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復讐のアリアドネ  作者: 岡出 千
幼少期:8歳
37/57

同胞



 アリアドネの手のひらから滴る血に気づいたのはリューク王子だった。

 わざとらしく焦った声を上げることでシェヘラザードに気づかせ、口八丁で止血のための布を取りに行くようし向ける。純粋にアリアドネの傷を気にするシェヘラザードは素直に従い、部屋を後にしようとした。


 それに焦ったのはアリアドネである。

 過去の仇敵である王子と、顔を合わせて間もないがどこか気にくわない少年と、3人きりになどなりたくない。

 シェヘラザードがいるからこそ耐えられているが、いなくなってしまえばどうなるか……。足早に扉へ向かう主の背に縋りつくように、焦りも露わに追いかけた。


「お待ちくださいシェヘラザード様、私は大丈夫です! こんな傷、すぐふさがるのでシェヘラザード様のお手を煩わせる必要などありません!」


 だから行かないで!!

 言葉少なに言い募る。しかし心優しい主は痛ましげに眉を顰め、傷ついたアリアドネの手を掬い取った。


「いいアリアドネ、いくらすぐに治るといっても甘く見てはいけないわ。ちゃんと自分の体を大事にして」

「シェヘラザードさまぁ……!」

「じゃあ私は席を外すから、アリアドネはお二人のお相手をお願いね」

「はぁい! ………はい??」


 愛しい主の優しい言葉と、手のひらを包み込むぬくもりに心を打たれている間に、何かとんでもないことを了承してしまった気がする。

 アリアドネが正気に戻った時には、シェヘラザードの見事な銀の髪が扉の向こうへと消えた後だった。


(あああああああああああああしぇへらざーどさまああああああああああ!!!!)


 心の中で上げた悲鳴が扉越しのシェヘラザードに届くわけもなく。

 中途半端に手を伸ばした姿勢のまま、アリアドネは固まった。

 不敬にも王子に背を向け尻を向け、立ちすくむこと数秒。解凍に手を貸したのは、他ならぬ王子の笑い声だった。


「ふっ」

「………」


 くっくっく、と肩を震わせながらのそれを背中に受けて、アリアドネは無言で姿勢を正す。半歩引いて体を反転させ、客人に向き直って一礼。

 失礼致しました、心にもない言葉を続けた。それにひらりと手を振ったリューク王子は、ソファに深く背を預けて足を組んだ。

 涼やかな美貌に意地の悪げな笑みが浮かんでいる。先ほどまでの穏やかで優し気な王子の姿はそこにはなく、狡猾な策略家の姿があった。


「シェヘラザードはしばらく戻ってこないよ」


 冷たい声音。先ほどまで、シェヘラザード嬢と敬称をつけて呼んでいたはずが呼び捨てになっている。

 王子という身分と婚約者という立場から、公爵家の令嬢を気安く呼んだところで咎められはしないが、不意にちらつく違和感にアリアドネは警戒心を強めた。

 治りかけた手のひらの傷を、抉るように握り込む。鈍い痛みが走った。


 背後にある扉を確認する。シェヘラザードの気配が足早に遠ざかって行くのが分かった。

 この奇妙な空間にシェヘラザードがいないことに安堵する。もっとも、シェヘラザードがいなくなったからこそのこの空気なのだろうけれど。

 踵を鳴らしながら少年がアリアドネの後ろに立った。無造作に伸ばされた指先は、冷たいサムターン――鍵を回すつまみのことだ――を倒して、こすり合わせて音を鳴らした。青い火花が散って、薄い膜となって部屋中に張り巡らされる。


(術式展開!?)


