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HelleN! -愛情よりも大切な-  作者: パンダらの箱
「愛情よりも大切な」編 vs味覚破壊
8/98

嬢の用事 -五つの味が行き着く先は 2-

 それからの流れは実に順当であった。塩谷が質問に対し、自分は普段購買でパンなどを買って食事しているからまだ食べてないと返答をすると「でしょうね」という返事が返ってきて、それから多少の会話を挟んだ後に状況は大きく変化する。

 辛籐はどういうわけか弁当箱を一つだけ鞄から取り出し、それを塩谷に渡してきたのだ。


「え、何これ?」

「見てわからないのですか? お弁当ですよ。あげます。どうぞ」

「えっ、何で?」


 当然、塩谷は困惑するが、辛籐の方は


「他人の家のお弁当が気に入りませんか? まあ、私もその類ですよ。なんか嫌ですよね。でも安心して下さい。そう思って、お弁当箱は新規に購入したものを使いましたし、中身はうちの店で売っているお弁当のものとほぼ一緒です。これなら文句ないでしょう?」


 と、少しずれた返答をしてくる。


「いやいやそうじゃなくて、何で僕に? というか用件は?」

「まあまあ、詳しい話は昼食後でもいいでしょう。それとも、気に入りませんでしたか?」

「いや、そんな事はないけどさ……」

「そうですか、嬉しいです。なら、どうぞ」

「う。うん……」


 結局、詳しい事は何もわからぬまま彼は辛籐の勢いに押し負け、この調理室で弁当を食べることになった。


「と、とりあえずありがとう」


 塩谷の前には、上品な焦げ茶色で彩られた長方形の弁当箱が置かれていた。それも二段重ねである。たしかにそれは新品らしく汚れや傷が見当たらない上に、全体の茶色もどこか色鮮やかに見えるようなものであった。

 そして弁当箱の先にある席には、辛籐が笑顔で座っていた。どういうわけか彼女の分の弁当は無いらしい。塩谷は色々と疑問を浮かべては、答えが出ずに悶々とする。


「いや、でも、こうして貰えるのは嬉しいけど、本当に何で……? というか、僕が弁当を持ってくるという可能性は考えなかったの?」

「そうですね。まあ、気にしないで下さい。一品食べきるたびに一つずつ質問に答えていきますので」

「……? どういう事? ていうかそれ以前に、何で僕の分だけなの? 辛籐さんの分は?」

「えっ。私?」

「えっ。そんな意外な質問だった?」


 塩谷としては至極当然な質問をしたつもりだったのだが、辛籐は明らかに素の顔で驚いていた。まるで普段あまり聞かれないような事を聞かれたような、意外そうな表情と声。塩谷にはよくわからない事だが、どうやら彼女には驚くだけの理由があったようだ。

 そんな反応をされてしまうと、どうにも気になってくるのが人の性だ。だが塩谷が野次馬根性を見せる前に、辛籐はあっという間に表情を切り替え、いつもの余裕ぶった顔に戻って自ら説明を始める。


「そういえば、貴方にはまだ説明していませんでしたね。すっかり話したつもりになっていました」

「だから天川さんといい、何で説明した気になってるのさ。そもそもそれ以前に僕らそこまで会話してないよね?」

「いえ、私自身が最近そんな質問をされる機会がめっきり無かったので、ついつい説明を忘れてしまった、という意味ですよ。実は私、人と一緒に食事が出来ないんです」

「へえ、そうなんだ。珍しいね」


 少なくとも、そんなタイプは塩谷の人生の中で他に居なかった。

 が、しかし、そういった人間が居てもおかしくは無いと彼自身思う。理由にもよるが、確かに人と一緒に食べる事によって生じるデメリットだって存在するわけだ。

 人の食べる音が気に食わないだの、話しながらだと食事に集中できないだの、理由ならいくらでも想像がつく。

 だから、ここまでは塩谷も納得していた。問題は彼女の次の台詞である。


「えっ、そんなに珍しいですか? まさか! いますよ普通にそういう人!」

「うわっ、急に何さ?」


 辛籐が身を乗り出し、眉間にしわを寄せながら大声を上げる。凄い剣幕である。

 塩谷は驚いて若干後ろに引いてしまうが、その様子を見て辛籐も反応が大きすぎたことに気が付いたようで、一瞬恥ずかしそうな顔を浮かべて席に戻る。


「す、すみません……少し取り乱しました。でも、居ますよ。そういう人は居ます。私の短い人生の中でも何人かいましたから」

「何人かって、それは珍しいって事なんじゃ……? 僕は見たこと無いし」

「何を言っているんです。居ますから。恐らく貴方が気がつかなかっただけで、無理してみんなと食べている層は必ずしも存在しているはずです。ひとクラスに必ず一人はいるタイプというのは、珍しいとは言われないじゃないですか。あれと同じです」

