五章 造反者 (1)
話はアラナ谷に移る。
ヴァラシュとクシュナウーズの部下に護送され、アルダシールと部下数十名は丘を越えて谷へと歩いていた。
「あら……この辺りからは雨が降らなかったのね」
ふと足元の変化に気付き、メロエが誰に言うともなくつぶやく。
聞き付けたウィンダフラナも地面を見て、目をしばたたかせた。野営地からほんの少し離れただけで、もう地面はすっかり乾いていたのである。イシルが降らせた局地的な雨でしかなかったとは、彼らの知る由もない。
「我々は天候にも見放されたと見える」
苦笑いして彼は言い、頭を振った。せめて雨が降らなければ、アルダシールもこうあっさり投降を決めはしなかっただろう。討ち死に覚悟で戦いたくとも、持てる力のすべてを出し切れる状態にないがゆえの判断だったのだろうが……
(しかし、あの男が言ったのはどういう事なのだ?)
猿芝居に付き合っている、とティリス軍の男は言った。
(考えたくはないが、アルダシール様は最初からこうなると見越しておられたのではなかろうか……。王都でも妙な態度を見せられたし)
夜逃げでもするようで、と言った自分に対し、アルダシールとメロエは共に奇妙な表情を見せた。あれが思い過ごしでないのなら、アルダシールは全軍を欺いたことになる。
憂鬱な気分を抱え、彼は行く手に姿を現したアルベーラの街を見やった。
なだらかな丘の斜面には葡萄畑が続き、陽がさんさんと降り注いでいてる。自分たちの惨めな境遇をあざ笑っているかのようだ――ウィンダフラナは自虐的にそう考え、いかんな、と思い直して顔を上げた。太陽は平等であるだけだ。
ティリスの手勢はさして厳しく監視するでもなく、普通に道案内でもするかのように、アルダシール達を導いて行く。
領主館の前に着いた時、ウィンダフラナのみならず、捕虜となった一行は揃ってあっと声を上げた。彼らの前にずらりと並んだ兵士たちは、いずれも元アルダシール軍の者だったのだ。
「これは……」
呆然とそうつぶやいたきり、ウィンダフラナは絶句した。しかも彼らの表情には一向悪びれる気配もなく、かと言って捕虜となったかつての上官を嘲笑する様子もない。妙に爽やかな、どこかふっ切れたような目でこちらを見ている。
「アルダシール様、遅いお着きですね」
にこにこしながら言ったのは、たしか百騎長の一人だったはずだ。ウィンダフラナは質すようにアルダシールを振り返ったが、彼の方も愕然として言葉を失っているようだ。少なくともこの件に関しては、全く知らなかったらしい。
「ウタナ卿と、ティリスの方から聞きました。将軍はわざと進軍を遅らせて、反乱に共感する者が谷へ向かう隙を作っておられたのだ、と」
「…………!」
アルダシールの顎が、かくんと開いた。言葉は出てこなかったが。
「王に弓引く覚悟のある者だけを選ぶための手段だった、と。正直、ウタナ卿を討伐に向かうと聞かされた時は、今回ばかりはいかにアルダシール様の命であっても気が進まぬ、などと考えていたのですが……」
「これで胸を張って戦えますよ。顧問官をぶちのめしてやりましょう」
他の兵――皆それなりの肩書をもつ者ばかりだ――も、口々にそんなことを言う。顧問官の言いなりになっているマデュエス王がいかに人望を失っていたか、如実に分かるというものだ。
唖然としたまま、アルダシールは小さく首を振った。そんなつもりではなかった、と言いたいのだろう。こうなってしまっては、誰も信用すまいが。
実際、ここまでの挙動不審を考えれば、そう受け取られても自業自得であろう。ウィンダフラナは一抹の同情を抱きながらも、そう思わざるを得なかった。自分とてアルダシールを疑っていたのだから。
「アルダシール様」
背後の部下たちが剣呑な声を上げた。アルダシールは慌てて振り返り、「違う、儂は」と言いかけた。その語尾に、
「まんまとしてやられた、というわけだな」
意地の悪い声が重なる。再び向きを変えたアルダシールは、悠然とウタナが姿を現すのを見て、眉を逆立てた。
「誰が貴様ごときに!」
「ほう? では最初からそのつもりであったと?」
余裕しゃくしゃくでウタナが返し、ぐっ、とアルダシールが詰まった。否と言えばしてやられたと認めざるを得なくなり、かと言って是と頷けば謀反仲間にされてしまう。
