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復讐のアリアドネ  作者: 岡出 千
幼少期:8歳
35/57



「はあ゛~あ゛ぁ……」


 アリアドネはため息をついた。それはそれは重苦しいため息だ。

 手のひらの上に転がる制御玉――自分の中にある魔力を流し込むことで色が変わり、魔力のコントロールを学ぶものだ――の色を赤、青、緑、とリズミカルに変えていく。

 3年間の訓練によって、考え事をしながらでも魔力の制御が出来るようになったアリアドネには、火、水、風と、三つの属性の魔力が流れている。

 術式の理解も進んでおり、低~中級の魔術くらいなら簡易式でも展開できるほどにはなった。

 それは本人の漲るやる気と勤勉さ、そして幸いにも持ち合わせていた才能によるものが大きく、訓練の際にはいつでも真面目に取り組んでいたのだが。


「ルーカス……あの子は一体、どうしちゃったのですか」

「……すみません、俺にもさっぱり。お嬢様に関してっていうことは分かるんですが」

「ああ、それは私も分かります」


 いつもの竜騎士団の訓練場で、何事か考えながら制御玉の色を変えていくアリアドネを、遠くから見守るアナスタシアとルーカス。

 

「シェヘラザード様……はあ゛ぁ……」


 頭の中は、最愛の主によって十割を占められている。

 その割合はいつもと変りないと言ったらそうなのだが、それでも今のアリアドネの様子は異常だった。


「何か悪いものでも食べました?」

「いやいやお師匠様、鉄の胃袋を持つあいつが腹壊すなんてこの世の終わりですよ」

「ですよねぇ。落ちてた魔獣でも食べたのでしょうか」

「魔獣は普通落ちてませんよ」

「いやですよルーカス。冗談に決まっているでしょう」

「えぇ~っもう、お師匠様ったら~」

「うふふふふ」


 ことりと首を傾げるアナスタシアは、口調は至って穏やかかつ丁寧だが、言葉選びが割とひどい。その言葉を受けて、うふふあははと笑いあうルーカスもまた然り。

 普段ならこの辺りで咬みついてくるアリアドネは、やはり意識を明後日の方向に向けたまま帰ってくる様子がない。

 二人は顔を見合わせた。


「ねえアリアドネ? おなかでも痛いんですか?」

「あんま無理すんなよ、厠行くなら我慢しないで行ってこい?」

「お師匠……ルーカス……」


 いつになく元気のない様子のアリアドネに、とうとう心配が勝ったのか声をかけた。

 焦点の合わない黒と金の瞳が、漸く二人の姿を捉えて。


「私が変なもの食べた前提で話を進めようとしないでくださいぃ……」


 普段自分がどう思われているのか、改めて心配になったのだった。




 シェヘラザードの侍女として傍に付くようになってはいたが、アリアドネの一日の少なくとも半分は身体強化や魔力操作の訓練に費やされている。

 侍女に昇格したのはつい最近の話で、洗礼の日からの約3年間はシェヘラザードの護衛としての役割を命じられていたのだ。

 そのため、まずは半人としての能力を使いこなし、何があっても対処できるようになることや、魔術の扱いに慣れることを最優先とされていた。

 侍女として傍仕え出来るようになってからも、護衛としての役割がなくなったわけではない。屋敷の中はともかく、出かけ先や、誰かと会う予定がある時は護衛も兼ねて同席するようにはしているのだが。


「今日はお客様がいらっしゃっているんです……」


 沈んだ様子で、それだけを絞り出した。

 先にピンときたのはアナスタシアだった。


「ああ、王子殿下ですね。ご婚約なされたとか。おめでとうございます」

「ううううううううううううううっ」


 おめでたいことなどあるものかっ!


 本能のままに叫びだしたい気持ちはあれど、それをしてしまったら不敬罪だ。ぐるぐると渦巻く感情を押さえつけて、堪え切れない分が唸り声として食いしばった歯の隙間から抜けていく。

 アリアドネにとっては王族に対する不敬よりも、愛する主の婚約も祝ってやれない自分の心の狭さに嫌気がさす。

 無意識に力いっぱい握り込んでいた制御玉が、手の中でぎりぎりと軋みを上げた。耐えきれなくなる前に、アナスタシアが気づいて取り上げる。


「もう、落ち着きなさいアリアドネ。」

「お師匠」

「シェヘラザードお嬢様が、この国で一番の女性になるにふさわしいご令嬢だと認められたということですよ。家臣として胸を張りなさい」

「ううう……」

「アリアドネ」

「…………はい」


 強く名前を呼ばれて、アリアドネはしゅん、と萎れたように肩を落とした。

 一度目の記憶があるからこそ出来ることもあるが、あるからこそ出来ないこともあるのだと痛感する。

 王子との婚約は、シェヘラザードにとって災厄しかもたらさない。シェヘラザードの数多の不幸は、婚約を結ぶ、今この瞬間にも始まろうとしているのだ。ただじっとしているなんて出来ない。動いたところで、アリアドネに出来ることは何一つとしてないのだけれど。

 

 洗礼の日もそうだった。

 アリアドネはシェヘラザードの大事な時に、いつも傍にいることが出来ない。

 5年前は追いつけた。自分の手で助けられた。

 では次は?


