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帝国復活  作者: 風羽洸海
第二部 エラード侵攻
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四章 虜囚の街 (4)



 一方その頃、ハトラ近くの戦場では、ラウシールの葬儀を執り行うという理由で、七日間の休戦が取り決められていた。

 ティリス軍の陣には弔旗がはためき、重苦しい空気が立ちこめている。

 念の為なのか興味本位なのか、エラード側からも何人かが花を手向けに来たが、柩に横たえられた遺体はもはや誰とも判別がつかない状態だった。

「ええい、気に入らぬ」

 ハトラの総督府で、サルカシュは例によって室内をぐるぐる歩き回りながら、何度もそう唸っていた。

 昨日ティリス陣まで出向いて花を供えた黒焦げの遺体が、目に焼きついて離れない。

「あんな事が出来るなら……」

 眉間に険しい皺を刻み、彼は舌打ちした。かのラウシールをああも簡単に倒してしまえるというのなら、なぜ『天使』はもっと早く現れてくれなかったのか。大勢の部下が傷つき倒れて行くのを、雲の上で見物していたというのか? 最も効果的な場面を狙って?

 それにまた、多くの者が無条件に勝利を喜んでいるが、彼としてはこんな不条理な勝ち方はどうにも納得いかなかった。

 ラウシールの魔術が戦況に与えた影響は、確かに大きかった。それは認める。だが、あの『天使』の前では、自分たち人間が命懸けで戦う意味さえ消し飛んでしまう。あんな圧倒的な力を示されたのでは。

「文句を言うても仕方あるまい。現に我が軍はあの『御使い』の力で勝利できたのだし、おかげで士気も上がりっぱなしだ」

 スクラが皮肉っぽく言った。彼もまた、『天使』のもたらした成果を認めこそすれ、その方法や存在に好意を抱いたわけではなかった。それに、

(あれが『切り札』なのか?)

 嫌な可能性に思い当たった身としては、諸手を挙げて天使様万歳、とは出来ない。

 顧問官エリアンは、天使の出現を知っていたに違いない。だからこそ、親衛隊を無傷のまま待機させていたのだ――苦境に陥った味方の援護もしないで。

 だとすれば、あれは本物の神の使いなのだろうか? エリアンの魔術なのでは?

 そのくせエリアンは、王の前でスクラやサルカシュをなじった。御使いが現れて下さらなければどうなっていたことか、不甲斐ない、と。全力で戦っていたのに、天使の引き立て役にしかならなかったこちらとしては、憤懣やる方ない。

 スクラは日頃の仏頂面に輪をかけて不機嫌な顔をすると、むっつり黙りこんだ。

 苛々と室内を歩いていたサルカシュが、ふとその足を止めて首を傾げた。

「しかし……かのラウシールが倒れたと言うのに、エンリル王は七日の休戦を求めただけで、引き返さなんだな。そこまでハトラに執着するというのも、妙な話だとは思わぬか」

「思わぬな」

 あっさり即座に切り返されて、サルカシュは拍子抜けした顔を見せた。スクラは肩を竦め、「現実的に言って」と説明を加える。

「ラウシールの存在は確かに大きかったろうが、いなければティリス軍がまったく無力というわけではあるまい。谷に軍を奪われている現況を逃せば、ティリスが我らと互角に渡り合える機会はそう多くない。周到に準備をしてきたに違いあるまい、それをラウシール一人の死によってふいにしてしまうのは愚かというものだ」

「む……もしやまさか、どこかから援軍が来るとでも?」

「谷の安全を確保した友軍が到着するのを待っておるのか……あるいは、直接王都へ船団を送り込んでいる可能性もある。いずれにせよ、見込みのない戦はすまい。神頼みなぞというあやふやなものでなく、な」

 言葉尻で彼は辛辣な笑みを浮かべた。

 今のエラード軍で正確に状況を見極められるのは、恐らく顧問官一人だ。あの『御使い』がどのような場面に現れてくれるものか、自分たちにはさっぱり分からない。

「神頼み、か」

 サルカシュも忌々しげに言って、拳をてのひらに打ち付ける。そして突然、

「えい、まだるっこしい!」

 苛立ち紛れに、その拳を力いっぱい宙に打ち付けた。

 ガン!

