよくいるものの、シェヘラザードの傍でその名を持つ女は一人としていなかったのだ。
「そして君の【一度目】は、どこか今までとは違っていた。残念ながらシェヘラザードが死ぬのは変らなかったけど、それ以外の変化だ」
「変化……ですか」
「そう。君は半人の奴隷という立場でありながら、シェヘラザードの懐へと入り、エヴァンや妹君とも親しくなった。その結果、奴らに踊らされることになったわけだが……」
しかし。続ける声に力が漲る。
「シェヘラザードの命を救おうと動き、結果、奴らを諸共地獄へ道連れにした。僕とシェヘラザードだけが死ぬやり直しの中で唯一、奴らに一矢報いた」
雁字搦めに魔術式を展開した王城の塔に監禁され、転化の苦しみに喘ぎながら、リカルドは全てを見ていた。
過去のやり直しと同じくシェヘラザードが死に――黒竜が、全てを呑み込み破壊する、その様を。
もちろん、竜と転じたアリアドネによって、リカルドの命もそこで絶たれた。しかし、次のやり直しで目覚めた瞬間、リカルドは思った。
「誤解を恐れず言おう。――君の存在が未来を変えた」
無数に存在する選択肢の中、今までは、何をどう選んでも同じ結果に行きついていた。しかし、アリアドネという小石が投げ込まれたことで、『シェヘラザードが死ぬ』という未来へと真っ直ぐに向かっていた轍から車体が逸れたのだ。
一度目に投げ込まれた小石は小さ過ぎて、跳ねて一瞬だけ逸れたものの、結局は同じ轍を踏むことになった。
しかし二度目であることを自覚している今、意識的により強く干渉することが可能になった。何度も何度も小石が投げ込まれれば、いくら深く刻まれた轍であろうと、真っ直ぐ進むことは困難になる。
「アリアドネ。君と僕の目的は一致している。そうだろう?」
「シェヘラザード様を、死なせないこと……ですか」
「そうだ」
アリアドネがシェヘラザードを思うように、リカルドもまた、シェヘラザードを特別に思っていた。
何度もやり直した生で毎回のように婚約を結び、手紙のやり取りをした。何の変哲もない日常を綴ったそれは、他人から見れば面白くもなんともないものに違いない。
けれど、几帳面な文字が並ぶそれはあたたかでやわらかで、殺伐とした王城の中でただ一つの心の拠り所だったのだ。
この少女と将来を誓うことが出来たなら、自分はどれ程幸せになれるだろう――…。
夢想した夜は、両手の指を折り返しても数えることは出来ない。
自分を嫌う弟。弑す機会を虎視眈々と狙う側妃。無関心な父。顔と名前が一致しない姉妹たち。リカルドは血のつながりこそ多いものの、真に家族と呼べる者は誰一人としていなかったのである。
しかし、もしかしたら。
否、必ず、今度こそ。
「シェヘラザードは死なせない。そのために、君は君の思いつく限りの行動をとりなさい。恐らくそれが未来を変える鍵になる。僕は出来る限りその行動を支援することを約束する。公爵にも口添えしておこう」
公爵家のご令嬢付きとはいえ、最下層の半人奴隷に対しては破格の待遇だ。他のどこの世界を探したら、第一王子を味方につけた奴隷がいるだろう。
「僕は遠からず、半人の血に目覚めるだろう。そうしたらもうシェヘラザードの傍にいることは難しくなる。もしその時が来たら、ぜひバルを頼ってくれ」
アリアドネの存在によってシェヘラザードの未来が変わったとしても、リカルドの未来は変わらない。リカルドには半人の血が流れている。これはもう間違いないのだ。
よくて幽閉、最悪処刑。どうすることもできない。
けれど今のうちに布石を打つことはできる。
「バルドゥールは、とても優秀な魔術師でね。この国じゃ珍しい全属性持ちだし、知識も魔力量も豊富。間違いなく君の力になるだろう」
「……王弟殿下は、このことは」
「知るわけないだろう、あんな屑」
バルドゥールは嫌悪を隠しもせずに吐き捨てた。
「あの糞と同じ血が流れているというだけで吐き気がする。あの豚は酒と女と金にしか興味がない。俺がどこで何をしようが俺の勝手だ」
バルドゥールの実父であり、前回シェヘラザードの夫となった王弟殿下は、今回も同じく糞野郎のようだった。
王族の血や、貴族の特権だけに縋って生きる男の、何と醜悪なことか。
「お望みとあらば豚の丸焼きでも御馳走しようか、レディ?」
「……いえ、結構」
嫌味に笑うバルドゥールからそっと目をそらす。どうやら彼の地雷を踏んだらしい。
「バルはあの叔父の子ではあるが、僕が唯一信を置く友人だ。アリアドネ、君のことも僕は信用している」
「信用ですか」
「そう。君がシェヘラザードを愛してやまないのを知っているからね。彼女の幸せのためなら、君は手段を選ばないだろう?」
「勿論です」
一切の躊躇なく頷くアリアドネに、リカルドは笑う。
