竜と奴隷
途中だった洗濯の仕事を他の下女に任せ、ヒュンケルに連れてこられた先は竜騎士団隊舎のある訓練場だった。
国の中央部にそびえる王宮の裏門を守るように軍部はある。有事の時でもすぐに対応できるように、国の守護を司る《鱗》の名を持つウィンプソン邸と、当主が指揮する王宮軍の宿舎や訓練場は、馬車で数分の近さのところにあった。
ちなみに王宮の正面には城門からまっすぐに南の貿易都市まで続く国一番の街道が伸び、その通りを中心として店が並び人でにぎわう城下町が栄えている。
王宮軍に属する竜騎士団はしかし、竜とともに戦場を駆けるその特殊性から、他の隊と隊舎や訓練場を別にしている。
契約する竜を休ませる巨大な竜舎や、竜の性質を纏った攻撃をくらっても破られない結界や壊れない訓練場が必要不可欠だからだ。その為竜騎士団の訓練場は、結界のみならずその場にある地面や壁などの全てが頑強に作られていた。
「ここが俺たちの所属する竜騎士団の訓練区だ」
言葉遣いや仕草を外用から身内用に切り替えたヒュンケルを先頭に、アリアドネとルーカスは初めて軍部に足を踏み入れた。
すれ違う軍人達と気安い様子で短いやり取りをして隊舎を進んでいく。軍部にいるはずのない幼い子供二人に、怪訝な視線をやっては首を傾げる軍人に片やびくびくしながら、片や平然と、大きな背中を追っていく。
飾り気のない、実用性を追い求めたような殺風景な通路は子供の足では長く感じられる。しかし、人数の多くない竜騎士団隊舎は大して広くないので、ヒュンケルの目的地まではすぐに到着した。
竜舎である。
竜騎士の契約竜が、一頭一頭個別の部屋に収容されている。魔術を利用して空間を捻じ曲げているのもあるが、巨大な体躯に合わせて大きく空間がとられており、性質に合わせた環境を用意されていた。
水竜には水の流れる環境を整備し、火竜には耐火性の壁でなおかつ部屋の温度も高温を維持している、というように。いつ何があろうとも、契約竜を万全の態勢で出兵できるようにする為、魔力を利用して竜の生態に合わせている。
もともとが竜を信仰の対象として崇める国なので、竜の扱いは丁寧そのものである。
檻などはなく、契約者のみが自由に入れる扉と、巡回の兵士が中を見て異常がないか確認するためだけの小窓だけがそれぞれの個室に備えられていた。
音を通さない魔術がかけられているのだろう。3人の足音だけが響く。静かなものだった。
沈黙に耐えかねてか、それともただの好奇心か。ルーカスがおずおずと声をかけた。
「あの」
「ん? なんだ」
「竜って、どのくらいいるんでしょうか」
「ああ、そうだなぁ」
問いかけられて、視線を斜め上に泳がせる。質問の答えを探しているのか。
ここに来るまでの道のりで、無理に丁寧に振舞わなくて構わないと許しが下りたので、ルーカスは幾分か気が楽な様子だった。アリアドネは至って平常であるが、初めて入った竜騎士団隊舎を物珍しそうに眺めていた。
「今いるのは9頭だな。ついさっき大きな仕事が終わって皆帰舎したばかりだから、竜舎には全員揃っているはずだ」
「9頭! そんなに少ないんですね……」
「竜と契約するのはそれほど難しいってことだな。竜騎士を目指す軍人は多くても、契約までこぎつけるやつは少ないんだ。竜の御眼鏡に適わなけりゃ頭からばりばりやられちまうしな」
「ばりばり?」
「ばりばりもぐもぐだ」
「もぐもぐ……」
こてりと首をかしげて繰り返すアリアドネに、ヒュンケルは輝く笑顔で頷いた。
話している内容はとてもえぐい。
「毎年何人かそれで退役してるし、竜騎士団は少数精鋭ってことだな。――いたいた。おーい、アナスタシア!」
竜が過ごしやすいよう一部屋一部屋に充分な広さをとっている竜舎内は、竜騎士団隊舎に比べてとても広い。
その中を進んでいたヒュンケルだったが、漸く目当ての人物を見つけたようだった。大きな声で名を呼び、ひらりと手を振った。
ひとつの部屋の前で何かを記録していたその人物は、肩のあたりでまっすぐに切り揃えられた赤髪を揺らしてこちらを振り向く。
「ウィンプソン副団長。……お疲れ様です」
「おう。今時間あるか?」
「あると言えばあります。――が!」
アナスタシアと呼ばれた女性は、すらりと背の高い美女だった。
シェヘラザードの瞳よりももっと赤みの強い紫色の瞳は、切れ長な目元を美しく引き立てている。化粧っ気がないのに、ウィンプソンの美しい遺伝子を持つヒュンケルの隣に並んでひけをとらない女性だった。
アリアドネの見覚えはなかった。
(誰だろう……見たことない。前は軍部なんかに興味なかったから覚えてないだけか?)