 空を切るはずだったそれが、何かを思い切り殴りつけた。驚いてサルカシュは目を丸くし、ぽかんとなる。スクラもさすがに何が起こったのか理解できず、ただ目をしばたたかせていた。

「……何だ?」

 拳をさすってから、恐る恐るサルカシュは宙に手を伸ばす。

「何も……ない、な」

 しばらく手を周囲に泳がせて、二人は顔を見合わせると首を傾げた。

「気のせいじゃないのか」とスクラ。

「これが気のせいか?」

 サルカシュはしかめっ面をして、赤くなった右手の甲を見せる。スクラは肩を竦めた。

「現に何もないのだ、そういう事にしておけよ」

「む……」

 釈然としないまま、サルカシュは唸って言葉を飲み込んだ。

 もしこの時、彼らが呑気に会話したり宙を探ったりせず、息を殺して気配に神経を研ぎ澄ませていたなら、何者かがそこにいるのを感じ取っていただろう。

 だが、魔術なるものの存在が縁遠い生活を送っている彼らに、その発想を求めるのは酷というものだ。だからこそ、姿を消していた間抜けな被害者――すなわちカゼスは、無事にその部屋を逃げ出す事が出来たのである。

 ラウシール様が涙を拭き拭き、四つん這いになって部屋を横切っているとは夢にも思わず、サルカシュはやれやれと頭を振った。

「やつらが攻めて来る前に、街の様子を見回っておくか……。ティリス人捕虜の方も警戒しておかねばなるまいしな」

 そんな事を言って外へと歩きだす。スクラはぴくんと片眉を跳ね上げたが、止めはしなかった。

「自重しろよ」

 そう一言、釘を刺しただけで。サルカシュは「分かっておるさ」などと苦笑気味に答えたが、もちろん、相手が言わんとした本当の意味を分かってはいなかった。


 サルカシュが出て行ったのとほぼ同時に、カゼスも反対側へ抜け出していた。壁にもたれて廊下の隅に座り込み、苦痛を堪えて小さく口の中で呪文を唱える。

 もちろん幽霊などではない。生身だ。だからこそ、殴りつけられて倒れそうになったりしてしまうわけで。

「い、痛すぎる……ううう」

 しかもかなり情けない。じんわりと頭の痛みが引いていくのを待ち、カゼスはよろよろと立ち上がった。

 彼女が生きてここにいることを知っているのは、リトルを除けばエンリルただ一人だ。敗走の日、カゼスは咄嗟に防御壁を張ってヤルスの攻撃を防いだが、すぐに反撃に移れるだけの余力がなかった。

 そこで、焼け焦げた死体のまやかしを作り、エンリルに時間稼ぎを頼んだ。その間にヤルスをどうにか……ともかく、どうにかしたいと考えて。

 あの天使がヤルスということは、その母親エリアンは生体工学の専門家でこそあれ、魔術師ではない。まやかしを見破られる恐れはないのだ。

 何の策も思いつかないまま、彼女は総督府に忍び込んでいた。

 だが当然、ヤルスはこのハトラにはいなかった。建物の中を捜し回っても、羽毛のひとひらさえ見付からなかった。スクラたちの会話からも分かるように、エラード軍の誰ひとりとしてヤルスの正体を知らないのだ。『天の使い』がこんな場所にいる筈がない。

 仕方なくヤルスを諦めて情報収集に徹する内に、カゼスはうっかりサルカシュたちのいる部屋に迷い込んでしまったというわけである。

(あの二人、エラードの軍人にしては微妙な感じだったな……特にスクラって人は、随分きれる人みたいなのに、あまり重用されている風じゃなかった。確か、谷の反乱にも関与してるんじゃなかったっけ? 完全に味方かどうかはわからないけど)

 収穫らしい収穫はないが、誰がティリスに友好的になりそうか、ぐらいは分かった。これで我慢するしかないか、と諦め、カゼスは建物の外に出た。

(そうだ、捕虜収容所の様子も見ておこう)

 前に偵察に来た時に、位置は確かめてある。今はまだ彼らを解放することは出来ないが、七日の休戦が明けた時の為に何らかの手を打っておくのも悪くないだろう。

 総督府を出て少し歩き、建造途中で放置されている寺院のそばを通り過ぎた。切り出され運び込まれた時と同じ状態のまま転がっている、白い石灰石。色とりどりのタイル。山ひとつ裸にしてしまいそうな量の材木。

 これだけの物を用意するのに、どれだけの金銀が必要だったのだろう? どれだけの人間が労働を強いられたのだろう?

