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六章 変わりゆく人々

「本当にそんなもんが効くのかね? ただの、その辺の草の根にしか見えんぞ」

「もちろん効きますよ! 黄連はもう長いこと下痢の薬として広く使われていますからね、保証します。しかもこれは都で飲まれているものよりいい薬ですよ、なんといっても犬神様が特別に見付けてくれたんですから!」


 露骨に疑う老サダンに、煎じた薬湯を差し出しつつ笑顔で請け合う薬草採り。その横でユランはもじもじしていた。嘘をつくのが苦手なユランに代わり、ヨギが口上を引き受けたのだ。


 君はうんうんうなずいてくれたらいい、何も嘘はついていないんだから。そうだろう? 実際この薬は、君が私と一緒に探してくれたものじゃないか。


 そう説得されて、なるほどそうだと納得はしたものの、どうにも気恥ずかしくていたたまれない。落ち着きなく尻尾を揺らすユランに、老サダンがじろりと険しい目をくれる。ユランは慌ててこくこくうなずいた。


「だ、大丈夫です。あの、安心して飲んで下さい」

「……そんな態度で、どう安心せいちゅうんじゃ。まったく」


 ちっ、と舌打ちしたものの、老サダンは湯呑を受け取った。渋い顔でしばし睨み、余計に下ったら承知せんぞ、とぶつくさぼやきながら口をつける。

 狙った方向からは外れたものの、とにかく飲ませることには成功したので、ヨギはほっとして満足の笑みを広げた。ユランも嬉しそうに尻尾を振って言う。


「これで治りますね。良かった!」

「ふん。なんも変わりゃせんわ」


 当のサダンはむすっとして鼻を鳴らし、こっちを見ようともしない。ヨギが湯飲みを洗いに土間へ出て行くと、老人はぼそりと訊いた。


「本当におまえさんが採ってきたんか」

「はい!」


 事実なので、ユランは元気良くしっかり肯定する。老サダンはまた、ふん、と鼻を鳴らして口をへの字に曲げた。もう慣れっこになったユランはちょっと首を傾げただけで、上機嫌のまま立ち上がる。

「それじゃ僕、一度帰りますね。夕方にまた来ます」

 返事はない。だが断られたわけでもない。だからユランは気にしなかった。


 そんな調子で、ユランはヨギと共に周辺の家をまわり、具合の悪い者がいると薬を処方した。ユランがヨギを負ぶって走るので、普段ならあまり行き来しないような遠くまでも、一日で楽に往復することができるのだ。

 イダルの家から遠い住民ほど、『犬神様の薬』をありがたがり、中には伏し拝んでから飲む者までいた。ヨギの口上の「都で飲まれているものよりいい薬」というのも、鄙の住民には相当な効果があったらしい。


 ヨギは毎日せっせと薬草畑の世話をしたり、山へ入ったり、巡回に出たりと、忙しく過ごした。ユランも畑仕事のかたわらそれを手伝い、ごく基本的な薬を数種類だけ、しっかりと学んだ。

 扱いが難しい特別な薬を覚えても、住民が少ないこの土地で使う機会があるかどうかは怪しいし、それで失敗すれば本末転倒だ。


「何でもそうだよ、基本が一番。高度なわざは素晴らしい効果を見せるかもしれないが、備えておくのが大変だし、使いどころが難しい。基本さえしっかり身に着けておけば、いろいろな場面で応用させることができる」


 ヨギはそう言って、ミカや近隣の子供達にも、簡単な事柄を教えてくれた。読み書き、算数、日や月のめぐり、火や水の性質。

 そうこうして彼は結局、丸一年もの間、イダルの家に留まった。季節ごとの薬草の扱いを教えるには必要な期間だったが、さすがにそろそろ都へ帰らなければならない。

 初めて訪れたのと同じ、雪解け水で川の勢いが増す頃、ヨギは旅立ちを決めた。その頃にはユランも多くを学び、そしてさらに成長して、早くも一人前の大人と同じ背丈にまでなっていた。




「いまさらじゃが、ユラン、おまえさんやっぱり犬じゃなかったんじゃのう」

 ヨギを見送った後で、イダルは横に立つユランを眺めてしみじみと言った。何を言いだすのかと不思議そうに首を傾げたユランは、まなざしだけは相変わらず純真であるものの、すっかり精悍な顔つきになっていた。

 短かった口吻がすっきりと伸び、耳は先まで常にピンと立って、目元も丸みが薄れて鋭さが増した。もうどう見ても犬ではない。


「立派な狼じゃなぁ。犬神様の迫力があるわい、子供が怖がりそうじゃ」

 イダルは言って、苦笑した。途端にミカが、むっとしてユランに抱き着く。

「ユランは怖くないよ! おっきくなっただけで、変わってないもん!」


 そう言うミカも、食べ物が足りるようになって、すくすくと育っていた。ユランに抱き着くと、頭が腹の辺りに届く。ただの幼子であったのが少女らしくなり、大人びたことも言うようになっていた。

 それはまるで、背丈が置いてきぼりになるのは仕方ないけれども、心までは引き離されまい、と必死になっているかのように。

 残念ながら、他の子供らがいくらか遠慮するようになってきたのは、事実だった。ユランはミカの頭をそっと丁寧に撫でて微笑む。


「ありがとう、ミカ。でもやっぱり、急に大きくなったら怖いのは仕方ないよ」


 同じ人間でも、幼子の視点から見上げる大人は怖いのだ。それが獣の姿をしているとなったら、そしてもう仔犬の愛らしさはないとくれば、半年一年前まではじゃれ合っていたと言っても腰が引けるのは仕方がない。命を守る本能的な反応として当然のこと。


