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むこうがわの礼節  作者: Kずき
第一話 逢魔が時の礼節
4/8

4&エピローグ

 

 山の中は日陰になると、一気に暗くなる。森は黒々とした影にしずみ、見上げると木々の間の空ばかりが明るい。何かが潜んでいそうな気配と緊張感がそこかしこにある。


 ――ブンからあんな話を聞かされたからだ。


 日頃は身近に感じる山が、今では余所余所しい。ブンが話してくれた「一声おらび」という化物がすぐそこにもいそうで、気が気ではなかった。


 一人では怖くて歩けなかったかもしれない。そう思えば、後ろからついてくる汗まみれのブンも頼もしく思える。


 今回は道を見失うことなく旧道を降りきる。出口は前回アミが出た道路の二十メートルほど先で、再び山間の集落に降り立つことができた。


 刈り入れの前のたわわに実った稲穂が、金色の海となって迎えてくれる。その景色に今までの緊張が解け、ほっと息をつくと、余計に秋口をむかえた集落が美しく見えた。


「自動販売機ないんかな? 僕、喉カラカラですわ」


「そんなもの、ないほうがいいです。こんな綺麗なところに、そんな無粋なものいらない」


「君、えらいロマンチックやなぁ……」


 ブンとアミは並んで歩き始めた。


 ブンはここへ何かを確かめにきたようだが、それはなんだろう。


 アミはブンの横顔を盗み見ながら、話してくれるのを待った。


 ブンは先ほどからきょろきょろしている。たまに民家の隣を通り過ぎると首を伸ばしていたから、人を探しているのはわかる。


 しばらく歩いていると、前に人影があった。


「あ、あれ」


 アミはあることに気づいて声をあげた。


「ん? どうしたんや? お、やっと人がおった」


「あの人だ」


「なんが?」


「私が声かけて、振り返ってくれなかったお婆さん」


 日よけのほっかむりにもんぺ、それに手押し車。まさにあの時あのまま姿でお婆さんが歩いている。


「そうなの? そりゃ、丁度ええですやん」


「え? なに?」


 いきなり手を引かれる。


「こないだの誤解、解いたらええ。それに実験もできるし。ほら、一声じゃなくて、ちゃんと二声で声をかけてみ。それで振り返ってくれたら、やっぱり一声呼びの信仰が残ってたということやろ?」


「それはそうだけど……」


 一度無視された相手に話しかけるのは、勇気がいるものだ。


「また無視されたら僕が笑ってあげるよって、ほら、いってき」


 押し出されるようにして、アミはお婆さんの背後まで歩いた。


 あの――と声を出しそうになって、慌てて口を噤む。


 ――一声じゃだめ。二声じゃないと。


「もしもし」


 なんだか変だな、と思いながらもアミは二声で呼んだ。


「はい、なんでしょ」


 押し車を止めたお婆さんが振り返る。白いほっかむりの下にあったのは、日焼けして皺だらけになっている、優しいお婆さんの顔だった。


 ほっと胸を撫でおろす。安堵で顔がほころぶと、お婆さんも「こりゃ別嬪さんじゃねぇ。どこからきたん?」と柔和な笑顔を向けてくれる。アミは嬉しくなってこのまま前回の不手際もも謝ってしまおうと思った。


「登山の帰り道なんです。それでですね――」


 アミが、登山、と言った瞬間、お婆さんの顔が凍りつく。


「あんたあ、旧道を通ってきたん?」


「え? ええ。そうです。それが、何か……」


 お婆さんの顔がますます青くなる。それから「そんなことしちゃあいけん」と首を振り、アミの両手をとってギュウと握った。


「今は旧道は使っちゃいけんよ。あんたみたいな子が一人であんな道通っちゃいけん。危ない道じゃけ。よう無事やったねぇ」


 ――確かにあそこは悪路だけど。


 前回、迷ったのもそのせいだ。お婆さんの言うとおり、一人で歩くルートではなかった。けど、それにしたって心配し過ぎじゃ……。


 アミは急に握られた手を見つめ、おろおろした。お婆さんの手は顔と同じように黒くやけており、その中を蛇のよな静脈がはしっている。爪の間には、畑仕事のものか、泥もつまっていた。


