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帝国復活  作者: 風羽洸海
第一部 ティリス内乱
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二章 暗雲 (3)



「起きられるか?」

 視力が戻る前に聞いた第一声は耳慣れないもので、カゼスは一瞬自分がどこにいるのか分からなくなった。

 ゆっくり目を開くと、知らない顔が見えて……

(あー……違う……ここは家じゃないんだった)

 もう一度ぎゅっと目をつぶり、それから改めて相手を見た。

「アーロン……エンリル様まで、どうしたんですか」

 横から心配そうに覗き込んでいる少年に気付き、カゼスはちょっと首を回した。動くとまだ脳が頭蓋骨の中でぐるぐる回るような気がしたが、吐き気もしないし、だるさも薄れている。用心深くそっと体を起こすと、毛布の上でリトルが転がった。

〈あなたがぶっ倒れたもので、大騒ぎでしたよ。皆さんよってたかって介抱したがるもんで、アーロン氏がここまであなたを運んで、後は館の人間は締め出してこの面々で様子を見て下さったんです。今は一晩明けて、朝食時も過ぎた頃ですよ〉

〈親切にどうも。うう……まだちょっとぐらぐらするなぁ〉

 精神波での会話は音声よりはるかに速い。カゼスが額を押さえたのは、声にして言った言葉の語尾から瞬きひとつの後だった。

「そなたこそ、どうしたのだ? ゆうべいきなり倒れて、それきり目を覚まさぬから心配したぞ。大丈夫なのか?」

 エンリルが問う。カゼスは顔を上げ、小さくうなずいた。

「すみません、お世話をかけまして。一度に大勢を治療したので、疲れただけです。もう大丈夫ですから」

「そうか。だが今日一日ぐらいはゆっくり休んだ方が良いだろう。どうせ事後処理に時間を取られて、すぐには発てぬであろうし」

 ホッとした様子でエンリルは言うと、アーロンに視線を移した。

「例の代物を作ろうと考えているだろう」

「お望みでしたら殿下の分も調えますが」

 しれっ、とアーロンは言い返す。『例の代物』が何なのか知らないカゼスは、きょとんとなった。エンリルは笑いを押し隠して気の毒そうな顔を作り、カゼスに言う。

「アーロンが面倒を見てくれるらしいから、そなたは観念して休んでいろ。何か必要な物があればアーロンに頼め」

「え、でも……万騎長なんて偉い人にそんな手数をかけるわけには」

 カゼスはおろおろして二人の顔を交互に見る。カワードが後ろから楽しそうに言った。

「なぁに、万騎長と言えど、ここではせいぜい壊れた家具を運んだり、死人を埋葬したりと力仕事に駆り出されるだけさ。いいから、世話をさせてやれ」

「はあ……でも、本当にもう大丈夫ですから」

 何か嫌な予感がして、カゼスはベッドから降りようとする。が、それは墓穴を掘るに等しい行為だった。裸足のつまさきが床に触れたのが感じられず、ガクンと大きく体勢を崩して、エンリルとアーロンの二人掛かりで支えて貰うはめになってしまったのだ。

「どこが、大丈夫なのだ?」

 アーロンに皮肉っぽく訊かれ、カゼスは不承不承ベッドに戻った。

「イスファンド、私が戻るまでその馬鹿なラウシール殿が逃げ出さぬよう見張っていろ」

 不吉な言葉を残してアーロンが出て行くと、イスファンドは肩を竦めて言い付け通り、カゼスの枕元に立った。エンリルはもう隠そうともせずに笑いだす。

「諦めろ、カゼス。では、我々はもう行くが……」

「あ、あの、ひとつ調べて頂きたいことがあるんですが」

 慌ててカゼスは言った。頭の方はもうほとんどスッキリしているので、昨日のリトルとの会話を思い出したのだ。

「誰か、いなくなった人か突然やって来た人がいないかどうか、訊いてみてください」

「行方不明者なら何人かいるが……逃げ出して隠れているだけなら、じきに出てくるだろう。あと、遺体の身元が確認できたらはっきりする。何か気になる事でも?」

 エンリルは快くうなずき、それから不思議そうに目をしばたたかせた。カゼスは心持ち眉をひそめ、考えながら答える。

「あの騒ぎの中で、何かを転移させる……つまり、移動させる術が使われたんです。それが物でないことははっきりしていますから、誰かがここから消えたか、あるいは突然やって来たのだとしたら、その人が昨夜の獣の襲撃に関係している可能性があるんじゃないかと……あるいは、赤眼の魔術師とかかわりがあるのかも」

