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北に出づるは、琥珀の鬼

作者: 古千谷早苗

 武陽を北上してひと月。


 梅雨が明けると、北の夜は涼しくなる。

 風が吹けば肌寒さすら感じられ、宗司(そうし)は衣の上からさっと腕を撫でる。


 囁き合うように周囲の笹が揺れる。

 青緑の竹林は夜闇でも仄明るく、今宵のような月の下ならばひと際美しい。が、それも誰かの手が入ってこそである。


(なるほど、これは困るだろうな)


 袴を引っ掛けぬよう気を付けながら、彼は荒れた竹林を黙々と進む。

 すぐ横には枯れきった雑木。手入れが出来ないと嘆いていた村人の話は本当らしい。





「ええ、あすこには鬼子が住み着いてるのさ。ばたばた血を流して人が死ぬもんだから、誰も近寄れんのよ」


 北の訛りを混じらせて、女は言った。

 野良着に泥水をつけ、長方形の漕ぎ舟を手繰り寄せている。


 先には広大な池があり、数多の小舟が等間隔で浮く。

 舟に乗った一人一人が池を覆う浮き草を掬っては、籠へするすると集めていく。

 じゅんさい沼である。

 採れたものを食したことはあるが、収穫の様子を覗くのは宗司は初めてであった。


「ちっとでも近付けば殺られるもんだから、手前の竹林の手入れもできんくて。角の生えた鬼さ、人喰いさ。誰かが退治してくだすったら、助かるんだけどねぇ」


 飛沫を上げながら子舟が(おか)にのる。

 籠のじゅんさいは日を浴びて、水の宝石と呼ばれるに相応しい光沢を放っている。


 今夜は泊まってお行きなさいよ。

 そう言ってこちらを窺い見る女に対し、宗司は片手で編笠を押さえながら、軽く頭を下げた。

 お互い人にすれば二十歳ほどの外見であった。





 竹林を過ぎ、雑木林に入る。


 宗司は夜目がきくから、提灯はない。

 土地に根を張る全ての生命が暗く色を落とすが、彼の眼には葉の先の雫までがしっかりと見えている。


 ざり、と草鞋で荒れ土を踏み、立ち止まる。

 せわしなく鳴いていた夜鳥の声が止んだ。



 こちらを窺う気配が、一瞬。

 宗司が息を吐くのを待たず、それはすぐさま彼の懐に飛び込んできた。


 相手の力量は分からない。ゆえにすぐに抜く。


 宗司の腰から抜き放たれた一振りは夜の(くう)を滑り、キン、と高い音を鳴らして静止する。

 ちょうど彼の胸の位置。

 上段から振り下ろされたにもかかわらず高さがないのは、相手の体格が理由であった。


(子ども――噂の鬼子か。――だが)


 宗司が振り払う前に、襲い掛かってきた相手――男児は自身の剣を引いた。

 待ち伏せによる奇襲だ。

 受け止められると思っていなかったのだろう、やや動揺した面持ちで数歩、距離をとる。


 男児の齢は十つを過ぎたかどうか。

 纏うボロは工夫されてはいるが大人のそれだ。

 だらりと降ろされた刀も小さな体躯に合っておらず、剣先が土を舐めている。

 いずれも殺した人間から奪ったものだろうと宗司は見当をつけたが、問題はそこではない。


(角がない)


