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帝国復活  作者: 風羽洸海
第三部 アルハン攻防
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三章 王都攻防 (3)



 アトッサたちが市街戦を繰り広げている頃、カッシュからはウィダルナが護衛艦数隻をともなってティリスへと出帆していた。出港を見届ける間もなく、エンリルたちは動ける騎兵をかきあつめ、先行部隊を編成する。

 時間との勝負だった。駆けつけたところで、オローセスの身柄を敵に押さえられていたら手遅れだ。

 天幕で慌ただしく準備を進めるエンリルの元に、斥候が戻って来た。非常時なので面倒な格式を無視し、エンリルはじかに斥候から報告を受ける。

「随分早いな。王都の様子はつかめたのか」

 天幕に通された斥候に、エンリルは険しい声で問いかけた。立ち会うゾピュロスも剣呑な雰囲気だ。斥候は略式の礼をして、早口に答えた。

「ティリスから逃げ出してきた市民の一団に遭遇し、話を聞き出しました。彼らがこっそり逃げ出した時には、まだ市壁はもちこたえていたそうです。あの煙はおそらく、大通りを封鎖するためのものではないか、と。それと……申し上げにくいことなのですが」

「どうした」

 まさか訃報ではあるまいか、とエンリルの顔がこわばる。斥候はちらりとその顔色をうかがい、つっかえそうになりながら言葉を続けた。

「反乱軍はエンリル様が偽者であると申しております。つまり、オローセス様の息子エンリル様はかつての海の民の襲撃で命を落としており、今のエンリル様、つまり陛下ご自身は……ティリス王たる資格を持たぬ、と……」

 天幕の中が重い空気に満たされる。斥候は自分が破滅の言葉を口にしたかのように、青ざめ、ごくりと喉を鳴らして立ち尽くした。

「その噂は、どこまで?」

 問うたエンリルの声がかすれている。斥候はいたたまれず、うつむいた。

「ティリスに立て籠もっていた者は皆、聞かされたようです。数日中には、難民の口から我々の耳にも入ることでしょう」

「父上は、その噂を否定なさらなんだのか」

「……そこまでは……」

 斥候の声は今にも消え入りそうだった。頭を垂れたまま、エンリルの様子を盗み見ることすらできない。ゾピュロスが退出を命じてくれなければ、そのまま石になってしまいそうだった。

 逃げるように斥候が退出すると、拳を握り締めていたエンリルが、深いため息をついた。両手で顔を覆い、唇を震わせてつぶやく。

「なぜだ?」

 脳裏にナキサーの最期がよみがえった。貴様が悪いのだ、と彼はオローセスを責めた。呪われた子を甘やかし、国を乱れさせた――と。

「あれは……そういう意味だったのか」

 エンリルが実子でないことを、ナキサーは知っていたのか。それゆえ、エンリルが王太子として日々成長して行くことが、なのに自分はどうあがいても騎兵団長より上へは昇れないことが、許し難かったのだろうか。

 彼はゆるゆると首を振り、自分に言い聞かせるようにつぶやいた。

「だが……では、私の記憶は? 私は覚えている、あの日ティリスの空を焦がした炎の色を、間近に迫った死の熱風を」

 吹き付ける熱風に皮膚がちりちりと灼けるあの感覚。息をすることがそのまま死を招くような、熱い空気。猛り狂う炎の唸り、倒れる家具や柱の断末魔。すべて、生まれて間もない赤子のものとは思えぬほど、残酷なまでに鮮明な記憶だ。

「エンリル様」

 その回想を破ったのは、ゾピュロスの静かな声だった。

「ティリスの都は、焼け落ちたことはございませぬ」

「……え?」

「十八年前のあの日、私は父の使者として王都に来ておりました。確かに、海の民の襲撃で街は破壊され、混乱のるつぼとなり果てましたが……ごく一部の小火を除いて、火の手は上がりませなんだ」

 淡々としたゾピュロスの言葉に、エンリルは絶句したまま呆然と立ち尽くした。

 しばしの沈黙の後、ゾピュロスは一言付け足して、締めくくる。

「炎上したのは、帝都レムノスだと聞いております」

 エンリルに出来たのは、ただ、足元から奈落へ吸い込まれて行きそうになるのを、懸命に堪えることだけだった。


 一方、王都ティリスでは、カッシュ奪還の知らせがいまだ届かず、市街戦が続けられていた。王宮の医務室には怪我人が溢れ、室内の床はもちろん廊下にまで、動けない兵士がごろごろと横たわっている。