「そいつが臭いって事か」

 カワードが不快げに言う。カゼスは慌てて首を振った。

「断定はできません。ただ……そうですね、用心はした方がいいかもしれませんが」

「分かった、調べてみよう」

 硬い表情で言い、エンリルはイスファンドを残して出て行った。

〈あちゃー……無実の人に疑いがかからなきゃいいけど〉

〈あの王太子様なら大丈夫でしょう。自分の敵を増やすような真似をするほど馬鹿とは思えませんから〉

〈だといいけどなぁ〉

〈あなたに頭の出来を心配されたと聞いたら、さぞやショックでしょうね〉

 そういう意味じゃない、と言い返したかったが、分かって言っているのは先刻承知なので、カゼスはただ枕を抱えて沈没した。

「何かまだ気になる事がおありですか?」

 突然声をかけられ、カゼスはその場に人が残っている事を思い出した。顔を上げると、イスファンドがいたって真面目な顔付きで見ている。

「いえ、何でも……。あ、気になると言えば……その、イスファンドさん、生まれはどちらの方なんですか?」

「イスファンド、で結構ですよ、ラウシール殿。私の血筋などが気にかかりますか?」

 穏やかな笑みを浮かべ、イスファンドは礼儀正しく答える。カゼスは上体を起こし、曖昧な表情で言った。

「私はここの事はあまりよく知らないので……エンリル様に似た系統の人と、アーロンやカワードさんに似た系統の人がいるのかなぁ、と。あと、少数派みたいですがシャフラー総督みたいな系統もあるのかな、とか思いまして……」

 そう言えば、あの時助けた衛兵も、小柄で地味な顔立ちの部類だった。イスファンドは小さくうなずいて、親切に説明してくれた。

「エンリル様は、高地に端を発する先の帝国の皇帝家の血筋でいらっしゃいます。アーロン卿やカワード卿、ダスターンなどは、海の民の血を引くと言われる系統で、恐らくは一番多いでしょう。一番少ないのは、ご賢察の通り北方の山地……リズラーシュに住んでいた、小柄で蜜蝋色の髪をした者たちです。混血もかなり多くなっておりますが、私などは珍しい部類でしょう。リズラーシュ人と高地人の混血なのです」

「あ、なるほど」

 言われてみれば、とカゼスは納得した。エンリルに似てはいるが、全体に印象が地味になっているのは、リズラーシュの血の成果なのだろう。

 それらの人々が入り交じって生活しているところから察するに、人種による差別はないらしい。

 そんな事を考えてから、ふとカゼスは顔を上げた。

「あの……図々しいついでに、もうひとつ教えて頂けますか?」

「何なりと、ラウシール様」

「それなんですけど、どうしてあなたが私なんかに様付けされるのか、分からないんです。だってあなたは軍人としての地位をお持ちですけど、私は何も……」

 肩を竦めたカゼスに、イスファンドは微かに愉快げな笑みを向けた。

「あなたはエンリル様の客人扱いになっておりますから。そうでなくとも、癒しの技を行える方なのですから、敬意を払うのは当然でしょう。たとえそれが」

 と、彼は反駁しかけたカゼスを手で制して続ける。

「ただの魔術だ、と本人が仰せられるものであっても、我らに成し得ぬ技であることに変わりはありません」

「……いや、そう言われても」

 ぽり、とカゼスは頭を掻く。入門の誓約をすませ、所定の課程を修了すれば、誰でも魔術師になれる。そんな世界に生まれ育った身には、イスファンドの反応はいささか解し難いものだった。