「は、はあ……」


 あたかも、かつてそういう層と関わっていたかのような言い分だ。

 過去に同類とでも出会っていたのだろうか。塩谷は邪推するがそれらはあくまで想像でしか無く、結局明確なビジョンをもたずに消滅していく。真の答えを得るためには辛籐に聞くのが一番いいのだが、彼としてはあまり踏みいるべき領域では無いと判断する。

 だから気になるところだけを聞いて、会話を打ち切ることに意識をまわす。


「んー。良く分からないけど、とりあえず何で誰かと一緒に食事したくないの?」

「決まってるじゃないですか、私は料理人ですよ。横に居る人の食事のクオリティの低さや、食べ方の荒さにどうしても腹が立ってしまうんです。だから私は中学高校と食事を持参した事がありません。何も見ないようにずっと寝ているか、外でゆったり黄昏れてました。貴方もわかるでしょう?」

「いや、だったら僕に弁当を持ってきたのは何でなの? それに、それなら辛籐さんの弁当だけが無いってむしろおかしくない?」

「あっ」


 辛籐の目が見開かれ、口の形が笑顔で固定される。これほど「あっ」という音が似合う顔も珍しいぐらいだ。少し前までならこれだけで通っていたはずの言い訳が、今回は状況が違うせいで通用しないという事実に気が付き“驚いて”いるかのような顔だ。

 四秒ほどの硬直。驚愕の表情。その過程を経て、少女は息を吹き返すように復活する。


「……いえ! 分かってないですね。自分が他人をそういう目で見ている以上、今度は人目が気になってくるんですよ!」

「へえ。なるほど」


 よく見ると、彼女は柄にもなく汗をかいていた。


(あれは、熱さのせいなのかな……それとも焦りのせいだったり? でも、何を焦って……?)

「とにかく、今はその話はいいじゃないですか! ……お昼休み、終わってしまいますよ。早く本題に入りましょう!」


 辛籐は、塩谷の思考を中断させる勢いで食事を促してくる。何故か耳まで真っ赤になっていた。

 先ほど彼女が『一品食べきるたびに一つずつ質問に答えていきますので』と言った以上、これは食べろという事なのだろう。

 塩谷もまだまだ聞きたい事があったが、彼女の必死そうな顔に気押されてしまったのと彼自身早く本題に入りたいというのもあり、ともかくここは賛同する事にする。


「まあ、いいよ。わかった」


 何はともあれ、最近有名な料理店の弁当をお昼休みに食べられるのは嬉しいことだ。加えて、それが思惑のわからない相手とはいえ一応女子からの弁当である。

 今までの塩谷の人生にそんなイベントは無かったため、これは素直に嬉しかった。

 もちろんこの後に何か請求される可能性もあるわけだが、彼女がここでそんな事をする意味はないはずなので、おそらく安全だろうと判断する。だいたい知人に弁当を作って渡しておきながら何かを請求するなんて話、少なくとも塩谷は聞いたことが無かった。

 そもそもそれ以前に食事を目の前にして冷静にしていられるほど、塩谷始音は料理に対する関心を無くしきれてはいなかった。彼は期待を込めて一段目の蓋を開ける。


「おおっ」


 そこには複数のおかずが結構ぎゅうぎゅう詰めで入っていた。いくつかのアルミカップや野菜が下に敷かれてあるこの弁当は、オーソドックスでありながらもそれなりのボリュームを誇っていた。

 塩谷が店で頼んだものと同一のエビチリや春巻き、その他にもシュウマイや付け合わせの野菜類、そして春雨や中華風肉団子など、それなりに多い品がところ狭しと弁当箱の中に詰められている。常温ではあるものの、空腹気味の昼休みにこれは素直にありがたい。

