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復讐のアリアドネ  作者: 岡出 千
幼少期:5歳
28/57


「今!!!!」


「おい、うるさいぞアリアドネ!!」

「今、今!!! ラナさまが私に!!! 手を!!!! 振って!!!!! くださった!!!!!!」


 街路灯によじ登った状態で、アリアドネは喜びに胸を震わせた。一層張り切って手を振りアピールをくり返すアリアドネに、同じく街路灯にしがみ付くルーカスはひやひやする。


 一般庶民の子供を装って街道警護をすること。

 それがアリアドネとルーカス二人に与えられた仕事である。それなのに、こんな目立つ場所に陣取って手を振り笑顔を振りまいてもいいものか。

 街道に沿って点々と配置された街路灯には、アリアドネ達のほか、何人もの庶民がよじ登って高みの見物を決め込んでいるのだが、そこに子供の姿はあまり見られない。

 そのためか、はたまたアリアドネの興奮っぷりのためか、やや視線を集めている。

 しかしそのどれもが、このお祭り騒ぎにはしゃぐ弟となだめる兄の図を微笑ましく見守っていた。

 ある程度の高さまで登らないと人垣に阻まれて馬車が見えない街路灯は、その分危なくもあったが、登ってしまえば人に邪魔されずに見物できる一等席でもある。 


 見つけやすい場所を探す。その言葉通りに場所取りをした。

 結果は大成功と言っていい。レース越しに――アリアドネの優れた視力は、薄いレース一枚では遮ることが出来ないのだ――手を振ってくれたシェヘラザードの笑顔、それが見れただけでもこの場所をとった価値がある。

 それだけではない。


「――おい、何かいたか?」


 懸命に手を振り続けるアリアドネを見上げて、ルーカスが問うた。

 地上から離れているこの場所では、少し声を落としてやれば他に聞き耳を立てられる心配もない。アリアドネは首を振る。横。


「見える範囲には何も。スリが何人かいるくらい」

「それはそれで……アレだな」


 高い位置から民衆を見渡すことで、洗礼の列に何かを仕掛けようとする者の有無を確認する。

 それもアリアドネの目的の一つである。

 同じ目線――しかも子供の低い目線では、万が一馬車に危険が迫ろうとも早くに発見できないかもしれないが、高い位置なら違う。

 武器を構える、魔術式を組む。

 そんな動きがあれば、すぐさま発見、確保が出来るのだ。アリアドネの脚力をもってすれば、ここから飛び掛かって制圧することも造作もない。

 実利と欲望の二つを効率的に満たす、最高の位置取りと言ってもいいだろう。


「そろそろ列も終わりだ。下りて追いかけよう」

「うん」


 シェヘラザードの乗っていた馬車を手を振って見送り、二台目、三台目を見送って、ルーカスがそう提案した。

 馬車を追って教会まで走る。

 ゆっくりとしたペースで進む馬車を追いかけるのは容易で、騒ぐ人々をかき分けながら進んで行く。


「見えたぞ」


 王都のメインストリート沿いにそびえる、立派な建物。

 中央教会。

 シェヘラザードたちが乗る馬車は、軋み一つせず開いた門の中に、ゆっくりと吸い込まれていった。


「ラナさま……」


 ここから先へは入れない。

 アリアドネはじっと、閉じていく教会の門を見つめていた。






 年若い修道女に先導され、ラナは白亜の廊下を進んでいく。


 王都の中心街に居を構える中央教会は、この国の教会全てを取り仕切る総本山でもある。

 建物自体は古いものの、全体的に白で纏められた壁や天井は緻密な飾り彫りが施されていて、けして派手ではないが繊細で美しい。


 石造りの床は磨き抜かれて、まるで姿見のようにさかさまになったラナの姿を映し出している。下を向けば不安げに瞳を揺らす自分と目が合って、ラナは気まずい思いで目をそらした。

 ちらりと隣を歩く妹に目をやれば、自信に溢れた様子でまっすぐに前を向いていて。

 本当に情けない、と誰にも気づかれないように溜息を吐いた。


 ここ中央教会は二重構造になっており、入ってすぐは身分問わず礼拝できる第三神殿、そしてその奥に貴族のみが礼拝できる第二神殿がある。

 そのさらに奥、教会の最深部にあるのが王族のみが許された第一神殿である。


 ラナたちが向かうのは勿論、第二神殿だ。

 教会に入るまではたくさんいた護衛の騎士や侍女は教会前の広場で待機している。進むことを許されるのは洗礼を受ける本人である姉妹と、両親だけであり、教会の静謐な雰囲気と相まってとても静かだ。

 しかし両親とはずいぶん前に分かれているため、通路を進むのは3人だけ。儀式を行う貴族の間に入れるのは洗礼を受ける本人のみなので、その両親は教会に入ってすぐの部屋で待機する決まりだった。

 人数分の靴音だけが響く。


 白い壁や天井の効果なのだろうか。それとも魔術式でも埋め込まれているのだろうか。窓もないのにとても明るい。

 先導する修道女の手には火のついていない白い蝋燭が二本。

 

 白、白、白。

 全てが白い。白すぎて落ち着かなかった。

 