「ご心配なく、お婆さん。今日は僕がついとりましたから」


 アミがお婆さんの心遣いに圧倒されていると、後ろからブンが追いついてくる。ブンは「初めまして」と挨拶をすると、お婆さんを連れていってくれた。アミにとっては有り難い。ブンが話してくれている間にほっと息をつく。


 ブンはお婆さんと連れだって歩きながら、アミのことを含めた自己紹介をして、それから前回のアミの不手際を詫びた。


「そうね。あれはこのお姉さんじゃったんねえ。はぁーもう私はびっくりしてから、腰が抜けるかと思ったいね」


「ほんますいません。最近の子はなんも知りませんで、僕も教師してて驚かされますよって。都道府県もよう言わん子がざらで、まいりますわ」


 二人が最近の子供の無知を話題に盛り上がり始めると、アミは何だか居心地が悪くなり、ザックからテルモスを取り出すと、紅茶をついで、ポケットのチューブ蜂蜜を舐めた。喉が渇いていたのも事実だし、お腹がすいてきたのも事実だが、何より二人との距離を空けたかったのだ。


 ――一声がけの禁忌なんて、知るわけないじゃない。


 大体、ブンだって学校では賛成してくれたではないか。今時、一声かけの禁忌なんてものを律儀に守っている人なんていないと思うけど、と尋ねたら、僕もそう思う、て言ってくれたのに。なのに、掌をかえしたようにこちらの無知を笑うなんて。


 今日一日、一緒に行動したことで産まれつつあった親近感を裏切られた気がする。


 アミは気持ちがくさってきて、一層前の二人と距離をあけた。


 隣に流れていた川に橋がかかったところで、お婆さんとは道が別れる。お婆さんはブンに頭を下げ、ずいぶん後ろにいるアミにも手を振って、橋を渡り、やがて見えなくなった。


「なんやの、えらい遅うに歩いて」


 橋の袂で待っていてくれたブンに追いつくと、怪訝そうに言われる。その顔をアミは睨んで、別に、とけんもほろろに返した。


「君、まだ水筒に残っとるの? 僕にもわけて」


「いや」


「なんや、いけず」


 無視して歩き出すと、後ろから「なにむくれてんの」と無神経な声がきこえてくる。アミは黙って歩いた。


 無性に腹がたっていたので、アミの頭からは色々なことがぬけていた。後々考えれば、それがもっとも大事なことだったのに。そもそも、なんのためにここへ来たのか。その大前提を忘れていた。


「ちょっと、待ってよ」


「速すぎるって、ほんま」


「僕、親指、マメが潰れてんのよ?」


 情けない声が散々聞えてくる。


 ――私、なんでこんなしょうもない男に怒ってるだろう。


 ブンの哀れっぽい嘆きをきいていると、腹をたてている自分が馬鹿らしくなってくる。


「あの」


 と声がかかったので、それを切っ掛けに振り向くことにした。


 なに――と言いかけたところで、目の前が真っ暗になる。


「あれに返事をしたら、あかん」


 指。


 ブンの指だ。


 ブンの指が、アミの目元を隠している。


 いつのまにかブンがすぐ後ろにいて、振り返ったアミの掌で包み込んだ。


「振り返ってもあかん」


 身体の向きを戻される。すっと、指がひいて、隣にブンが並んでいるのが見えた。


 ブンの切れ長の目がアミを見下ろしている。


「あの」


 再び声がかかる。ブンではない。


「先生、これって……」


 ブンはただ首をふり、アミに歩くよう促す。


「あの……」


「あの……」


 声は、続く。


 何か、後ろにいる。


 何が。


 一声呼びの禁忌。


 一声で呼ぶ者は、人間じゃない。


 この世の者じゃない。


 逢魔が時の一声呼びには、決して答えてはいけない。


 振り向きたい。


 衝動にかられる。


 振り向いてはいけないとわかっているのに、そう思えば思うほど、身体の自由がきかなくなるほどに欲求がつのる。


「あの……」


 私、呼ばれている。


 呼び寄せられてる。


 それがわかる。


 助けて――アミはブンを見上げた。


「大丈夫、そんな悪いもんじゃない」


 ブンはアミの不安を見透かしたように、微笑んだ。ブンが肩を握ってくれたので、振り返らないですむ。


「今年の春から、旧道沿いに出るんやって」


 ブンが話し始める。


「お婆さん、あれを気にしててんな。君のこともえらい心配しとったで。あれに連れこまれんで良かったって。僕も、きょーび、一声呼びの禁忌にこだわってる人なんてえらい迷信深い人やなぁって、君の話を聞いて不思議には感じててん。だから、もしかしたらなーと思ってな。それで」


