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金色の前髪から透けて見える瞳の色は、確かに琥珀色だったはずだ。
それが今はどうだ。その髪と同じ色に染まり、覆い隠した指の隙間、鈍く暗い光を放っていた。
「で、でんか……、その、目は……」
虹彩の色彩変化。
それが何を示しているのか、アリアドネが知らないはずはなかった。
「……言っただろう、最初の記憶で覚醒したと。リカルドには、半人としての血が流れている」
そうだ。つい先ほど言っていた。
リカルドの最初の記憶。半人の血に目覚め、転化の痛みに苦しみ、それに巻き込まれる形でシェヘラザードは死んだのだと。
一度目も今もアリアドネがアリアドネであるように、一度目だろうと何度目だろうと、リカルドはリカルドだ。つまり、今のリカルドもまた半人であるのだろう。
前回との違いを上げるとするならば、一度目よりも二度目である今の方が、アリアドネにとって半人の血というものは身近であった。
その力の強さを知ったからこそ中々扱うことが出来ず、知ったからこそ一度目よりも効率よく使えている自覚がある。
その理屈でいくならば何度もやり直しているリカルドは、アリアドネ以上に半人の能力を上手く扱えるはずだ。しかしその目が金色に染まる今、リカルドは調子悪げに俯いて、バルドゥールに支えられている。扱いきれているとは考えにくい。
「……能力覚醒の、兆候がある。もうあと何年ももたないだろう」
「制御訓練を受けてみては」
疲れたように溜息を吐き、苦々しく呟くリカルドにそう提案するも、ゆるゆると首を横に振られた。
「過去のやり直しで、何度も訓練をした。完全に覚醒する前に制御下に置こうと。けれど、僕の中の獣はけして言うことをきかない。遅かれ早かれあと数年とたたずに、僕は第一王子の座から引き摺り落とされるだろう」
「……お待ちください、殿下。私の記憶では、殿下は王位に就きました。引き摺り落とされるとは、どういう」
「エヴァン・リューク・メルバーン。この名を聞いたことがあるだろう」
「……はい」
主を裏切った憎い男―――のはず。
しかし、シェヘラザードの現在の婚約者は今目の前にいる。リカルドその人だ。名前が違う。
「どうして」
茫然と呟いた。
その名を聞いた時からずっと違和感はあったのだが――理解が全く追いつかない。
「エヴァンは僕の弟だ」
「弟?」
「腹違いのな。リカルドは正妃、エヴァンは側妃の母を持つ。生まれた日は大して変わらないが、母親の身分に差があるために、リカルドが第一王子として認められている」
バルドゥールが付け加えた情報に、アリアドネは戸惑った。
お、お待ちください、慌てて口を挟む。
「しかし、王家に二人の王子がいるとは聞いたことがありません」
「年の近い王子が生まれた場合、どちらかの王子が立太子するまではもう一方の王子の存在は公表されない。無駄な王位争いを防ぐ為でもあり、スペアを用意しておく為でもある」
年の近い王子――しかも腹違い――が複数いると、よっぽど母親の家柄や本人の能力に差がない限り、どちらが王位に就くかの争いが起きることが多い。
どちらの王子に付くかで派閥の争いが起こり、下手をすればそこから国が瓦解していくことになりかねない。
それを防ぐ為、遅く生まれた方の存在を公にはせずに育てるのだ。代替品にするために。
貴族が貴族として認められるのは洗礼を受けてからだ。それは王族にも違いはない。しかし、その洗礼名が公に広められるのは学院に入る12歳の時である。
その時までに第一王子が健康かつある程度優秀に育てばそのまま立太子し、第二王子の存在も明かされる。病弱につき、とでも言っておけば大抵の場合は何とかなるのだろう。
しかし第一王子が想定通りに育たなかった場合――つまり、身体、精神、能力全てを総合して下した評価が著しく低い場合のことだ――存在を公にされるのは第二王子の方になる。
アリアドネはそこで気づいた。
「もしかして、途中で入れ替わったのですか?」
最初の出会い――つまり8歳の顔合わせでは、シェヘラザードの婚約者は第一王子であるリカルドであったが、どこかのタイミングで存在を秘されていた第二王子・エヴァンが取って代わった。
第一王子のリカルドと、第二王子のエヴァン。シェヘラザードの婚約者は、二人いたのだ。
おそらく、入れ替わりのタイミングはリカルドが半人の血に覚醒した時。
学院入学時、すでに第一王子はエヴァンとして名が公表されていたので、8歳である現在から12歳で入学する前の、およそ4年。その間に挿げ替えられた。
シェヘラザードは、勿論そのことを知らない。
(何てこと……!)
情報量の多さに眩暈がする。アリアドネは深く息を吐き、拳を額に押し付けた。
一度目の時、婚約者となったからにはと、シェヘラザードはよく手紙を書いていた。相手は王族故に会う機会も多くなく、少しでも親しくなれればと、貴族令嬢にしては珍しく直筆で。
確か、最初は頻繁にやり取りがあった。しかしいつの頃からか、少しずつ、少しずつ、返信が遅れていき――学園に入る前には、完全に途絶えていたことを思い出す。きっとその頃にはすでに、婚約者の変更が秘密裏に行われていたのだろう。
入学して再会した婚約者殿は、はじめましての頃の優しさも親しみも何もかも消え失せ、シェヘラザードの存在を厭うような素振りすら見せていた。
入れ替わったエヴァンにとって、シェヘラザードは腹違いの兄の婚約者であり、自分の婚約者ではなかったのだろう。
そして自分だけの婚約者として、セイレンナーデを選んだ。
百歩譲って、エヴァンの気持ちも分からなくもない。貴族として王族としての責務や、各家の立場、シェヘラザードの名誉などを思えば悪手も悪手ではあったが、個人的な心情を思えば理解できないこともない。
しかし、やはりあの女狐だけは許せない。
シェヘラザードの婚約者を奪い、濡れ衣を被せ、死に至らしめた、あの悪女だけは!
「わたしは」
アリアドネが震える唇を開いた。
「やり直しに気づいた時、私は誓ったのです。今度こそシェヘラザード様をお守りすると。何にも傷つけられず、何にも汚されず、何にも奪わせないようにすると。
私は私の持つ全ての力をもって、シェヘラザード様だけを優先すると。その誓いに抵触する者は、誰であろうと排除します」
それが、王族であろうとも。
半人の能力を制御できるようになったのも、魔術を扱えるようになったのも、侍女の仕事を学ぶのも、全ては愛しい主の為。主を守ると誓った自分の為。
金に染まった瞳が交錯する。
一方は爛々と、もう一方はやや弱く。しかしその瞳に宿すものは変らない。たった一人を守ろうと輝く、決意の光だ。
リカルドは笑った。
俯いたことで顔色を隠す前髪の向こう側に見えるのは、幾多の戦場を駆けた老獪な謀略家の笑みだ。
「それでいい。そうでなくては!」
組んでいた足を解き、開いた膝の上に肘を乗せる。幾分か回復した様子だが、まだ全快には至っていない。しかし上に立つ者の矜持が、弱くあることを許さない。
組んだ指で笑みに歪んだ口元を隠しながら言った。
「なぁアリアドネ。手を組もうじゃないか」