 アトッサが見舞いに行くと、ダスターンは血の気の失せた顔に、どうにか微かな笑みを浮かべた。思ったよりも傷は深かったらしい。

「戦女神のご降臨ですか」

「皮肉など言って、余計な体力を使うでないわ。愚か者」

 アトッサはわざときつい口調で叱り、傍らに膝をつく。ダスターンは苦笑したが、出てきたのは、むせたのか笑ったのかも分からない、短い吐息だけだった。

「戦況は?」

「案ずるな。敵はまだ王宮の壁に達してもおらぬ」

 アトッサは、励ますように自信に満ちた笑みを見せた。

「こちらはラームティンとやらの秘蔵っ子を捕虜にしたのでな、オローセス殿やアスラー殿が、交渉の使者を送られた。市外まで退かせるか、海の封鎖を解かせるか。いずれにせよ、怪我人や女子供を逃がすおつもりのようだ」

「…………」

 ダスターンは何も言わなかった。自分も恐らく、その逃がすべき人々の中に含まれるのだろうと察し、悔しそうに唇を引き結んで。

 その痛恨の表情を眺め、アトッサは青褐色の目を伏せた。ダスターンの額に触れ、汗と埃にまみれたまま張り付いている前髪を、そっと払ってやる。

「私にも、ラウシール殿のような力があればな」

 痛々しい胸の傷をちらと見やり、アトッサはため息をついた。皇族の力など、何の役にも立たない。カイロンの時がそうだったように。

「そなたをたちどころに癒し、すぐにもこき使ってくれようものを」

 冗談めかして言ったアトッサに、ダスターンもわざとらしく渋面を作った。

「だとしても、予備の命を三つ四つ頂くか……さもなくば、あなたは今後、弓矢でなく針と糸のみを使う、とでも約束して頂かぬ限り、護衛役は御免こうむりとうございます」

「その忌々しい減らず口だけでも、治してやりたいものよな」

 アトッサは苦笑いし、喘ぐダスターンの額を軽く撫でる。そこへ、ハムゼが怪我人の間をぬってやって来た。

「こちらにおいででしたか。どうやら停戦の条件に折り合いがついたようです。広間の方へお越しください」

「そうか、わかった。ではな、ダスターン。無駄口を叩かず、大人しゅう寝ておれよ」

 アトッサはうなずきを返し、怪我人にはあまり慰めに聞こえない言葉を残して、立ち上がった。ダスターンは恨めしそうな顔をしたものの、何か言い返す愚は行わず、黙って目礼する。そのまなざしにアトッサは苦笑し、もう一度「大人しゅうな」と念を押してその場を離れた。

 その彼女も、まさか自分の言葉が我が身に跳ね返ってくるとは、予想していなかった。

「私にまで、逃げよと仰せられるか?」

 本宮謁見殿に隣接する会議室をかねた広間で、アトッサはオローセスにとびきりの渋面を見せた。極端な表情にオローセスは失笑し、慌てて咳払いをしてごまかす。

「さよう。捕虜と交換に引き出せたのは、わずかに二日の猶予だ。兵を退かせることすらできなんだ。彼らも焦っておるのだろう」

「明後日の正午まで」とアスラーが言葉をつなげた。「ティリスを出る女子供や傷病者に対し、攻撃を行わない。それが唯一の譲歩でございます。しかし、徒歩ではさしたる距離も行けませぬ。それゆえ、船を出す準備を既に始めております」

 オローセスの横に控えるシーリーンも、無念そうな面持ちでうなずく。

「今回ばかりは、私も残るとは申しません。女の非力な手では出来ることも限られておりますし、反乱軍に王宮を占拠された場合を考えましたら……取引の材料にされたくはありませんもの。口減らしのためにも、逃げられる内に逃げておく方が賢明ですわ」

 そこへさらにハムゼも、姫様、と畳みかける。

「バールをこのままここに置いてはおけませぬ。どうか大人しく船に」

「…………」

 アトッサはハムゼをじろりと睨んだが、相手は皮肉のつもりなど微塵もなかったらしい。真剣そのものの表情で、じっと見つめている。

 しばらくアトッサは目を伏せ、考えに沈んだ。しかし答えは明白だ。高地の平穏を一番に考えるならば、これ以上ここにいるべきではない。

「致し方あるまいな」

 諦めて、ため息をつく。対照的にホッとした様子で、ハムゼやアスラー、オローセスまでもが安堵の吐息をもらした。厄介払いが出来て嬉しいか、とアトッサは皮肉のひとつも飛ばしたくなったが、さすがにオローセスの手前だけあって、言葉を控える。かわりに彼女は実際的な質問を出した。

