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帝国復活  作者: 風羽洸海
第三部 アルハン攻防
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六章 訣別 (3)



 用心のため、カゼスはエンリルを連れてレムノスの旧都側に出た。いくらまやかしをかけていると言っても、いきなりアミュティスの部屋などに出て行くわけにはいかない。

 ヴァルディアはエラードの故マデュエス王などとは違い、はるかに用心深く抜け目ない暴君なのだ。相手が魔術師の娘とあらば相応の警戒をしているだろう。

〈というわけだから、様子を見てきてくれないかな〉

 カゼスが頼むと、リトルは即座に光学迷彩を施して周囲に溶け込み、すっと飛んで行った。エンリルはそれを見守っていたが、彼の視線に気付いたカゼスが振り返ると、小首を傾げて問うた。

「私にはそなたのまやかしは通用せぬはずだが、あの水晶球は、まやかしとは違う方法で消えているのか?」

 鋭い質問にカゼスはぎくりとし、ごまかし笑いを浮かべる。

「え、ええまあ。魔術といっても何種類かありまして……私が主に使うものは、皇族の力と相互作用があるんでしょうね。だから見破られてしまうんですが。そうじゃない魔術も少しはあるんですよ」

「なるほど、そういうものか」

 エンリルはやや上の空といった雰囲気でうなずくと、ふと灰色の曇り空を見上げ、それからカゼスに目を戻して言った。

「ならば、ヴァルディア王と相対する時でも、多少は心強いということだな」

 またしてもカゼスは虚を突かれてたじろいだ。失念していたが、ヴァルディアとて皇族の力を有するのだ。まやかしをかけていても、ヴァルディアにだけは自分たち本来の姿が丸見えだし、精神波での会話でさえ聞かれてしまう恐れがある。

(ああ、こっちに出て来て良かった……)

 万が一ヴァルディアと鉢合わせでもした日には、目も当てられない事態になっていただろう。深く考えての選択ではなかったが、カゼスは自分の消極性に今だけは感謝した。

「まさかと思いますが、ほかに皇族の力を持ち、私たちに敵対する人がいますか」

「さて、どうかな」

 エンリルは少し疲れた風に顔をこすった。その仕草はまだ二十歳にもならない少年にしては、あまりに老け込んで見えた。

「神聖帝国崩壊以来、皇族の力を積極的に示すことのできる者は激減した。父上でさえ、力の使い方に熟達しているわけではない。帝国の末期には、直系を除いて皇族の力もかなり弱まっていたし、権威や象徴としてでなく実用のために訓練する術も、堕落と怠惰ゆえに失われていたという話だ。恐らく今でも潜在的に力を有する者はいようが、まともに使いこなせる者となると……殆どおるまいな」

 むしろ幸いと言うべきだろうが、とエンリルは締めくくり、小さなため息をついた。

 自分の力がもっと役に立てば、自在に使いこなせたら。そう思う一方でまた、大きすぎる力は必要ないと感じてもいた。この力を限界まで発揮すれば、それこそカゼスがラガエを吹き飛ばしたのと同等のことでも、やってのけられるだろう。

 だが力を持つ者は一人ではない。自分がそれだけの力を示せば、他の者も力を鍛え、あるいはより強い力を求めて婚姻を取り決め、さらに強大な破壊力を得ようとするだろう。そうした者たちが、戦を起こせばどうなるか。破滅の一語に尽きる。

「いずれ消えてなくなるが望ましい力だ。とは言え、今はせいぜい利用するがな」

 エンリルがそう言って苦笑すると、カゼスも少し寂しげに微笑してうなずいた。同じく人並み外れた力を手にしてしまった人間として、彼の気持ちが痛いほど分かったから。

 二人がそんなことを話していると、わずかに風をそよがせて、リトルが戻ってきた。唐突に空中に現れた水晶球に、エンリルは驚いて目をぱちくりさせた。

〈行かなくて正解でしたね。ヴァルディア本人があの家に来ていました〉

「うえっ!?」

 カゼスは思わず声に出してしまい、エンリルが眉を上げたので、慌てて手振りで少し待ってくれるよう頼んだ。

〈まさか、何かまずいことになったんじゃないだろね〉

〈いえ、幸いそういうことではないようです。ただやはり、いくら見張りが四六時中ついていると言っても、まやかしをかけられたら欺かれますからね。そのためにヴァルディア自身が頻繁に様子を見に来るようです。前回は運が良かったんでしょう〉

