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竜騎士団訓練場。
ただ広いだけのように見えるこの場所に、国の魔術師たちの技術の粋が込められていることを知っている者は少ない。
小型から大型までいる契約竜とともに行う訓練でも支障のないよう、空間管理の魔術により、認識している以上の広さがある。
遠くのほうに訓練場とそれ以外の場所を分ける塀が見えるが、そこへ行こうとすれば、徒歩で数日はかかるだろう。しかし王都の中心部、王宮のすぐそばで、それほどまでの規模の訓練場を設置することは不可能であるため、実質の広さは見たままの距離である。
地面や空といった自然物も、竜による飛ぶ、走る、吠えるなどどいった行動によって生じる衝撃を外部へ伝えないよう遮断する術がかけられている。
空高く数十メートルと、地下数メートル。目に見えない薄い膜のような防護壁が存在しているためだ。
これによって、音や衝撃波などは外には一切漏れないようになっている。
もちろん、火や水といった、物理的な攻撃にも対応している。
そんなことも知らないアリアドネとルーカスの二人は、揃って騎士団見習いが着るような薄灰色の訓練着に身を包んでいた。もちろん特注の子供サイズである。
ぴったり丈のそれを身にまとい、照れ臭そうに裾をいじるルーカスとは対照的に、アリアドネには大きすぎるようで袖や裾を何度も折り込んでいた。
「予想以上にちっこいな!」とは、それを用意したヒュンケルの談である。
少々不服そうに唇を尖らせるアリアドネの姿に、若干緩みがちな口元を隠すように、アナスタシアはわざとらしく咳払いする。
「さて」
その瞬間、借りてきた猫よろしく、二人そろって背筋を伸ばす。
小さい子供が騎士の真似事をしているようなその光景に、離れた場所に腰を下ろすヒュンケルがぶふっ、と笑いを堪え切れずに噴き出す音が聞こえた。どうにも締まらない。
もう一度、今度は小さく咳払いして、アナスタシアは口を開いた。
「改めて、今日から君たちの訓練を担当することになりました。メルバーン王国王宮軍、竜騎士団所属、アナスタシア・ロン少尉です。手加減はしないので、よろしく」
「るっ、ルーカスと申します! よよよ、よろしくおねがいします!!」
「ありあどね、です。おねがい、します」
アナスタシアは左手の拳を背骨の中央に、右手のひらを左胸の真上に置く、軍の正式な礼で名乗りを上げた。指先までぴんと伸び、まっすぐに腰を折る、その礼も美しい。
一瞬見惚れかけた二人だが、慌てたように礼を返した。
勿論こちらはわたわたと忙しなく、美しさの欠片もないものであったが、アナスタシアは優しく笑って言及することはなかった。
「はい、よろしくお願いします」
王宮軍の元帥であるウィンプソン公爵により、公爵家の奴隷二人の指導を命じられたアナスタシアもまた、訓練着に身を包んでいる。こちらは見習いの薄灰色ではなく、正規軍人の濃灰の訓練着だ。
ちなみに軍の制服は黒で統一されており、襟元や袖口のラインの色で配属を見分けられるようになっている。
文官の制服は白で、同じようにラインの色で所属を見分ける。胸元を見れば階級章、袖口を見れば飾りボタンの数が異なるため、制服を見ただけでどこに所属しているか、階級は何かが分かるのだ。
軍属でないにしろ、今後継続的に軍部に出入りをする以上、そのあたりの知識は必要不可欠である。おいおい教えていくつもりだ。
「これからしばらく、ルーカスは基礎訓練、アリアドネは能力の制御を中心に鍛えていくつもりです。今日は初日なので、簡単な魔力適性検査と、少々難しいお話をしましょうか」
「難しい、話、ですか」
ルーカスがあからさまにたじろいだ様子で一歩引いた。
一家の働き手として生きてきたルーカスには学がない。難しい話を聞いて、理解できるとは思えなかった。
「安心して。今すぐに全て覚えなくても構いません。でずが、心に刻んでおいてほしいのです」
「きざむ?」
首を傾げるアリアドネに、アナスタシアは頷いて返した。
緊張で体を固くするルーカスと、何もわかっていないのかあくまで自然体のアリアドネ。対照的な姿が際立つ二人だが、目の前に存在する問題は同一のものだ。
