君にエベレストは登れるか?
君にエベレストは登れるか?
若い頃突然友人からこのような言葉を聞いたときには私は自分の耳を疑った。
どうして?
私が?
エベレストに?
当時私の顔を見た友人はこんな顔をしていたなと今でも酒の席で懐かしいように語るのだが、それもそのはず彼にとってこの言葉は私をからかうものにすぎなかったらしい。
「あの頃はまさかお前が本気でやるとは思わなかったんだよ」
よく私の友人は酒の席でこう言うのだ。
それもそうだろう、大体冗談でいったような言葉を本気にしてしまうやつなんていないのだから。
いや、ここにいたな。と、私は思いだす。
馬鹿みたいな奴が実は存在していたのだ――――
思い返せば、もう昔のこと、山頂を制したあの喜びは筆舌にし難いだろう。
大体、今ではできないだろうと、そしてあのときでなければできなかっただろうと私は思うのだけれども、やはりあのときは奇跡に近かった。
現れる巨大なクレバス、滑落の危険のあるあのときの緊張はたまったものではない。
少し天候が荒れればアタックの取り止めをしなければいけなかった。それも心苦しいものだった。
ハッセンメートルを越えた辺りは少し意識も朦朧として危険な所もあった。しかし、気力で乗りきった。
そして最後に、あの線の、一本の線のようになる感覚。
やがて見えるその頂きに届けと、それのみをめざして歩を進める、あの感覚。
あれは二度と手にはいるものではないだろう。
あれは人間が極致に至るときに起こる現象だ。
周りが見えず、ただひたすらに、そこを目指す。
確か私の知り合いにスポーツのある大会で優勝したことのある人も同じようなことをいっていた気がする。
「あぁ、わかりますよ。私も同じようなことになったことがあります。と、いっても一回限りのことなんですがね」
彼はそう言って私に微笑みかけた。大体その顔にはしわが幾重にも刻まれているなだけれども、その優しさの奥に何かが秘められている、そんな感じがしたものだ。彼は続けた。
「あれは、二度も行けるような域ではないのですよ。私はそのあと幾つかの大会で優勝することがありましたけれども、後にも先にもあの感覚を獲たのはあれが最後だったのでしょう」
そう言って、その私の知る古い知り合いは静かに顔を沈ませたのだ。それは哀愁なのか、それとも別の何かなのかは私にははっきりとは読み取れなかった。ただ、私は気がついていた。
彼はいきたいのだ。
それは遥かなたにあるものなのだろう。
もう二度と手にはいらないものなのかもしれない。
しかし、そのときの彼はその奥底に、その静かな炎をめらめらと燃やしていたのだ。
誰かに何かを感じ取らせるくらいに、ずっと。
私はこの言葉を聞いてから、よく考えるようになった。
若い頃になし得た、エベレスト登頂。
それはおそらくたぐいまれな経験であり、栄誉でもある。
普通の人ならばなかなかに成し得ぬことだ。
しかし、ふと、街中を歩いているとそれが現れるときがある。
それは一本の線。暗闇に拓かれた一本の明線だ。
私はそれに従い歩く。歩けば辺りからは音が消える。音が消えれば、色がなくなる。色がなくなればそこにあるのは点と線、白と黒でできた世界だ。
そしてそこには自分だけが色を持つ。
私が見ている景色は一人モノローグなものだけれども、私が歩くその後ろを振り返るとそこには音と色が溢れている。
断片的で、何か欠けたものだけれど、私が歩いた、その軌跡がそこにはある。
他人が作ったものじゃない、自分が作り出した世界。
おそらくそれは勘違いではない。
私の推測の通り、それが線なるものだ。
どこまでもまっすぐでいて、自分が引き続けた線。
戻ることも、重なることもない、まっすぐな線。
もちろん私たちは寄り道をするものだけれども、それすらもまっすぐに引かれてきた線なのだろう。
行動には意味があり、行動することで記憶される。
もちろん同じような軌跡を辿る線は存在しない。
線には千の道があるのだ。
そしてそれは自分もまたしかり、同じ線を辿ることなどできない。
だから旧き知人はああ言ったのだろう。
にども行ける域ではないのだろうと。
つまり私達の行動は全てが初めてのことにして、全てが最後のことだというわけだ。
そして一度天辺まで辿り着いたやからはその魅力に取りつかれ、何度も同じ経験を得ようとするのだ。
もう一度、もう一度、そんな風に心に抱えながら。
しかし私はそこで立ち止まる。何故か? いや、分からない、しかし、私は止まるのだ。
私も同じなのか?
ふと、頭によぎるのはその言葉だ。誰のものかは分からない、昔聞いたことのような気もする。しかし、今の自分のものではない。
それは過去からとばされてきたメッセージなのかもしれない。
いや、やはり昔のことを懐かしみ、もう一度経験してみたいと思う私の今の心の言葉なのかもしれない。
ただその言葉は私に一石を投じるのにはいい言葉だったかのようにも思える。
あぁ、そうか、私はまだどこかであの感覚を欲していたのだな、と考えるくらいには。
だがもちろん私はもう一度あの感覚を味わうことはできないとはもうわかっている。
知人にしかり、私にしかり、同じような感覚は得ることができないのだ。
しかし、それでも、私のなかにはひとつだけそれの答えらしきものができあがっていた。
そしてそれは―――――――――
ある日のこと、一人街中を歩いている人がいた。
年齢は大体六〇を越えているのではないだろうか?
しかし、その老人は見た目によらずしっかりとしたあるきで歩を進め、ある店に向かっていた。
「いらっしゃいませ!!」
店内にはいる。店員の活気のある声が飛んでくる。
以外にもシーズンがシーズンなので客が多い。
そしてずかずかと入ってくるその老人を見る人の数も多かった。
大体の人は驚いたことだろう。
現に少し年下の中年くらいの夫婦はちらっと訝しげに場に合わない老人の姿を見ていた。
他にも若者や、子供、その保護者までもが不思議そうに彼を見ていた。
そして、彼はそのような視線にも気にもとめないようで、奥へと入って行く。
そして、そこにいた店員に声をかけた。
「すみません、少しいいですか?」
優しそうな声が響いた。
店員もそれに答える。
「はい、何でしょうお客さま?」
にっこりと営業のスマイルで応対する。いかにも親切心の溢れる顔だ。
それを彼は見て安心し、ゆっくりと言葉を続けた。
「今、私はエベレストに登れますか?」
ふーっ、書ききりました。
少し雑な文章だと思いますが、今までの自分の経験をもとに書いてみました、あ、因みにエベレストは登ったことないですよ。なので少し山の描写はイメージです、何か意見があれば、ここはこうだろうとあればお願いします。
後先に断りますが今回モノローグという言葉は本来の意味を越えて使っています。イメージは同じなのですが少し独白という意味には当てはまらないかなと。なのでそこもすみません。
センター試験が終わり残すところ二次ですが、ある意味今まで演習でやってきたセンターの国語の小説をいかそうと思い最後にこの作品を書きました。これで国語のものとは暫くおさらばして、後は二次に全力でいきたいですね。