〈それじゃ、アミュティスたちには危害は……〉

〈ご心配なく。なんとか機転を利かせてやり過ごしていましたよ。まったく、彼女は驚くべき才知の持ち主ですね。とてもあの年齢とは思えません。その能力の十万分の一でもいいからカゼスに恵んでやって下さい、と頼みたい気分ですよ。そうすれば私もあなたと非生産的かつ無駄の多い非論理的な会話を交わして回路に余計な負荷をかけずにすむというものなんですがね〉

 私だっておまえと話してるとストレスたまるやい、と言い返したかったが、カゼスは黙っていた。とにかくしゃべるだけしゃべらせてしまおう。

〈……まあとにかく、あなたに代わって密議の手筈を決めてきました〉

 意外におとなしくリトルは愚痴をひっこめ、本題に戻ってきた。アミュティスの指示では、初めて会った場所で待っているように、ということらしい。ヴァルディアが供を連れて立ち去った後で、安全を確認してからアミュティスも『跳躍』で出て来るという。

〈えーっと、あの場所か……行けるかな。一回きりだしなぁ〉

 カゼスは眉間を押さえ、あの時の様子を思い出そうとした。広場から出てきて、転移陣の描かれた狭い路地に入って……

 場所を思い出し、跳躍の目印として意識のピンを立てると、カゼスはエンリルに手を差し出した。

「行きましょう。アミュティスから場所の指定がありました」

 エンリルは数回瞬きしたものの、問いはせず、わかった、とうなずいて手を取った。

 ヒュッと空気を切る音とともに、周囲の風景がかき消え、代わって灰色に汚れた壁が四方を囲んでいた。石の床には何の敷物もなく、砂がざらついている。壁際に木箱や素焼きの壷などが置かれているところからして、普段はただの物置に使われているのだろう。

 人はまだ、誰も来ていなかった。

「私たちが一番乗りみたいですね」

 カゼスが言うと同時に、織りの粗いごわごわしたカーテンを素早くくぐり、一人の青年が入ってきた。彼は室内に人がいたことにぎょっとしたが、

「あ、こんにちは。ヴァフカさん、でしたっけ」

 カゼスがまやかしを解いて挨拶をすると、ほっと息をついた。それから彼は、エンリルを見て眉を寄せた。新参者が増えることに対する警戒だろう。だがエンリルは何も言わず、どうとも取れる表情でわずかに目礼しただけだった。