 魔術の行使。しかも、予備動作も何もなく即座に行われたそれは、術者である少年の腕の良さを示していた。

 この部屋唯一の出入り口の鍵を閉められ、逃げ道を塞ぐように退路を絶たれた。何の術式かは、まだ初中級レベルの魔術しか出来ないアリアドネには分からなかったが、無断で人を閉じ込めるような人間のやることなど碌なものではない。

 最悪、アリアドネの持てる力の全てを使って物理的に術式を破ってやろうと身構える。幸い、力業は得意だ。


「落ち着いて、何も君を傷つけようってわけじゃない。これだって、ただの盗聴防止の術式だ。言ったろう? 話がしたいと」

「……恐れながら申し上げます。ただ話すだけならば、ここまで手の込んだことをなさらずともよいのではないでしょうか。奴隷である私が、主を差し置いて何を話すことがありましょう」

「シェヘラザードには聞かせたくないんだ。君にとっても、聞かれない方が身のためだと思うけど?」

「主に聞かれて困ることなど、私にはございません」

「ふぅん? それはどうだろうね」

「………」


 座りなさい、と先ほどまでシェヘラザードが腰を下ろしていたソファを指さされ、アリアドネは王子に視線を固定したままゆっくりと移動する。

 柔らかく、どこまでも沈んでいきそうな革張りのソファは、深く座り込んでしまうといざという時に動けない。そして何よりも尻の座りが悪くて落ち着かない。

 両足に力を込めたまま浅く座るアリアドネとは対照的に、正面に座るリューク王子も、その横にどっかりと腰を下ろした側近の少年も、深々と座っていた。余裕綽々といったその態度に苛立ちを禁じ得ない。


(何を考えているんだこの男……)


 眉間にしわが寄ってしまうのも構わず、アリアドネは対面に座る二人の少年を睨みつけた。

 片や主を裏切った婚約者、片や主を弄んだ男の息子。

 一度目の話であるので、二度目の現時点では彼らにはなんの罪もない。分かっている。


 しかし、それとこれとは話が別だ。

 いくら頭では理解していても、心がそれに追いつかない。

 目の前にいるのは殺したいほどに憎い男と、もう一人憎い男の息子であると、そう思うだけで脳みそが焼き切れそうなほどに怒りが募る。

 まだなんとか冷静を保てている。保てている今のうちに、早く視界から消してしまいたい。


 今ここにはいない愛しい主。彼女は無事だろうか。何事もなく、目的は果たせただろうか。

 優しい主。いくらでも替えのきく奴隷相手に、わざわざ手足を動かさなくてもいいのに。その優しさが愛おしくて、そしてほんの少しだけ憎たらしい。


「さて」


 冷めてしまった紅茶で唇を湿らせて、言葉を発したのは王子だった。悠然と足を組み替える。


「まずは自己紹介から始めようか。僕はリカルド・リューク・メルバーン、この国の第一王子にして、君の主の婚約者だ。そしてこちらが僕の側近のバルドゥール。現王弟である大公家の者だ。――ああ、君のことは知っている。さっき、シェヘラザードが話してくれた」


 アリアドネは目を見開いた。黒と金の双眸が零れ落ちそうなほどだ。

 王子の言葉が頭に入ってこない。


 ――この男は、何と言った?

 リカルド。リカルド? アリアドネの知っている男は、シェヘラザードの婚約者である王子はエヴァンだ。リカルドじゃない。


「半人の無印奴隷、アリアドネ」

 

 舞台の上で演技をしているようだ。

 そんなことを思わせるほど、王子はゆっくりとした仕草で腹の上で指を組んだ。小指側から、一本一本、見せつけるように絡めて握り込んでいく。

 何気ない動作だ。しかしアリアドネはその動きから目が離せない。背筋に冷たいものが滑り落ちる。


 そして、決定的な言葉がアリアドネの体を突き動かした。


「君は何回目?」


 衝動、もしくは本能。 

 弾かれたようにソファから体を起こした次の瞬間、アリアドネは豪奢な作りのローテーブルを足場にして踊りかかっていた。

 標的は目の前、金の色を持つ王子を名乗る見知らぬ少年。その喉笛を掻き切らんとばかりに狙いを定め、手刀を振り落す。


 リカルドは動かない。動けないのだろう。

 アリアドネの最高反応速度は常人には目で追うことも出来ない速さを誇る。それについていけるのは、師であるアナスタシアくらいだ。今更逃げようと動いたところで、その首が胴体とオサラバするのは免れない。