馬鹿にしたわけではない。あまりにもその瞳が真っすぐで、嘘がなくて、嬉しくなったのだ。
表と裏を使い分ける貴族社会では、ほぼ見ることの叶わないものだ。
「僕の選択は間違ってなかったね」
一国の王子が奴隷の娘に会って話すというリスク。
公爵家という小国を治め、王宮軍という大軍を纏め上げるウィンプソン公爵は快く許可をしたものの、おそらく今回のリカルドの申し出の理由をあらゆる角度から調査し精査するだろう。
腹を探られて痛い思いをするのも理解している。
けれどそれらを差し置いても、リカルドは味方が欲しかった。
現状を打破し、新たな未来を掴み取るための、信頼のおける強大な味方が欲しかった。
リカルドが政治的立場的に、アリアドネが物理的にシェヘラザードを守り、バルドゥールが魔術や知識で二人を援護する。
これが今現在、リカルドが打てる最良の一手だ。
最善となるか、最悪になるか。それはまだわからない。
(―――最高の結果を出して見せるさ)
シェヘラザードが幸せでいること。それがリカルドの一番の望みなのだ。
「……そろそろ、シェヘラザード嬢が戻ってくるぞ」
「ああ、どうやら足止めがうまくいったようでよかった。今後はこうして話すこともほぼ出来ないだろうから、連絡手段だけ渡しておくよ」
話しながらも部屋の外にも意識を向け続けていたようで、バルドゥールが話の終わりを示した。
アリアドネの傷を手当てするために道具を取りに行ったシェヘラザードがそろそろ帰ってくるようだ。それだけにしては随分と帰りが遅かったのは、リカルドが零した通り、屋敷の者か王城からの従者に何らかの用事を申し付けていたのだろう。もしかしたら父である公爵も一枚噛んでいるのかもしれない。
バルドゥールは自らの懐に手をやって、小さな黒いピアスを取り出した。
無言で差し出されたそれに恐る恐る手を伸ばす。
「通信機の役割を持っている。魔力を通して話しかければ、目的の人物へ繋がる。居場所をこちらに伝える役割もあるから、どこに行くにしても外さないこと。いいね」
「……私、穴開いてませんが」
「いいね?」
「承知いたしました……」
開けろという圧力がひどい。
二人に見つめられながら、バルドゥールから渡された小針で耳たぶに穴をあけようとしたところで、アリアドネはふと気づいた。
「殿下。そういえばお聞きしたいことが」
「うん? なんだい」
首に巻きついていた影は今やすっかり部屋の明かりの中に消え、代わりに氷の魔術によってアリアドネの耳が冷やされていく。どんどん感覚がなくなって、痛いくらいだ。
「どうして殿下は、私がやり直しだと気付いたのですか? 今日お会いするまで、接点はなかったはずですが」
「ああそのこと」
十分に冷えて感覚がなくなった頃を見計らい、アリアドネは針を突き刺した。
「3年前のシェヘラザードの洗礼の日、暴走する馬車に向かって君はなんて叫んだか覚えている?」
「私が?」
「シェヘラザード様、と。そう呼んでいたんだよ」
細い針だ。
ピアスがしっかりと貫通するように、ぐりぐりと動かして拡張する。
「なぜまだ洗礼名を知らないはずの君が、その名前を呼べたんだい?」
アリアドネは針を取り落とした。
新しく空いた耳の空洞から、細く血の筋が流れていく。血の赤とは対称的に、顔色は真っ青だ。
「恐らく、他にもその違和感に気づいた者もいるだろうね。きっと公爵も、流石にやり直しなんて荒唐無稽な事実には思い至らないだろうが、疑問には思ったはずだよ」
公爵から何も言われてない?
柔らかく問われて、アリアドネは真っ青な顔のまま頷いた。
指摘されて初めて気づいた己の失態。
言い逃れのしようもない。今までは運よく誰からも問い詰められなかっただけだ。
「アリアドネ。僕らのやり直しは確かにメリットも大きいが――些細なミスが、重大な失態を招きかねない。これからはもっと慎重にならねばならない」
「はい……」
「ウィンプソン公爵閣下は恐ろしい人だ。優しい笑顔の下でどれだけ算盤を弾いているのだか……。恐らく今回のことは、聞き出すメリットよりも手間の方が大きいと判断されたからこそ放置していたんだろう。利益になると分かれば、すぐさま追い詰められて首を狩られるぞ」
「はい」
「彼女を守るぞ」
「はい……!」
アリアドネは大きく頷くと、すでに塞がりかけている穴にピアスをねじ込んだ。
僅かな痛みが走る。この痛みは教訓だ。
もう、下手な失態は犯さない。
息を切らして部屋へ入ってきた主を出迎えながら、わずかに増した耳の重みに、アリアドネは硬く誓ったのだった。
令和になったので更新
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