 しばらく待つ内に、同様にして一人、二人と現れ、影のように無言のまま壁際にうずくまった。皆、アミュティスを待っているのだ。わずか十歳かそこらの少女を。

 ややあって少女が『跳躍』によってその場に現れると、場の空気が安堵に緩んだ。キースが監禁されている今、アミュティスの身に何かあれば最後だ。

「お待たせしました」

 アミュティスは一同にぺこりと頭を下げ、それからカゼスに向き直った。

「危険を承知で、私たちの為においで下さってありがとうございます」

「礼など申すものではない」

 答えたのは、それまで黙っていたエンリルだった。戸惑った気配が室内に流れる。エンリルはゆっくりアミュティスに近付くと、赤い目をじっと見下ろした。

「あなたは……?」

 アミュティスが首を傾げる。エンリルは皮肉っぽい笑みを浮かべ、一言、言い放った。

「アルハンの玉座を狙う者だ」

 過激な言葉にカゼスは息を飲み、咄嗟に周囲の反応を窺った。幸いなことに、多くはただぽかんとなったようで、即座にエンリルをどうこうしようとする者は見られなかった。

「アルハン王ヴァルディアの暴虐から民を救う、などといかにも胡散臭い大義名分は言わぬ。言うたところで誰も信じはせぬだろう。それがティリス王の口から出た言葉ではな」

 エンリルは言い、室内の面々を見回した。

「だから、否定はせぬ。余はアルハンの支配権を求める。だが同時に、そなたらを現在の苦しみから解放することも約束しよう。そなたらが力を貸してくれさえすれば」

 すぐには誰も答えなかった。突然のことに驚き戸惑い、また信じられぬといった雰囲気で、疑い深げに視線を交わし、ささやき合う。アミュティスはじっとエンリルを見上げていたが、ややあって口を開いた。

「あなたがティリス王エンリル様であらせられるという、その証は?」

「今ここで皇族の力を見せても良いが、ヴァルディアに悟られること考えるとそうもゆかぬな。ラウシールが保証するだろう」

 振り返られ、カゼスは戸惑いながらもうなずいた。

「ええ、間違いなくここにおられるのはエンリル様ご本人です。……個人的には、あんまりそうであって欲しくはないんですけどね」

 ぼそりと付け足した台詞の後半に、エンリルが渋面を作る。アミュティスは失笑しかけたのを堪え、真面目な表情をなんとか保って言った。

「ではティリス王エンリル様。私たちが、自ら奴隷の地位に落ちよ、という命に、従うと思われるのですか」

「年端もゆかぬのに、厳しい物言いをするものだ」

 エンリルは僅かに苦笑し、沈黙している室内のアルハン人を見回した。

「そなたが十年早く生まれておれば、今頃は民を率いてヴァルディアを倒しておったであろうな。余が出向くまでもなかったものを。だが幸か不幸か、こうして余は今、ここにいる。アミュティス、余はアルハンの民を奴隷に落とすつもりなど毛頭ない。むろんそなたらアルハン人の自尊心は傷つこうな。かつての帝都、華やかなりし文化の中心地にて、辺境の羊飼い風情が玉座にふんぞり返るとあっては。だが、それが奴隷の身に落ちるに等しいと言うのか? 公共の場で自由にものを言うことすら出来ぬ今のままの方が、羊飼いを王に戴くよりは良いと?」

「…………」

 冷たい気詰まりな空気が部屋に満ちる。それを払うように、ヴァフカが咳払いした。

「今のお話しぶりでは、ヴァルディア王を倒すこと自体は問題にならぬ、とでもいうようではありませんか?」

「そなたは?」とエンリルが目を向ける。

「百騎長ヴァフカ。『ガルドゥーン』においては主に奇襲の指揮をとっております」

「ガルドゥーン……それが、そなたら自身を呼ぶ名か」

 ふっとエンリルは笑みをこぼした。嘲りや軽侮などではないが、かといって感心した様子でもない。ただ、『大空』を意味するその言葉は、ヴァルディアに抑圧された現在の状況においては、いささか皮肉に感じられたのだろう。

「大言するのではないが」とエンリルは断り、ヴァフカの問いに答えた。「ヴァルディアを葬るだけならば、余ひとりであっても可能であろうな。だが、犠牲を少なくし、また後に遺恨を残さぬようにと配慮するならば、そなたらの力を借りねばならぬ。いずれにせよ失敗が許されぬ以上、ヴァルディアを倒した後の問題を棚上げには出来ぬだろう」

 ぐっ、とヴァフカが言葉に詰まる。少し気の毒になったカゼスは、穏やかな口調でとりなすように言った。

「確実に成功するよう計画を練ること、また事が成った後で混乱を招かぬよう前以て取り決めをしておくこと。この二つが、今の私たちのすべきことではないか、と、そうおっしゃりたいんですね? エンリル様」