アルダシールをやり込めたのが嬉しくてたまらないらしい、小柄なアラナ谷領主は猫のようにニタニタ笑った。しかし浮かれるあまり、相手が獅子将軍であることを失念していたらしい。
「おのれぇッ!」
いきなりアルダシールが喚くなり飛びかかって来た時も、ウタナは咄嗟に避けられず、胸倉をつかみ上げられてしまった。
「何を……するかっ、この、負け犬が!」
なんとか相手を振り払い、お返しとばかり拳を叩き込む。が、直後に足を払われてドタリと倒れてしまった。間髪をいれずアルダシールがとどめに蹴りを入れかけたが、きわどいところでかわしたウタナが素早く立ち上がって反撃に出る。その手をつかんでねじ上げ、アルダシールが唸った。
「どうせ、うぬの浅知恵で、出来たことでは、なかろうが!」
ウタナも負けじとアルダシールの髪を力任せに引っ張る。
「負け、惜しみは、見苦しいぞ!」
取っ組み合いの喧嘩をしている中年男二人の方こそ、よほど見苦しい。あまりの情けなさに気力を失ってしまったウィンダフラナに代わり、仲裁に入ったのはクシュナウーズだった。
「いい加減にしろよ、ジジィが二人して鬱陶しい」
言いながら、手際よく二人をひっぺがす。それに合わせ、メロエが「あの」と口を開いて、二人に周囲の目を思い出させた。
「ゆうべの雨で具合がすぐれない者もおります。ウタナ卿、捕虜の身分でこのようなことを申し上げられる道理もございませんが……」
「おお、これは失礼した。親に似ず礼儀をわきまえておいでだな」
言葉半ばでウタナは大きくうなずき、召使を呼んで捕虜の世話を言い付けた。もちろん、逃げられることのないよう、監視させる目的も兼ねて、であったが。
「後ほどじっくり話し合おうではないか、獅子将軍殿。生肉を饗することはできぬがな」
余計な皮肉をひとつ飛ばし、愉快げにウタナは呵々と笑って館へと消えた。後ろ姿を見送るしかないアルダシールが、罵声と共に地面を蹴りつけたのは、言うまでもない。
しばしの後、服と体を乾かしたアルダシールは、最後まで残った僅かな兵と共に、領主館の広間で熱い茶をすすっていた。ウィンダフラナはじめ兵たちは、それぞれがなんとも複雑な思いを顔に浮かべ、黙秘を続ける指揮官を見つめている。
長い沈黙の末、ようやくウィンダフラナが口を開いた。
「アルダシール様。いったいどういう事情があるのか、そろそろ我々にも説明しては頂けませぬか。最初から共謀していたわけではないのでしょう?」
それでもまだしばらく、アルダシールは渋い顔で茶碗の中に視線を落として黙りこくっていたが、再度促され、ようやく「うむ」とうなずいた。
「むろん、儂は奴の謀反に加担していたのではない」
「では此度の遠征で必要以上に時間をかけられたのは、まったくアルダシール様お一人の判断でのこと、とおっしゃるのですね」
ウィンダフラナは詰問口調にならぬよう気をつけながら、それでも追及の手を休められなかった。納得のゆく答えを貰わぬことには、今後の身の振り方も決められない。このままウタナに加勢すべきなのか、あるいは命の危険を冒してでも逆らうべきなのか。
だがアルダシールは、煮え切らない返事しか寄越さなかった。む、とか、うん、とか喉の奥で唸るばかりだ。
と、見かねたのかメロエが代わって答えた。
「実は、父とウタナ卿はいがみ合う間柄でありながら、盟約を結んでいるのです」
「なんですと!?」
異口同音に兵士たちが叫んだ。その声に含まれる明らかな非難の響きに、メロエはなだめるような仕草を見せた。
「落ち着いてください。盟約を結んでいると言っても、お互いを嫌悪しているのは事実ですし、共謀していたわけでもありませんわ。ずっと昔に取り決めた約束なのです」
そう言って彼女が説明したことは、ウィンダフラナたちにはまったく理解し難い内容だった。すなわち、彼ら二人はずっと昔、まだ名もない槍持ちでしかなかった頃から仲が悪かったのだが、それを逆手にとって互いの政敵を排する約束をした、というのである。
互いに相手を嫌う気持ちは同じだが、それを権力争いにまで持ち込むつもりはない……そんな風変わりな心情が、たまたまこの二人には共通してあった。それゆえ、こと政治や権力絡みのこととなれば、互いに相手の敵となる者の情報を流し合うことで、未然に争いの火種を消してしまおう、と。