 しかしそれがどうした。

 王子を名乗る不届き者をここで亡き者にしたとして、何の障りがあるというのだ。


 アリアドネは殺す気だった。殺さねばならないと確信していた。

 何回目? そう尋ねたこの男は、アリアドネの秘密を知っている。

 アリアドネが一度目の生を終えて、二度目の生をやり直している、アリアドネ最大の秘密を知っている。


 殺さなければ!!


 しかし、渾身の力でもって放たれた手刀は、肌に少しの傷をつけることも叶わず止められた。

 黒い影がアリアドネの腕に巻きついて、ぎちぎちと縛り上げていたのだ。腕だけではない。テーブルに乗り上げた体ごと、影に動きを封じられている。

 ぐぐ、と引き戻されるように力が加わるが、それに逆らって前進する。首に巻きついた影が、徐々に気管を圧迫するが構うものか。

 殺さなければ、殺さなければ。それだけが頭の中をぐるぐる回る。

 アリアドネを拘束する影は、どんどんその力を増していく。腕や足に絡みつく影は蔦のようで、捩じり切らんとばかりに締め付けていた。 

 

 じりじりと、首元に触れては離れるアリアドネの手。その手が触れた瞬間、先ほどの勢いがなくとも力づくで首を飛ばされるだろう。

 眼前には、両目を金色に光らせた瞳孔の開き切った瞳がある。それにも関わらず、リカルドは悠然とした態度を崩さない。


「バル」

「了解」


 名を呼ばれ、バルドゥールはアリアドネの拘束を強めた。全身に絡みつく影はそのままに、もう一つ術式を展開する。


「ぐぅっ!」


 アリアドネは顔面からテーブルに沈み込んだ。強かに顔を打ち付ける。鼻の奥が熱い。

 体が重く、とうとう身動き一つ出来なくなった。アリアドネにかかる重力が何倍にもなっている。影の拘束と重力操作、ただでさえ難しいその二つを同時に操ることが出来る者は少ない。しかも部屋に欠けられた遮音の術式も今だ有効。

 みしみしとテーブルの脚が悲鳴を上げている。何とかして体の自由を戻そうと身を捩るが、指先一つ動かせそうになかった。


「手荒な真似をして済まないね。でも、こうでもしないと君は話を聞かなそうだ」

「お、まえぇ……!」

「おや、まだ話せるかい」

「もっとやるか?」

「いや、やめとこう。あまり手荒にしてはシェヘラザードに悪いからね」


(もうすでに手荒だけど!!?)


 しかし先に手を出したのはアリアドネなので何も言えない。

 強かに打ち付けた顔面と、少しも動かせない体もあって、アリアドネの頭は大分冷えてきた。溜息一つ吐くと共に、体から力を抜いた。


 戦意が失われたことを察したリカルドはバルドゥールに目で合図を送る。

 同じく溜息一つ、重力の拘束が解かれた。手や足に絡みつく影もしゅるしゅると解かれ、バルドゥールの足元へと戻っていく。しかし首に巻きつく影だけは残された。万が一の保険だろう。


 もたもたとテーブルから降りてソファに沈み込む。

 脳が沸騰するような怒りがとりあえずは収束すると、後に残るのは疲労である。そして疑問。


 何度目だ、と。そう問われた。

 なぜそれを知っている?

 常識で考えれば、けして出てくることはない台詞だ。命に一度目も二度目もない。やり直しがきかないからこそ、人は精一杯生きるのだ。

 その問いが出ると言うことは、もしかして。

 

「さぁ、話を進めたいところだが」


 まずはその鼻血を拭きなさい。



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