一枚の時間
大人びていたい。
「今度の日曜、どっか遊びに行かない?」
由希が言った。
私はすぐには飛び付かず、迷う素振りをする。
「うーん、お小遣い足りないんだよね」
「クレープ奢る」
「物で釣るの、やめて」
「じゃあ、畑山も誘う」
「……行く」
畑山というのは由希の従兄弟だ。同い年の男子。別に私が彼に片想いをしているとかではない。断じてそれはない。私はそんな純愛乙女じゃない。
「畑山の連絡先、教えてあげるって言ってるのに。わざわざそんな回りくどいことしなくてもさ」
由希は若干呆れ気味だ。
そんな様子を見て、ふふっと笑ったのは美苗。
「美苗は行くー?」
由希が尋ねると、
「えーっとね、予定、あってね」
美苗は微笑んだまま、ちょこんと首を傾げた。
続けて私が聞く。
「恋人?」
「うーん」
肯定だか否定だかよくわからない返事とともにうなずく美苗。美苗には恋人がいる。彼氏ではなく“恋人”が。
「いいなあ、デート?」
美苗のはっきりしない態度には慣れっこの私たち。由希がぽかぽかと美苗の背中を叩く。
「いいなあ、いいなあ。私も彼氏欲しいなあ。ねぇ、七瑚?」
「私は別に」
「えーっ、畑山のことは?」
「興味ない」
畑山には由希を通じて何度か会っている。眼鏡をかけた地味な男子だけど、顔は悪くないと思う。
「七瑚ちゃんは、理想が高いんだよ、ね?」
のんびりと微笑みながら美苗。
「別に」
私はぼそっと言って頬杖をつく。
「また出た。七瑚の口癖」
「“別に”はクールな七瑚ちゃんの十八番」
二人は好き勝手言うけど、私はクールなんかじゃない。だいたい男に理想なんて抱いてもない。
由希たちと遊びに行くといったら、大抵は電車で駅を五つほど行ったところにある大型ショッピングモール“ヒオル”だ。中には映画館もあるし、それぞれお気に入りの服のブランドも入ってる。
その日もいつも通り最寄り駅で待ち合わせた。
「あっ、七瑚ー」
改札の前のところで、迷彩キャップを被った由希が手を振っている。
駅の時計を見ると、待ち合わせの五分前だ。
由希の隣、というか1.5メートルほど離れたところに立っているのが畑山だ。耳にイヤホンを入れて、その先はパーカーのポケットに繋がっている。そこにプレーヤーを入れているらしい。パーカーは黒地に赤のライン。彼にしては珍しく、目立つ系統の色が差し色になっている。
「待たせてごめん。行き先は“ヒオル”でいいんだよね?」
挨拶もそこそこに私は尋ねる。甲高い挨拶を交わす女子の声は苦手だ。
「私、本当にお金ないから、映画とか無理だよ」
「うーん、ま、行ってから考えよ」
「見たい映画も特にない」
「そうだなー、私もないかも」
由希がうなずいたとき、ようやく畑山がイヤホンを外した。私に向かって軽く会釈してくる。
「ども。久しぶり」
「……どうも」
端から私たちはどんな関係に見えるのだろう。自分自身でもよくわからない。私たちは……?
