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アリアドネの目下の課題は、洗礼道中の街道警護である。
父であるウィンプソン公爵が王宮軍総帥、兄であるヒュンケルが竜騎士軍の副長という地位についていることもあり、その道中はかなりの厳戒態勢をとられている。
洗礼の列には腕利きの騎士が付く。しかしそれとは別に、見物客に、露店の主に、道行く奴隷に市民に貴族に、あらゆる者に変装した騎士や兵士が道中の至る所に警護についていた。
シェヘラザード達、ウィンプソン家の双子姫の洗礼はとてもめでたいことだ。
しかし、新たな貴族として認められるということは危険も伴う。
まだ表舞台には上がっていないが、現在の王にはシェヘラザードと同年の王子がいる。母親は正妃ではなく第二妃だが、姫は多数いる中での唯一の王子だ。
王族に次ぐ権力を持つ六大公爵家には、王子と年頃の近い娘は少ない。シェヘラザードとセイレンナーデのほかには、上に九つ、下に五つ――つまり最近産まれたばかりだ――の娘がいるだけだ。
その為、名のある公爵家の令嬢二人のうちどちらかを王子の婚約者にと望む声が多く、最有力と言ってもいいだろう。現に、貴族の社交界では、次代の王である唯一の王子の婚約者にウィンプソン家の令嬢が内定したと、まことしやかに囁かれている。
しかし話はそう穏やかには進まない。
公爵家以下の高位貴族達が、今以上の権力や財力を求めた時、その手段となりやすいのは政略による婚姻を結ぶこと。その最たる存在が王家だ。次代の王である幼い王子に自分の娘を宛がうことで、地力を押し上げたいと望む貴族はそれこそ星の数ほどいる。
その望みを阻むのは、自分よりも上の地位に立つ貴族の娘だ。
下位貴族が高位貴族に歯向かうのは死に直結しても可笑しくない背徳行為だ。しかし、邪魔者である家の娘を排除したとて、その娘がまだ洗礼前で貴族になっていないのならば話は違う。
シェヘラザードたちが洗礼を受けて正式に貴族の一員になってしまえば、邪魔者を排除するのも難しくなる。
洗礼の道中は護衛も多いが、それ以上に見物人が多い。人ごみに紛れて念願を叶えようと画策する者がいないとも限らないだろう。
金さえ積めばなんでもする、そんな人種はけして少なくはないのだ。そんな人間を利用しようとする人種もまたしかり。
その、万が一を想定したもしもの事態に備えた道中警護役が、アリアドネに与えられた。
列に加わり、直接守ることは叶わないが、それでもシェヘラザードの為にやることがある。
それが嬉しい。
密かにやる気を漲らせていると、後ろから声をかけられた。
「ルーカス」
「そろそろ配置につけって」
「了解」
アリアドネは洗礼の際、ルーカスと共に動く手筈になっている。シェヘラザードたちが乗る馬車が屋敷を出るよりも早く出発し、街中に市民の子供として紛れるのだ。
貴族の洗礼道中は市民にとってはお祭りだ。露店もあれば大道芸もある。それにはしゃぎ、楽しみ、無邪気に馬車を追いかけて、突発的な何かが起こった場合のサポート要員として駆り出された。
ウィンプソン家の使用人は、貴族の子息子女や熟達した老年の者が多いので、幼い二人にしか務まらない役割でもある。
庶民の子供が纏うような、くたびれたシャツにスボンを着て、ルーカスの赤すぎる赤髪はキャスケットの中に押し込まれ、アリアドネの右目の金色とその下の痣は包帯でぐるりと隠していた。ただの庶民と言い張るには、特徴的すぎるのだ。
少しばかりルーカスの容姿が人目を惹きすぎるものの、ぱっと見ではそこらの子供と変わらない。
しかし二人共通の心配がある。
「……ねぇ」
「何」
「私、子供らしくって何したらいいのかわからないんだけど、どうしたらいい?」
「……それ俺に聞く?」
「「………」」
無印奴隷になる前は北の寒村で働き手として遊ぶ間もなかったルーカスと、二度目の子供生活とはいえ奴隷として働いたり訓練したり勉強したりという記憶しかないアリアドネ。
子供らしい市民の子供とは?