 いかにも、とエンリルは満足げにうなずいた。カゼスが飴と鞭のうち、飴を担当してくれるのを待っていたのだろう。

「実際的な問題もあろうゆえ、すぐにもアルハン王位を奪い取りはせぬ。ひとまずはフィルーズ王太子を即位させるつもりだ。それでもなお不満だと言うならば、そなたらの手は借りず、我々だけでヴァルディアを倒すが……」

 皆まで言わず、エンリルは一同を見回した。その時には、彼らに対して何らの恩恵をも約束する気はない、という無言の圧力。

 長い沈黙の末、アミュティスが決断を下した。

「私たちだけではヴァルディア王を倒すことは出来ません。ならば、陛下の御手を取りましょう。たとえそれが、純粋な慈悲や共感から差し伸べられたものではなくとも」

「賢明な判断だ」

 エンリルは言い、アミュティスの言葉をなぞるようにすっと手を伸ばした。少女はその手を恭しく取り、甲に自分の額を当てる。服従のしるしだった。

 それに対して抗議の声を上げる者はなかった。むしろアミュティスが思い切ってくれたことを、無言のうちに安堵しているようだった。

(黙って一生耐えるのも嫌だけど、率先して反旗を翻し、矢面に立つのも嫌……そんなとこだろうな)

 カゼスは一抹の失望を感じながら、彼らの姿を眺めた。だからこそ、ヴァルディアの苛烈な圧政も今まで続いて来たのだろう。こうして抵抗組織などに加わっている者たちですら、決定的なところは誰かが何とかしてくれないかと願っている。

(あんまり人のことはとやかく言えないけど……)

 自分とて、故郷にいる時は彼らと同じだった。

 どうせ自分には何の能力も力もないから、自分が何かしたところで何も変わりはしないのだから。そんな言い訳を延々と、しまいに習い性になるまで繰り返して。

(この計画が成功して、この人たちもいい方に変わってくれたらいいんだけどな)

 カゼスはそんなことを思いながら、具体的な計画の打ち合わせに加わるべく、エンリルのそばに歩み寄った。


 カゼスたちがティリス王宮に戻った時には、もうとっぷりと日が暮れていた。

 夕食はフィオが用意しておいてくれたので、食いはぐれずにすんだものの、疲れ果てたカゼスにはほとんど味も分からなかった。ましてや、机上に置かれた書類に目を通すことなど、考えただけで瞼が下がってくる。

 カゼスは服を着替えもせず、ばったりとベッドに倒れ込んだ。一日中侃々諤々と議論していた計画の内容が、頭の中で処理しきれずにぐるぐると渦を巻いていた。こんな時はリトルがうらやましい。

〈リトルぅ~……おまえは今日の話し合い、全部記憶してるよねぇ。私はもう駄目だ……後は任せた〉

 ばたりと息絶えるふりまでしたカゼスだったが、いつまで待っても相手が突っ込みを入れてくれないので、そのまま本当に果ててしまいたくなった。

〈……リトル?〉

 カゼスはごろんと寝返りを打ち、机の上に転がっている水晶球を視界に入れた。蝋燭のゆらめく明かりを受けて、幻想的な光の衣をまとっているようだ。

 どうしたのかな、とは思うものの、起き上がって手に取るだけの気力が出てこない。そのままぼうっとしていると、不意にリトルが言った。

〈カゼス、気が付いてますか〉

〈え、何? 誰かがこっそり見てるとか?〉

 そこらに隠れている者でもいるのだろうか、とカゼスは視線を動かす。即座に跳ね起きでもすればいいものを、相変わらず寝転がったままな辺りが情けない。

〈いえ、第三者のことではなく……その分では、気付いていないようですね〉

〈だから何のことだよ〉

 カゼスが少し不機嫌になって訊くと、リトルは少し間を置いてから答えた。

〈自分の胸に手を当てて、よく考えてごらんなさい〉

 なんなんだ、とカゼスは顔をしかめ、文字通り手を胸に当ててみた。それからしばらくあれこれと考えを巡らせ、結局、何も思いつかずに首を傾げる。そんな彼女の鈍さに痺れを切らせ、リトルは苛立ちを込めてため息をついた。

