第六十五話:結理の誕生日(前編)
『……り、結理』
(誰……?)
どこからか呼び掛けてくる声に、疑問に思いながら、誰が呼んでいるのかと、結理は周囲を見回すのだが、そこには彼女以外に誰もいなかった。
だが、聞き覚えのあったその声が誰だったのかを思い出した結理は、先程から誰が自分を呼んでいたのかを理解した。
『結理、誕生日おめでとう』
『ありがとう。あと、結兄も、誕生日おめでとう』
『ああ、ありがとうな』
『結兄』という懐かしい呼び方に、「ああ、そうだ」と、結理は気づく。
今いるこの場所はーー
「夢、か……」
目覚めたのと同時にそう呟きながら、結理が身体を起こせば、火属性魔法で暖房(みたいなもの)を起動させる。
そして、冬休みに入ったということもあり、学院指定の制服ではなく、ほとんどイメージカラーと言ってもいい、黒の私服へと着替える。
(この年でホームシックとか、笑えるなぁ)
さすがにまだ大丈夫なつもりだったせいか、夢の影響か、息を吐き出すのと同時に、一度両手で顔を覆う。
「わざわざパーティーのためだけに部屋まで用意しなくても、言葉だけで良かったのにね」
「ですが、皆さんは主を祝いたかったんだと思います」
誰かに言ったつもりもないのに、返事があったことに驚いて振り返れば、今の自分と同じ、全身真っ黒な青年がそこにいた。
(いつの間に……)
『召喚札』を使ってもなければ、自動的に起動したわけでもない上に、気配も結理は感じなかった。
そもそも、目の前の青年は、普通の召喚獣とは違うから、今のようなことが起きてもあまり不思議ではないのだが。
「ありがとう。ノワール」
だが、彼なりに励まそうとしてくれたのだろう。
とりあえず、感謝の意を示せば、真っ黒な青年ことノワールは笑みで返してくる。
(けど、寂しいのは変わらないんだ。いつも一緒にいた奴が隣にいないっていうのは……)
おそらく、その点については向こうも同じなのだろう。
そして、今まで以上に片割れの不在というのが気になるのは、きっと今日がいつも一緒に祝っていたはずの誕生日だからだろう。
☆★☆
「何で誕生日を祝おうってのに、主役がぼろぼろなのよ」
「まあ、いろいろと……」
部屋を出てみれば、ちょうど迎えに来たのか、朱波が目聡く結理の変化に気づく。
だが、結理も結理で、誕生日パーティー前だというのに、軽くホームシックになっていたなどと言えるはずもなく。
そのため、こんな曖昧な言い方になってしまったのだが、どうやらそれが駄目だったのか、朱波が疑いの眼差しを結理に向ける。
「いろいろ……? まさか、どっかに情報収集とかしに行ってたんじゃないでしょうね?」
「大丈夫。それは無いから」
「本当に?」
「本当だから」
ね、と結理がどこか困ったような表情を浮かべれば、朱波は溜め息を吐いた後、心配そうな顔をして言う。
「無理だけはしないでよ」
「分かってる」
本当に? とそれでもどこか心配そうな、疑うような表情の朱波に、結理は本当だから、と頷き返す。
(大丈夫……)
新年も近いのだ。誕生日パーティーが終わったら、さっさと気持ちを切り替えて、新年の準備に取り掛からないと、と結理は思いつつも、いくら気持ちの切り替えが早い自分でも、果たして思うように切り替われるのだろうか、と一瞬そんな不安が過る。
だが、それでも自分に言い聞かせるかのように、そしてーー目の前にいる友人を心配させるわけにもいかないから、と一度小さいながらも深呼吸し、気持ちを落ち着かせる。
「二人とも、こんなところにいたの?」
「詩音」
「と、姫様?」
自分たちを捜していたのか、駆け寄ってきた詩音とシルフィアに、珍しい組み合わせだと思いながら、二人は不思議そうな顔をする。
「というか、何で主役がぼろぼろなの?」
「私のせいじゃないわよ? 私と会ったときには、すでにこうだったから」
やはり、詩音も気になったことは同じなのか、私は何もしてないから、と朱波が返す。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫……」
というか、シルフィアにまで大丈夫、と聞かれているという事は、彼女にも今の結理の様子がいつもとは違うのだと、言われているような気がして、結理は苦笑いする。
「ほら、早くパーティー会場に案内してよ。そのために、みんなして呼びに来たんでしょ?」
それを聞き、三人は顔を見合わせる。
料理担当であるはずの朱波がこの場所にいる時点で、おそらく準備自体はもうすぐ終了するか、すでに終了しているのだろう。
「あー……うん、そうだね」
何とも歯切れの悪い朱波に、結理は何となくで察した。
「じゃあさ、まだ時間があるのなら……」
結理の提案に、微妙な表情をする三人だが、パーティー会場となる一室に近づけさせないようにするためには、彼女の提案を飲むしかない。