無言で首を傾げる子供二人に、「んっ!」と胸を抑える師匠の姿が遠くにあった。
「また悶えてんの」
「うるさいです……」
頬をほんのり赤らめて胸を抑える部下の姿を、ヒュンケルは呆れたように見下ろした。
ここ数ヶ月の間、師匠と教え子という関係を築いてきたアナスタシアは、出来の良し悪しは抜きにして素直で懸命な子供たちのことを殊更に可愛く思っていた。
元々子供好きなのもある。しかし師匠師匠と慕ってくれる二人は特別なのだ。
二人が無邪気に戯れるたび、胸を襲うときめきの波。二人の前では格好いい師匠でいたいアナスタシアは耐える。けれど二人が遠い今、必死に隠す必要はないのでときめき放題だった。
「おまえも好きだねぇ」
呆れて笑うヒュンケルも、じ…っと二人のやりとりを眺めるアナスタシアも、纏うのはいつもの竜騎士団の団服ではなく白い礼服だ。
シェヘラザードたちが纏うドレスのように柔らかくふわりと風をはらむものではなく、硬質で張り詰めた氷のような美しさがある。
腕利きということは最低条件で、その中でも整った容姿の者を優先的に選抜した道中警護の騎士の中でも、一際見目美しく、一本の芯が通ったような立ち姿の二人は、着る者を選ぶような白い礼服も完璧に着こなしている。
本日の主役の実の兄であり、名誉ある竜騎士団副長の座に就くヒュンケルと、その右腕足るアナスタシア。二人もまた、洗礼の道中の警護を務める。
万が一を想定し、念には念を入れる体制で臨む。警護中は一切気を抜かない気概だが、屋敷から一歩も出ていない今はまだ気楽にしているつもりだ。
警護担当がずっとぴりぴりしていたら、その空気は主役にも伝わってしまう。それは本意ではない。
どうか何も起こらぬよう願う。
二人には気楽に楽しんで欲しい。
正式に貴族になってしまえば、なる前とは違ってしまうから。
ヒュンケルは十数年も前のことを思い出す。
何も知らず、何も考えず、ただただ楽しく遊んでいた少年の頃。貴族としての責任も、貴族として生きることの重圧も責任も、何も知らなかった。無知で、弱い子供だった。
その弱さで、愚かさで、失ったものもある。
けれど幼い頃から傍にあったぬくもりは、ひどく歪に形を変えてしまったが、それでもまだ傍にある。
頭一つ分下にあるつむじを見下ろした。
細くて真っすぐで、指で梳けば引っかかることなく通り抜けることを知っている。責任感の強いその紫の瞳が、本当は涙もろいことを知っている。
「どうせ白い服なら、あっちの方が似合うんじゃないか」
思わず零れた本音。
節くれだった指が示すのは、彼の妹達の姿だ。人形のように美しく飾り立てられた妹達は、兄の贔屓目を抜きにしても可愛らしいと思う。
ドレスのことはよく知らない。けれどふわふわきらきらしていて、綺麗だと思う。よく似合っているとも思う。
元貴族の令嬢であったアナスタシアもまた、十数年前にはあそこにいたのだ。
家の権威を示す豪奢な白いドレスを纏い、使用人や家族に褒められて嬉しそうに笑う少女だった。白いドレスに赤い髪と紫の瞳がよく映えて、とてもきれいだと思ったのを覚えている。
貴族の令嬢としては少々ヤンチャが過ぎるきらいがあったものの、それでも剣より花、階級章よりアクセサリー、険しい表情よりも笑顔が似合う少女だった。
それが今や、誰よりも速く、誰よりも誇り高い竜の騎士なのだから、人生とはわからないものだ。
「はぁ……?」
怪訝そうに顰められた眉間に寄った皺は深い。何言ってんだコイツ、と無音の言葉が聞こえてくるようだ。
アナスタシアは黒髪の愛弟子と同じで、言葉よりも瞳が何よりも雄弁だった。
妹達と在りし日の少女を思い重ねて、ヒュンケルは淡く笑う。
指し示していた指先を、そっと。
ひどく優しい手つきで、アナスタシアの頬に滑らせる。
「いい加減、俺の隣で真っ白なドレス着てよ」
何度目かもわからないプロポーズは、出立の号令の笛の音にかき消された。




