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復讐のアリアドネ  作者: 岡出 千
幼少期:5歳
25/57

洗礼



 温かな春、日差しの強い夏が過ぎ、涼しい秋を迎えようとする頃。

 ウィンプソン公爵家の双子姫は、5歳の誕生日――洗礼の日を迎えた。


 空は青く澄み渡り、太陽の光が穏やかに降り注いでいる。

 快晴。暑くもなく、寒くもなく、過ごしやすい気候だ。穏やかに吹く風はきっと、馬車に掲げた家紋の旗を最高に美しく見せるだろう。


 屋敷中が浮足立っている。

 それもそのはず、ウィンプソン公爵家では次男のヒュンケル以来、十数年ぶりに迎える洗礼の日だ。

 この日のために随分前から準備をしてきた。ドレス、靴、アクセサリーなどシェヘラザードたちが身に着けるものは勿論、それに追従する騎士や侍女たちの衣装や、馬車の装甲、それをひく馬など、関わりのある全ての事柄に至るまで。

 公爵家に仕える優秀な使用人たちは、一切手を抜かず妥協をせず、今日この日に相応しいものを作り上げた。

 その結果。


「ああ……っ」


 ここ数ヶ月をかけて獲得してきたはずの、アリアドネの語彙が消失した。

 

 アリアドネの視線の先には、父であるウィンプソン公爵とその妻マリアベルと話すシェヘラザードの姿があった。普段領地にあるカントリーハウスで過ごす母・マリアベルが王都に来ているのはとても珍しく、すでに孫がいるとは思えないほど若々しい。

 双子姫は両親と何事かを話しているようだ。耳の良いアリアドネだったが、その会話は聞こえない。というよりは入ってこない。

 遠目に見える主の晴れ姿は本来の機能を忘れさせてしまうほどに強烈だった。


 洗礼の正装は白と決まっている。

 生地、糸、靴、全てを白で統一する。その条件の中で、いかに他家と差をつけるかでその家に対する評価が決まると言っても過言ではない。

 シェヘラザードは美しかった。

 

 もともとの素材の美しさも、勿論ある。だが、身に着けた白が彼女の美しさをさらに引き立てていた。

 滑らかな光沢を放つ生地は光の加減によって仄かに青く、襟元や裾には白銀の糸で緻密な刺繍が施されている。

 薔薇をモチーフにした図柄は光を反射して独特の色合いへと変化し、動くたび、風に揺れるたび、見る者の目を楽しませた。

 首から鎖骨にかけては繊細なレースで覆われ、ウエストをきゅっと引き絞るように太めのリボンが巻かれている。背中で大きめの蝶々結びに結われたそれが、大人っぽいドレスを年齢相応の可愛らしさに落とし込んでいた。

 大きく膨らんだスカートには小さなパールがふんだんにちりばめられており、青みがかった光沢と相まって、まるで波打つように美しい。

 アクセサリーは耳元を飾るパールのみ。

 しかしそれも、大きなものを一粒だけのごくシンプルなものだ。シンプルだからこそ造りの繊細さと質の良さが出るのだが、さすが一級品と言うべきか。


 美しい豊かな銀髪は、ドレスと同じデザインのレースがあしらわれたリボンですっきりと纏められている。あえてリボンを長くとることで、細い首に沿うようにレースが流れて動きを出していた。

 メイクは最小限。頬を淡く桃色に染め、それよりも少し濃い色で唇を彩っていた。

 少したれ目がちのサファイアが、アリアドネを見つけて細められる。


「アリアドネ!」


 あまりの神々しさに膝から崩れ落ちて五体投地でもしたい気分だった。

 可愛いと美しいの極み。天使。女神。この世の全ての輝きの源……!

 ぐっと堪えることが出来たのは、全て日頃の訓練のおかげだと信じたい。


「ラナさま、とってもお美しゅうございます……! まるで聖なる薔薇の乙女ラナリナがこの世に舞い降りてきたかのよう!」

「アリアドネったら……」


 はにかんだように微笑む主のなんと可愛らしいことか。うっとりと見惚れるアリアドネは、はふぅ、と恍惚の溜息を吐いた。

 愛する主の晴れ姿を、このままずっと見ていたい――。そう思ったのも束の間。


「ちょっとぉ。私のことも何かないわけ~?」


 シェヘラザードの後ろからひょっこりと現れた瓜二つの顔に、アリアドネは内心盛大に顔をしかめた。

 デザインの同じ、しかし印象の異なる白のドレスを身に纏うのは、緩やかにうねる金の髪を華やかに結い上げた少女。シェヘラザードの双子の妹、セイレンナーデ・リナ・ウィンプソンだ。

 こちらは光の加減で仄かに桃色を帯びる生地でドレスが作られている。

 シェヘラザードが青と銀、セイレンナーデが赤と金と、色合いが対照的。なおかつ、シェヘラザードは湖面に映る月のような静かで凛とした印象を、セイレンナーデは燃える太陽のような明るく生命力に溢れる印象を、見るものに与えている。

 全く同じだが全く異なる、幼いながらも美しい容姿も相まって、さながら精巧に作られた人形のようだった。


 しかしアリアドネは、シェヘラザードの妹であるこの女の性根を知っている。

 幼い今はまだ、そう質の悪いものではない。だが、少しでも腐ってしまった蜜柑は、他の全てをも腐らせる。それと同じように、女の性根もいつかは腐り切るだろう。

 一度目のように。


 引きつりそうになる表情筋をなんとか笑顔の形で固定して、アリアドネはセイレンナーデに礼を向けた。


「これは、失礼致しましたお嬢様。とてもお似合いでございます」

「うふふ。当然ね! みんな私が一番美しいって言ってくれるもの!」


 そうでしょう?

