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――囚われの巫女は、女神さまからプレゼントをもらう代わりに大切なものを失ったんだって。
一
とても綺麗な少女が柔らかそうなパンをもぐもぐと口いっぱいに頬張っていた。十五歳ぐらいだろう。これまたさらりとしつつ柔らかそうな金髪に整った顔立ち。なのに、どこか幼さが垣間見えるのはパンのせいかもしれない。いや、絶対にそうだ。少なくとも生まれてこの方、僕はこれほどまでに一生懸命ご飯を食べている人に出会ったことがない。
「あの、大丈夫ですか?」
「ふぁぃ? ……んぐっ、はい? えっと、多分大丈夫ですよ?」
彼女は控えめに笑って「これだけで足りますから」と言った。
……こぶし大のパン一つで足りるのか。
女性の神秘を目の当たりしていると彼女の方から一陣の風が吹き、なんとなく彼女が座っている方角へと視線を向けた。
小高い丘。それは目の前が穏やかな斜面になっていることからもわかる。暖かい陽光がきらきらと降りそそぎ、近くの湖から冷たい風がひんやりして気持ち良い。草木が囁き遠くから商店街の活気がここまで伝わってくる。
平凡と平穏の二つが手を組んだ場所の風景から再び彼女に視線を向ける。
「……頬にパン屑、ついていますよ」
「え、パン屑……?」
左頬を撫でてパン屑を探す彼女。けど逆なんだ。そんな心の声が聞こえるはずもなく、選択肢に右の頬というものが彼女に現れるわけもない。
だから僕は彼女にスッと近づいた。そのとき、ふと彼女の傍らに置いてあったものが視界に映り込んだ。
――絵の具?
パン屑を取ろうとした手が止まって疑問をぶつけるように彼女を見る。でも、僕は口に出していないわけで、当然不思議そうにする彼女と目が合ってしまった。
「……あの、パン屑はとれたでしょうか?」
「あ、はい……もう少し……」
我に返ってすぐにもちりとした彼女の右頬に触れる。軽く触れただけで「んっ」と声を漏らすのはやめてほしい。
「ほら、とれましたよ」
「ありがとうございます! あの、私エルルと言って、こう、なんというか……朝から晩まで絵を描いては街を渡り歩いているものです!」
「僕は……テク。ただのテク」
彼女に倣って自己紹介し、そのまま隣に座る。
「なんで放浪してるんですか?」
単純な疑問をぶつけると、心なしか彼女の顔に影が差した。
「私、街で心が満たされると、絵が描けなくなっちゃうんです。だから、放浪しなくちゃいけないんですよ」
それはずいぶん難儀な性格だ、と言えばいいのか。でも、先ほどよりもより濃く悲しそうな顔をしているエルルを見ると、エルル自身が好きで放浪しているわけでもないことが嫌でもわかる。
「……絵が、好きなんですね」
「はい!」
今度は嬉しそうに笑うと、エルルは再び絵を描き始めて会話が止まる。止まるから焦りながら次の会話を振る。
「そ、それじゃ今はここで絵を描いているんですか?」
一番無難で話しやすい問いかけ。これなら会話の種になるだろう。
「えーと、ご飯食べているんです」
「そうじゃなくてですね」
頭を掻きながら目を泳がせる。別にここにいることが何か問題があるとかそんなことはない。どう話を切り出そうかと悩んでいると、そもそも話を続ける必要があるのかという事実に行き着いた。別にあとはさよならを告げてその場を去ろうとしたとき、絵の具と一緒に置かれている鮮やかに彩られたキャンパスが目に入った。
その視線を感知したのか、エルルは僕の視線の先から僕へと視線を辿ったかと思うと、
「はい、このパンは私のものです。ほしいですか?」
「それじゃなくてですね……そのキャンパスなんですけど……もしかしてその絵、あなたが描いたんですか」
「あ、そうですそうです! もしかしなくても私です!」
彼女は嬉しそうにキャンパスを手に持つと、自身の体の前に置いた。
「これ、ここから見える街を描いていたんです。綺麗な場所ですよね~。ふんわり香る春の匂い。でも、近くにあるセセトト山から流れ降る雪の残滓が街を仄かに白へと染め上げているんです。そのもとにある商店街は活気があって、でも雰囲気は壊れていなくて。その調和のとれたこの街を私、描いてみたいんです」
そう言った彼女の言葉の節々から、どこか使命感に駆られているように感じた。けども、僕は彼女のキャンパスに魅せられて舐めるように隅々まで見ていった。
それは、この丘から見える風景をそのままキャンパスに貼り付けたのではないかと疑うほど、とても綺麗な絵だった。
空の透き通るような青と息づく大地。そして朗々かつ生き生きした人々の絵に知らず知らずのうちにどんどんのめりこんでいき、最後にはその絵の中心部に立っているような感覚まで……――――。
「あれ? この、絵……」
「まだ完成していません。それに、まだ絵描きとして全然未熟なのでお恥ずかしいのですが……」
「いや、十分素晴らしい絵だ……」
本心だ。なのに彼女ははにかんで「そんなことはないです」と言った。
絵と同じで、彼女のはにかむ姿に心が揺り動かされた。今までに感じたことのない、暖かく、しかし荒々しい感情が胸中から溢れ出そうだ。
「あの、私そろそろ宿を探そうかなーって思ってまして」
ふと気づくと、彼女は荷物を片付けて、僕に一礼してそう口にした。そのとき、僕はとても強い焦燥感を覚えた。彼女をここで逃したら二度と会えないのではないか。話せないのではないか。笑顔をみることができないのではなくなるのではないか。
一期一会な出会いだってある。だからこそ、僕は彼女とそういった関係にしたくなかった。その強い感情に突き動かされるように口を開いた。
「――でしたら、僕の家に来ませんか?」