「それで、ティリスを脱出後、どこへ向かうのです?」

「ニーサだ。カッシュに寄港できるのであれば、限界まで民を乗せられるのだが……さすがに、怪我人を連れて賭けに出るのは危険なのでな」

 オローセスは答え、疲れた様子で顔をこすった。シーリーンが心配そうな顔をしたのに気付くと、彼は口元に皺を刻み、にやりとした。

「なに、十八年前に比べればこれしきのこと、楽なものだ」

 その目の光は彼が、帝国健在なりし頃から何度も海の民やリズラーシュ人と戦い退けてきた、歴戦の武人であることを思い出させる。

「アトッサ殿が我らに贈ってくれた、何物にも代え難い貴重な時間。一刻たりとも無駄には致しませぬぞ。さあ皆、準備を」

 励ます声に押されるようにして、一同は席を立ち、銘々の仕事に動き出す。アトッサもひとまずは身支度をしに、あてがわれた部屋へと急いだ。


 それから丸一日は、かつてないほど慌ただしくすぎていった。

 真っ先に負傷者が、次いで戦う力のない女子供、老人が船に乗せられた。約束の刻限までに少しでも遠くへ逃げるべく、余分な荷物はいっさい積み込まれなかった。身につけられる最低限の財産のみ、もしくはまったく着の身着のまま、といった者が大半を占める。

 アトッサはハムゼを手伝って、バールを船室に運んだ。鳥使いの女は恐縮し、何度もアトッサに詫びたが、実際のところ自力で歩くこともできなかった。

「これほど悪うなっていたとは……。許せ」

 アトッサは痛ましげにそう謝罪した。戦にかまけ、ハムゼがついているからと彼女の容態を確かめもしなかったのは、明らかに無責任だ。住み良い高地を離れ、乾いて暑いティリスまで引っ張ってきたのは、ほかならぬ自分自身なのに。

 だがバールは首を振り、よろしいのですよ、とささやいた。

 脱出の準備は、目の回るような忙しさと裏腹に、遅々として進まなかった。

 傷病者の搬送に割り当てられる兵が少ない。脱出を希望する市民が優先順位や持ち込む荷物のことで揉め、小競り合いが起こる。時間だけが無慈悲に過ぎていく。

(急がなければ)

 時間と共に、アトッサの胸の内に言いようのない不安が広がり始めた。なにかに急き立てられているような感覚。早くしなければ間に合わない――そんな言葉が、意思とは無関係に脳裏をよぎる。

 だが彼女ひとりが焦ったところで、どうにもならない。

 結局、どうにか可能な限りの人々を乗せた船が港を出たのは、翌日の午後になってからだった。


「刻限まで一日足らず……。マルドニオス卿が迎えの護衛艦を寄越して下されば、なんとか逃げ切れますね」

 潮風に当たりながら、幾分か具合の良さそうなダスターンが言った。アトッサに半分背負われるような形ではあったが、どうにか立っていることが出来る。

 戦のことなど知らぬげに、海は今日も照り輝き、ゆったりとうねりを繰り返している。波の音、風の声。何も変わらない。

 はじめて海に出たアトッサは、幸い船酔いもせず、興奮気味に水平線の彼方を見つめていた。無邪気な好奇心と感動に輝く瞳を、ダスターンは横目に見て苦笑した。わざとらしくゴホンと咳払いなどして、おもむろに口を開く。

「あー……私はその辺に転がしておいて、甲板を端から端まで駆け回って下さっても、結構ですよ。なんでしたら、海に向かって何か叫んで下さっても」

「厭味はよさぬか」

 途端にアトッサはむうっと膨れ、ダスターンを睨みつける。ダスターンが笑いをこぼすと、アトッサも怒り顔を保てなくなって苦笑した。バールに対する罪悪感がある分、自分のために傷を負ったこの少年が元気になってくれると、嬉しかったのだ。

 二人は船首にほど近いあたりに立ち、進行方向を眺めていた。反乱軍の船が行く手に十隻ほど、歯の抜けた櫛のように並んでいる。向こうからの攻撃がないと分かっていても、近付くにつれ緊張が高まって行く。