 確かめにきた、というわけだ。


 お婆さんが頑ななまでに一声呼びの禁忌を守り続けた、その理由を。


「あれって、なんなの?」


「冬山で大学生三人が吹雪かれて遭難したやろ」


 去年の十二月。地元大学の山岳部三人のパーティーがこの稜線に登った。厳寒期の北アルプスも経験している彼らは、千メートルに達しないこの山を甘く見ていた。


 午後一時。日本海側から雪雲が流れてくるのを確認しながら、パーティーは進行を止めなかった。どころか冬山において厳禁であるはずの午後三時以降の行動も続けた。その直後、吹雪かれ、身動きが取れなくなる。


 この吹雪によって、パーティーは離散。一人は翌日の昼過ぎに自力で山を降りるが、残る二人の行方は捜索隊の手にゆだねられた。


 結局、一人は二日後に凍死体として発見され、残る一人は吹雪かれた遙か彼方の谷で、滑落死しているところをみつかる。最後の一人が見つかったのは、雪が溶け始めた春先のことで、山菜採りにきていた地元の老人によるたまたまのことだった。


「最後の一人は事故にあってから死体を収容されるまで、だいぶ時間があったからなぁ。もう身体から抜けてしまってたんやろ。いつまでも自分が死んだことに気づかんで、家に帰ろう帰ろうとしてるんやろなぁ」


「……」


「ま、今度供養でもしてやったらよろしいやろ。それは僕の専門外やけどな」


 歩き続けたおかげか、声は次第に小さくなり、最後に「あの……」と風のささやきのようになって、もう聞えなくなった。


「もう振り返ってもええよ」


 ブンの手が肩から離れる。その拍子にアミが振り返ると、なにもいなくて、いっぱいのコスモスが山裾に身を寄せあって咲いているのが見えた。


 陽はもう山向こうに沈ずみ、夜が帳をおろしつつある。


「ねぇ……」


 アミは夜風に揺れるコスモスを眺めたまま、聞いた。


「本当に幽霊がいて、私をむこう側から呼んだのかな……」


 何だか、白昼夢をみていたよう。


 さぁ、とブンは答えた。


「それは君が決めることやから」


 エピローグ


 週明けの月曜日は、良く晴れた秋晴れとなった。


 体育の時間、ソフトボールの打席待ちをしていると、並木の影を縫うようにしてブンがやってくるのを見つける。アミはすぐに駆けだした。


「暑いのに、ようやりますねぇ」


 ブンが扇子でバタバタと顔を仰ぐ。その顔はグラウンドを走り回る生徒をみてウンザリとていた。


「先生、あのことだけど」


「友達に話しました? 大受けでしたやろ? それとも嘘つき呼ばわりでした?」


 ブンがニヤニヤと笑う。けれど、アミが「ううん、話してない」と答えると、不思議そうに首を傾げた。


「あら、そう。君ら、そういう話好きそうなのに」


「なんか、話しちゃいけない気がして」


「なんで」


「だって、可愛そうじゃない。後で考えたらね、あの声、寂しそうだった。帰りたかったんだと思う。そんなのを話のネタにするなんてね」


 アミが言うと、ブンは珍しいものでも見つけたように、ほぉ、と唸ってアミをまじまじと見つめた。それから、君は優しいなぁ、としみじみと頷く。


「それに、あんまり先生と一緒にいたことを触れ回らないほうがいいでしょ? 先生も困るのじゃない? 休日に、生徒と個人的に過ごしたなんて」


「個人的って、えらい含みがある言い方しますね、君」


 ブンの顔がちょっと焦る。それを見て、アミは至極満足した。


「ところで先生って何者なの? なんでああも色々と知ってるの? 私、家に帰ってから家族に聞いたけど、誰も一声呼びの禁忌なんて知らなかった」


「僕ね、そういうの、好きなんです」


「そういうの?」


「大層な言い方をすれば、民俗学、言います。一応、学問としてあるんですわ。そのなかでもね、民俗信仰という分野が僕のお気に入りでして。柳田国男(やなぎだくにお)遠野物語(とおのものがたり)とか、ラフカディオハーンの怪談とか、知りません?」


