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復讐のアリアドネ  作者: 岡出 千
幼少期:8歳
34/57




 とうとう恐れていたことが起きてしまった。


 嫌な予感はしていたのだ。

 父であるウィンプソン公爵に呼び出され、シェヘラザード一人が執務室へ向かう道すがら。

 話が終わるまで、廊下で待機していた扉の前(防音の魔術式が施されている為に、アリアドネの耳をもってしても漏れ聞こえる音を拾うことは出来なかった)。

 嫌な予感がしていたのだ。それはもう、ぷんぷんぷんぷんしていたのだ。


 そして無言のまま出てきたシェヘラザードと共に部屋に戻り、前もって用意していたティーセットでお茶の用意をしていた時に、その爆弾は落とされた。


「婚約することになったわ」


 アリアドネの脳内では今この瞬間に屋敷が爆発した。


「お相手はリューク殿下よ」


 続けざまに王城が爆発。


「あちらの都合で、明日にでも顔合わせをするみたい。屋敷にわざわざ来てくださるそうよ」


 最終的に竜の形をした国が跡形もなく爆発した。


「アリアドネ? 聞いてる?」

「勿論です、シェヘラザード様。ご婚約おめでとうございます」


 止めとばかりにアリアドネ自身が誤爆。

 脳内ではシェヘラザードを姫抱きにして爆発から逃げていたが、自分の発言により自爆と相成った。

 言うまでもなく、シェヘラザードは無事である。脳内であろうと妄想に過ぎなかろうと、愛する主は傷つけないのが信条である。


 予想はしていたが、認めたくない現実に直面したことでアリアドネの精神力はごりごり音を立てて削られていく。

 今朝食べた卵が出てきそうだ。賄いのベーコンエッグ。同い年の娘がいるという調理長は、食べ盛りのアリアドネにいつもおまけをしてくれる。訓練と侍女の仕事と護衛役と忙しく動き回るアリアドネはいつでも空腹なので、その気遣いが有難い。

 いや違う、そうじゃない。

 

 エヴァン・リューク・メルバーン殿下。

 一度目でも、シェヘラザードはこの男の婚約者だった。

 同じく8歳の時に婚約を結び、12歳で入学した王立学院で学び舎を共にし、そしてシェヘラザードを裏切り続けた男。

 

 また同じ道を進むのか。

 足元が崩れていく。血の気が引いて、代わりに氷水でも流れているのかと思うほどに体が急激に冷えていった。

 頭が痛い。気持ち悪い。

 ぐらりとふらつく体を必死に押しとどめて、アリアドネは笑った。


「でも、婚約なんてお早いですね。殿下もシェヘラザード様と同じ年でしょう」

「ふふ、アリアドネもじゃない」


 音もなく置かれたティーカップに口をつけて、ふわりと微笑む。

 初めて給仕をした際には濃すぎて苦くなってしまった紅茶は、あれから練習を重ねてまともに淹れられるようになった。これからはシェヘラザードの好みを把握して、それに合わせていくのが課題だ。とりあえず、甘いものより、多少苦みがある方が好きらしい。


「王室には今、リューク殿下以外に王位継承権を持つ男児はいないとの話よ。殿下が王位に就く可能性はとても高い。だからこそ、未来の王妃となる令嬢を早めに選んで教育を受けさせたいのではないかしら」


 王妃教育を施すなら、しっかりとした素地があった方がいいということだ。

 公爵家の令嬢として、家名に恥じぬ教育を受け、それを身に着けてきたシェヘラザードはまさにうってつけの人材だろう。貴族としてのマナーなどはすでに身についており、浮いた時間でそれ以外のことを重点的に教育できる。

 教育を施すのならば早い方がいいのだろう。子供の内の方が覚えも早く、体に叩き込みやすい。じっくりと長い時間をかけて丁寧に教えることも出来る。


 さらに、王子との関係性を築くという点でも、早くに顔合わせをしておいた方がいいのは言うまでもない。

 政略的な婚姻関係とはいえ、それが恋であろうとなかろうと、二人の間に情が芽生えるのは悪くないことだ。

 悪くない。相手があの男でさえなければ!




 今でもありありと思い出せる。

 エヴァン・リューク・メルバーンは、シェヘラザードの婚約者であるにも関わらず、あろうことかその妹に誑し込まれた。

 それで終わればよいものを、何を考えたかセイレンナーデを正妃の地位を据えるためにシェヘラザードを陥れたのだ。

 身に覚えのない罪を着せられ、受ける必要のない罰として王弟である大公に嫁がされた。自分と同じ年の息子のいる、父親以上に年の離れた男の十二番目の後妻にだ。

 公爵家の醜聞を隠すため、碌な事実確認もされることなく全て伏せられ、輿入れは静かに行われた。そして王子にはシェヘラザードに替わる新たな婚約者としてセイレンナーデが据えられ、間もなくして王位を継いだ男の正妃として国中から祝福された。

 

 シェヘラザードが嫁ぐ羽目になった王弟が、それはもう人としての屑の頂点を極めたかのような男だった。若い女を後添えとして嫁がせては悪逆非道の限りを尽くし、使えなくなったら離縁することをくり返していたようだ。