「ウィンプソン公爵家の令嬢たち。貴方たちが生涯をかけて仕える主となる方々は、ただの一貴族ではありません」
すい、と静かに持ち上げられた細腕が、仄青い光を放つ。
光は腕全体から指先へと集積していき、アナスタシアが空中をなぞるように指先を動かすと、青白い軌跡を残しながら描かれていく。
左側頭部を見せた竜の横顔。顎が開き、鋭い牙がのぞいている。
裂けた口角の対角線上、角のような耳のようなものも伸びていた。そして下部には鉤爪を構えている。描き上がったそれは、ゆらりと陽炎のように揺らめき、そして。
「すごい……!」
思わず零したのはどちらだったろう。
ただの光の線だった竜の横顔は、瞬く間に地形図へと変化した。
開いた顎の内側は激しく、しかし顎や鉤爪の部分が接する海は穏やかに波打ち、額から鼻筋までは川が流れて隣国と国を分けていた。角から鉤爪までは険しい山脈があり、東側には森が広がる。鉤爪の部分は土色がむき出してごつごつしている様子が描かれていた。
竜を創造神として祀り上げる国に相応しい形。
国旗の図柄にもなっている、ここメルバーン王国の地図の簡略図であった。
「これが私たちが守るべきこの国、メルバーン王国です。そして、ここが今いる場所である王都」
切れ上がった口角から角の先端まで真っ直ぐに引いた線上、中央よりもやや右に寄った位置を指先で示した。
光はそのまま国旗を形作る。槍と剣が交差し、下に薔薇、上に竜が描かれた図柄は、国の紋章であり、同時に王家の紋でもあった。
どういう魔術の仕組みなのか、立体的に立ち上がったそれはゆらゆらとはためいている。思わず目が釘付けになった。
「そして、貴方たちがお仕えする《鱗》、ウィンプソン公爵家の領地がこちら。北東の森林地帯、竜の生息地とも呼ばれていますね。王都や王宮の守護の御役目を受けています」
指先で示すと、もう一本旗が立った。国の紋章とよく似ているが、槍と剣が交差した上に薔薇、下には竜の鱗が描かれている。ウィンプソン公爵家の紋だ。
続けざまにとん、とん、と地図に指先を置いていくと同時によく似た旗が立っていく。ウィンプソン家のものを含めると、全部で6本。
「二ヶ国と接する国の《牙》、ゴールディング公爵家。国全体の軍事を取りまとめる、国防と戦争の要です」
北方の国境沿いに旗が立つ。旗の図柄は交差した槍と剣、上に薔薇、下には牙。
「南海に面する貿易の拠点《翼》のフラメル公爵家。穏やかな海流で、他国との流通のほぼ全てを担う、メルバーン王都に次ぐ第二の都市ですね」
顎から喉元にかけてのちょうど窪みの部分。上に薔薇、下には翼。
「南方の古代遺跡群の影響で独自の文化や魔術系統を発展させた《爪》、クーパーウッズ公爵家。魔術や医術、薬学など、最新の研究がなされる機関があります」
鉤爪がみっつに分かれる根元部分に旗が立つ。上に薔薇、下に爪だ。
「東の山脈地帯は技術・産業の要である《尾》のペベレル公爵家。貴重な鉱石のとれる鉱山が多くある影響もあり、最新の技術や産業の発信地です」
東の隣国との間を阻むように、高い山々が連なるその麓。上に薔薇、下には尾羽。
「そして王都のすぐ西隣はレストレンジ公爵家。《膜》の紋を持ち、情報管理や統制を行います」
王家の旗のすぐ隣に立つ旗は、上は薔薇、下は波紋のような輪の連なり。
「王家と中心にしてこの国の基盤を古くから支えてきたのが、6大公爵家と呼ばれるこの家々です。国という巨大な竜を生かすには、王家の《眼》だけでは不可能。なのでそれぞれの公爵家が、守りの《鱗》、戦うための《牙》、他国と繋がる《翼》、最新の研究や技術の《爪》と《尾》、情報を得る《膜》の役目を担い、他貴族とは一線を画する地位と権力を得ています」
アナスタシアが指先を払う。
すると地図上にあった旗が浮き上がり、アリアドネ達の正面へと移動した。中心に国の――王の旗を据え、その周りを他の6本が囲ってゆるゆると円を描いて回転している。
宙に描かれた竜の横顔は、アナスタシアのもう一振りでゆらりと解けた。そして数十の小さな旗となって、7本の旗の下へとずらりと並ぶ。王家と6大公爵家の下に存在する、その他大勢の貴族の旗だ。
「あなたたちはその中の《鱗》の紋を掲げるウィンプソン公爵家の御令嬢の無印奴隷。この意味がわかりますか」
すぅ、と細められた緑の瞳が、鋭く光った。