 自慢げに胸を張るセイレンナーデは、複数の侍女に同意を求めて振り返る。

 その中には、アリアドネと同じ奴隷市でセイレンナーデ付きとして買われたマルタの姿もあった。顔がよく、元貴族ということもあり礼儀作法もきちんとしているマルタは、アリアドネとは違って同行が許されたのだろう。

 同行する侍女のみ許されている白い制服を着ていた。アリアドネが心の底から着たかったものだ。

 

 シェヘラザードはこれから馬車に乗り、教会までの道のりを人々に見守られながら進んでいく。手を振り笑みを浮かべながら、新たな貴族の誕生を祝福される。

 その道のりに同行できないことが口惜しい。


「アリアドネもお供したかったです」


 素直に口に出すと、さらに悔しい気持ちがこみ上げる。

 ここ数ヶ月の間に、奴隷市で売りに出されていた時とは比べ物にならないくらいに成長した。それは礼儀作法や言葉遣いなどの面は勿論、身体的な面でもだ。

 骨と皮ばかりのガリガリの体には、まだ十分ではないが健康的と言えるほどには肉がついた。痩せこけた頬には子供らしい丸みが出ているし、細いながらもその四肢にはうっすらと筋肉がついている。

 日々の訓練と、美味い賄いの賜物だろう。

 礼儀作法も厳しく叩き込まれたお陰で、侍女頭や執事長に鼻で嗤われない程度には身に付いた。


 日々成長している。


 そのことは、指導するアナスタシアや先輩侍女達だけでなく、アリアドネ自身も感じていることだ。

 シェヘラザードの無印奴隷として買われたということもあり、洗礼に同行する話も持ち上がっていたが、結局許可は下りなかった。

 六大公爵家の一柱であるウィンプソン家の双子姫のお披露目は、庶民や貴族に止まらず、王家も注目する慶事のために少しの隙も許されない。絶対を確約出来るほど、アリアドネの作法は完成されていなかった。

 

 残念な気持ちを隠し切れずに吐露すると、それに反応したのはセイレンナーデだ。


「あら駄目よ、あなた半人だもの。私の列には加われないわ」

「……いいえ」


 供をしたかったのは金色の方じゃない。ゆるゆると首を振った。

 否定したことでお付きの侍女たちが騒めいたが、知ったことではない。アリアドネの主はセイレンナーデではないのだから。


 シェヘラザードを見つめる。

 そのずっと後方に、白い礼服をかっちりと着こなした侍女や騎士達が見える。洗礼の列に加わる者達だ。アリアドネが着ることが叶わなかった、シェヘラザードと同じ白。マルタが身に着ける白。なんて妬ましい。

 同じ奴隷市で、同じ無印奴隷として買われたのに。こんなにも違う。


 悔しい。

 

「ラナ様がもう一度産まれるその瞬間を見たかったです」


 貴族は二度産まれる。

 一度目は母親の腹から生まれ落ちた時。二度目は洗礼を受け、新たな名を得た時だ。

 洗礼の列に加われたのなら、その瞬間を直接目にすることが出来たのに。

 唇を尖らせるアリアドネの頬を、シェヘラザードが優しく撫でた。慰めるようなその指先にすり寄る。


「仕方がないわ。街道から見る許可はもらったのでしょう? 見つけたら手を振るわね」

「……はい! 見つけやすいところを探しますね」

「そうしてちょうだい。いい子ね、アリアドネ」


 少しだけ伸びた黒髪に、細い指を絡ませて。ふわりと微笑みだけを残して、主は出発に向けての最終確認のために執事長のところへと向かって行った。


 銀色と金色が並んで歩いていく。

 身に着けるドレスも、背格好も似ている。それなのに、決定的に違う。


 シェヘラザードは一人だ。対してセイレンナーデには四人の侍女が後ろについている。

 シェヘラザードとて、公爵家の令嬢らしく、専属の侍女は何人かいる。主を一番に考え、優先し、どんな時でも供をする。それが専属侍女の役目だ。 

 しかし、そうするべき専属侍女はシェヘラザードよりもセイレンナーデに夢中だった。

 

 わかりやすく甘え上手で、適度に我が儘で、要領もよく、子供らしい可愛げのある妹姫。

 穏やかで物静かで、甘えも我が儘も言わず、一人でも大丈夫で、可愛げのない姉姫。

 手がかかる子の方が可愛い。多少我が儘な方が可愛い。子供らしい子供の方が可愛い。気持ちはわかる。けれど理解はしない。


 シェヘラザードの寂しさを知っている。

 一人を耐えるしかなかった悲しみを知っている。

 だからこそ、アリアドネはシェヘラザードの傍に行きたい。常に傍にいて、身も心も守ってあげたい。守らせてほしい。守りたい。


 一度目は分からなかった。知らなかった。アリアドネは愚かだった。

 だからこそ、もう間違わない。


 アリアドネは毎晩のように夢を見る。

 専属筆頭侍女の制服を着て、シェヘラザードに侍る未来の自分の姿を夢に見る。

 愛玩だけではない、信頼を得た自分の未来を夢に見る。


「……がんばろう」


 その為にも、今はひとつひとつ。

 目の前の課題に取り組むのみだ。





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