 シェヘラザードもその例外ではなく、初花を手荒に散らされたばかりか、身も心も傷つけられた。

 その時のアリアドネには侍女として仕える技術はなかったがために、嫁ぎ先には同行を許されなかったので、これは後からメイドたちの噂話として聞いた話だが、それはそれは酷い仕打ちだったという。


 アリアドネは無知だった。

 シェヘラザードに降りかかった冤罪も、輿入れ先での不幸も全く知らず、知らされず。ただただ、主は嫁入り先で幸せにやっていると、愚かにも思い込んでいたのだ。

 全てを知らないアリアドネは、月に数回だけ会うことを許されたシェヘラザードに、へらへら笑って無神経に振舞うばかりだった。それがどれだけシェヘラザードの傷を抉って塩を塗り込んだのか、アリアドネには分からない。


 そして、シェヘラザードの更なる転落を招いたのもアリアドネだった。


 会うたびに元気をなくしていくシェヘラザードを心配したアリアドネが頼ったのは、主の妹であるセイレンナーデだった。

 セイレンナーデこそが毒の花だと知らないアリアドネは、元気が出る薬だと握らされた包みをありがたく頂戴し、シェヘラザードに渡したのだ。


 その夜のことだ。

 大公家に軍が押し入り、王位簒奪の容疑でシェヘラザードもろとも捕縛された。

 王となった元婚約者の食事に毒が混ぜられており、その毒と同じものが、シェヘラザードの部屋から発見されたのだ。

 もちろんそれはシェヘラザード自ら用意したものではない。アリアドネがセイレンナーデから渡され、シェヘラザードへとプレゼントした、『元気の出る薬』だった。


 アリアドネがいくら違うと言い募っても、ただの奴隷の言葉など何の証拠にもならず、シェヘラザードの処刑が決定した。

 そして。

 助け出そうと王城へと乗り込んだアリアドネの手によって、シェヘラザードは死んだのだ。


 本来ならば、罪人とはいえ貴族令嬢であり、王弟殿下の妻であるシェヘラザードの扱いは、丁重にされるべきである。

 貴族用の牢に入れられ、首を落とされるその日まで、貴族としての尊厳を守られるべきである。

 しかし実情はそうではなかった。

 見張り番に嬲られ、下女や下男に虐げられ、ぼろぼろにされた挙句、薄汚い兵士の姿をさせられて、力の入らない手に剣を括りつけられて。

 土砂降りの雨の中、自分の奴隷に――アリアドネに殺された。




「……結婚、など、しないでください」


 わななく唇は何度か開いては閉じてを繰り返し、結局震える声でそれだけを呟いて閉じられた。

 主の反応を直視する勇気が出ずに、俯くことで視線から逃れる。シェヘラザードの青い瞳はまるで鏡のようだ。美しいサファイアに映り込む自分のなんと醜いことだろう。


「……泣いているの、アリアドネ」


 俯いて自分の手元を凝視していたアリアドネの手に、そっと嫋やかな指先が触れた。

 生きるための苦労など、これっぽっちも知らない、綺麗な手だ。優しくて温かい、大好きな手。


「ないてません……」


 結婚なんてしなければいい。婚約なんてしなければいい。

 王族との婚姻。それがすべてを狂わせた。それさえなければ、アリアドネが自分の手でシェヘラザードを殺す未来など、あるはずがなかったのに。


 そうだ。

 アリアドネが殺した。

 自分を嵌めたセイレンナーデを恨もうとも、主を裏切った王子を憎もうとも、もう一度やり直せているとしても、その事実は変らない。

 この優しい主を殺したのは、アリアドネだという、事実は変らない。


 泣いていない。けれど泣きたい。 

 結局のところ、この優しく美しい人を追い詰めたのはアリアドネ自身なのだ。

 アリアドネが馬鹿だった。


 本当に、馬鹿だった。



「……ねえ、アリアドネ」


 指先だけが触れていたはずの手は、今やすっかり握り込まれていた。けして強くはない力で、しかし弱い抵抗では振り解けない力で。


「顔を上げて」

「……」


 のろのろと、言われた通りに動いた。

 シェヘラザードのサファイアが真っ直ぐにアリアドネを見ている。


「貴女が、何を怖がっているのかは分からないけれど。でも、きっと大丈夫よ」


 握り込む手とは反対の手で、頬を撫でられた。

 左右で色の違う眼。右目の下の、鱗の痣。半人の証。忌み嫌われ、蔑みの対象となるもの。

 それを撫でるシェヘラザードの手つきは優しい。無意識に頬をすり寄せれば、猫を可愛がるかのように指先でくすぐられた。


「守ってくれるのでしょう?」


 手つきはペットを可愛がる飼い主そのものだ。

 しかし、アリアドネを真っすぐ見つめるその瞳に宿るのは、ただの愛玩だけではないように感じられた。


「命に代えても」


 アリアドネは、しっかりと蒼を見つめながら、そう返した。

 すくい上げた指先に口づける。忠誠のキスだ。


 飼い主と愛玩動物。主人と奴隷。

 ただそれだけだった関係が、少しずつ変わってきている。


 それを二人が自覚するのは、まだ先の話。





いつもお読みくださりありがとうございます。

そろそろストックが切れてきたので3日に一回更新が難しくなってきましたので、月・木更新にしたいと思います。よろしくお願いいたします。

もしよろしければ評価、感想などくださると嬉しいです。

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