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帝国復活  作者: 風羽洸海
第二部 エラード侵攻
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四章 虜囚の街 (1)



 陽射しが強まっていくのに合わせるように、王都ティリスでは慌ただしく出征の準備が進められていた。吹く風に時折、乾いた熱を感じる。夏の始まりだ。

 そんなある日のこと、王宮に一人の人物が訪れた。何の変哲もない旅装束の男。たった一人で、馬も従者も連れていない。高地人のような容貌だが、話す言葉に時折、デニス人らしからぬ妙な発音がまじる。

 近衛兵としばらく問答した後、彼は油断ない兵士の槍に狙われたまま、謁見の間に案内された。いつものように官僚の報告や民の嘆願に耳を傾けていたエンリルは、その男が入って来た瞬間、ぎょっとなって思わず立ち上がった。

 その反応に、男を案内した兵士はあたふたする。何か、入らせてはならぬ人物を連れ込んでしまったのだろうか、と。

「なぜ『赤眼の魔術師』がここにいるッ!?」

 エンリルが叫び、誰もが驚きに息を呑んだ。部屋中の人間の視線を集め、男はゆっくりと笑みを浮かべる。

「失礼、こうでもしなければお目通りすることはかなわなかったでしょう」

 そう言ってから小声で解除呪文をとなえ、まやかしを解く。次の瞬間、そこには銀髪赤眼の男が立っていた。三十代の半ばほどであろうか。収まりの悪そうな銀の巻き毛をどうにかひとつに束ねている辺り、見る者によっては妙に剽軽な印象を受けただろう。

 だが、ここにはそんな余裕のある人間はいない。兵士たちは気色ばみ、いっせいに武器を構えた。シザエル人は動じる事なく、のんびりと彼らを見回す。

「使者を傷つけるのはティリスの流儀ではないと聞き及んでおりますが。私はアルハン王ヴァルディア様の言葉を預かって参りました」

「ヴァルディア殿の使者だと?」

 エンリルは険しい顔になって聞き返す。男はうなずき、慇懃に腰を折って頭を下げた。

「お初にお目にかかります。私はキース、アルハンの顧問官です」

 顔を上げ、彼はもう一度室内の面々を見回した。

「害意はございませぬ、ご安心を。信用ならぬと仰せられるならば、名高いラウシール殿をお呼び下さい」

 やましい様子は感じられない。だがエンリルは警戒を解かず、「いいや」と短く応じて玉座に腰を下ろした。相手の目的はカゼスなのかも知れないのだ。

「伝言とやらを聞かせて貰おう」

 厳しい視線をキースに当てたまま、エンリルは促した。

「では……。ヴァルディア王はエラード国内での反乱を聞き、この機会に陛下の軍と我らの軍とで二国間を隔てる距離を縮めたいとの考えです」

「簡単に言えば、余とヴァルディア殿とでエラードを分割統治しようというのだな?」

 ずばりとエンリルが言った。射るようなまなざしにも平然と視線を返し、キースは軽くうなずく。次の瞬間、エンリルの怒声が響いていた。

「断る!」

 あまりの大音声に、その場にいた面々は頬をはりとばされたようにびくりとした。

「随分と素早いご決断ですが、検討の余地はございませぬか」

 残念がるふりすら見せず、キースは淡々と訊く。

「帰って伝えるが良い。余はヴァルディア殿と結ぶ手は持たぬとな」

 エンリルはぴしゃりと言い切った。キースも最初から色よい返事が貰えるとは期待していないらしい。眉ひとすじ動かさず、平然と低頭する。

「左様でございますか。では致し方ありませぬな」

 そのまま退出しようとしたキースを「待て」と引き留め、エンリルはしばし黙ってその赤い目を見据えた。

「使者殿を手ぶらで帰すのも気の毒だ。護衛の者をつけて、国境まで丁重に送らせよう」

 言葉の内容と表情がまるでそぐわない。キースはうっすらと笑みを浮かべて、再度低頭した。もちろん、エンリルの真意が分からなかったはずがない。だが彼は護衛を断らず、おとなしく監視を受け入れて王宮から立ち去った。

(この程度のことで奴の奸計を阻止出来るとも思えぬが)