 その態度が謙遜に映るのだろう、イスファンドは好ましげな表情を浮かべた。

「さあ、無理に話を続けられずとも構いませぬ、少し眠られる方が良いでしょう。眠ってしまえば、アーロン卿の魔の手から逃れられるやも知れませぬぞ」

「何を余計な事を」

 見計らったように、アーロンがカーテンをくぐって現れた。途端に室内にえも言われぬ匂いが漂い、カゼスは思わず顔をしかめた。

「な……何です?」

 不吉な予感にカゼスはひきつる。リトルがアーロンの方へすいっと飛び、くるりとそのまわりを一周して戻ってきた。

〈健康に良さそうな成分ですよ。ただ、色々と余計な物も入っていますし、味の方は保証しかねますがね。とりあえず毒にはなりませんから、ご安心を〉

 安心しろと言われて、余計にカゼスは嫌な顔になった。アーロンはその表情など目に入っていないふりで、イスファンドに言う。

「監視ご苦労。おぬしはもう良いからエンリル様の所へ行け」

 イスファンドは短く「は」と答えてアーロンとカゼスの双方に小さく礼をし、きびきびと退室し……かけて、ふと振り返った。

「それは良いのですが、アーロン卿。ひとつ疑問が」

「何だ?」

 怪訝な顔になったアーロンに、イスファンドは真面目そうな顔のまま、数回目をしばたたかせて問うた。

「ラウシール様はご自身を癒す技は使われぬのでしょうか?」

 はた、と気付く。アーロンとカゼスは顔を見合わせた。

 結論から言うと、治せる、のである。別に生命力とやらを分け与えたりしているわけではなく、世界に存在する『力』の流れの一部を少し変えて目的を達して貰うのだから、自分の身体を治療する事も可能だ。

 ただ、媒体となる精神が疲弊していると、力の扱いが上手く行かず危険になる。

 では今はどうなのか、と言うと……

(自分で治せるよなぁ……でも、せっかく何だか知らないけど作ってくれたんだし、善意を無下にしたらいけないよな)

「これほど疲れていなければ、なんとかなるんですけどね。今は無理みたいです」

 カゼスは苦笑してそう答えた。そうですか、と納得してイスファンドは出て行ったが、カーテンが閉じてその姿を隠すと、カゼスはつくづく墓穴掘りな自分を恨めしく思った。

 アーロンは複雑な顔をしているカゼスを見下ろし、傍らに椅子を引き寄せて座った。

「無理強いはせぬ。今の言葉が偽りでないのなら、飲め」

 差し出された器には、トロリとした乳白色の液体が入っている。なにやら怪しげな色の欠片がちらほら混じっており、飲み薬ではなく塗り薬なのでは……と言いたくなるような代物だ。カゼスは覚悟を決め、なんとか微笑んだ。

「頂きます、せっかくですから」

 物好きな、と言わんばかりの顔をして、アーロンは器を差し出す。カゼスは危険物を取り扱うかのように用心深く受け取り、おそるおそる一匙すくって口に運んだ。

「………………」

 表情を取り繕う事もできない。目に涙を浮かべたカゼスに、アーロンはとうとう笑い出した。カゼスは恨めしげな目を向け、それからふと意外な顔になった。

(へえ、こんな顔で笑うんだ)

 にこりともしなかったのが、少年のように屈託のない笑顔を見せる。何か、堅い殻を割って卵が孵化したかのような印象。つられて何となく嬉しくなったカゼスだったが、

「残すなよ」

 と言われて途端に奈落へ転がり落ちた。エンリルが『例の代物』などと言った意味がよく分かる。

「あれ、て事は……これ、エンリル様も飲んだ事があるんですか?」

「ご幼少の頃は、よく体を壊されたのでな。家伝の秘薬を調えて献上つかまつったというわけだ。一度や二度ではない」

「家伝の………という事は、あなたも?」

 まあな、と応じたアーロンの表情は、なんとも複雑である。カゼスは失笑し、睨まれて慌てて神妙な顔を作ると、匙を口に運んだ。

 努力しながら一口一口飲み下すカゼスを、アーロンはじっと見ていたが、不意にため息をついて言った。

「すまなんだ」

「………は?」

 しかめっ面のままカゼスは振り返り、聞き返す。確かにこの薬はまずいが、謝るほどの事ではないだろうに。そんなにひどい顔をしていただろうか?

 見当違いの事を考えて訝っているカゼスに、アーロンは続けて言った。

「おぬしを愚弄した事は、心底後悔している。許して貰いたい」

「え? えーと……あの、何の事です?」

 頭を下げられても、何の事やらカゼス当人にはさっぱり分からない。

〈多分、あなたを役立たずだとか小娘だとかいう扱いをした事でしょう。魔術を目の当たりにして認識を変えたらしいですね。それでいちいちきちんと詫びるなんて、えらく真面目な人ですねぇ、少し見習ったらどうですか〉

 リトルが皮肉を交えて説明してくれた。カゼスは言われてやっと「ああ」とうなずく。

「馬にも乗れないで……とか言ってた事ですか? 別に頭を下げられるほどの事じゃないでしょう。あ、それとも、謝らなければ気が済まないぐらい心底、思いっきり、馬鹿にしてたんですか」

