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「さて、何から話そうか」
バルドゥールから投げ渡された手巾で鼻を拭っているアリアドネを面白そうに眺めながらリカルドが話し出すも、考えるように顎に手をやっている。
聞きたいことがたくさんあるのは、アリアドネとて同じこと。鼻を抑える手とは反対の手を挙手する。
「……発言しても?」
「構わないよ」
「先ほど殿下は、何度目だと、私にお聞きになりました。殿下も、その……」
やり直しているのか?
それだけの言葉が、喉の奥に引っかかって出て来ない。
普通に考えたらやり直しなどあるはずのない現象だ。アリアドネ自身、劫火のように身を焦がすこの憎しみがなければ、ただの夢か妄想か、はたまた病気かと思っていたに違いない。
ただの夢で終わらせるにはアリアドネの憎悪は深く重く、鮮明過ぎる記憶から、これが二度目だと判断しているのだが。
果たしてリカルドもそうなのだろうか? 何か別のことを指しているのではないか?
その考えは、当の本人によって解消された。
「ああ、私もやり直している。もうすでに、何度目かも分からないくらいに」
「!!」
アリアドネは息をのんだ。
「毎回、僕はリカルドとして生まれる。この国の第一王子だ。不自由なく生活し、シェヘラザードと婚約する」
だが、と一度言葉を切った。冷めきった紅茶を口にする。
「必ずシェヘラザードは不幸な死を遂げている」
「死……っ!?」
その身を駆け抜けた衝動のまま、思わず立ち上がった。首に巻きつく影の拘束が強まるがお構いなしだ。
「一番初めの記憶は、きっと、もうずっとずっと前のことだ。第一王子として産まれ、公爵家の姫君であるシェヘラザードと婚約を結んだが、学院に入学してすぐに僕も彼女も殺された」
「な、なぜです」
「僕のせいだ」
腹の前で組んだ指に力が入って、爪の先が白くなる。
淡々と話すリカルドの表情は、どこか痛ましげでもあり、苛立ちを堪えているようにも見えた。
ここまでずっと穏やかな表情を崩さなかったというのに、それを保てなくなるほどの記憶なのだろうか。その答えはすぐに出る。
「僕が半人の血に覚醒してしまったから」
「殿下が半人……!?」
驚きも露わにアリアドネは叫んだ。直後口を手で塞ぎ、周囲を見回す。
半人であるということは、この国では差別の対象だ。
人間としての尊厳を全て奪われ、身の自由も命の取捨選択も全て他人の物になる。それは高位貴族になればなるほど顕著になる。王族であれば、猶更だろう。
そんな重大過ぎることを思わず大声で口にしてしまったアリアドネは焦った。これが事実であればリカルドはよくて廃嫡、事実でなければアリアドネが侮辱罪で死罪。
顔色を悪くするアリアドネに、リカルドは苦笑して首を振った。
「言ったろう、盗聴防止の結界が張られている。バルドゥールの術式に対抗できる術者はこの国にはいないよ」
「す、すみません」
「いいよ。――それで、僕ら王族は、この国の始祖である竜の血を引いていると信じられている。それなのに半人に目覚めたということは、他の獣の血が混ざっていること。その時点で、王族ではないと」
「だから殺された、と? ならばなぜ、シェヘラザード様も、そんな」
「彼女は優しいから」
今ここにはいない少女を思って、リカルドは口元を綻ばせた。それは一言で表せないような、複雑な笑みだった。
「転化の痛みに苦しむ僕を庇い、糾弾する貴族達から守ってくれたのさ。だから一緒に殺された」
「では、私は? 私はその時、何を……」
「君はいなかった」
「そんな……!」
守ると決めた人の傍にいないなんて。信じられず、アリアドネはゆるゆると首を振る。
「シェヘラザードを巻き込んでしまった。大事な婚約者だったのに、王子の立場にある僕に寄り添ってくれたのに。僕のせいで殺されてしまった。それが嫌で、嫌で――気づいたら、僕は赤ん坊になっていた。これが二度目」
「赤ん坊?」
アリアドネがやり直しに気づいたのはシェヘラザードと出会った5歳の時だった。
奴隷としての記憶しかないため産まれた年月など知りようもないので、正確にはアリアドネは5歳ではなかったのかもしれない。もっと幼かったか、それとももっと年上だったかわからないが、少なくとも赤ん坊と呼べるほど幼くはなかったはず。
「どうして時間が戻っているのかは分からない。けれど、これはチャンスだと思った。一度目は、僕に関わったからシェヘラザードを巻き込んでしまった。ならば、関わらなければいい、と」
半人に目覚める切っ掛けが何かも分からない。ならば、婚約者にならなければいい。そう思ったのだろう。
しかし結果は変らなかった。
「同じように婚約の話が来たけど、断った。僕の婚約者になったのは他の家の令嬢で、シェヘラザードは別の男と婚約した。これで大丈夫だと思った。例えまた、僕が半人の血に目覚めても、シェヘラザードが巻き添えで死ぬことはない。だが浅はかだった。
結局その男はシェヘラザードを大切にすることなく、浮気や賭博を繰り返して爵位返上――借金のかたとして売られた彼女は、薬漬けにされて身を売る娼婦になっていた」