 残されたエンリルは謁見をそれきり打ち切り、むっつりと考え込んでしまった。

 キースがここに現れたということは、彼もまたカゼスのようにティリス国内を瞬きひとつの間に移動できるということだろう。ここに来るまでに、どこぞに立ち寄って騒乱の種を蒔いていたかも知れない。監視の目を欺き、途中で行方をくらますかも知れない。

 だが、カゼスをキースにつけるのは無理な相談だった。

 たとえカゼスの魔術でアルハン領内までキースを無理やり送らせても、その後こちらにキースが戻って来ない保証などないし、カゼスに四六時中監視させるわけにもいかない。『ラウシール』には、果たして貰わねばならない務めがあるのだ。

(頭が痛いことだ)

 ふうっ、と深いため息。エラードだけでも手に余るというのに、そこへアルハン王ヴァルディアが余計なちょっかいを出すとあっては、おちおち国を離れてもいられない。

 エンリルのため息を別の意味に取り、室内に控えていたシャフラーが訊いた。

「よろしかったのですか? ヴァルディア王の誘いに乗るふりをなさったら、ひとまずエラードの件が片付くまでアルハンの心配はせずに済みましょうに」

「無駄だ。どちらにせよヴァルディア王は信用ならない。ふりだけでも手を差し出せば、食いつかれるのは目に見えている。乗り気の様子など見せようものなら、あの王は余が自身同様に相手の領土を狙っているものと考え、一刻の猶予をもすまい。エラードの件が片付く以前に、アルハンの軍隊が高地を経てティリスに攻め込むであろうよ」

 うんざりした風情でエンリルは答え、またため息をつく。ちょうどその時、

「どうなさいました? 最近ため息が多いですね」

 カーテンをくぐってカゼスが入ってきた。その姿をしげしげと眺め、エンリルは曖昧な表情になった。

 カゼスに確かめたいこともある。最近、着るものでごまかしているようだが、彼の目にはどうしても相手が女にしか見えなくなっていたのだ。どう扱えば良いものやら、勝手が掴めなくて困惑してしまうというのが正直な心境である。

(そもそも、どちらでもない、ということ自体が困惑の元だったのだが)

 一方になったらなったで、どう接して良いのか分からない。エンリル個人は別にカゼスから今の地位を剥奪するつもりなどはないが、ただ、何人か衣装係を余分につけるとか、フィオのような子供ではなく歳の近い侍女を話し相手につけるとか……

(馬鹿馬鹿しい)

 そこまで考えてエンリルは、カゼスにそんな気遣いは無用であったと思い出した。もしカゼスが、エンリルの考えにあるような『女』たちと同じであれば、今頃とっくに金銀宝石の装飾品に埋もれるような生活をしているだろう。

「……? 何ですか。人の顔をまじまじ眺めて、挙句にため息なんて」

 カゼスの方は自身の変化がばれているなど考えもせず、首を傾げている。エンリルは彼女のことは当面の問題から外し、先刻キースが訪れたことをかいつまんで話した。

「何らかの対処が必要とは言え、魔術師がそなただけではな……良い方法はないか?」

 さすがにカゼスも顔をしかめた。せめて数人の魔術師を動員できたら打つ手もあるが、一人ではどうしようもない。

「残念ですが……後手に回るしかないでしょうね」

 しばらく考えたものの、結局カゼスは肩を竦めるしかなかった。エラードに兵を進めれば、確実に顧問官が行く手を阻むだろう。国王マデュエスは腑抜けだという話であるし、ザール教が広められているところからしても、エラードのシザエル人は相当な権力を握っているはずだ。