「そーだ、SDカード持ってきたけど」
プレーヤーが入っているのとは反対のポケットに手を入れる畑山。
「はい、他のデータ抜いといた」
ポケットから出した手をぐっと突き出してきたので、私も反射的に手を伸ばした。ころんと小さな黒い物体が掌に落とされる。黒くて四角いデータの塊。
「どうもです。あ、この前の返さなきゃ」
今度は私が自分のバッグの中を探る。
「ありがとうございました」
形だけはと簡易ラッピングした水玉模様の小さな袋を彼に渡す。
「むき出しで返してくれていいのに。どーせもう俺、使わないし。あげてもいいんだけど」
「そういうわけには、いかないです」
「まあ、いいや」
少々気だるげに言うと、畑山は袋をポケットに突っ込んだ。
「町田、もう俺、帰っていいの?」
イヤホンを片耳に入れて、畑山が尋ねる。聞かれた由希は大きく首を振る。
「ダメダメ。あんたは荷物係」
「だったら帰る」
「ちょっと、七瑚からも言ってよ」
私は少し考えてから、
「行くと、由希がクレープ奢ってくれるらしいです」
と言った。
「クレープ?俺、甘いの苦手なんだけど……」
「だって、由希」
「えーっ」
まあ、いつもだいたいこんな感じ。畑山は用事を済ませるとすぐに帰ってしまう。
「そういえば」
いつもあまり多くは話さない畑山が、ふと思い出したように私を見た。
「七瑚ちゃん、絵画コンクール、入賞したんだって?」
他校の畑山がどうしてそんなこと知ってるんだろう。入賞者の名前、新聞とかに出てたっけ。
あっ。
私は由希を睨む。情報源は彼女に違いない。
由希は涼しい顔をしている。私は何も知りませんよーという余裕の表情。
「今度見せてよ。部活でも描いてるんでしょ」
そんなことも教えたのか。
私は畑山に全くといって情報提供をしていないし、また教える気もない。しかし私は畑山のプライベートを少なからず知っている。
これでプラスマイナスゼロ……なんだろうか。
「つまらない絵ばっかだから」
とりあえず謙遜しておく。
「嘘ばっかりー」
由希がにやにや笑っている。本当に面倒くさい。
畑山は無表情のまま、
「気が向いたら見せて。じゃあ」
と私たちに背を向けた。
今度は由希も引き止めなかった。さっきは成り行きで引き止めただけなのかもしれない。
「バイバイッ」
とっさに私は彼の背中に声を投げた。たぶん……ちょっとした罪悪感から。ほとんど私の用事だけで呼び出された畑山はかなり気の毒だ。
遠ざかる畑山の手が持ち上がり……どうするのかと思ったら、イヤホンを直しただけだった。後ろ姿のまま片手を上げて見せるとか、そういう画になることをするタイプではない。
私の声が聞こえたのかもよくわからなかった。
「連絡先、教えよっか?」
由希がしつこく聞いてくる。
「いいよ別に」
これまでに何回も言った台詞を使い回してやり過ごした。
「チョコバナナクレープ」
「カスタードとホイップとありますが」
「……カスタード」
「380円になります」
500円玉を出し、お釣りとレシート、それから10%オフのクーポン券をもらった。
「チョコバナナクレープになります」
しばらく待つと、ピンクの包み紙で包んだそれを渡された。
「ありがとうございましたーぁ」
両手で包むように持つと、なんだか生温かい。私はそのままフードコートの席に向かう。
「七瑚ー、こっちこっち」
先に席を確保していた由希が、二人掛けのテーブルから手を振っている。
「嘘、由希、そんな食べるの?」
由希の前には大きな丼があり、中にはチャーシューがたっぷり、濁ったスープのラーメン。
「じゃじゃーん、チャーシュー麺、大盛りでーす」
「胃もたれしそう」
私は由希の向かい側の椅子を引きながら、
「汁、飛ばさないでよ」
と釘を刺す。
「保証はできませんねぇ」
そう言って豪快に笑う由希。ひとしきり笑い終えると、今度は私の持つクレープに目を移した。
「七瑚こそ、それがお昼? クレープっておやつじゃん」
「甘くないクレープだってあるでしょ」
「それは?」
「……チョコバナナ」
「思いっきり甘いじゃん!」
ナイス突っ込み、と言わんばかりに由希は満足げだ。
「そーえば、奢るって言ってたけどよかった? 七瑚、お金あるの?」
「畑山呼んでくれたから、その件はなしでいいよ。それとあと、ギリギリ千円残ってる」
「プリクラ撮る?」
「撮らない」
私が即答すると、割り箸をパキンと割って由希が笑った。
「でも、写真送らないと畑山がすねるよ」
「は?」
「はーい、チーズ」
パシャッ。
「ちょっと由希、今撮った?」
「撮った撮った。そして送った」
「送ったって……」
由希が私に向かってスマホを突き出してきた。画面には私の顔がアップで写っていた。
「近況報告しなきゃ。で、畑山をいらつかせてやるの」
「いらつかないでしょ」
「七瑚はわかってないなぁ。写真なんて見ちゃったらさ、普通会いたくなっちゃうもんだよ。で、俺はなんでついてかなかったんだろう……って後悔するの」