 一度船を止めて、中にオローセス本人が隠れてはいないか、反乱軍の検査を受けなければならないのも、緊張の原因だ。もちろんこの船に乗っているのは、アトッサを除けば市民と傷病兵のみであるが、乗り込んできた敵が何をするか知れたものではない。

 しかも実際、アトッサの弓や、どうしてもという市民の護身用短剣といった武器、それにわずかながら逃亡資金にするための宝石なども、こっそり隠してある。見付かればただではすまないだろう。

 アトッサはダスターンを船室に下がらせようとしたが、ダスターンは「ここで」と言い張った。仕方なく、船縁を背もたれにして座らせると、自分も横に座って、わずかな日陰に身を縮こまらせた。

 やがて向こうの船が一隻こちらに漕ぎ出し、合図の旗を振った。櫂が下げられ、ゆっくりと漂うように二隻の船は近付いていく。接舷すると、板がガツンと乱暴に渡され、その上を数人の兵がのしのしと歩いてきた。

 怯えと憎しみを湛えた視線のほかには何の抵抗もなく、武器を持った反乱軍の兵は尊大に鼻を鳴らした。そして、ずかずかと人々の間を歩き回っていく。ひとりひとり、確かめるように顔を覗き込んで。

「うん? おまえは……」

 アトッサの前で、一人の兵が足を止めた。見事な金髪と、皇族独特の顔立ちが注意を引いたのだろう。アトッサはぎくりとし、怯えた市民を装っていっそう身を縮こまらせると、目をそらした。それを庇うように、ダスターンが無事な方の手でアトッサを抱き寄せる。

 いじらしい恋人たちだと思ったらしく、兵は嘲笑と苦笑の中間ほどの表情になって、首を振りながら次の標的へと移って行った。

 ほっとアトッサが息をつくと、ダスターンもゆっくり腕をほどいて顔をしかめた。無理な姿勢をとったため、傷が痛むらしい。すまぬ、と小声で謝ったアトッサに、ダスターンは苦笑をこぼした。

「どう致しまして、役得でした。あつつ……」

 胸の傷を庇いながら、楽な姿勢に戻ろうと四苦八苦する。アトッサは照れ隠しにぶっきらぼうな口調で「この馬鹿」とぼやき、手を貸してやった。

 船室に降りた兵たちも、何も見付けられなかったらしい。ややあって、乗り込んできた兵士は全員集まり、互いに安全を確認し合った。脱出船の船長も、もう良いだろう、と彼らを追い返そうとしている。

 そして、そのまま引き上げてくれるか、と思った矢先。

「あっ! あれは」

 誰かが声を上げた。その声の方を振り返った全員が、驚きに目を丸くした。短い叫びを上げる者、息を飲む者、立ち上がる者。その視線の先に、反乱軍の船を振り切って、猛烈な速度でこちらに向かってくる船があった。

「遅かった!」

 アトッサは舌打ちし、パッと立ち上がるや査察兵の方に突進した。船長も、締め上げられそうになったのを咄嗟にかわし、お返しとばかり一人を海に蹴り落とす。

「後退だ、急げ!」

 船長が声を張り上げ、水夫たちが反応して動き出す。査察兵はそれを止めようとしたが、アトッサの放った紫色の光が、巨大な槍となって彼らを吹き飛ばしてしまった。

 愕然としたまわりの目には頓着せず、アトッサは渡し板付近の者を怒鳴りつける。

「早く板を外せ!」

 慌てて近くの者が数人がかりで板を外した時には、間一髪というところで、こちらへ渡りかけていた反乱軍の兵を何人か巻き添えにして、板は海に落ちていった。

 櫂が激しく動き、脱出船は元来た方へと後ずさりしていく。

「くそっ、だから急がねばならなんだのに……!」

 アトッサは舌打ちしたが、いまさら言っても詮無いこと。とにかく一刻も早く、ティリスの港に戻るしかない。

 敵の船から矢が打ち込まれ、甲板に出ていた市民はなすすべもなくバタバタと倒れていった。楯も何もないのだから、攻撃はそのまま殺戮になる。

「降伏しろ! 貴様らに逃げ道はないぞ!」

 敵船からの呼びかけに、船長が動揺する。確かに、今、敵の封鎖を突破してくる船が何であれ、彼らがやってくるまでには自分たちの船が沈められてしまうだろう。だが、アトッサが首を振った。