「一度に二人を相手にしていたのでは、両方で敗北してしまいます。多少の被害は覚悟の上で、各個撃破するしかありません。せいぜい被害が小さくてすむよう祈りましょう」

「そうか」

 納得してからエンリルはふと思いついたように言った。

「魔術師がもっと大勢おれば良いのだがな。そなたは弟子は取らぬのか?」

「それは」

 うっ、とカゼスは返事に詰まった。十一条のこともあるが、実のところ、それを抜きにしても彼女は、他人を指導できるほどの魔術師ではないのだ。教員資格も取っていない。

「信じて頂けないかも知れませんが、私は本当に魔術師としては新米なんですよ」

 苦笑いし、周囲の人間に聞かれないよう小声でささやく。

「到底一人前とは呼べないんです。誰かに教えるなんて危険なことはできません」

「……冗談だろう?」

 まさか、とエンリルは笑いだしそうな顔をする。

「冗談だったら良かったんですけどね。他の人には内緒ですよ。半人前の魔術師に国の命運がかかっているなんて知られたら、一人残らず脱走してしまいますから」

「そなたが半人前なら、そなたの国の魔術師とはいったいどれほどのものなのだ?」

 呆れと恐れのあいまった声を上げ、エンリルはまじまじとカゼスを見つめた。怪物を氷柱に封じ込め、一瞬で高地とティリスとを行き来し、瀕死の怪我人を見る間に全快させてしまう、それほどの魔術師が半人前?

 その表情を読んだカゼスは、辛辣な棘のまじった笑みを浮かべる。

「魔術を使えることと、人を教え導けることとは別物ですよ」

 そう言ってから、彼女は真顔になって続けた。

「それに、仮に教えられたとしても、誰にも魔術を伝えるつもりはありません。少なくとも、デニス一帯の情勢が落ち着くまではね」

「なぜだ?」

 エンリルは微かに不満げな声を出した。戦時だからこそ必要なのではないか、と言いたいのだろう。カゼスはそれを察して首を振った。

「新たな魔術師が、敵に回らないとは言い切れませんから。魔術を利用することで戦争がどれほど様変わりするか、既によくご存じでしょう」

「…………」

 エンリルは沈黙した。確かに、カゼス一人が加わるだけで、実際の戦闘もそれ以前の策略も大幅に変わった。彼女の力があればこそ、マティスの策を打ち破ることも出来たのだ。となれば、敵が魔術師を欲しがるのも当然だろう。魔術師とて人間、買収や脅迫で敵にも味方にもなり得る。

「『赤眼の魔術師』たちが、魔術師の軍団を作り上げたりしていないのも、同じ理由からでしょうね。秘密兵器は一人だけが持っていればいい、というわけです」

「なるほどな」エンリルは残念そうにため息をついた。「国家の武器にするには、魔術はあまりにも管理しにくい代物のようだな」

「そんなことをしたら、事態が泥沼化するだけですよ」

 カゼスはぞっとなって身震いした。エンリルの発想が支配者のものであることを実感したのだ。国家権力によって魔術師が自由を奪われ、戦争の道具にされる――そんな社会を想像すると、寒気がした。

 それを悟られぬよう、カゼスはことさら明るい口調を装って、話題を変えた。

「ともあれ、何かあっても私だけはすぐに戻って来られます。単純な仕掛けなら……たとえば留守中に王宮に怪物が現れるとかいった程度なら、事態が現実のものになった後でも簡単に片付けられますから、安心してください」