唖然となっている一同に対し、メロエは理解しやすいよう論理的に説明を続けた。
「父もウタナ卿も、権力争いは好みません。たとえそれがどれほど嫌いな相手とであっても、宮廷での争いは無益であり、そんなことにかまけていたのでは本来のまつりごとがおろそかになる、と、考えているのです。それゆえ、余計な争い事を避けるため、皆さんもよくご存じの通り、自分たちが敵対している事実を利用することにしたのです。お分かり頂けますでしょうか?」
分かりたくもない、というのが大方の正直な感想だろう。聴衆は揃って何とも言い難い表情になる。ウィンダフラナは戸惑って、首を振りながら言った。
「では……今回の出征については?」
「警告がありましたの」メロエが答える。「急いで攻めて来ても、無用な損害を出すばかりである、というような内容でしたわ。それに、ティリスとの盟約が既に成っている、とも知らされました」
「ということは、進軍を遅らせていたのは、背後を衝かれることを恐れていたからでもあったのですね? メロエを連れて来たのも、万一都がティリスの攻撃にさらされることになっては、という懸念からですか」
ウィンダフラナは驚きに目をみはり、アルダシールに問いかける。観念したのか、アルダシールは口髭についた茶を拭って、しかつめらしく「そうだ」と応じた。
「その結果が、こうも見事にはめられた、というざまだがな。おそらく今回の策、さきほど我々を捕らえに来たティリスのヴァラシュ卿か、あるいはスクラ卿の入れ知恵があってのことじゃろう。奴ひとりで出来たこととは思えぬ」
「いずれにせよ、貴様が見事してやられたことは変わりあるまい」
厭味ったらしい声が言い、アルダシールは低く唸りながら声の主を睨みつけた。ウタナがヴァラシュとクシュナウーズの二人と共に、部屋に入ってきたところだった。
「策を立てたのは私ですが、スクラ卿の協力があったおかげで、楽に実行できましたよ」
ヴァラシュがそう言いながら車座になっている一同に加わり、メロエに蕩けるような微笑を向けた。ウィンダフラナはムッとして、その視線を遮るように身を乗り出す。
「あの何事にも興味がなさそうなスクラ殿を、よく買収できたものですな。ティリスの国庫が空になったのでなければ良いのですがね」
皮肉ってはみたものの、本質的に人の好いウィンダフラナでは、ヴァラシュに勝てるはずもなかった。
「おや、彼の御仁が賄賂で動くお方だとでも?」
さらりと受け流した上で、ヴァラシュは意味ありげに付け足す。
「血肉の情とても、スクラ卿を動かしはせぬでしょう。己の判断に基づき成すべきを成すのみ、と仰せられましたからね」
その言葉にひっかかるものを感じ、ウィンダフラナは首を傾げた。と同時に、ウタナがフンと鼻を鳴らし、「可愛げのない」と唸る。刹那、あっと気が付いて、ウィンダフラナは思わず口をあんぐり開けてしまった。
「まさか、ウタナ卿の……?」
アラナ谷領主は、海の民の襲撃時に妻子を失い、後添いもとらず養子もとらずで、跡継ぎはどうするのかとささやかれていた。息子がいなければ、谷は別の貴族が治めるか、国のものになってしまう。
意外なところに息子がいたものだ、とウィンダフラナは驚いたが、
「あんな奴が倅なものか!」
ウタナが苦々しく言い捨てたので、閉じかけた口をまたぽかんと開くことになった。
「確かに儂は、あれの母親がどうなったかなど気にかけなんだ。だがほんの一時、行きずりの関係とはそういうものではないか? だのにやつめ、うまく宮廷に潜り込んで士官の地位をせしめるなり、わざわざ昔の事を儂の鼻先につきつけに来おった」
いまいましい、とウタナは舌打ちし、召使に運ばせた葡萄酒を呷る。
「しかも言うに事欠いて、『顔が似るのは致し方ないとして、頭の中身まで似ることのないよう祈る毎日ですよ』だと!」
荒っぽく杯を置き、ウタナは炎でも噴きかねない勢いで、当たると火傷しそうな悪態を二つ三つ吐き捨てた。
「願い下げだ!」
喚いてから、また葡萄酒を飲み、ようやくウタナは呼吸をしずめた。ただただ呆気に取られ、まわりの者が何も言えずにいるうちに、彼はぼそりと一言付け足した。