 カゼスは憂鬱な気分で頭を振り、小さなため息をついて先へ進んだ。今はティリス軍との内通を恐れてか、外で作業している人影はない。

 乾いた地面の所々に、血の染みとおぼしき褐色の汚れがあった。それを目にした時、カゼスは不意に気付いてびくりと身を震わせた。

 ――いつの間に自分は、こんな目に遭う心配のない高みから、戦というものを見下ろしていたのだろう?

 ミネルバにいた頃は、戦争を直に経験することはなかった。軍役の義務もない、税金が軍備に充てられる割合もごくわずか。戦争と言うに近い争いがあったとしても、大抵は共和国の外の話で、情報として受け取るだけ。

 自分自身の身に、飢えや苦痛がふりかかることはなかった。

 そしてそれは、ここに来た現在でも同じだったのだ。

 目の前で人が死んで行く。見えないところで、非戦闘員が悲惨な目に遭っている。だが、自分が惨めな立場になることはない。

 それは、自分がラウシールだから。すぐそばに軍人たち、そしてその外側に数多の一般兵、さらに民間人という、強固な壁に守られているから。

(受け入れられる筈だよ)

 あまりに情けなくて、涙が出そうになった。戦争というものを案外平然と受け入れているな、などと思っていたが、それも当然だったのだ。自分が踏みにじられることなどないのだから。

 恥ずかしくて、姿どころか存在そのものまで消してしまいたい。この先に捕らわれている人々にとっては、受け入れるも何もない、戦争は上から否応なく押し付けられる現実なのだ。天災と同じで、彼らには避ける術もない。

 しばらくカゼスは申し訳なさからその場を動けなかった。

 ようやっと重い足を動かして、収容所の施設へ向かう。先に待ち受けている光景を考えると、このまま引き返したいのが本心だ。だが、せめて目を背けはすまい。

 収容所の出入口は重い扉によって閉ざされていた。兵士だけなら素通り出来るが、扉があるとなると厄介だ。カゼスはそっと裏手に回り、調理場とおぼしき場所から潜入した。

 近付いただけで、すえた臭いが鼻をつく。吐き気がするのを堪えて先へ進むと、どうやら捕虜の居住室らしい場所に出た。

 小さな部屋がいくつも並んでいる。鉄格子や厳重な扉といったものはない。壁からずらずらと続いている足枷が、そんなものは不要であると物語っていた。

 光は天井近くの小さな明かり窓からわずかに差し込むだけ。空気には汚物の臭気がよどみ、埃っぽく、息をするたびに体が病んでいく気がした。

 全員、今は何かの作業に連れて行かれているようだ。たまにつながれたまま横たわっている人間の姿が見られたが、もう手の施しようがないのは一目見て分かった。

 ショックのあまりカゼスは半ば放心したまま、ふらふらと機械的に足を動かしていた。やがて作業場に出た時、彼女はとうとう堪え切れなくなって、しゃがみ込んでしまった。

 何人もの監督官が、鞭や棒を手に捕虜達の間を歩き回っては怒鳴り、殴りつける。

 レンガやタイル作りが主な仕事のようだった。男ばかりが集められ、数人ずつのグループに分けて働かされている。暴動を防ぐためだろう。

 誰もがやつれ、足首は枷で擦れて例外なく真っ赤になっている。体に傷のない者はおらず、落ち窪んだ目だけがぎらぎらとしていた。

 耐えられない。

 それ以上見ていられず、カゼスは逃げるようにその場を離れた。だが、行った先もまた作業場で、そこには女たちが集められていた。

 カゼスの耳に悲鳴が飛び込んできた。弱々しいすすり泣きのような声が。思わず振り返り、カゼスは後悔した。黙々と作業を続ける女たちの向こうで、一人の女が数人の兵士によってたかって暴行されていたのだ。元は美しかったのであろう顔は、殴られたせいで腫れ上がり、鼻から血が流れている。

 もはや抵抗する力もなく、言葉にならない断片的な声だけを喉から搾り出している。一人がそんな目に遭っているのに、他の女は振り向きもせず作業を続けていた。振り向いたところで鞭打たれるだけなのだろう、あるいは屈辱を堪えて唇をかみしめ、あるいは死んだような無表情のままで。

 カゼスは顔を覆い、自分を取り巻く『力』が波立つのをなんとか抑えようとした。今ここで暴走して騒ぎを起こせば、捕虜を全員助けることはできなくなる。それどころか、余計な死傷者を増やすだけだ。

 理性が必死にそう叫んでいたが、感情のうねりはおさまらない。

(誰か、誰か助けを――!)

