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復讐のアリアドネ  作者: 岡出 千
幼少期:5歳
27/57

閑話 ラナ・ウィンプソン令嬢の独白



 この日のために用意された毛並みの美しい白馬は、磨き抜かれた馬車を曳いて城下町のメインストリートを往く。


 ただの白馬ではない。

 額から螺旋状に円錐形の角が伸びる、一角馬ホーンホースだ。

 魔獣である一角馬は、白い馬体と銀の鬣、そして金色の角が特徴的な美しい魔獣である。魔獣であるがゆえに捕獲が困難を極め、気位の高い個体が多いために調教も難しい。

 繁殖させようにも、調教された一角馬はなぜか一様に生殖機能が減退してしまうのでそれも難しかった。

 一角馬の市場価格は非常に高い。

 それゆえ、洗礼道中の馬車を曳かせる馬を、一角馬に出来るかどうか。それも家格を示す大事な一手である。

 魔獣の中でも特に美しい見目であることや、国造りの神話の中で薔薇の乙女ラナリナが竜神に嫁入りする際に供にしたとされていることから、特に高位貴族の令嬢に欠かせないものであった。


 ウィンプソン家はただの高位貴族ではない。国で六家しかない公爵家の中でも強大な勢力を誇る貴族である。

 その双子姫の洗礼ともなれば、一角馬は一頭では済まない。

 ラナたちが乗る馬車を曳く二頭、両親が乗る馬車を曳く二頭、そして後に続く教会への寄付の品々を乗せた三台の馬車を曳くのにそれぞれ二頭。計十頭だ。 

 それを先導し、後を護るのは王宮軍の精鋭たちだ。その中には、実兄であり竜騎士軍副長の地位に立つヒュンケルや、その副官であるアナスタシアの姿もある。護衛騎士が乗る馬は流石に角のない白馬だが、それでも毛並みが美しくがっしりとしたいい馬である。


 蹄の音や、車輪が回る音に負けず劣らず聞こえてくるのは、街道沿いに集まった民衆の歓声だ。

 誰しもが新たな貴族の誕生を祝っていた。


 ラナは歓声を上げながら手を振ってくる民衆の姿を、馬車に取り付けられた小窓から見つめていた。薄いレース越しに見るそれは、靄がかかったようにぼやけて見える。

 隣に座るリナは、はしゃいだように反対側の小窓に顔を近づけて、レースの隙間から外を眺めては笑い声を上げていた。その様子を、体面に座るそれぞれの専属侍女が微笑ましそうに見つめている。


「ねえ見て、お姉さま! こんなにいっぱい人がいるの! みんなこっちを見てる、すごいわ!」

「あらあら、リナさま。そんなに窓にお顔を近づけては、外からも見えてしまいますよ」

「だって、すごいんだもの」

「リナさまったら」


 くすくす、くすくす。

 リナを中心に会話が回る。ラナの専属侍女も、リナに肩入れしているのがよくわかる表情だった。頬を染めて、可愛らしい少女の戯れを見守る年長者のそれ。ラナが知らない顔だ。


 我が儘も、自分の気持ちや言葉も、人に伝えることを苦手とするラナはとても大人しく控えめで、手のかからない優等生と言っていい。

 対して妹のリナは、我が儘も言うし、自分の感情をストレートに伝えることがとてもうまい。何を言っても可愛らしい子供の言うことだからと好意的に受け入れられる。それはもう天性の愛嬌ゆえだと言ってもよく、ラナにはけして出来ないことだ。


 今だって、様々な感情が胸の中に溢れて零れて、景色を楽しむ余裕なんて小指の爪の先ほどもありはしない。

 握りしめた指先は冷え切り、喉の奥がきゅっと絞られて呼吸が苦しい。少ないまばたきは瞳の水分を奪い取って、わずかな違和感を訴える。

 リナが浮かべる笑顔の十分の一ほども、笑える気がしなかった。

 緊張で強張るその姿を、侍女たちがどう見ているのか、ラナは知っている。


 おとなしい。可愛げがない。冷たい。つまらない。

 おおよそリナが受ける評価とは、正反対といってもいいだろう。


(お母さまも、きっとそう思っていらっしゃるわ)


 自分たちが乗る馬車の後ろからついてくる第二馬車に乗る、両親の姿を思い浮かべる。

 父であるウィンプソン公爵と、次兄であるヒュンケルは同じ王都のタウンハウスで暮らしている。同じ家で寝食を共にしているとはいえ、父も兄も忙しい身だ。

 一日の内、朝食、もしくは夕食のどちらかを同じテーブルに着ければいい方で。一言も交わさずに終わるなんてことも少なくない。

 馬車で5、6日かかるかという道のりを往かねばならない領地のカントリーハウスで暮らす母や長兄なんて、ほとんど会うことが叶わない。

 今回洗礼のために領地から出てきた母に会うのは、どれくらいぶりだろうか。あまり覚えていない。長兄に至っては、もう顔も覚えていないくらいで。父の代わりに領地を任せられている長兄は、母以上に領地から出て来ないのだ。

 久しぶりに顔を合わせた母は、とても綺麗な人だった。二十を超えた息子が二人に、幼い娘が二人いるとは思えないほどに若く、美しい。

 

 ラナが父の色を受け継いだなら、母の色を受け継いだのはリナだ。金色の長い巻き毛、大きな赤い瞳。ラナはどちらも持っていない。

 だからだろうか。


(だって、わたしのこと)