 がーん、などと心中で効果音を付け、カゼスは苦笑した。アーロンはもう一度、悪かった、この通り、と詫びた。

「ひどいなー……まあ、事実だから仕方ないですけどね。言われ慣れてますよ」

 カゼスは言い、最後の一口をなんとか飲み込んだ。

「それに、魔術師だからって妙に崇め奉られても困るし……魔術師としてもへぼなんで」

「だが、おぬしのお陰で助かった者も多い。命は取りとめたとしても、腕や足を失う者がいただろう。それを……おぬしは癒してしまった。我々には出来ぬ事だ」

 アーロンは水差しから水を汲み、銀のコップを渡しながら言う。カゼスはありがたく受け取り、素晴らしい後味を水で流し込んだ。

「でも、それは別に優れた資質の証明ってわけじゃありませんよ」

「かも知れぬ。だが、我々は武人として優れていようとも、命を奪う事しか出来ぬ。破壊と殺戮は闇にも出来るが、癒しは光にしか出来ぬ技だ」

「はあ……」

 光と闇の二元論はあるみたいだな、などと学術的な興味を抱く一方で、カゼスは驚いてもいた。武人でありながら、その存在を否定的に言うとは。時代が時代である事を考えると、かなり風変わりなのではないだろうか。もっと武芸一辺倒の人間かと思っていたのだが、そうでもないらしい。

「意外ですね。万騎長なんて人でも、そんな事を言うんですか」

 カゼスの言葉に、アーロンは自嘲的な苦笑を浮かべた。

「軟弱だと言われる。武人のくせに理屈っぽい、だとか」

「言わせときゃいいですよ。私は別に、いいと思いますけどね」

 けろりと言ったカゼスに、アーロンは驚いたような複雑な顔を向けた。それから小さく苦笑すると、コップと器を受け取って立ち上がる。

「後はしばらく眠ることだ」

 おとなしくうなずき、カゼスは枕に頭を沈める。アーロンが出て行くと、リトルがふわっと浮き上がった。

〈では、私も邸内の調査に出ます。安心して寝ていてくださいね〉

〈はいはい。どーせ、私がいなくても全然大丈夫だってんだろ〉

 カゼスがふてくされると、珍しくリトルは皮肉抜きで応じた。

〈しっかり休んで早く回復して頂かないと、私には魔術に関する調査は出来ないんですからね。痕跡が消えない内に、職場復帰してくださいよ〉

 リトルが飛び去った後で、小さく揺れているカーテンを見つめ、カゼスは小さく「鬼」とつぶやいたのだった。


 夕刻にはカゼスも起き上がれるほどに回復し、用意された長衣に着替えてエンリルたちと一緒に食事をとっていた。

「総督がいなくなっている」

 エンリルが口を開くと、座の雰囲気が緊張した。

「カゼスに言われて調べてみたが、何人か逃げ出した者も全員居所を特定できた。シャフラー総督だけが行方知れずだ。この近隣には姿を見た者もいないらしい」

 嫌な予感がして、カゼスは下唇を噛む。

 突然現れた獣は、毛の一本も残さず消えてしまっている。残されたのは夥しい死傷者と破壊された家財、わけも分からず怯える人々。何があったのかを証明出来る物は、何もないのだ。有象無象の証言はあれど、どこまでが噂でどこまでが真実なのか、じきに分からなくなってしまうだろう。

 リトルが集めた情報によると、あの獣はこの地方に古くからある言い伝えの魔物であり、「まさか実在するなんて」というのが大方の感想らしい。つまり、それに襲われたと言っても、大概は与太話か法螺として片付けられてしまう。

「嫌ですね、なんだか……」

 カゼスは小さくうめいた。魔術、などと言っても信じて貰える筈がない。力場位相の変動が記録されているわけでなし。

 誰が、なぜ、どうやって。そのすべてが分からない以上、無責任な憶測が飛び交うのは必然の成り行きだろう。

「殿下に嫌疑がかかるような噂だけは、止めなければなるまいが」

 難しそうな顔でアーロンがつぶやくと、イスファンドがうなずいた。

「この近隣では大丈夫でしょう。なにしろラウシール様がいらっしゃいますから」

「だがなぁ、下衆の勘ぐりという奴は始末に負えぬぞ」

 カワードが口をもぐもぐさせながら言う。アーロンが顔をしかめて、無礼を咎めるように肘で小突いたが、カワードは知らぬふりで指についた脂を舐めた。相手がこういった仕草を嫌う事を知っていて、殊更に見せつけているのだ。貴族育ちに対するささやかな嫌がらせなのだろう。