君はいなかった。
続けられたその言葉が刺さる。またしても、傍にいられないなんて。
「それからも、何度も何度もやり直した。半人に目覚めた時もあれば、目覚めなかった時もある。婚約した時も、しなかった時も。ああ、代わりに妹君と婚姻した時もあったな。
それでも、辿る道は違えども、行きつく場所は同じだった。彼女は死ぬ。それはそれは酷い姿で、僕がどう動いても、どんな選択をしても、しなくても必ず」
気が狂うかと思ったよ――…。
掠れるほどに小さな声で吐かれたそれは、まぎれもなく本心なのだろう。
疲れたように目元を手のひらで覆う姿は、まだ幼い姿であるにも関わらず、ひどく老け込んで見えた。
「実際、何度目かの時はやり直しに気づいた瞬間に、手に持っていたナイフで喉を割っ捌いたこともある。食事中だったかな、すごかったよ。まぁ、すぐに巻き戻ったから二度はやらなかったけど」
何度も何度もやり直し、何度も何度も殺されて、何度も何度も婚約者の死ぬ姿を見せられて。冷静に見えるが、狂わずにはいられないだろう。
アリアドネ自身、やり直しに気づいた時は歓喜もしたが、気が狂ったのかとも考えた。いいや、もしかしたら、もうすでに狂ってしまっているのかもしれない。
リカルドは狂っている。狂ってしまった。それは仕方のないことなのかもしれない。
全て話すには時間が足りないと思ったのか、それとも全てを話す必要がないと思ったのか。
リカルドが紅茶に口をつけたことで一区切りと判断し、アリアドネもまた、自分の記憶を話すことにした。
「――私は二回目です」
奴隷市で拾われた時に、一度目の記憶が甦ったこと。
一度目も奴隷市で拾われ、ペットのように可愛がられ、大して役に立つこともなく――むしろ主の不幸に油を注いでしまった――助けようと向かった先で、自ら剣を突き刺してしまったこと。
情けない思いが込み上げて所々つっかえながらも、全てを話した。リカルドは静かに話を聞いている。
「あの時、私は怒りで我を失いました。全てが憎くて憎くて仕方がなくて、全て滅んでしまえと願ったのです。そしたら」
「竜に転じた?」
「……ご存知でしたか」
「あれはすごかった。嵐が全てを吹き飛ばして、雷が全てを破壊して燃やし尽くす。世界の終わりを見た気がして、いーい気分だった」
喉の奥でくつくつと笑う男に対する憎しみが、再度こみ上げた。
「貴方がそれを言いますか」
知っているに決まっている。
この男は王位に就き、セイレンナーデを正妃として、シェヘラザードを陥れた張本人だ。
今まで散々シェヘラザードの死を嘆くようなことを嘯いておいて、アリアドネの記憶では死に追いやる原因を作った男だ。何をしゃあしゃあと宣っているのか。
「あの時、シェヘラザード様を裏切ったのは、他でもない。貴方でしょう」
「僕じゃない」
「ふざけんな!!」
苛立ちのままに怒鳴りつけた。影がぐ、と首が締めつけるが、構うものか。構うものか!
「お前が裏切ったんじゃないか! 裏切って、傷つけて、そうして死なせた! 何度も何度もやり直して、気が狂いましたか? 今度は自分でシェヘラザード様を殺してみようとでも思ったのですか!!」
「黙れ!」
「……っ!」
鋭い一喝と同時に、首に巻きつく影が力を増した。
凄まじい圧迫感。首を捩じり切られても可笑しくはない強さのそれは、アリアドネの意識を一瞬だけ刈り取った。目の前にちかちかと火花が散る。
緩まない拘束は、じりじりと力を増していく。痛みと苦しみに喘ぐも、求める酸素は一向に入ってこない。
首に巻きつく影に爪を立てようとするが、そこは影。実体のないものらしく、いくらやっても爪に引っかかりはせず楽にはならない。
アリアドネは酸欠で靄がかかっていく視界の中、リカルドを睨みつけた。
涼やかな美貌は跡形もなく、その目は憎しみに燃えていた。
よく覚えのある目だ。アリアドネと同じ目。
(なぜおまえがそんなめをする)
「リカルド。いい加減やめろ、やり過ぎだ」
意識がブラックアウトする寸前、静かな少年の声が聞こえた。その直後に首の圧迫感が消え、急激に入ってきた酸素にむせて咳き込んだ。吐き気すらする。
止めたのはバルドゥールだった。元々、首を拘束していた影の術式を行使していたのは彼であったが、どうやらリカルドは強制的に術式の権限を奪い取っていたらしい。もしくは、元々の行使者が抵抗もせず差し出したか。
「うっ、ぐえっ、げほ、げほげほっ、げええっ」
「……ああ、すまないアリアドネ。頭に血が上ってしまった」
激しく嘔吐くアリアドネに、大して悪いとも思っていないような調子でリカルドは謝罪した。疲れたように目元を手で押さえており、白い頬はさらに白く、脂汗が浮いていた。
バルドゥールはその隣で呆れたように溜息を吐いた。不機嫌な様子を隠そうともせず、リカルドの肩を叩く。肩に置いた手が仄青く光った。魔術式の発動光だ。その光がゆっくりと薄く全身を包み込むと、多少眉間の皺が薄くなる。
明らかに体調を崩した様子のリカルドの指の隙間から、苦悶に歪む瞳が見えた。
「きんいろ……?」
その瞳は、アリアドネの右眼と同じ色に輝いていた。




