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五章 守るということ

 薬草採りはそれからしばらく、イダルの家に滞在した。

 結論から言えば、これはと驚くほど稀少な薬草は見付からなかったが、この辺りの土と厳しい気候のもとでこそ生える草木は豊富にあったのだ。


 ヨギは約束通り、採りつくしたり枯らしたりする心配のないように気を使って、薬効のある葉や樹皮やあれこれを採取した。そして、納屋で筵に広げたり、束ねて吊るしたりして乾かしながら、これは熱さまし、これは傷に塗る血止め、とユラン達に教えてくれた。


「こんなに長逗留して、何も支払わないわけにはいきませんからね」


 ヨギは気前よく言って笑った。最初は貨幣を渡そうとしてくれたのだが、なにせこの辺りではカネなどあってもほとんど使えない。店もなければ商人も来ない、自給自足で物々交換だから、貨幣も小石と変わらないのだ。

 それだけでなく、彼は根ごと採取してきた株や苗を、畑の隅に植えたりも始めた。




「おい、よそ者。何やってんだ」

 ずっと様子を窺っていたサダン家の少年が、ついに好奇心に負けて近くまでやって来た。土を掘っていたユランとヨギは揃って顔を上げる。少年はいつもの仏頂面で、偉そうに仁王立ちしていた。

 ヨギは気を悪くした風もなく、また作業を続けながら答える。


「山から採ってきたものをここで育てられないか、試しているんだよ。うまく根付いてくれたら、わざわざ山奥まで行かなくても薬草が手に入るだろ?」

「そんなことして、どうするんだよ。畑を放り出して、よそまで売りに行こうってのか」


 馬鹿にした口調で言いながらも、言葉尻に微かな不安が滲む。その気配を嗅ぎ取ったユランはちょっと首を傾げて訊いた。


「買ってくれるようなところって、この近くにあるんですか?」

「ねえよ、馬鹿!」

「それじゃあ、売りに行けませんね。僕はずっとここにいますけど、イダルさんがあんまり長く留守にしたら、畑ぜんぶと薬草の世話までは手が回らないし、ミカが可哀想だもの」


 いなくなったりしないから大丈夫、と安心させるようにうなずいて見せる。サダン少年は頬を紅潮させて怒り顔になったが、本当に腹を立てたのでないことは、ユランにはわかっていた。

 サダン少年もミカと同じ、人がいなくなることを恐れているのだ。人がよく死に、新たな子供が少ない環境で育ったせいで、いずれ大人達から順に死んでいって取り残される不安を常に感じているのだろう。


 ヨギはしゃがみ込んで土いじりに集中したまま、のんびりと言った。

「まあ、売り物にはできなくても、この辺りの家に常備しておくぐらいの量を作れたら、君達も助かるだろう。お隣さんまでこう遠いと、具合が悪くなったり怪我をしたりして動けなくなったら、助けも呼べないからねぇ」


 なにげなく言われたことに、サダン少年はぎくりとした。しばし黙って、爪先で足元の雑草を踏みにじる。


「……腹下しも」

「うん?」

「腹下しに効くのも、あんのかよ」

「あー、下痢止めかぁ。黄連の根が効くんだけど、種から育てると収穫まで何年もかかるからなぁ。木陰によく生えてるから、ちょっとずつ採って備蓄しておくのがいいんじゃないかな。烏柄杓もいいけど……そうだ、明日は君も一緒に山へ行かないかい?」


 ヨギが気安く誘う。サダン少年はぎょっとなって怯み、次いでそんな反応をごまかすように、大声を上げた。


「いらねえよッ! 余計な世話だ! 薬だなんだってって、どうせ上手くいかないにきまってらァ! さっさと都へ帰れ!!」


 理不尽な罵詈を投げつけて、少年はぱっと身を翻して川の方へと駆け戻っていく。飛沫をはね飛ばして向こう岸に渡り、それでもまだ足を止めず、すっかり姿が見えなくなるまで走って行ってしまった。

 住民の性格や事情など知らないヨギは、ぽかんとなって目をぱちくりさせている。ユランは手についた土を払い、なんとなく恐縮しながら説明した。


「サダンさんちのお爺さんが、時々おなかをこわすんです。しばらく前に、なかなか良くならなくて心配したことがあって。だから本当は、お薬が欲しいんだと思うんですけど……効かなかったらどうしようとか、いろいろ考えちゃって怖いのかもしれません」