「後悔する?」
「するする」
少しだけ由希が真面目な顔になる。
「七瑚さぁ、いつまで続けるつもり?」
「いつまでって?」
「畑山、七瑚のこと好きだよ」
「それは由希の気のせいだと思う」
ハアー。由希が溜め息をつく。
「わかったけど、早めにケリつけなよ?あんたたちの仲介役、面倒くさいんだから」
畑山のSDカードには、たくさんの写真が詰まっている。それはもう、本当にたくさん。32ギガだか64ギガだか知らないけど、すぐに使いきって容量がいっぱいになってしまうらしい。
私はそれを一晩かけて見る。見きれなかったときは、次の日、学校から飛ぶようにして帰ってくる。
機械は苦手だけど、パソコンでSDカードの中身を見ることだけは覚えた。
雑貨屋などをなんとなく見て、私と由希は“ヒオル”をあとにした。
帰ってきてすぐにパソコンを開いた私は、日が沈みかけているのにカーテンを閉めるのも忘れて、写真に見入った。
一枚目は大きな切り株の写真。ぐるぐると渦巻く年輪を斜め上から見下ろしている。
削っていない新品の鉛筆。火のついていない蝋燭。太陽に透かしたペットボトル。そびえる電柱。
畑山が気まぐれに撮った写真は、少しも撮影の意図がわからないものばかりだ。
例えばだけど私の携帯のメモリーに入っている写真は、友達との記念写真だったり、あとはたまたま見た珍しい景色だったり。そんなに枚数は多くないけど、たぶん誰が見てもどんなときに撮ったのか想像できるようなものばかりだ。
移り行くものの一瞬を捉える。私たちがカメラを向ける目的は大抵そうだと思う。
畑山は違う。彼は変わらないものを撮る。
全く画にならない。雑な構図。メモリーをいっぱいにしていくだけのくだらない画像。
狙わない一瞬を狙う。
うっかり変なタイミングでシャッターを押してしまったような、そんな写真を彼は撮りたがっている。
被写体は移り変わりの激しくないものでないといけない。動かないもの。変化しないもの。画にならないもの。味の出ないもの。なんの感情も表れないもの。
そんな彼の写真に私は魅せられた。
初めて見たのは湖の写真だった。いや、私が湖だと思い込んだだけで、
「それ、ただの水溜まりの写真」
と彼は言った。たしかによく見るとそれは濁った水溜まりだった。
畑山の写真は、見ていると不思議な気持ちになる。昔から気取ったものは嫌いだった。なんの意味も込めないよう細心の注意が払われている彼の写真。そこには彼の意図通り少しも感情が存在していないはずなのに、なぜだか心が安らぐ。安心して、解放される。
何にも染まらない。全ての人間が逆らうことのできないはずの時間の流れにさえ。時を感じさせない。しかしその写真には息がある。
狙わない一枚。
でもそれが私の好きな画。
携帯が鳴った。ディスプレイに浮かんだ番号を見てためらう。知らない番号だ。
早く出ろと急かすように着信音は鳴り続ける。
通話ボタンを、押した。
『もし……もし?』
電話越しでどことなくくぐもった男の人の声。
切ろうか。一瞬迷った。
『七瑚ちゃん?』
電話を切ろうとしていた指が硬直した。
「誰、ですか」
震える声で尋ねると、返事はすぐに返ってきた。
『貴志』
「え?」
『あ、畑山。畑山貴志』
下の名前は初めて知った。たしかによく聴いてみると、それは畑山の声だった。
「番号、誰に聞いたんですか」
とっさに出たのはそんな質問だった。
「由希ですか?」
『……まあ、うん。それで絵、いつ見せてくれるの?』
「は?」
『だから、絵』
それを聞くために電話してきたんだろうか。
「見せるなんて言ってませんけど」
ついつっけんどんな口調になった。
しばらくの沈黙のあと、
『写真、撮ってもいい?』
「………………」
話題が変わったことに気づくのに、少しかかった。
「いつも撮ってるでしょ」
『違う。七瑚ちゃんの写真』
「……私の?」
『撮りたい』
なんと返していいかわからなかった。畑山は、人物の写真は撮らないんだと思っていた。今まで見た中に一枚もなかったから。
「どうして、ですか」
私なんか撮ったって面白くない……もしかして、面白くないからこそ?
「つまらない写真がとれそうだから?」
『違う』
「じゃあ、なんで」
相手の表情が見えないのがもどかしい。返事を待つしかない。
『携帯の待ち受けにする』
「冗談……」
『それぐらい大切にする』
「答えになってない、です」
またしばらく間が空いた。
『来週、予定空いてる?』
「………………」
『会いたい』
「………………」
『本当の理由』
私はうつむいてぼそっとつぶやく。
「……空いてる」
電話の向こうに聞こえたかはわからない。あまりに小さな声だったから。
『また電話する』
「……うん」
写真、それまでに見て返さないと。私はマウスをカチカチッと操作して、暗くなりかけていたパソコンの画面を復活させた。
読んでいただきありがとうございます。
感想・アドバイスなどがありましたら、よろしくお願いします。