 と、その祈りが通じたのか、突然誰かが横を通り過ぎた。

「貴様ら、何をしている!」

 壁が震えるほどの怒号が響き、誰もがぎょっと顔を上げる。いきなり現れた巨漢は捕虜をかきわけて暴行の現場に近付き、兵士たちを次々に殴り倒した。

 他の監督官が慌てて走ってきたが、男の凄まじい形相に恐れをなし、何者か、と問うことさえできず立ち竦む。

(あ! あれは……さっきの)

 カゼスは天の助けが誰であるか気付き、息をついた。サルカシュだ。

 ただでさえ長身だというのに、怒りでさらにその姿は膨れ上がって見えた。彼は自分の上着を脱いで女にかけてやると、監督官に向かって、傷薬を持って来い、と怒鳴る。

「き、貴様、何様のつもりだ、ここでは……」

 なけなしの勇気を振り絞って監督官は抗議しかけたが、ぎろりと睨まれただけで息を呑んで竦み上がる。とどめを刺すようにサルカシュは低い声で唸った。

「文句があるなら後で来い。俺は万騎長、サルカシュだ」

 瞬時に監督官はヒッと飛び上がり、滅相もない、などと言い訳をしながらあたふたと転がるように走り出て行く。傷薬を持って戻って来るまでにかかった時間は、驚くほど短かった。その間にもサルカシュは他の監督官に水を持ってこさせ、女の傷を洗っていた。

 サルカシュは汗びっしょりになっている監督官の手から薬をひったくり、怒りのおさまらぬ顔のまま、女の手当をする。

 収容所始まって以来初めての出来事に、誰もが呆気に取られてその様を見ていた。

 手当がすむと、サルカシュは女に頭を下げた。

「すまぬ、まさかこのような酷いことが行われていたとは……どう詫びても許されることではない。だが、どうか……エラードの者が皆、斯様に野蛮かつ残虐であるとは思わないで貰いたい」

 謝られた女の方は虚ろな目をしたまま、言葉を発しない。暴行を受けたショックに重ねて、事態がこんな予想外の展開をしたのでは、それも当然だ。サルカシュは心底気の毒そうな顔で女をじっと見つめ、もう一度、すまなんだ、と謝ってから立ち上がった。

 兵を呼び付けて女の世話を命じると、荒々しい足取りで監督官たちの部屋へと歩いて行く。怒りのあまり、彼は今なら大地をひっくり返すことすら可能ではないかと思えた。

 この時代のデニスでは、既に恒久的な奴隷制度は廃れている。明らかな身分差があるのは確かだが、他国の捕虜にせよ、社会の底辺に位置する者にせよ、このような扱いを受けても当然という態度は――少なくとも建前としては――許されていない。

 それなのに。

 サルカシュは、自国の者がこんな非人道的なことを平然と行っていたことに、激しい憤りと、奈落まで沈みそうなほどの落胆を感じていた。同じエラードの民であることが、いっそ恥ずかしい。

(スクラは知っていたのだろうか)

 だから平然と、自身を指して裏切り者だと言えたのか。だからアラナ谷の反乱に関与したのか。だから……

(スクラの行動はいつも正しかった)

 誰よりも的確に情勢を把握し、理と非の所在をつかんで行動していた。ならばやはり、今回もスクラは正しいのだろう。そうなったら、自分は……。

 そのことが、サルカシュの頭上に暗い影を落としていた。

 怒りと失望と不安を抱えて去って行くサルカシュを見送り、カゼスはホッと肩の力を抜いた。彼がとった行動は捕虜たちに大きな変化をもたらしていた。その一点だけでも、カゼスはサルカシュに感謝したくなった。

 捕虜たちの顔には希望が戻っていたのだ。諦めと、いっそ死を望む絶望だけが満ちていた空気に、希望の光が射している。何とかなるかもしれない、変化が起きるかもしれない。そんな希望が。

 そしてその希望は、現実のものになった。

 その日の内に数十人もの兵士が収容所に派遣され、徹底的に清掃を行ったのだ。負傷者や病を患っている者は労働から外され、簡単にではあるが治療を施された。食事は相変わらず最低限ほどだったが、それでも人間の食事になっただけ大きな進歩だ。