「かまうな、船長! 早く離脱しろ、私が援護する」

 言いざま、再び紫の光をその身に纏う。次いで、それは薄い光の屋根となって船全体を覆った。割れるような頭痛に襲われ、アトッサはぐっと歯を食いしばる。こんなことをしたのは初めてで、いつまで、どの程度もちこたえられるのか、見当もつかない。だが今はとにかく、やれる限りのことをしなければ。

 皇族の力に驚きながらも、船長は言われた通り、離脱を急がせた。幸いこの光に動揺したのは敵も同じだったらしく、攻撃の手も止まっている。

 脱出船がどうにか敵の船から少し離れた頃には、味方らしい船は、もう乗っている人間の顔が見分けられるほど近くまで来ていた。

「あれは、ウィダルナか」

 見知った顔を見付け、アトッサは思わず歓喜の声を上げた。

 アトッサたちの方にかまけていた船は、新たに突っ込んで来た船に対し、まったく無防備な腹を見せている。慌てて向きを変えようとした時には、既に遅かった。

 ウィダルナの船は衝角の一撃で敵船に穴を空けると、あとは見向きもせず、そのまま腹をえぐり取って横をすり抜けた。沈没する敵船を尻目にアトッサたちの船に並ぶと、ウィダルナが舷側から声をかけてきた。

「そこに見えるは、高地のアトッサ殿下にあらせられますか?」

「いかにも、私だ! 今はあれこれ言うておられぬ、とにかくティリス港までこのまま逃げ込むぞ!」

「ほかに手はありますまい。我々が護衛致します!」

 せわしないやりとりの後、二隻の船は並んでティリス港へ走りだした。ウィダルナの護衛艦のうち無事だった一隻も、すこし後から追いかけてくる。その後からは、もちろん反乱軍が。

「どうやらもう、エンリル様の本隊がカッシュを制圧されたようですね」

 ダスターンが言い、アトッサもその横でうなずいた。

「であろうな。厄介なことになるぞ。陸の反乱軍も、我らの様子を窺っていよう。このことが知れたら、なりふり構わず攻め寄せおるに違いあるまい」

 いま少し、時間がずれていれば。

 アトッサたちの脱出が早ければ、あるいはウィダルナたちの到着が遅ければ。そうすれば、無事に非戦闘員は逃げのび、かわって新しい戦力が王都に加わり、かつ守りをかためる時間もとれたというのに。時ばかりは人の支配の及ばぬところ、ということか。

「ままならぬものよな」

 アトッサはつぶやき、唇を噛む。その厳しい視線の先で、今し方、後にしたばかりの王都がふたたび大きく迫っていた。


 港に上がると、再会を喜ぶ間もなく、戦える者は真っ先に階段を駆け登って行った。アトッサも同様だ。

 だがその頃には既に、市街地の各拠点が完膚無きまでに破壊され、騙されたとばかり怒り狂った反乱軍が、王宮の間近まで迫っていた。

「これでは到底、押し戻すことは出来ませぬな」

 門を出て、眼下に広がる市街地を一望したウィダルナは、開口一番そんな絶望的な台詞を吐いた。港から並んでここまで走って来たアトッサは、肩でぜいぜい息をつきながらも、弓を構え、反乱軍めがけて矢を放つ。

「あたりまえだ。街に展開していた兵が王宮に逃げ込むまで、我々で時間稼ぎをするしかあるまい!」

 高台に位置する王宮からは、街で繰り広げられる凄惨な光景がくまなく見て取れた。障壁にしていた干し草や茨はすでに跡形もなく踏みにじられ、あちこちで火の手が上がっていた。状況が急変したため、多くの場所で近衛隊は退却もままならず、とにかくその場を乗り切ろうと必死であがいている。

 ウィダルナはアスラーの姿を見付けると、手勢を指揮して援護に向かった。

 アトッサはじめ弓兵の多くは城壁の上や城門前の階段に陣取り、逃げ込む味方の援護を続ける。武具や制服で近衛兵か反乱軍かは見分けられるものの、混乱がひどくなるにつれ、敵だけを狙撃するのが難しくなってくる。

「弓兵は中へ入り、城壁に上がれ! アトッサ殿も、早く」

 オローセスの声で、アトッサは慌てて城門の内側に戻った。代わって、後から上がってきたカッシュからの援護兵が、槍を構えて外に並ぶ。追撃する敵の手が間近に迫った今では、弓兵が城門前にいるのは危険きわまりなくなっていた。