「平気だってば!」


 ミカは怒って言い、証拠とばかりえいやと尻尾を掴む。ユランは変な顔になって、慌てて少女から逃げ出した。ミカが勝ち誇った笑みを広げる。


「ほぅら、ユランは弱虫だもん、怖くないよーだ!」

「こりゃミカ、調子に乗るでない。ユランはおまえさんを怪我させんように、我慢してくれとるんじゃぞ」


 イダルにたしなめられて、ミカはぷうっと膨れる。ユランは曖昧な態度のまま、鼻面をちょっと掻いた。


(うーん……困ったなぁ)


 近頃は妙な『やりづらさ』を感じることが増えてきた。ミカが時々手に負えないのもそうだし、半年ほど前までは平気で頭を撫でまわしていた大人達が、微妙に遠慮がちになってきたのもそうだ。人は変わるものだとは言え、それにすぐ馴染めるほどユラン自身は成長している実感がない。


 体格は確かに立派になった。以前ツォルイが届けてくれた二着のうち、今はもう大きい方がぴったりになっている。里でなら、来年には成人の儀式をしてもらう歳だ。

 以前よりずっと力が強くなり、畑仕事も楽々こなせて、イダルとミカのみならず遠くの家からも、力仕事に手を貸してくれと頼まれるようになった。

 ただその頼み方も、以前なら「ちょっと手伝ってくれ」ぐらいだったのに、今は「すまんが力を貸してもらえるか」と、遠慮がまさるようになっている。ユランが機嫌を損ねることなど滅多にないのに、こちらの様子を窺っているのが感じられて、なんだか少し寂しい。


(本当は犬神様なんかじゃないのに……僕なんて)

「ユランのほうが怖がりなのに、みんなが怖がってるのがおかしいの!」


 考えを読んだかのような発言に、ユランはどきりとして振り向く。ミカが小さな両手を腰に当てて、イダルを睨み上げていた。


「こないだだって、雷が鳴ったら部屋のすみっこに丸まって震えてたじゃない」

「そりゃそうじゃがの、ユランがわしらよりずっと力が強いのも確かなんじゃぞ。もしも本気でユランが殴りかかったら、ニウルでもふっ飛んでしまうわい。それだけ力があっても、誰のことも脅かしたりせんと仲良う暮らしてくれとるのは、ひとえにユランが優しいからじゃ。それをええことに、何をしても怒られんと勘違いしちゃいかん」

「かんちがいじゃないもん! じぃじ嫌い!」


 べーっ、と舌を出して、近頃すっかり癖になった悪態をつき、ミカはばたばたと家へ駆け戻って行く。イダルはしょんぼりと肩を落とした。


「やれやれ、すっかりわがままになってしもうたのぉ」

「ミカはいい子ですよ。うまく言葉にできないだけで、イダルさんのことも、僕のことも、大事に思ってくれているのはわかります」

「それはまあ、そうなんじゃが」


 結局、爺馬鹿のイダルである。と、そこでユランは匂いを嗅ぎ付け、川の方に目をやった。つられてイダルも振り向く。水を汲みに来たらしい、両手に桶を持ったサダン少年と目が合った。

「…………」

 無言のまま、少年はぺこりと頭を下げる。そうして水を汲み、土手を登って向こう側へと戻っていく。ユランは複雑な思いでつぶやいた。


「変わりましたね」


 うむ、とイダルも唸った。サダン少年も十五歳。何かと突っかかっていたのが嘘のように、近頃はめっきり寡黙になった。イダルは顎髭を引っ張りながら、渋い顔でつぶやく。


「あいつも、そろそろ嫁取りじゃが……」


 しかし、の後は続かない。ユランも黙って家を見やった。この辺りでサダン少年の嫁になれそうなのは、ミカ一人だ。実際に嫁入りするのはまだ六年から七年は先だろうが、他の女児はミカよりさらに幼いか、さもなくば既に相手が決まっている。


(やっぱり、そうなるよね)


 ユランは諦めと共に小さくため息をついた。

 ミカの最近の口癖は、「じぃじ嫌い」ともうひとつ、「ユランのお嫁さんになる」であった。むろん惚れた腫れたの話ではない。手仕事が下手で何か失敗したり、はしたない言動を咎められた時に、ユランと結婚するのだから構うものか、と言い訳代わりに使っているだけなのだが、それでも幼いなりの本気が少しばかり感じられる。


「まぁ、まだ先の話じゃで」

 イダルがごまかしたので、ユランも「そうですね」と同意しておいた。

「また、よそから誰か来るかもしれませんし。僕が来て、ツォルイさんが来て、ヨギさんが来たから、次は女の人かも」


 冗談めかして言い足し、イダルを笑わせてから、ユランは気を取り直して畑仕事に向かった。


 ユラン自身はまだ、そうした事柄に心が向いていない。だが里ではよほど何か事情がない限り、誰もが伴侶を得て子を生す。決して子孫を絶やさぬように、関の守りが揺るがぬように。夫婦の営みはごく当たり前の良いこととされ、子らは里の皆で分け隔てなく慈しみ育てる。


(僕も、里にいたら誰かを好きになったかな)


 幼馴染の幾人かを思い出し、少し甘酸っぱい気分になる。女児も男児も一緒くたにころころ転げまわって育つから、つがいの相手として意識したことなどなかったが、もしずっと里にいたら、あの中の誰かを伴侶にしたいと思っただろうか。


(……でも、駄目だよね。僕みたいな臆病者、誰も選ばないに決まってるもの)


 戦えない弱虫と子を生したがる物好きがいるものか。いまさら里に帰ったところで、居場所などないに決まっているのだ。

 そう思うと悲しくなって、ユランはそっと目元を拭った。


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