〈鈍いですね。自分の体型が変化してることにも、気が付かないなんて!〉

〈ええっ!?〉

 カゼスは今度こそ跳ね起き、慌てて再度、手を胸に当てた。とは言っても、前がどうだったかなど、自分では分からない。何も変わっていないようにしか感じられなかった。

〈そんなに変わってるかい?〉

〈まだ幾分、女性らしさが残ってはいますがね。……葬儀の頃から、少しずつ以前のように戻り始めているんですよ〉

〈……そんな〉

 カゼスは泣き出しそうな顔になった。ようやく自分が女になったという事実に馴染んだばかりなのに、また元の無性体に戻ってしまうのか。とにかくどちらかの性別になることさえ出来ればと願った、以前と同じに。

〈あなたが意識していなかったとなると、身体的変化はあなたの意志とは無関係に起こるのか……いやそれでは、自分でパートナーを選ぶことは不可能になってしまう。少なくとも選択した時点では本人の意志が作用していたと考えられますが、その対象が喪失した時点で逆の変化が自動的に始まるのか……〉

 リトルは半ば独り言のようにつぶやきながら、忙しなく仮説を立てている。カゼスはその言葉でふと葬儀の日を思いだし、寂しい表情になった。

〈さあ……私には断定はできないけれど、私自身の意志というのは、確かに幾らかは作用しているのかもしれないね。女性化が正確にいつ始まったのかなんて分からないけど、変化に気が付いたのは、あの人を……好きだ、って意識した後だった。それに、今回も……髪を切る時にね、思ったんだ。もう、めそめそするのはやめよう、今までの自分と決別しよう、って。あの時に、何かに区切りをつけた気はするよ〉

 軽く胸を撫で下ろすと、確かにその膨らみは以前よりも小さくなっているようだった。髪が短くなった今ではもう、まやかしを解いても女だと思われることはあるまい。

 ゆっくり立ち上がり、タペストリーのかかっていない壁に手を触れる。小さく『力』を動かし、その表面を鏡にすると、今までに見たことのない姿がそこに映っていた。

「これ本当に私かな。もう、自分がどんなだったか、忘れてしまいそうだよ……」

 悲しげな苦笑を浮かべ、鏡の中の人物も青い瞳でこちらを見返す。美しくはあったが、その顔立ちはもはや女性的とは言えず、中性的な優しい顔としか言いようがない。体型もまた、愛想のないすとんとしたものになっていた。単に痩せた女あるいは男という印象ではない。どちらともつかない異質な、それでいて神聖なものを感じさせる姿。

 俗世離れした架空の生き物のようで、それが自分の姿だという実感は全くなかった。

 唯一自分のものだと確信が持てるのは、目だけだった。いつも鏡を見る度に、こちらを見つめ返してきた目。複雑な思いや経験を暗い瞳の奥底に秘めて、不可思議な海の色を湛える目だけ。

〈この調子で変化が進めば、あと一月もすれば完全に無性体に戻るでしょう。男のふりをするのも、楽になるでしょうね。それまでここにいるかどうかは分かりませんが〉

 リトルが敢えてその口調を選んだように、淡々と言った。カゼスはしばらく何とも答えず、鏡を消してのろのろとベッドに戻ると、崩れるように座り込んだ。それから片手で顔の下半分を覆い、細くため息をついた。嗚咽にならぬよう、用心深く、静かに。