この場所にいるということはおそらく竜騎士団の団員だろう。
若い女性の身でありながら、少数精鋭を誇る竜騎士の一人であるとは。きっとこの美女もヒュンケルと同じく実力者であることが窺える。
アナスタシアは涼やかな目元をぎりりと釣り上げて、ヒュンケルの姿を髪の先から靴の踵まで視線を滑らせると、それはそれは美しい敬礼を披露して、そして。
「上官に向かって失礼を承知で申し上げます! なんっですかその姿は! 貴方帰還してからすぐに風呂入りてぇっつって片付けもしないでご帰宅なされたじゃないですか仕事もしないで! なのになぜそんな糞汚い姿でここにおられるのですみっともない! そもそも貴方は溜まりに溜まった書類も報告も全て部下に押し付けて風呂入るだなんて何考えてるんですかみんな浄化魔法だけで我慢して仕事してるのに貴方早々に帰宅なさってお風呂だなんてズルいなのにそのまま汚い姿で戻ってくるだなんてほんとに何考えているのです信じられない本当に!!!!!!」
「まぁまぁ落ち着けって」
「これが落ち着いていられるとお思いですかこの糞忙しい時に!!」
その髪の色のように顔色を真っ赤に染め上げたアナスタシアは吠えた。丁寧なようでいて言葉のチョイスはとても汚い。
はっはっは、と空笑うヒュンケルが落ち着かせようと彼女の肩を叩くも、効果はない。
今にも拳を飛ばしそうな形相で、肩に置かれた手をすげなく振り払う。その際、チッ、と舌打ちも忘れない。
軍人らしからぬ、上司に対してとはとても思えない態度だが、それほど長い任務――とそれに付随する報告書と、それを放棄する上官の存在――がアナスタシアの理性を焼き切ったのだろう。
「ったく、後で椅子に縛り付けてでも仕事させますから、そのおつもりで」
「えええ……」
「何か問題でも?」
「アリマセン」
ぎろりと睨み上げられて、ヒュンケルは降参とばかりに両手を上げた。瞬間的に怒りを爆発させる副官には、触らぬ神に祟りなし、という言葉がよく似合う。
頑なに視線を合わせない事で怒りをやり過ごそうとする上官をしばらく睨み、アナスタシアは諦めと共にため息を一つ。竜騎士団副長を務めるこの男の副官を務め続けるには、時に妥協も必要なのだ。
小さな声で術式を紡ぎ、ヒュンケルに向かって指先を擦り合わせてパチリと小気味よい音を鳴らす。それと同時に、ヒュンケルの体や衣服に染み付いた汚れが浮き上がって消えた。
「おお、助かる」
「初めからこうしたらよかったんですよ……、貴方が家に帰って風呂に入りたいなんて言うから」
「悪かったって……。ちょっと確かめたいことがあったんだよ」
「確かめたいこと?」
ヒュンケルは顔を後方に向けることで子供たちの存在を指し示す。その動作によって、漸くこの場にいるのが己と上官のみでないことに気づき、アナスタシアは眦を釣り上げた。
「貴方、また軍部に部外者を! しかも子供!! どういうおつもりです!」
「落ち着けって。ただの部外者じゃない、ウィンプソン家の新しい奴隷だよ。妹達に付くだろうから、どんなもんかと確かめようと思って連れてきたんだ。ホラ、あいさつ」
「お、お初にお目にかかります。ルーカスと申します」
「ありあどねれす」
会話の流れについていけず、ぽかんと見ているだけだった二人は急に話を振られて焦りながらも名乗りながら平伏した。
従者の役目ですらない奴隷が貴族の前に出て許される、唯一の行為は這いつくばることだけである。公爵家の次男であるヒュンケルはもとより、竜騎士団に所属する竜騎士爵のアナスタシアに対してもそれは変らない。
許しが出るまでは頭を上げてはならない。それが奴隷として、まず第一に教え込まれることである。
アナスタシアは自分の前で這いつくばる幼い子供たちの姿を困ったように見つめて、小さくため息を吐いた。そして平伏したままのアリアドネの前に膝をつくと、脇に手を差し入れて小さな体を持ち上げた。
同じ年ごろの子供よりかずっと小さな体のアリアドネは、すんなりとアナスタシアの腕の中に納まる。
「???」
「顔を上げなさい。副団長はともかく、私にまでそんなことをする必要はありません」
「あ、ありがとうございます」
腕の中のアリアドネの癖っ毛を指先ですき、許しを得て立ち上がったルーカスの膝に付いた砂を軽く叩いて落としてやった。恐縮だと身を強張らせる少年の髪も同じようにすいてやって、アナスタシアはアリアドネを下ろしながら苦く笑う。
「私はアナスタシア・ロン。元奴隷の半人です」
だからそれは必要ありませんよ、と。
先ほどの苛烈な姿とは結び付かない静けさで囁くアナスタシアの瞳には、隠し切れない寂しさのようなものが滲んでいた。