(間に合わないかもしれない)


 それが一番、恐ろしい。


 難しい顔で黙り込んでしまった少女を見下ろして、アナスタシアは息を吐いた。仕方がないな、とでも言いたげな様子だ。

 手のひらの上で遊ばせていた制御玉を取り上げる。それを追って持ち上げられた双眸はゆらゆらと揺れて迷子のよう。いつになく弱っている弟子の、まあるい頭に手を乗せた。

 あちこち跳ねる癖毛は変らないが、この3年間で随分伸びた。後頭部の高い位置で団子にまとめ上げた黒髪は、下ろすと背中の中ほどまである。初めて出会った頃は骨と皮ばかりで今にも折れてしまいそうだったのに、今では子供らしい肉づきになっていかにもな健康体だ。まだまだ低いが、背も伸びた。

 能力開放だって出来なかった。魔力がないかもとべそをかいていた。

 それが今は、能力開放も自由自在、魔術も扱えるようになった。


 成長著しいこの弟子が、アナスタシアは可愛くて仕方がない。


「集中できないようですし、手合わせをしましょう。考える余裕もなくなるくらい、叩きのめしてあげます」 


 ぽかん、と見上げる少女の顔に、じわじわと滲むように笑みが広がる。勢いをつけて立ち上がった。


「よろしくお願いしますっ!」


 半人の能力も魔術も使用しない体術のみの手合わせは、アリアドネの得意とするところでもある。

 小柄な体は小回りが利き、柔軟性に富む。速さと技術を持ち合わせ、地力に勝るアナスタシアにはまだまだ適わないが、いい勝負が出来るようになってきた。

 手合わせ中は考え事をする余裕が生まれることはまずないので、ぐるぐると考えなくても済む。

 そして大抵の場合、そのぐるぐるは終わった頃にはすっきりとしているのだ。


「手加減は」

「いりません!」

「いい覚悟です。それでは、ルーカスお願いします」

「はい」


 爪先で大きく描いた円の中、向かい合って立つ。

 自然体に立つアナスタシアに対し、アリアドネは片足を引いて、重心を低くした態勢だ。すぐにでも一歩を踏み出せる、先手必勝の構え。


 円から離れたところに立つルーカスが、まっすぐに腕を突き出した。上に向けた手のひらを中心に空気中から水分が集まってくる。それは渦を巻きながら小さな球となり、ふわりと浮き上がった。

 水と風の属性を持つルーカスの合せ技だ。複数の属性を持つ者は少なくないが、同時に発動できる者は限られる。

 半人ではない、普通の身体能力しか持たない常人であるルーカスは、二人の手合わせには力が足りず参加できない。そのため、魔術操作の訓練も兼ねて、こうして手合わせのスタートの合図の役目を担っていた。

 ルーカスが腕をゆっくりと上げるのに合わせて、水球はふわりふわりと高く浮き上がっていく。そして。


 高く掲げた手のひらを、力強く握りしめると共に、水球は音もなく弾け飛んだ。

 外側からじわじわと圧力をかけられ、耐えきれずに爆散したのだ。

 細かい飛沫となった水の雫が、太陽光を反射してきらきらと輝く。


 爆発した瞬間、先に動いたのはアリアドネだった。

 強く地面を蹴りつけて、アナスタシアとの距離を一気に詰める。

 小柄な体躯を生かした、低い体勢からの足払いを仕掛けるも、最小限の動きで避けられる。しかし避けられるのは想定内。足払いの勢いに任せて回転し、地面に手をついて今度は顎を狙って蹴り上げた。

 アナスタシアは仰け反ることでそれも回避しながら、アリアドネの足を掴んで地面に叩きつける。まるで大槌を大上段から振り下ろすかのような勢いだった。

 アリアドネにとってしてみれば、地面とキスするのはもうこりごりだ。顔面から地面に叩きつけられる前に、丹田に力を込めて前転、アナスタシアに掴まれていた足を外して着地する。

 逃げただけでは終われない。立ち上がり様、全身の筋肉をバネのようにしならせて渾身のアッパーを放つが、それも読まれていたのだろう、握った拳はアナスタシアの手のひらに吸い込まれた。

 拳を受け止めたことで空いたボディに膝を叩き込む。しかしそれも、逆の手に止められた。体をひねってアナスタシアの手を外し、至近距離からの後ろ回し蹴りを繰り出すも、完全に読まれていたようで抑え込まれた。

 蹴り足はがっちりとホールドされ、身動きが取れないまま、軸足を払われる。体が浮いた。


「ぎゃっ」


 掴まれていた足を放り投げるように解放され、落下の勢いも手伝って強かに尻を打ち付けた。

 それと同時に、ぱぱぱぱぱ……、とルーカスが爆散させた水が飛沫となって落ちてくる。

 それほどに一瞬の出来事だった。 

 

「あー、また負けました」

「相変わらず、悩みがあるときの動きが単調ですね。まず足元。次に顔。ワンパターンですよ」


 差し伸べられた手を握り体を起こすと、尻に付いた汚れを払われながら助言を受けた。続いて、髪の毛を濡らす雫も払われる。アナスタシアとの手合わせは、手加減なしで叩きのめされたすぐ後に甘やかされるのがお決まりだった。


「次はそうはいきません。もう一度お願いします」

「いいでしょう。――と、言いたいところですが」


 お客様がいらっしゃったようです。

 そういうか否や、アナスタシアは臣下の礼をとった。片膝を立てて首を垂れ、右手を胸元にあてる。

 遅れること一瞬の後、訓練場の入り口付近にあった人の気配を察知し、アリアドネとルーカスもそれに続いた。竜騎士爵を持つアナスタシアと違い、奴隷身分である子供二人が取る礼は平伏である。両膝をつけ、地面に重ねた両掌の上に額を乗せる。

 入り口の影からこちらを窺っていただろう客人たちが姿を現した。


「邪魔して悪いね。楽にしなさいロン少尉。君たちも」

「はっ」

「は、はいっ!」

「……っ」


 心臓が嫌な音を立てた。


 入り口には多くの護衛を従えたウィンプソン公爵とシェヘラザード。そして同じ年頃の少年を連れていた。

 アリアドネは知っている。


(エヴァン……!)


 その少年を、知っている。





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