 カゼスの口からこの話を聞いたエンリルは、サルカシュの容貌を詳しく知りたがった。

「道義を守り情に厚い、そのような者を失うのは忍びない。ぜひとも我が軍に迎えたいのだ。寝返りを打診できれば良いのだが、下手に金品で釣ろうとして心証を悪くしても困るしな。とりあえず捕虜にせねば話も出来まい」

「そうですね。金品をちらつかせても、逆に怒らせるだけだと思います」

 カゼスはサルカシュの激昂ぶりを思い出し、苦笑した。

「彼とよく一緒にいる小柄な武将のスクラって人は、冷静ですけどね」

「ああ、スクラ卿の事なら恐らく心配ないだろう。表立って協力するよう要請するのは無理だとしても、クシュナウーズの報告では、少なくとも我々やアラナ谷のウタナ卿に敵対する意志はないとのことだ」

 エンリルはうなずき、いずれにせよ味方が増えるのは喜ばしい、と笑顔になった。

 もっとも同じ頃、別の天幕にいるアーロンやカワードたちは、笑うどころの心境ではなかったが。

「正直な話、勝てると思うか? カゼス抜きで」

 むっつりと暗い顔のまま、カワードが問うた。しばらく誰も答えようとしなかったが、ややあってイスファンドが冷静な判断から首を振った。

「無理でしょう。士気の低下が著しいし、何よりあの『天使』とやらが出て来たが最後、我々にはどうすることも出来ませぬ」

「しかし、あれが必ずもう一度出て来るとは限らんではないか。弔い合戦と言えば兵たちも少しは……」

 カワードは自分を励まそうとしてか、強引に希望的憶測を引き出そうとする。だがイスファンドはあくまで客観的だった。

「かの御方は、カワード殿やアーロン殿と違い、守護者として慕われていました。討たれたのが指揮官であればまだ弔い合戦とも言えましょうが」

 あのラウシールがかなわなかったのに、仇討ちなど出来るはずがない――そう考えられるのがオチだ、と、彼は首を振った。

 そこでアーロンが無言のまま立ち上がり、天幕を出て行った。

 なんとなくカゼスとアーロンの親しさに気付いていたカワードたちは、何も言わずそれを見送る。戦の中を生きて来た彼らは、こんな時には慰めの言葉など何の役にも立たない事を知っていたから。

 アーロンの姿が見えなくなってから、ウィダルナがふとため息をついた。

「エンリル様もそれはお解りの筈でしょうが……まだ戦を続けられるおつもりなら、厳しい展開になりそうですね」

「うーむ……」

 カワードが唸る。ウィダルナの懸念は、一人外に出たアーロンも同じく抱いていた。

(カゼス、おぬし本当にいなくなってしまったのか?)

 柩の傍らに立ち、彼はそんな事を考えていた。喪失感だけがぽっかりと胸に穴を穿ち、そこに悲しみはまだ湧いてこない。

(おぬしがおらぬでは、勝てるものも勝てぬ……)

 実のところそんな事はどうでも良いのだが、心の奥底で本当に感じていることを言葉にしたが最後、理性を失ってしまいそうで、彼は敢えて戦の行方ばかりを考えていた。

 この黒焦げの死体がカゼスだなどと、とても信じられなかった。信じたくなかった。

 放心したように立ち尽くしていたアーロンは、ふと、鳥の鳴き声に気が付いて顔を上げた。遥かに高い空で、鷹か鳶がゆったりと輪を描いている。

 ぼんやりとそれを見上げていたアーロンの目が、やがてゆっくりと見開かれた。

 何事かに気付いたように、彼は顔を下ろして黒焦げの死体をまじまじと見つめる。そして、もう一度空を仰いで。

「まさか……もしや」

 小さくつぶやいた声に、期待がにじんでいた。

 カッシュでの見事なまやかしが脳裏をよぎる。見た目だけでなく、触れた感覚までごまかしていたあの術。人を騙すのはお手の物だろう。が……

(だが、鳥はどうだ?)

 戦場には必ずハゲワシやカラスが集まってくる。屍をついばむために。剣に切り裂かれていようと、火矢に射られて焼けただれていようと、彼らにとっては餌に変わりはない。

 そう、黒焦げの死体だろうと――。

 アーロンは何かを探すように辺りを見回すと、エンリルの天幕に向かって走りだした。その足取りは、心なしか喜び勇んでいるようにも見えた。


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