「だが、確かに要領は良い」
ヘドロに落ちた銀貨を拾う時と同じぐらい渋々と、だったが、一応は褒め言葉に違いない。ウィンダフラナとメロエは視線を交わし、おやおやと苦笑して肩を竦めた。
「貴様のお気に入りになるぐらいには、ということか」
言わずもがなの一言をアルダシールが厭味たっぷりに言い、ウタナが暗く不吉なまなざしを向ける。そこへクシュナウーズが素早く口を開き、再び始まりそうになった中年男のいがみ合いを阻止した。
「何にせよ、奴のお陰で余計な戦はせずにすんだわけだ」
「そのことですが……」
ウィンダフラナもこれ幸いと話を合わせる。ティリス人たちと仲良くする決心がついたわけではないが、この際、舅とウタナの喧嘩を防ぐ為なら何でも利用したかったのだ。
「あなた方の策は、我々を大部分無傷で抱え込むことを目的としていた、ということは分かりました。転進して王都へ攻めのぼらせるためですか?」
それに答えたのはヴァラシュだった。
「エラード人に同士討ちをさせるためだけなら、こんな手間はかけませぬよ。上層部のために迷惑を被っていながら、なお貴殿のように祖国愛の強い方もおいでのようだし、そんな事をさせては気の毒です」
白々しいことこの上ない。ウィンダフラナは相手の極上の笑みを見ながら、こいつは世界でもっとも信用出来ない人間のひとりだな、などと考えていた。
と、その視線の意味を察したのか、苦笑いを浮かべてクシュナウーズが言った。
「言いたかねえが今回は冗談抜きで正義の味方なんだよ、俺たちは。王都からはるばる来た兵を大半寝返らせたのは、ただ回れ右させるためじゃない。アルハンから伸びてくる手に火傷させてやるためさ」
驚きに息を飲む音が、あちこちで聞こえた。クシュナウーズは眉をつり上げ、皮肉っぽく言う。
「おいおいまさか、アルハン王がエラードの内乱を黙って見ててくれる、とか思ってんじゃねえよな? アルハンにもエリアンみたいな奴がいてな、俺らは『赤眼の魔術師』って呼んでんだが、そいつがティリスに小細工しに来やがったことがあるんだ。エリアンが奴と連絡を取り合っているかどうかまでは分からねえが、もしそうとなりゃ、エリアンの要請ひとつでアルハン軍が谷目指して攻め寄せるかも、ってなぐらいは予想がつくだろう」
「いささか迂遠な方法をとったのも、アルハンとの戦いにそなえて、兵力を消耗したくなかったからです」
ヴァラシュが冷たい刃のような笑みを浮かべ、説明を引き継いだ。
「我々は水竜イシル殿の力を借り、南を迂回してこの谷に先回りしました。それ以後、あなた方が到着されるまで油断なくアルハン側の動きを探っていますが……まず間違いなく、彼らは陸海両方から攻めてくるでしょう」
「ばかな!」アルダシールが唸った。「陸はともかく、海から来るとは信じられぬ。北方の海賊共が沿岸一帯を荒らし回っているだろうに」
アルハンだけは、『海の民』に加えて北方の海賊たちにも悩まされていた。デニス地方の北側を守る険しい山脈の向こうから、毎年農閑期になると『蛮族』たちが船で南下し、西海岸を略奪しているのだ。
彼らの住処が、南で略奪せねば生き延びられぬほど酷寒の地である、というわけではない。だがデニスの、とりわけ湿潤で文化的にも産業的にも豊かなアルハンの富は、彼らの欲をかきたてるようだった。
「その海賊どもと手を組んだようなのですよ」
さらっとヴァラシュが言い、この事実を初めて聞かされるアルダシールたちは、ぎょっと目をむいた。
「今、詳しい状況を探らせているところです。しかし先に入った報告では、ヒルカニア大森林の向こう、もっともエラードに近い港カルラエに、北方人の船が多数停泊していたとのことです。略奪するでもなく、ごく大人しくね。来るとすれば陸から、と思い込んでいるこちらの裏をかくつもりでしょうな」
暗い知らせに、座がしんと静まり返る。ウィンダフラナは自分の手の中で、紅茶のカップがどんどん冷たくなって行くように感じた。
その時、入室を告げる簡潔な兵の声がして、伝令とおぼしき軽装の兵が入ってきた。息を切らせて青ざめ、警戒心の光る目でその場に誰がいるかを確かめると、彼は低い声で短く告げた。
「ラウシール様が亡くなられました」