 見ることも、しなかった。


 出立の前、姉妹は両親と話す時間が与えられた。

 色合いの異なるおそろいのドレスを見せて、よく似合っていると褒められて、おめでとうと声をかけられて。――リナの頬にその指を滑らせながら。


 ラナは膝の上に置いた手を、強く握りしめた。薄紅のひかれた唇に歯を立てる。外を眺める視線に力を籠める。

 そうでもしないと泣いてしまいそうだった。


(ああ、だめ、だめ。泣いたらお化粧が落ちてしまうわ)


 侍女たちの手を煩わせてはいけない。こんなところで泣いたら、彼女たちの仕事を増やしてしまう。きっと嫌な気にさせてしまう。

 リナと楽しく話しているのに、その空気を壊すことはしたくなかった。


 ちくちくと心臓が痛む。口の中がからからに乾いて、渇いて。

 出来るだけ大きく、深く、息を吸う。目をつむって、細く、長く、吐く。吐く。吐く。吐く。肺の中が、胸の中が、空っぽになるまで。

 そうして息を吐き切ったら、ラナの中のもやもやは一緒に出て行ってくれるのだ。

 妹に対する羨望も嫉妬も、両親に対する不満も寂しさも。何もかも、ラナにとっては不要な感情だ。


 ラナは漸く5つを迎えたばかりの幼い少女だ。けれど公爵家の令嬢として恥ずかしくないように、厳しい教育を受けてきた。

 公爵家の令嬢に、醜い感情は不要。

 嫉妬や不満といった汚い気持ちなんて持たない少女が愛される。だからリナが愛される。


(――大丈夫)


 吐いて、吐いて、空っぽにして、瞼をゆっくりと押し上げる。

 正面に座る自分の専属侍女は、ラナの隣に座るリナに夢中で、ラナの異変に気付いていないようだった。それでいい。なのに、ちくりと胸を刺すこの痛みは何だろう。


 すべて吐き出したはずなのに、はぁ、と無意識にため息が零れて。

 ラナは誤魔化すように咳払いした。その後で、誰も自分を見ていないことを思い出して、また気持ちが落ち込んだ。

 新しい貴族として認められるめでたい日のはずなのに、どうしてこうも気持ちが沈んでしまうのだろう。

 窓の外に集まる民衆は、自分の祝い事でもない癖に、誰も彼も皆楽しそうに笑っているのに。隣に座る双子の妹は、こんなにも嬉しそうにはしゃいでいるのに。漏れ聞こえる軽快な音楽は、気持ちを上向きにさせるような、そんなものであるはずなのに。


 ゆっくりと進む窓の景色をぼんやりと眺めていると、その中に、一際目を引くものを見つけた。

 街道に均等に立つ街路灯――周囲に漂う魔素に反応して火を燈す魔道具だ――によじ登って、こちらに手を振る兄弟がいる。兄はキャスケット帽を目深にかぶり、弟の方は顔の右側を包帯で覆っている。

 街道警護で民衆に紛れる、アリアドネとルーカスの姿だ。

 街路灯の飾り彫りの突起に手足をかけて、それぞれ大きく手を振っている。ほかにも街路灯によじ登っている市民はいたが、その誰よりも幼い彼女らはよく目立っていた。


 ――見つけやすいところを探しますね!


 出立前に少しだけ言葉を交わした。その時の言葉が蘇る。

 馬車の小窓にはレースのカーテンがかけられている。複雑な編み方をされたそれは、中から外は見えても、外から中は見えにくい仕組みになっている。ラナが見ているかも分からないのに、アリアドネはぶんぶんと手を振っては笑う。そしてアリアドネよりも低い位置にしがみつくルーカスに何事か言われたのか、不機嫌そうに少しの間だけ手を止めて――そしてまた再開した。


「……ふふっ」


 見つけやすいどころの騒ぎではない。とても目立つ。後で怒られやしないだろうかと、それだけが心配だ。

 知らず知らず、口元が綻んだ。こみ上げる笑いを抑えきれない。

 突然笑いに肩を揺らす姉を不審に思ったのか、侍女たちとの会話を切り上げたリナに肩をゆすられた。どうしたの、と聞かれても、何と答えてよいやら。


「ねえお姉さまったら! 何をそんなに笑っていらっしゃるの」

「うふふ、ふふっ……。何でもないのよ、リナ。ごめんなさい、お話の邪魔をしてしまったわね」

「えーーっ、何でもないことないじゃない! お姉さまがそんなに笑うなんて、珍しいもの!」

「ふふ、そうかしら?」


 肩をゆすられながら、ラナはアリアドネを見つめた。見えているかどうか分からないけれど、一応手を振ってみる。ぶんぶんぶんぶん。風を切る音が聞こえてきそうな勢いで手を振られた。

 視力の優れた半人である彼女には、もしかしたらレース越しでも見えているのかもしれない。なんて、さすがに難しいかしら?


(でも、そうだったらいいわ)


 らなさま! アリアドネの声が聞こえてくるようだ。

 自分付きの無印奴隷として父が買い与えてくれた半人の奴隷の子供。いつだって、他の人相手では見せないような笑顔でラナに接してくる。

 普段のアリアドネの表情が乏しいことを、人づてに聞いた時は信じられなかったものだ。だって、自分と接するときはあんなにも眩しい。


 ――アリアドネもお供したかったです

 ――ラナ様がもう一度産まれるその瞬間を見たかったです


 そんなことを言ってくる人間は初めてだった。

 いつだって誰だって、リナの方を選んだ。



 ――いつかかならず、あなたのもとに



 なんでそんなことを言ってくれるのか、ラナは知らない。けれど。

 

(ああ早く、アリアドネに会いたい)


 きっと、新しくもらった名前も褒めてくれるだろう。

 ぽかぽかしてきた指先で、ラナは白いドレスを、そ、と撫でた。





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