 女の話では見るも恐ろしかろう角があったはずだ。

 噂に尾ひれが付いたか、あるいは――


 周囲を見渡そうと男児から目を逸らせば、びりり、と相手の殺気が跳ね上がった。


「うらあああ!」


 声変わりも過ぎていない男児の咆哮が宗司の注意を引き戻す。

 滅法早い。再び迫る刃が、うなりを上げる。


 宗司は下段に構えていた剣をゆるりと持ち上げた。

 力量には圧倒的な差がある。

 初動が分かれば、躱すも受けるも造作無い。


 雲が退き、木々の屋根より月光が漏れ注ぐ。

 研ぎ澄まされた白刃と錆びた赤刃の間で一つ、火花が咲いた。


 ぶつけた剣よりひしひしと伝わる、男児の激情。

 それでも刀身越しに見えた双眸から、知性はあると見た。


 ふっと力を抜き、相手の剣を流す。

 木の根を踏んでいた男児の足が揺らいだところで、宗司は空いた左手で向こうの幼い手を強くはたく。


 あっ、と言う間もなく、男児の両手に握られていた剣が地面に落ち、鈍い音を立てた。

 宗司は袖をもう一度振るうと、その小さな頭をがつりと掴む。


「やはり角はないな。鬼ではないか」


 元より容赦する気はない。鬼でないなら用もないが、この男児は。


「何を庇っている」


「――っ」


 ただ歯を食いしばり、こちらを睨み上げる相手。

 その何の変哲もない黒目が宿す憎悪に宗司がしばし見入った、そのときである。


 ふいに声がした。


にいに(・・・)を、離して」


 透き通った幼子の声。

 途端に湧き出でた気配に驚きつつ、宗司は巨木の一つに目を向けた。

 老杉の陰から覗き見る、琥珀の瞳が二つ。

 夜にも染まらぬ白銀の髪が、しなやかに流れる。


(鬼だ。それも、とびっきり上等の)


 人ではあり得ぬ美しさはもちろんのこと。

 宗司がそう判断した理由は女児の頭部より生えた二本の角にあった。


 額の上、銀糸の生え際より伸びた角はすらりと伸び、長い上に歪みがない。

 鬼の角は種の誇りであり、最も尊ばれるもの。

 それが瞳と同じ琥珀色でもって、一点の曇りもなく艶めいている。


「噂の鬼子とはお前のことか」


杏花(きょうか)は鬼じゃない――」


「ではなんだというのだ」


 頭を掴む手はそのままに、宗司は男児を鋭く見やる。

 にいにと呼ばれた彼は一度下唇をぐっと噛むと、諦めたように口を開いた。


「杏花は人を喰わない、害はないんだよ」


「だろうな。実際、鬼は人を喰わない」


 は、と目を見開く男児から視線を外し、宗司は淡々と話す。


「人を喰うのは鬼じゃない、別の生き物だ。鬼は欲には忠実だが、人は喰えないようにできている(・・・・・)


「な、なにを知った風に――。なんでそんなこと分かるんだよ」


「俺も鬼だからな」


 男児から手を離し、宗司は編笠を取った。

 月明かりに照らされる青年の頭部には、不揃いに折れた両の角。

 美しさでいえば女児のものと比べるにも足らない。


「来い。お前ら……じゃないな、この娘を保護してやる」


 二つの視線を受けながら、宗司は編笠を戻して刀を納める。


「嫌なら置いていく。ここで兄妹揃って、一生人に怯えて生きていればいい」


「待て! ……行くよ。一緒に行く」


 兄と思われる男児の決断は早かった。

 戸惑うように角を揺らす妹に駆け寄ると、彼は優しげに声をかける。


「杏花。こいつに付いて行こう」


「お外に出て、大丈夫なの? にいに」


「何かあればにいにが守るから」



(……はて)


 自身の口から出た兄妹という単語。

 それらしく振る舞う二匹の仲睦まじい光景に、宗司はようやく引っ掛かりを覚えた。



 人と鬼。

 血を分けた兄妹においてその本質が異なることはない。

 ならばこれは何か。


 妹の方が人である可能性は零。

 二本の美しい角が彼女の在り方を雄弁に語っている。


 よって、考えるべきは兄の方である。

 何ゆえに角がない。

 血が繋がっていないか、それとも他に理由があるのか。



「おい。お前らは本当に血の繋がった兄妹なのか」


「そうだ。父も違わないと母に聞いた」


 同種を一匹保護するつもりが、不可解なものに出くわした。


 宗司は彼と目を合わせ、先ほどの斬り結びを思い出す。

 考えてみれば、この小さな体躯は成人用の、それも錆びて重みを増した刀を振り回していなかったか。

 人ではあり得ぬほど、その動きは敏捷ではなかったか。


「おい。行かないのか」


 男児が口を尖らせて、宗司にせっつく。

 自分が考えたところで仕方がないと、彼はこれ以上の思考を断ち切った。


「……いや、行く。西だ、鬼姫様のいる京に向かう」


 それだけ言って兄妹から背を向けると、彼は夜天を仰ぐ。

 枝葉の向こう、争うようにひしめく星々の中で一つ、琥珀の半月が飛び出でて光っている。


(吉星か、凶星か)


 いまさら火照りを覚え始める身体。

 ふうっと吐かれた息が、夏夜の風に滲んで消えた。

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