「分かった。行こう。でも、廉たちには連絡させて」
そして、そう告げた朱波が、契約精霊であるシルフィードの分身を廉たちの元へと放たせる。
「それじゃ、勉強会にレッツゴー」
「何で勉強会でノリノリなのよ、あんたは!」
何故か上機嫌で言う結理に、朱波が変だから、と言いたげに突っ込む。
さて、少し補足するとすれば、結理の提案というのは、「勉強会をしよう」というものなのだが、その内容としては、学院側から出された冬休みの宿題の片付けだと言った方がいいのだろう。
「朱波、諦めなよ。それに、勉強会をするのなら、宿題を部屋へ取りに行かないと」
もう諦めて、一度勉強会しよう、という詩音に、シルフィアが同意するように、うんうんと頷く。
「ったく……」
二人の意見を聞き、朱波は溜め息を吐く。
「ただし、昼食過ぎても、やるのは三時までだよ?」
それに対し、結理は了解の意を示すのだった。
☆★☆
「で、何でいるんですか」
「ふん、シルフィアに呼ばれたから来ただけだ」
「あっ、そうですか」
時刻は午後三時。
朱波たちの案内でパーティー会場となる一室へと来たところ、何故かいたクラウスに問えば、シルフィアに呼ばれたから、と返してきた彼に、特に興味もないかのように結理は返す。
「お、お兄様もユーリ様も、喧嘩しないでください……!」
結理とクラウスのやり取りを見て、慌ててシルフィアが仲裁に入る。
「喧嘩って……」
「単なる言い合いだが、フィアには喧嘩に見えたんだな」
「大丈夫ですよ、姫様。喧嘩はしてませんから。会話をしてるだけですから」
シルフィアの言葉に反応した二人が、彼女を宥めるように言う。
まあ、会話と言っても、短いものだが。
「なら、いいのですが……」
どうやら、シルフィアも納得したらしい。
だが、それを見ていた朱波が、ちょっと、と結理を呼び寄せる。
「で、結理。着替えろって言ったのに、何で着替えてない上に着てないの?」
「着れるか。完全にこの前の改造服じゃない」
この部屋に入る前ーーというか、近づく前に、朱波は主役なんだから、とドレスに着替えるように言ったのだが、結理は着替えることなく、黒の私服のままだった(とはいえ、紺色のジャケットに黒の長袖Tシャツ、白のスカートと黒のニーソックスという見た目なので、全体的に真っ黒というわけではない)。
なお、結理が返したこの前の、というのは、後夜祭の時のことである。
「否定はしないけど、さすがに丸々、同じというわけにもいかないからさ。全体的なデザインを担当したのは詩音だけど、作ったのは私だしね」
一応、デザインやサイズの確認はしたのだが、主役だからと自分だけドレスなのもどうかと思うし、恥ずかしいというのが、結理の感想である。
そして、そんな彼女の気持ちを分かっていたからこそ、朱波たちも今すぐ着替えてくるようにとは言わないのだ。
それに、このドレスなら、他のパーティーへ出席するときにも着ることが出来る。派手過ぎず地味過ぎず、作った朱波たちがそういう雰囲気を知るからこそ、違和感なくその場へと溶け込めそうなデザインだったのだから。
「とことん器用ね。朱波って……」
「それほどでもないわよ」
それに、器用さなら結理も負けてないんじゃないのか、と朱波は思っている。
万能とまでは行かなくても、それなりに器用貧乏な部分は結理にもある。
「それで、男共はどうしたの? さっきから姿が見えないけど」
まだ来ていないらしいレイヤはともかく、廉と大翔、棗の三人が揃って不在なのに気づいた結理が、不思議そうに尋ねる。
「あの三人なら、プレゼント間に合わなかったらしくて、取りに行ってから来るって」
「間に合わないなら、別にいいのに」
「いいじゃん。普段苦労してるんだから、受け取っておけば」
「それは……」
確かに結理は苦労することもあるし、してもいるのだが、そんな事を言えば、朱波や詩音も同じなのではないのだろうか。
「それに、結理は主役なんだから、今から数時間の間はどんと構えていればいい」
分かった? と聞いてくる詩音に、結理は困った表情を浮かべる。
だが、次の瞬間、詩音が身体を震わせる。
「っ、」
「どうしたの?」
「いや、今ちょっと悪寒のようなものが……」
きっと気のせいだ、と言いたげな詩音に、二人が無理しないように、と告げれば、クラウスと少しばかり話していたらしいシルフィアが気づいたのか、駆け寄ってくる。
「何かありました?」
「いや、何もない」
シルフィアにも問われ、詩音は首を横に振る。
あと少しで結理の誕生日パーティーが始まるのだ。嫌な予感がしているとはいえ、余計なことに意識を向けたくはなかった。
(というか、気づいたら駄目な気がする!)
悪寒のようなものの正体を知るのは、結理の誕生日パーティーが終わってからでいいのだ。




