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「いみ?」
思わず零れたアリアドネの呟きに、アナスタシアは頷き、指先を弾いた。
ゆらりと揺れた旗は、王家の旗を頂点にその下に鱗と牙が並び、さらにその下に他4家の旗が並ぶ。
国の頂点に立つ王家。
そしてその王家と王都を中心に守護の役目を持つ鱗。そして国境の守護と有事の際の戦いの要となる牙。
国を発展させることが義務である他4家とは、戦力という点においては一線を画している。
「味方は多い。けれど敵はもっと多い。隙あらば己がその場所に納まろうと画策する輩は、もっと多い」
「ま、待ってください。そんなの許されるはずありませんよね?」
「そうですね、許されない。本来は。けれど、人を蹴落として上にいきたい者はそれこそ、掃いて捨てるほどいますから。魑魅魍魎が蔓延る貴族の世界は、足を掬われた者から堕ちていく、そういうものです」
人を蹴落として上に行く。
足を掬われた者から堕ちていく。
嫌というほど覚えがある。
愛されたくて姉を見下した妹。
上に行きたくて姉を蹴落とした妹。
姉を見殺しにした妹。
おまえにそれほどの価値があるのかと、胸倉を掴んで揺さぶってやりたい。
けれどきっとあの女は、当然とばかりに嫣然と微笑んで見せるのだろう。
自分の想像でしかないが、大きく間違ってはいないだろう想像に胸が悪くなる。
吐き気がする。
シェヘラザードには味方が少なかった。
家族や使用人ですら完全な味方ではなく、婚約者は実妹に傾倒し、唯一の己の無印奴隷はポンコツで。
人に囲まれながら感じる孤独はどれほど心細かったろう。どれほど辛かったろう。
それすら分かってやれなかった自分に一番腹が立つ。
だから決めたのだ。
今度こそ、自分がシェヘラザードの一番の味方になると。
何があっても一番に優先し、信じ、愛しぬく。守り通す。そう決めた。
「無印奴隷は、唯一無二と定めた主のために生き、そして死ぬ。それが義務です。それ以外は許されない。いいですか」
アナスタシアは再度指を弾いた。
同時に、旗を象っていた光が弾ける。小さく青い光の粒となったそれは、舞い散る雪のようにちらちらと揺れて零れて光を弾く。
「何があろうとも主を守る。全てのものから守り通す! 腕がもげようと、足が腐り落ちようと、目が抉られようとも、必ず! 主のために生き、そして死ぬ! 貴方たちに、それが出来ますか」
「できる!!」
アリアドネは叫んだ。
「らなさま、まもる! ぜったい! わたしが、わたしがきめた! まもる! まもる! まもる! きずつけない! まもる!!」
うまく動かない喉と舌が憎い。
言いたいことはたくさんあるけれど、言うべき人はここにいない。
誓いたいのはアナスタシアでもルーカスでもなく、遠くで耳を澄ませるヒュンケルでもないけれど、言わずにはいれなかった。いつか伝わればいい。そう願う。
一度目は守れなかった。絶望のまま、寂しいまま、一人で先に逝かせてしまった。
今度は違う。守る。守り切ってみせる。
シェヘラザードを守って死ぬ。それが今のアリアドネの一番の願いだ。欲をかくなら、ありとあらゆる幸せを経て、数十年後穏やかに目を閉じた主を追って、天の庭までお供させていただけたらいいと思う。それ以上の幸せはない。
そのためならば、どんなことでもする。そう決めた。
「まもる!!!」
「お、俺だって!」
アリアドネの勢いにつられてか、ルーカスの声を上げた。
「俺だって、守ります! リナ様を何があってもお守りします! だってあの人は、俺を助けてくれた!!」
奴隷市で、どんな変態に買われるのだろうと脅えていた。恐怖で指先が冷え切っていた。けれど、あの日金色の天使様がルーカスを選んでくれたから、ルーカスの指先に血が通ったのだ。
泥水から救い上げてくれた。
食べる場所、寝る場所を与えてくれた。
きれいな笑顔。かわいい人。守りたいと、強く願った。
「らなさまは、」
「リナ様は!」
「「まもる!!」」
二人は叫ぶ。
ここにはいない己の主に誓いを捧げる。