 根が臆病なユランは、この頃はサダン一家、とりわけ少年の心情が、憶測できるようになっていた。聞いたヨギも曖昧な顔で、ぽりぽりと頬を掻いた。


「あぁ……うん、まあ、田舎の方をまわってると、なかなか信じてもらえないことも多いから、わからなくもないね。この草のここの部分を乾かして煎じて服んだらいいですよ、と言っても、頭から信じてないから一向に試してくれなかったり……ちょっと効きが遅いとやっぱり駄目だって捨てられたりしてねぇ。たまに体に合わなくて吐いちゃったりされたら、もう大変だよ。人殺し呼ばわりされて、ほうほうのていで逃げ出したこともある」


 頬に砂をつけたまま、はぁ、と深いため息をつく。ヨギのそんな様子を、ユランはつくづくと眺めて問いかけた。


「ヨギさんは、どうしてそこまでして旅をしているんですか? 薬草だって、こんなところまで来なくても、都の近くで手に入るもので賄えるでしょう。まぼろしみたいな霊薬とか、そういうのを探しているんですか?」


 すぐには返事がなかった。ヨギは「んー」と唸ってゆっくり立ち上がり、あちこちばきばき鳴らしながらうんと伸びをする。山を見やり、閑散とした風景を眺め渡し、空を仰いで。

 それからやっと、彼はユランに向き合った。


「都にね、守りたい人がいるんだよ」

「……都に?」


 ユランはよくわからないという顔をして、首を傾げた。つぶらな琥珀色の目をぱちぱちとしばたたく。どうして、守りたい人が都にいるのに、それを置き去りにしてこんな鄙辺まで。

 疑問を顔に浮かべたユランに、ヨギは気恥ずかしそうな苦笑を見せた。


「その人はね、薬種問屋のお嬢様なんだ。わたしなんかは、遠くから眺めるだけでめったに口もきけない身分なんだけど、たまたま何度か言葉を交わす機会があってねぇ。とってもお優しくて、きれいで、素敵な方なんだよ」


 栗色に日焼けした顔でもわかるほど赤くなって、ヨギは天を仰いだ。美しいお嬢様の面影をそこに探すかのように目を細める。


「ただ、お体が弱くてね。よく寝付いてしまわれて、外出もままならないほどなんだ。家が薬種問屋だから、それこそ滋養強壮に良いものには事欠かないんだが、それでも人並みに健康にはなれなくてね」

「だから、お嬢様のために良い薬を探しているんですか」

「はじめはそうだったよ。でも、万病に効く霊薬だとか、そんなものが簡単に見付かるはずもなくてね。がっかりして、都に帰る度に申し訳なくて顔を合わせづらくなって。もうこんな無駄足ばかり踏むのはやめて、都に留まってせいぜいお嬢様の慰めになるものを差し上げるとか、些細な御用の使い走りでもなんでもして、少しでもおそばで役に立つ方がいいんじゃないかと思ったよ。実際、お嬢様にもそう申し上げたんだ」


 ヨギはそこで、その時のことを思い出して苦笑しながら首を振った。再びユランに向き直った時、彼の表情は今までになく真摯なものになっていた。


「そうしたら、お嬢様がおっしゃったんだよ。自分はこんな裕福な家に生まれて、滋養のあるものを食べ、働かずとも寝て暮らせるのだから、体が弱いことも少し不自由なだけで、まったく不幸ではない。けれど、もし貧しい家に生まれていたら、つらく苦しい暮らしを経て早くに死んでいただろう。だからそういう人達を助けてあげてほしい、霊薬などなくてもいい、ありきたりの薬でいいから、貧しくとも手に入るようにしてあげてほしい、と……そんな風にね」


 予想もしない話を聞いて、ユランはしばし呆然とした。

 なんという、気の遠くなるような話だろうか。ユランは帝国の地理を詳しくは知らない。里の東、険しい山々と大峡谷を越えた向こうにあるという広大な平原、その全部が『弱きもの』たちの国だという話は聞いていても、それがどれほどの広さであるのか具体的にはまったく。

 それでも、地平線なるものを初めて目にした時、とにかく広いのだ、ということだけは実感した。

 そんな帝国の端から端まで、隅から隅まで、ユランから見れば頼りなく弱い足で、てくてく歩いてまわる。先々で無理解や疑いに難儀させられても、諦めずに。


「すごいなぁ」

 自然と讃嘆が口をついた。

「ヨギさんは、お嬢様の願いを代わりに叶えているんですね。……でも」

「でも?」

「……寂しくないですか?」


 感心すると同時に、だからこそ訊かずにはおれなかった。あの、山にも丘陵にも遮られることなく、遙か彼方にまで続いている地平線。都はその向こうの、もっとずっと遠くだろう。大切な人と、そんなにも離れてしまうのに。

