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「おいお前ら、おしゃべりもいい加減にしろ」
無駄話が過ぎたらしい。
小声で話していたつもりだったが、やはりだんだんとヒートアップしていたようだ。ずんずんと歩み寄る見張りの男に咎められ、無印奴隷の二人は口をつぐむ。
無病無傷でいることが無印奴隷の価値を高める条件であるので折檻をされることはほとんどないが、それでも絶対ないとは言い切れないし、罰として食事を与えられなかったりはするのだ。
かたいパンと味のないスープ、干からびすぎて歯の立たない塩漬け肉と、毎日変わらない侘しいメニューだったが、極限ともいえる環境の中で、食事すら奪われてはたまらない。
お前のせいだという気持ちをのせて、少女は少年を、少年は少女を睨みつけるが――それがよくなかった。
「お前が元凶か」
そう言って男は手を伸ばし、幼子の首輪から伸びる鎖を力づくで引き寄せた。
金属のぶつかり合う激しい音と共に少女の小さな悲鳴が上がり、不意打ちでのその仕打ちに小さな身体ががくんと揺れた。周囲にいる客や奴隷商の視線が一気に集まる。
首輪と鎖の取り付け部分を掴み上げられ、幼子の身体が浮き上がった。全体重が細首にかかり、気道が締まって幼子の顔が苦痛に歪む。
半人である幼子はただの人間よりも頑丈とはいえ、急所も変わらなければ、受ける痛みも変わらない。
苦しみから逃れようともがく足が宙をかく。幼子を甚振るかのようなその光景は、本来ならば窘められるべきものだったが、ここは奴隷市。
何事か見世物が始まったのかと、周囲に立つ客がにわかに盛り上がりを見せた。
暴力は、路上に並べられる奴隷に対してならばよく見る光景だ。殴る蹴る締める切る、なんでもありだ。
奴隷商は客集めのために、客は鞭打つ肌の感触や上がる悲鳴を確かめるために。
そして、奴隷という自らの立場を分からせるために。
「無印だからって調子に乗るなよ、糞餓鬼。これ以上騒いだら殺すぞ」
「ま、待ってください。その子は」
掴み上げる手を乱暴に揺すると、幼子の身体が大きく揺らぐ。声が出ないのか苦しげな呻きと空気の漏れる音が出るのみだ。
見かねて声をかける少女を、男は睨みつけた。気押されて、伸ばしかけた手を膝に戻す。
男とて分かっている。声の出ない幼子が、どうやって騒げるというのか。騒いでいたのは誰か。
これはパフォーマンスだ。自分達に逆らえばどうなるか、意に沿わぬことをすればどうなるかを知らしめるための。
無印奴隷をはじめ、競りに出される奴隷たちはまだ奴隷としての本格的な折檻を受けていない。印を刻む主に渡る前にぼろぼろにしては、商品としての価値がなくなってしまうからだ。
だからこそ、奴隷としての自覚が薄い。奴隷ではない、ただの一人の人間であった頃の感覚が抜け切れていない。多少逆らっても大丈夫だと、高をくくっている。しかしそれが、将来自分の首を絞めるのだ。
単純な働き手としての奴隷を求める客は意外と少ない。需要があるのは、身体的精神的に厳しい仕事に捌く買い替えのきく道具としてか、異常性欲の捌け口としてか。
まともな思考回路は擦り切り摩耗し、人間としての尊厳は踏み躙られ、ただただ甚振られ飼殺される。
逆らってはいけない。
人間ではなく、奴隷なのだから。
今のうちからそれを覚えなければ、後悔するのは奴隷自身である。
奴隷商は過去何百人と、逆らったことで死ぬよりも辛い目に合わされてきた奴隷を見てきていた。
酷いものである。惨たらしいものである。わかっている。けれどそうする。仕事だからだ。
そうして必ず、一人をやり玉に挙げる。後に残らないように殴る蹴る締める、そうすることで他の奴隷にも恐怖が植えつけられ、大人しくなるのだ。
それが今回は無印奴隷の子どもだった。それだけの話である。
男は右手で子どもを吊り上げたまま、左手で持った躾用の短鞭で頬を打った。鋭く風を切る鞭は、幼子のこけた頬をみるみるうちに腫れあがらせた。
そのまま塵でも放るような気軽さで、幼子の身体を投げ捨てる。ふわりと浮いたのは一瞬。すぐに地べたに落ちて這い蹲り、漸く肺に取り込めるようになった空気を一心不乱に吸おうとして失敗し、むせて苦しげな咳を繰り返した。
大きく上下する背に、二度三度、鞭が打ちつけられる。
もともとほつれの目立つ襤褸布が裂け、露わになった肌にまたひとつふたつと鞭の痕が刻まれる。
本来、見せしめに無印奴隷が選ばれる事はない。 しかし今回に限っては、対象が半人であることから許容されていた。
丈夫であること。そして回復が早いこと。まだ幼い上に容姿が優れているわけではない半人は、無傷の美しい肌を好むような客には買われないだろうことも理由に挙げられる。
少年と少女の責を被り、ひたすら責め苦に耐えるしかない。
少年は目の前の光景から目が離せなかった。
自分達がやったことの責任を、年下の子供が取らされている。何度も何度も鞭うたれる小さな身体は、そのたびに跳ねあがり、声にならないうめき声が漏れていた。
周りは派手なパフォーマンスに歓声を上げる。もっとやれと野次を投げる。地の泉の宴のようだ。狂っている。
「も、もう……」
止めてください、そう続くはずだった言葉は飲み込まれた。
その言葉を音にしてしまえば、次に折檻されるのは自分だ。商人にされなくても、自分を買った客がするだろう。
それは嫌だ。
でも、これ以上見ていることは出来なかった。
「も、もうやめ―――」
「なにをしているの!!」
意を決して絞り出した声は、責めるような大きな高い声にかき消された。
少年がやりたくても出来なかったことをしたのは、その声を発したのは、豪奢な馬車の前に仁王立つ、小さな小さな女の子だった。
光を浴びて輝く、美しい金の髪。豊かなまつ毛に囲われた大きな瞳は、燃えるようなルビーだ。らんらんと輝くその瞳は、炎を宿しているようにゆらゆらと瞬いている。
白い肌。薔薇色に染まった頬は丸く、まだ幼いながらも人形のように作り物めいた美しさだったが、苛烈ともいえるその瞳の輝きが、女の子を生ある人間だと認識させていた。
繊細な作りのピンクのドレスをたくしあげて、従者が止めるのも聞かずにずんずんとこちらに歩み寄ってくる。
その場にいる誰よりも小さな女の子なのに、場の支配者は彼女であった。