「知らない」


「ま、妖怪とか、幽霊とか、神様とか、そういう類いですわ。土地土地に伝わるそういう話を聞き集めるのが、僕のライフワークなんです。だから地理の高校教師というのは仮の姿ですな。カッコエエでっしゃろ?」


「それ、面白いの? 私も怖い話とか嫌いじゃないけど」


「面白いというかね、知ることが礼儀だと僕は思うんです」


「礼儀?」


「民俗信仰っていうのは、つまるところ、むこう側の世界に対する礼節をまとめたもんです。むこう側なんて、あるかもしれんし、ないかもしれん。でもね、そういうものを信じている人がいる。そういうものを大切にしている人がいるっていうのは確かでっしゃろ? 例えば、魂がそうです。僕らがお葬式をしたり、お墓参りをしたりするのって、肉体がなくなっても残る何かがあると信じるからですやん? その上で、お葬式なり、お墓参りなりにも、それぞれのルール、礼節がある。それを重んじるというのは、魂に対する敬意である以上に、魂を信じている人々への敬意やと思うんです。君かて嫌やろ? 大切な人が亡くなって、最後のお別れの葬式に、ちゃらんぽらんな格好した奴がいて、好き勝手しくさったら」


「それは、嫌」


 ブンが満足そうに頷く。


「君は礼節をわきまえる子やからな。優しい子ですわ」


「なんです、いきなり、そんな言い方……」


「君、こないだの話、友達にせんかったって言うたやん。可愛そうやからって。僕、関心したんですわ。普通、言いますよ。絶対うけますもん。大盛りあがり、昼休みのマイク独り占めですわ。でも、君はそうせんかった。君は亡くなった人にちゃんと敬意をはらったんや。亡くなった人に敬意をはらう、言うのは、その人を大切に思っていたたくさんの人に敬意をはらう、ということでもある」


「家族とかね」


「そう。わかっとるやん。やっぱ、君、えらいなぁ」


 ブンが扇子であおいでくれるのを、アミは「やめてよ」とはらう。からかわれるのが恥ずかしかったのだ。


「死んだ人の幽霊がおるとかおらんとか、そういう不確かなことの前に、彼が亡くなって悲しんでる人は確かにいるわけですから」


「あの人の供養をしてあげるってことが、あの人の大切な人の心の安らぎにもつながるってことね。先生も、優しいじゃない。あれから色々してあげたんでしょ?」


「地縛霊現る、みたいに、変な噂になってからご遺族の耳入ったら悲しいやん? ま、僕がしたことは知り合いの坊主に頼んで、お経をあげてもらっただけです。ああいうのは形だけでもしておいたら、周りのもんも安心しますから。あのお婆さんもえらいほっとしてはりましたわ」


「それで今日は遅刻? 先生も同伴したのね」


「形だけ言うても、形が大事なことですから色々と手間かかりましてん。もうえらい文句言われましたわ。さっきまで教頭に愚痴愚痴言われててんよ?」


 情けない顔をするブンをみて、アミは心のなかが温かくなるのを感じた。


 ふと、自分を包み隠してくれたブンの指を思い出す。


 他はふくふくと太っているくせに、指は女の人みたいに長く、白かった。綺麗な指だったと思う。


「ねぇ、先生」


「ん?」


「先生は、そういうことって本当にあると思う? 魂や幽霊、妖怪や神様がいて、たまにこちら側に顔をだして、不思議なことをおこすの」


 あの日聞えた声。


 あの声は何だったのか。


 本当に魂がむこう側から呼んでいたのだろうか。


「君が決めることやから」とブンは答えをだしていない。


 ブンは汗まみれの顔を拭ってから、そうやな、とアミの質問に答えた。


「僕はあってもええと思います。そういう不思議な恐ろしさを抱えたまま生きていけるのが、日本人という民族と文化の懐の深さやと思ってますから」

第一話はおしましです。ご読了、ありがとうございました。

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