 二段目を見てみると、そこには白米の代わりにチャーハンが詰まっていた。これも彼には嬉しいサプライズであった。

 これでご飯含めて七品だ。一品ごとに質問していいのなら、これで七回までは質問可能ということになる。

 けれども塩谷はひとまず食事内容に満足し、その思考を後回しにする。


「おお、普通にうまそう。なんかよくわかんないけど、ありがとう。それじゃあ、いただきます!」

「ええ、食べるというなら、お好きにどうぞ」

(えっ、何その反応……? まあ、いいか)


 辛籐にどういう思惑があるかはわからないが、塩谷の心は普通に弾んでいた。

 まずはエビチリを箸で取り、口に運ぶ。咀嚼。何度も噛み、その味を口の中全体で味わう。やはり店で食べたのと比べて、常温のせいもあり味は落ちていた。

 しかし熱が無い分味がよくわかり、これはこれで美味しく食べることが出来た。それから仄かに赤いチャーハンを一口食べる。ピリっとした辛味が舌を駆け、口いっぱいに味が広がる。これはこれで悪くなかった。

 塩谷はもう食べることに夢中になっていた。次々におかずやチャーハンへと箸を伸ばし、黙々と食べる。彼は「これが市販ならいくらするのだろうか」だなんて事を考えながら、予想最低額七百円の弁当を貪り続ける。

 彼はすっかり約束も忘れ、一品二品と食べきる。それを見ていた辛籐がどんどん笑顔になっていくのにも気づかずに。

 そして彼が三品目であるシュウマイの味を反芻している時だった。辛籐が口を開いた。


「さて、と。塩谷さん」

「ん、何?」

「とりあえず、一口でも食べましたよね」

「えっ? 何、弁当を?」

「ええ。ちゃんと噛んで、呑みこみましたよね?」

「う。うん……」

「そうですか。本当に、食べたんですね。よかった」

「……?」


 よくわからないが、不穏な空気を見せる辛籐。

 塩谷も何かを感じ取り、最近非常に回数が増えた冷や汗をにじませる。

 彼は一旦箸を置き、少女に視線を向ける。すると偶然目と目が合う。大きく、硝子細工のような辛籐の目。完成された造形美を感じるが、人間的な感情を感じさせない目だ。塩谷には、眼の前の辛籐が急に人間では無い何かに感じてくる。そう、人形か何かのような不気味さを感じたのだ。

 だが彼は臆さず、勇気を振り絞って口を開く。


「そっ、そういえば、今のでシュウマイ食べきって三品消化したけど、これって三つ質問していいってことだよね?」

「ええ。どうぞご自由に」

「まず最初に、どうして僕をここに呼んだの?」

「だから言ったじゃないですか。貴方に話があるんですよ。残り二回ですね」

「む。じゃあ次、何で僕に弁当なんて作ってくれたの?」

「いえ、特に深い意味はありません。貴方が購買御用達ということは事前のリサーチで把握していましたからね。あと。ここまで食べたのだから、何があろうと最後まで食べきって下さいね。それはもう貴方の食事なんですから。ただ、食べきるまではここに居て下さいよ」

「えっ、ああ、うん」

「ちなみに当たり前のことですが、正直余った料理を詰めただけなのでもう誰の手料理かもわからない状態です」

「……そっか、いや、冷静に考えてそうだよね……じゃあ次ね。話って?」

「ふう。ようやく本題に入れますね。いやあ長かったです。いつ聞いてくれるかと結構ヒヤヒヤしましたよ」

「じゃあもったいぶらずに最初から言おうよ」

「それじゃあ、ちゃんと聞いてくれないかと思ったんですよ。それに。獲物はじわじわ弱らせてから食べる主義なんですよ。私はね」

「……!」


 彼女の嗜虐的な笑みに、思わず身体を硬直させる塩谷。

 しかし、何にせよこれでようやく本題だ。

 彼的には七つも質問枠は不要だった気もするが、それは黙っておこうと自制する。


(それにしても、まるで用事が想像つかないなあ)


 塩谷が思う通り、辛籐が彼にする話の内容など脈絡が無さ過ぎて想像もつかなかった。

 彼は、とにかく天川の時のように強引な勢いに負けるのだけは避けようと決心を固め、肉団子を口に含む。濃い味付けが、いい具合にしょっぱくて好みの味であった。それをチャーハンで喉奥に流し込み、辛籐の出方を待つ。

 辛籐は、笑顔でこちらを見るばかりで何も発言しない。焦らしているのかわからないが、ひとまず辛抱強く待つ。

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