 エンリル自身はまるで気にした風もなく、興味津々と視線を転じた。

「そなたなら、どのような悪意的解釈をする?」

「そうですなぁ、そりゃ、色々できます。総督の横領した利益を殿下が横取りしようとしたが、総督が逆らったから殺したんだ、とか……何か気に食わぬ事があったから、殿下が腹立ち紛れにお付きの魔術師に魔物を呼び出させた、とか」

 カワードは肩を竦め、自分を指さして目をパチクリさせているカゼスに苦笑して見せる。それから彼は続けた。

「もっと突拍子もないものも考えられますよ。王太子は国王に対して謀反をたくらんでいて、今回のテマ視察はその布石だった、しかし総督が察知して協力を拒んだ為に王太子が総督を殺し、この騒ぎはそれを隠蔽する為の芝居だ、なんてのはどうです」

 さすがに内容が内容だけあって、その場の面々はぎょっとなった。ウィダルナが慌ててたしなめる。

「カワード殿! いくら何でも、言葉が過ぎますよ」

「下衆らしく勘ぐってみせただけさ。失礼、殿下」

 おどけてカワードは詫びる。エンリルは辛辣な笑みを浮かべていた。

「なるほど、その危険性は多分に考えられるな。仕掛けたのがあの女狐とあらば」

「まあ、すぐにここまで発展することはないでしょうがね。王室の内情なんて、庶民にゃ分かりません。誰かがより真実らしく聞こえる事を言い出したら、面白い方に飛びつくのが普通でしょうな。もっとも、イスファンドが言った通り、この近辺でならラウシール殿の奇蹟の方が取り沙汰されるでしょうが」

 カワードは新しい串焼きの肉に手を伸ばし、噛みついた。アーロンは不機嫌な顔で杯に残っている葡萄酒を呷り、ため息をつく。

「問題は、ここでどうなるか、よりも、王都にどのような噂が届くか、だろう。マティスめが余計な事を吹聴せねば良いが……そうでなくとも、文官の多くは奴に盲従しておるのだからな。殿下、早馬で書状を届けられては?」

「今考えていたところだ。ダスターン、一足先に発ち、父上に報告して貰いたい」

 エンリルはうなずくと、従士の少年に目を向けた。

 細く柔らかい黒髪をもつ少年が「はい」と即応する。

「今夜にでも。殿下はカッシュまで船で下り、私が戻るまでお待ちください。王宮でどのような動きが出ているか、調べてお耳に入れます」

「そうか、カッシュにはそなたの家があったな。では、そなたの案に従うとしよう」

 はたと気付き、エンリルはにこりとした。その言葉が終わるや否や、もうダスターンは立ち上がっている。

「すぐに支度を致します。書状の用意が整いましたら、お呼び付けください」

 きびきびと言い、せわしなく感じない程度に急いで、彼は部屋を後にした。

 去り際に何やら険悪な一瞥を投げられたようで、カゼスは目をしばたたかせてそれを見送る。隣に座っているエンリルに、首を傾げて問うてみた。

「あの……どうも私は彼に嫌われているみたいなんですけど、心当たりはありませんか? 何かまずい事をしているのなら、教えて頂きたいんですが」

 困り顔のカゼスに、エンリルはつい失笑してしまった。座の他の面々も、あるいは苦笑し、あるいは咳払いなどしてごまかす。

 笑いをなんとか抑えながら、カワードが言った。

「おぬしが殿下の近くにいるのが気に食わぬのさ」

「は?……あ、そうか、そうですよね。でも、ここ、って案内されて……」

 言われてはじめて、カゼスは自分が王太子のすぐそば、つまり万騎長たちをも差し置いて上座に陣取っている事に気が付いた。が、召使に示されてその場所に座ったのであって、別に自分が選んだわけではないのだが……。

 困惑しているカゼスに、エンリルが愉快げに言った。

「ダスターンは序列にうるさいからな。私もしばしば煩わされる。そなたが気にする事はない、いずれ相応の地位を見付けてやるが、それまでは私の客人だ。遠慮はいらぬ」

「え、いえ、でもそんな」

 カゼスはますます困り顔になる。地位とか何とか言われても、相応の能力を期待されるのは……荷が重い。

 案の定、エンリルは鷹揚に言ったのだった。

「なに、それなりの働きをして貰うまでのことだ」


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