舞い散る光に、アリアドネの左目の黒色が、ルーカスのアイスグレーが、反射して強く輝いた。
ぎらぎら、ぎらぎら。眩しいくらいだ。
アナスタシアは驚きに瞬きをくり返した。
幼い二人が、ここまでの忠誠を見せるとは思わなかったのだ。
(わたしとは、違う)
無印奴隷だったアナスタシアは、そこまでの覚悟も思いも持てなかった。
だからたくさん傷ついて、傷つけて、守れなかったものも多くて、失ったものも多くて。得たものは、大きいが少ない。
「――いいでしょう。貴方たちの覚悟はわかりました」
吐息一つ。同時に指先を鳴らすと、はらはらと舞う光の粒が行き先に集中し、渦巻いて球になり、圧縮して消えた。魔力量は少ない方ではないが、無駄使いはしないに限る。いつ何時、何が起きるか分からないのだから。
「厳しいですよ」
「はい!」
「辛くて、辞めたくても辞めてあげませんよ」
「はい!」
「死ぬかもしれません」
返事に詰まった。
ルーカスは死への恐怖で、アリアドネは訓練程度で死ぬわけにいかないという葛藤で。
うーうー無言で悩む子供二人を見下ろして、アナスタシアは涼しげな美貌に薄く笑みを浮かべた。
そして腰元のポケットを探って、透明な球を取り出す。アナスタシアの親指と人差し指を輪にした中にすっぽり納まりそうな大きさのものが二つ。
「まぁ、本当に必要なものは死ぬ覚悟じゃないので、いいでしょう。さて」
それをアリアドネとルーカスの小さな手のひらの上に転がした。
陽の光を弾いて輝くガラス玉は、先ほどの魔術によって描かれた光とはまた違って綺麗なものだった。
「さっき、私の魔力に瞳が反応していたので、戦いに使える程度には二人とも魔力はあるようですね」
「い、いつのまに」
「さすが竜騎士様、抜け目ない……」
「うふふ。じゃあ、見ていてくださいね」
アナスタシアの手のひらの上にも同じ球が乗せられていた。
それを両手でぐっと握りこみ、口元に寄せる。球体を握りこむことによって出来た隙間から、ゆっくりと空気を吹き込んだ。
両手で握りこんだまま、子供二人の前に差し出して、視線が集まったところで、開くと。
「おお」
「すごい、きれいな色……!」
透明だったガラス玉は、淡い緑色と、濃い青色に変化していた。緑と青が、完全に混ざり合うことなくゆぅるりと球の中を泳いで揺れる。
きらきらとした目で色の変わった球を見つめる子供に微笑ましさを感じつつ、アナスタシアは説明を始める。
「この球は属性玉といって、魔力属性の簡易検査機です。赤なら火、青なら水、緑なら風、黄色なら土の属性に適正があります。私の色で説明すると、緑が色が薄くて、青が濃いでしょう。つまり、水と風の適性があり、そのうち水の属性に特化しているということです」
ごく少数ですが、光属性の白や闇属性の黒が出ることもありますが、まぁほぼほぼないでしょう。
そう続けて、二人に物は試しとやってみるように促した。
まずはルーカスから。おそるおそる息を吹き込む。
「う、わぁ!」
「緑色、風属性ですね。しかし、これはとても濃い……。副長と同じくらいの色味では?」
「う~ん、そうかもなぁ」
いつの間に近くまで寄っていたのか、ヒュンケルがルーカスの手のひらの上にのせられた球をひょいと持ち上げた。そのまま太陽に透かし見る。
球の内側を泳ぐ緑色は、真夏に茂る青葉のように濃い色合いで、球の中を泳いでいた。うっすらと黄色の帯が見える。土属性もあるようだ。
「魔力量も多そうだ。質もいい」
「あ、ありがとうございます!」
「じゃあ次、アリアドネ」
「ちょっといきなり出てきて仕切らないでくださいませんか」
「いいじゃん、ちょっとくらい~」
アリアドネは手の上の透明を見下ろした。さかさまになった自分の顔が映る。
自身の身体能力だけでは足りないと気付いたからには、身の内にある魔力をしっかりと使いこなしたい。どんな魔力が、どのくらいあるのか。非常に重要なことだった。
少し緊張している。
汗をかく手のひらを訓練着で拭って、アリアドネは球を握りしめ、息を吹きかけた。
バキィッ
「「「えっ」」」
「え……」
粉々になったガラスの欠片が手のひらを傷つけるのを、アリアドネは茫然と見下ろしていた。