 勘弁してくれ、というのが正直なところだった。

 このままではいずれ本当に、角だの羽だのまで生えてくるかも知れない。一体いつまで、どこまで変化するのだろう。もう勘弁して欲しい。

 どんどん暗い思考の底にはまりかけていたカゼスは、そろっと隣室のカーテンが開くのに気が付いて、顔を上げた。眠そうな目のフィオが、おずおずとこちらを覗いていた。

「カゼス様……まだ起きてらしたんですか。何かあったんですか?」

 心配そうな声だ。カゼスはほとんど条件反射的に笑みを浮かべて、首を振った。

「いいえ、何もありませんよ。ちょっと考え事をしていただけです。心配せずに、おやすみなさい」

 カゼスがそう言っても、フィオは動かなかった。何か納得する答えを得るまでは、自分も眠るまいと決めているようだ。カゼスは仕方ないなと苦笑し、フィオを手招きした。

 フィオはカゼスの前まで来ると、膝をつこうとしたので、カゼスは手でそれを止め、自分の横に座らせた。そして、相手の顔を見つめて静かに問うた。

「フィオ……あなたの目から見て、私は変わりましたか?」

「え? ええと……」

 唐突な質問に、フィオは数回続けて瞬きし、次いで真剣に考え込んだ。しばらく眉根を寄せて小さく唸り、それから彼女は顔を上げて答えた。

「確かに、変わられたと思います。見た目も綺麗になりましたけど、雰囲気も。なんていうか……初めてお会いした時からずっとカゼス様は優しいですけど、今のカゼス様はもっと、ええっと……懐が深いって言うんでしょうか。あたし、馬鹿だからいい言葉が見付からないんですけど」

 ちょっと頭を掻いてから、フィオはじっとカゼスを見つめた。

「今だから言えるんですけど、最初はカゼス様に島から連れ出して貰おう、って、思ってたんです。この方はきっと、あたしを助けに来てくれた神様のお使いなんだ、って。でもカゼス様は、夢見てたのとは違った。島を出たいって言ったあたしに、ちゃんと理由を説明するように言われたし、一緒に行けばどんな危険があるかも、ちゃんと先に言われましたよね。あの時はちょっとだけがっかりしたんです」

 懐かしい話を持ち出され、カゼスは「そうでしたっけね」と曖昧に苦笑した。たかが半年そこらに過ぎないのに、過去の話を持ち出されると恥ずかしい。

「だけどカゼス様と一緒にいる内に、カゼス様は神様のお使いとは違うけど、それよりずっと凄い人で、本当に素敵な方なんだ、ってわかったんです。カゼス様はいつも、そんなことないとか、私なんかまだまだ、とかおっしゃいますけど。でも、それでも、あたしには憧れなんです。だから……だから、元気を出してください。カゼス様は素晴らしい方なんですから! 上手く言えませんけど、本当に素敵なんですから!」

 フィオは力を込めてきっぱりと言い切る。カゼスは赤面し、なんともむず痒そうな顔になった。まったく、この少女ときたら。どうしてここまで、私なんて人間を全面的に支持できるんだろう。

「それじゃあその……昔よりも私が悪くなったってことは、ないんですね? あなたに失望されるようなことは」

「まさか、そんなこと!」

 ぶんぶんと少女は首を振る。カゼスは堪え切れず、フィオをぎゅっと抱き締めた。

「ありがとう、フィオ。あなたのお陰で元気が出ましたよ。だから、もうおやすみ」

(そうか。外見も中身も変わったとしても、昔よりも悪くなってはいないのなら、どう変化したっていいよな。変わったって、受け入れてくれる人は受け入れてくれるんだ)

 照れ臭そうな顔で隣室に引き取るフィオを見送り、カゼスは少し安堵して微笑む。それからふと、他人が自分を肯定するのを、さほど抵抗もなく受け入れていることに気が付いた。以前なら、どんなに褒められても信じきれず、でもやっぱり自分は駄目なんだ、という後ろ向きの思考にはまりこんでいたのに。

(……アーロンのお陰かな)

 気恥ずかしさに一人赤面し、カゼスはごまかすように頭を掻いた。もちろん、アーロンだけではなく、自分を受け入れてくれた多くの人々のお陰でもあるのだろうけれど。けれど、それを一番はっきりとした形で、一番強く示してくれたのは彼だった。

 視界が揺らぎかけ、カゼスは慌てて瞬きすると、それ以上の物思いを振り切るように蝋燭の明かりを吹き消して、ベッドに潜り込んだのだった。


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