 悲しそうな気遣いが、ユランのつぶらな両目に浮かぶ。ヨギは苦笑して、ふかふかした茶色の頭を撫でた。手についたままの土が毛につき、おっと、慌てて袖口で払い落とす。


「君がそんな顔をしなくても、わたしは大丈夫だよ。そりゃあね、寂しくないとは言わないさ。もしわたしがお嬢様の婿になれたなら、どこへも行かずにずっとそばに寄り添っていたいよ。でも実際には、わたしはそんな身分じゃない。だったら、わたしはわたしにできる一番いい方法で、お嬢様をお助けしたいと思ったのさ」


 そこで彼はいったん言葉を切り、己に対するように、ゆっくりと深くうなずいた。


「大切な人を守る方法は、何もずっとべったり一緒にいることだけじゃない。離れていてこそ、果たせる志もある。そういうことだよ」


 静かで力強く、揺るぎない声だった。

 ユランはぎくりと竦んだきり、何も言えなくなって沈黙した。


(一緒にいるだけが、守ることじゃない)


 もしも婿になれるのなら別だが、そうではない。どのみちずっと一緒にはいられない。だからこそ、自分が採り得る最良の道を。

 ヨギの言葉はユランに動揺をもたらした。ミカが寂しくないように、ミカを守れるように、ずっとそばにいる。それが『最良の選択』ではないように思われて、ユランは無意識に手を胸に当てた。


 そうだ。ずっと一緒にはいられないだろう。ユランがずっとここで暮らすことに決めたとしても、ミカを取り巻く環境は変わる。

 イダルはいずれ老いてこの世を去るし、ミカは大人になって誰かのところへ嫁入りするだろう。隣のサダン少年ではないと思いたいが、そうでなければもっと遠くへ行ってしまう。嫁ぎ先にまでついて行けはしない。

 否応なく別れが訪れた時、ただとにかく身近にいるだけを目的として共に暮らしてきた者が、いったい何をはなむけに差し出せるだろう。そして何がこの手に残るだろうか。


「僕は……僕には、何ができるだろう」


 ユランはうつむいて考えながら、ぽつりと独りごちる。ヨギが優しく応じた。


「なぁに、そんなに気負わなくても、求められることをこなしていけばいいさ。いずれ自分から動き出す時機がやってくるよ。というわけで早速ひとつお願いがあるんだ」


 いきなり茶目っ気を出して身を乗り出したヨギに、ユランはぎくりとして思わず後ずさる。ヨギはおかしそうに笑い、おいでおいでと手招きした。おずおずと戻ってきたユランに、ヨギはこそっとささやく。


「君、本当は山の神様のお使いじゃなくて、虎狼族だろう?」

「知ってるんですか?」


 ユランが正直に目を丸くしたので、ヨギは笑いだしてしまった。


「知ってるっていうか、言い伝えとしてはそれなりに有名だからね。西の果てでは、鋭い牙と爪で敵を引き裂く、虎狼のうからに気を付けろ……って」

「そうなんですか? 僕らは自分達のこと、そんな風には呼びませんけど」

「ああ、そうだろうね。あくまでこれは、人間側の言い伝えだから。それはいいんだが、ともかく君は『犬神様』と言うには、あんまり神様らしいことをしていないから、ひとつわたしに手を貸してくれたら、お互いにとっていいと思うんだ」

「……?」


 人間であれば不審を抱いて警戒するところだが、ユランはただ、きょとんとして首を傾げた。相手から特段、危険な匂いがしないからだ。案の定、ヨギは悪戯っ子のように続けた。


「わたしの薬を、君がこの辺りの人達に教えてほしいんだよ。山の神様が教えてくれた、ってことにしてね。わたしが言っても、さっきみたいに反発されるかもしれないし、疑いながら服んだら、どんな薬も毒にされてしまう。不味いとか、効き目が緩やかだとかいうだけでもね。だから君が、わたしの教える薬草をひとつかふたつだけでもいい、しっかり覚えて、きちんと加工して薬にして、誰かの具合が悪くなったら服ませてあげてくれないかい。犬神様のお薬となったら、効き目は抜群だろうと思うよ」


「そんなこと、僕にできるでしょうか」

「できるさ! 君にはわれわれ人間の及びもつかない鼻がある。薬草を見付けたり、乾燥の具合なんかを見極めるのも精確だろうさ。それに君だって、ミカが具合を悪くした時に、きちんと看病できるほうが嬉しいだろ?」


「もちろんです」

 即答し、ユランは一呼吸置いてうなずいた。

「教えて下さい。僕、頑張ります」


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