 砂埃が上がり、視界に黄色い靄がかかる。もはや隊列も規律もない混沌とした状態の中から、ばらばらと兵士が階段を駆け登り、城門に逃げ込んでくる。運の良い者たちは班長や隊長らの指揮を受けて十人ほどのまとまりを維持しながら、なんとか戦士らしい退却を見せてくれた。そうした集団が、槍兵の援護の下、いくつ門をくぐったか。ようやくのこと、アスラーとウィダルナが二十人ほどの兵を率いて戻って来た。

「陛下、すぐにも城門を閉じてください!」

 アスラーが怒鳴ったが、オローセスは冷静だった。

「そなたらで最後か? いや、まだ外に兵が残っておる」

「出来る限りのことはしました」ウィダルナが息を切らせながら首を振った。「これ以上は無理です。逃げ込める者がいたとしても、その者を待てば敵の兵をも招き入れることとなりましょう。どうか、門を!」

「ならぬ」オローセスは頑として譲らない。

「心中お察し申し上げまするが、今はそのようなことを言うてはおられませぬ! 我ら近衛兵の命は陛下のためにあるのであって、逆ではござらん! 構わぬ、城門前の兵を引き入れて門を閉じよ!」

 業を煮やしたアスラーが命じたが、オローセスは「ならぬ!」と厳しくそれを制止した。のみならず、実力行使できぬよう、門の外側に進み出たのだ。

 その間にも、城壁の真下近くで兵がばたばたと倒されて行く。アトッサは城壁の上から矢を放ちつつ、どっちでもいいから早く決めろ、と喚きたい衝動を堪えていた。

 だが、どうすべきかは上から見れば一目瞭然だった。城門の外に残っている兵はもう、数える程度しかいない。それもまとまっているのでなく、ばらばらだ。瞬く間に囲まれ、あっけなく倒されていく。待っていても門までたどり着けはせぬだろうし、兵を出して救い出そうとすれば、逆に損害を大きくするだけだ。

「オローセス様! 待っても無駄です!」

 アトッサは城壁の上から、声を限りに叫んだ。それでもオローセスは譲ろうとせず、険しい表情で目前に迫った敵を睨み据えていた。

(違う)

 敵を見ているのではない、とアトッサは気が付いた。味方の兵を見ているのだ。ひとりまたひとりと、倒されていくさまを。

 やがて敵がどっと雪崩をうって攻め寄せ、どうにか生き残っていた数人がなすすべもなくその波に呑み込まれてしまうと、オローセスは一瞬、目を閉じた。

 そして、目を開いた、刹那。

 聖紫色の光がその体を取り巻き、あっと思った瞬間、光の壁が反乱軍の先陣を吹き飛ばした。誰もが驚愕し動けずにいる間に、オローセスは門の内側に戻って、城門を閉じよ、と命令する。我に返った反乱軍が再び攻め寄せるより早く、重い音を立ててがっちりと門が閉じた。

 そうなると、さすがに反乱軍もこれ以上、王宮への攻撃を続けようとはしなかった。

 敵が退いて行くのを確かめると、アトッサは城壁から降りて、オローセスのそばに駆けつけた。あれほどの力を使えば、疲労も相当なはずだ。

 案の定オローセスは青ざめ、地面にへたりこんでアスラーに支えられていた。

「無茶をなさる」

 呆れたように頭を振ったアスラーに、オローセスは「そう申すな」と苦笑した。

「エンリルが正統の王でないと知らされても尚、私のため、ひいては彼のために戦ってくれた者に対し、たとえ救えぬとわかっていても門を閉じるなど……出来はせぬよ。そのようなことをすれば、ますます彼奴らに大義名分を与えるだけだ」

「それが道理とは存じますが、敵の間者に潜入の隙を与えかねぬ行いでしたぞ」

 アスラーが渋面で諭すと、オローセスもこれには素直にうなずいた。

「であろうな。兵の確認を急いでくれ。私が間者であれば、集団で逃げ込む我が軍の兵に紛れ、とうに入り込んでおるであろうよ」

「不吉なことをおっしゃらないでくださいよ」

 ウィダルナが陰鬱にため息をつく。それにあえて同意する者はおらず、もちろん杞憂だと否定する者もいなかった。


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