 無言のまま歩き続けると、修道女は大きな扉の前で立ち止まった。それに合わせて歩みを止める。

 ラナとリナの姉妹が両手を広げて並んで立っても、まだ余裕のあるくらい大きな扉だ。

 どこまでも白い空間の中で、扉だけが黒い。もともとの色なのか、それとも経年劣化で黒くなってしまっただけなのか、ところどころが金色に光を反射している。

 左右に押し開く造りのその扉にはそれぞれ、薔薇と茨に囲まれた美しい女性が描かれていた。

 薔薇の乙女ラナリナ。二人の名前の元となった女神の姿だ。


 前に第三神殿に礼拝に行った際に見た扉には、広がる波紋と揺れる稲穂が描かれていたことを思い出す。

 どうやら国造りの神話をモチーフに描かれているらしいと予想をつけて、第一神殿の扉には何が描かれているのだろうと思いを馳せたところで。


「それでは、これより洗礼の儀を始めさせていただきます」


 修道女が初めて口を開いた。

 その声でラナは気を取り直す。洗礼はこれからだ。――集中しなければ。


 洗礼の儀の作法は、これまで嫌というほどに叩き込まれた。

 胸元で手を組んで首を垂れ、左足を引いて、右足を可能な限り深く折る。目を閉じる。

 良いと言われるまで開けてはなりませんよ。年嵩の筆頭侍女の声が蘇った。

 

 ぎ、ぎ、ぎ、ぎ、ギイーーーーーーーー……


 金属の擦れる音に、肌が粟立った。扉が開いているのだろう、室内からひんやりとした空気が流れ出て、前髪を揺らすのが分かる。


「どうぞ、お入りください」


 下りた許可に、ラナはゆっくりと瞼を押し上げる。焦らず、ゆっくり、丁寧に。それが美しい所作を作り上げる。

 姿勢を正したその先には、広い空間があった。


 仄明るい部屋だ。

 円形に広がるその空間は扉の正面に設置された祭壇を中心として、まるで劇場のように壁側に向かって階段状になっている。そこには火の燈った蝋燭がゆらゆらと、何十本――もしかしたら百以上――も揺れていた。長さはてんでばらばらだ。


 中心にある祭壇はまるで、湖に浮かぶ小島のようだ。その周りにはどこから流れてきたのか、それとも湧き出ているのか、水がきらきらと光を弾いて揺れている。

 白い部屋に反して、祭壇は扉と同じく黒い。そしてそこには、決して絶えることのない火が燈されている。はるか昔、創世の頃より途絶えたことのないという聖なる炎だ。

 力強く燃える炎は時折、ぱちりと爆ぜて火の粉を飛ばすが、けして他に燃え移ることはないというから不思議なものだ。


 祭壇の四方に立てられた柱はまっすぐに伸びて、球体に形作られた天井の頂点に近いところでアーチを描いて絡み合い、まるで実をつけたかのように、同色の鐘がひとつ吊り下げられていた。

 

(これが、貴族の間なのね……。なんて緊張感……)


 全ての貴族はこの場所で洗礼を受ける。どんなに辺鄙な場所に住んでいようと、貴族の子として生まれたからには必ずだ。

 これから一人ずつ祭壇へ進み、水にくぐり、上がることで生まれ直す。

 そして貴族になったという証明として、今修道女が持つ蝋燭に名前が刻まれ、火が燈される。それは階段に安置され、生きている限り燃え続けるという。

 何百年も昔から、変わらず行われた貴族の儀式。

 

 この先は洗礼を受ける者のみが許される。

 開いた時と同じく、軋みを上げて閉じていく扉の向こうに全ては残された。案内役の修道女も、二人に蝋燭を一本ずつ渡して扉の向こうだ。

 扉のこちら側にあるのは、自分の身ひとつだけ。

 そして同じ胎の中で育ち、同じくして生まれた双子である姉妹だけが、同じ儀式で生まれ直すことが許される。


「――前へ」


 低く、嗄れた声だった。

 二人しかいないと思い込んでいたところに聞こえた声に驚いて、姉妹は部屋の中を見回した。


「あっ!」


 リナが声を上げ、指をさした。

 はしたない、無礼だとたしなめられる行為だったが、二人ともが空気に飲まれてしまい陥った極度の緊張状態により、平静を装う事すら難しかった。


 指し示した先には、黒い修道服を身に纏った人影があった。黒い祭壇に紛れてしまい、見つけにくくなっていたようだ。

 深く腰を曲げた老婆だ。黒い修道服を纏い、顔はほとんど見えない。しかしわずかに見える口元には深い皺が刻まれ、炎に照らされた手は枯れ木のよう。

 前へ。もう一度言われ、二人は顔を見合わせた。不安げな表情が、互いの瞳に映り込む。


「――いきましょう」


 腹をくくったのは、ラナの方が早かった。

 きゅ、と顎を引いて、睨みつけるように祭壇を見る。


「手を」


 差し出した手にリナが触れた。冷たい手だ。きっと自分の手もひどく冷たいのだろう。

 ぎゅう、と強く握りしめると、同じ強さで握り返された。


 あとはもう、進むだけ。

 

「――前へ」


 三度目の催促と共に、こつりと足を踏み出した時。

 祭壇の炎がぱちりと爆ぜた。




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