「仕方ないな、それで我慢するしかないだろう。ヴァルディア殿がこちらを甘く見てくれることを祈るばかりだな」

 エンリルも調子を合わせ、うなずく。国王と宮廷魔術師が暗い顔を突き合わせてひそひそやっていたのでは、周囲に不安が伝染してしまう。

「その点に関しては大丈夫でしょう」思わずカゼスは冗談を飛ばした。「エンリル様は国王にしては随分とお若いし、演技なさらずとも呑気者に見えますから」

「……心優しい慰めの言葉に、礼を言うべきなのだろうな」

 苦笑に含まれる剣呑な気配を察し、カゼスは慌てておどけた礼をすると、大急ぎで退出したのだった。


 時折のどかな幕間を挟みつつも着々と準備は整い、ウタナ卿がアラナ谷で反乱を起こしてほどなく、ティリス軍はやすやすとエラードとの国境を突破した。

 主力であるアルダシールの部隊が谷へ向かっているので、ティリス側の国境は警備が緩んでいたのだ。ハトラの街までは一本道。途中障害になるような地形も砦もない。

 アルダシールが娘夫婦と共に軍を率いて谷へ出発した五日後、ティリス軍侵攻の知らせが舞い込み、マデュエス王は真っ青になった。

「まさかティリスと手を結んでおったとは」

「いや、単にウタナ卿の反乱を聞き付けて、これ幸いと兵を進めただけでは?」

「だとすれば尚のこと、陽動とみて捨て置くわけにも行くまいが」

 周章狼狽するばかりの官僚たち。会議は混乱を極め、いっこうに結論が出ない。そうこうして無駄に数日を費やした頃、ティリス軍からの使者が王都ラガエに到着した。

 挨拶の口上を述べようとした使者に、エリアンが厳しく言う。

「無駄な言葉は要らぬ。何のゆえあってこのエラード国内に兵を進めたのか、明瞭な答えを聞かせて貰おう」

「ならば申し上げよう」使者もムッとして応じる。「近頃、我が国と貴国との境界付近において、盗賊を装った一団が頻繁に近隣の村々を荒らしている。捕らわれた我が国の民は貴国内のハトラにて、強制的に寺院建造に従事させられているとの報告があり、一刻も早く真偽を確認するべく出向いた次第。早急に捕虜の解放を要求する。さもなくば我々は武力でもって我が国の民を救い出す所存である」

「言いがかりもここまで来れば大したものだ」

 他の者が何を言う間もなく、エリアンが鋭く言い放った。マデュエス王はうろたえ、情けない顔で使者とエリアンとを交互に見る。室内に控えていた万騎長たちは、さほどの動揺は見せなかったものの、無言で視線を交わし合った。

「あくまでシラを切るおつもりのようですな。分かり申した、その旨、エンリル王にお伝えしましょう」

 苦々しく使者が言う。もともと講和の使者というわけではないので、友好的な態度を取り繕う必要もない。

 使者が退出すると、たまらずマデュエスが声を上げた。

「ああ、何ということだ!」

 それを皮切りに、場は騒然となった。頭を抱える者、不安に眉をひそめて声高に議論する者、だから言ったろうなどと今さらに憤る者。

 マデュエスは青ざめ、傍らに立つエリアンにすがるようなまなざしを向ける。

「やはりあれはやめておくべきだった。すぐに捕虜を解放すれば、盗賊と総督がつるんでしでかした事だとして和議を……」

「落ち着いてください、陛下」

 うんざりした声音でエリアンは応じた。いいかげん、愛想も在庫が切れそうである。

「ここで奴らの言い分を認めてしまえば、今後も奴らの要求は横暴になる一方でありましょう。単に捕虜を解放するだけでは済まされませぬぞ」

「さよう」スクラがそれに言葉を重ねた。「ハトラの件は口実に過ぎませぬ。まっとうな国王であれば、本気で虜囚の解放だけを目的とするはずがありますまい。おそらくはこの機に乗じて我らの力をそぎ、領土あるいは財宝の幾許なりと奪い取るのが真の目的でありましょう。エリアン殿が仰せの通り、一度要求を飲めばティリスを増長させるばかりです」

 その論にエリアンは満足げな笑みを浮かべてうなずく。もとより意志薄弱なマデュエスは簡単に流され、自信ありげな二人の口調に納得させられてしまった。

「そ……そうか、奴らの真の狙いとは我が国の富であるか。見下げ果てた盗人根性よな、貧しい田舎のヤギ飼いどもが考えそうな事じゃ」

 うんうんとうなずきはしたものの、すぐに不安げな顔になって言う。

「しかし、奴らの要求をはねつけた場合、アルダシールがおらぬ現在の兵力で、ティリスの精強をもって鳴る騎兵団を打ち破ることが出来るかどうか……」

「陛下! 我らの力をお疑いになるのですか? ティリスの兵は確かに精強でありましょう、しかし地味の貧しい彼の国では所詮、どれほどかき集めたとて兵はわずか。おまけに彼らは遠路を馳せて来た上で、不慣れな土地・気候とも戦わねばならぬのです。ハトラの警備隊と併せて当たれば、名高いティリスの騎兵とて恐るるに足りませぬ」

 憤慨してそう言い切ったのは、ひときわ長身の武将だった。自分たちの能力を正当に評価されない怒り、決断力のない逃げ腰の王に対する苛立ちが、その口調に滲んでいる。

 対照的に冷めた口調のまま、スクラが言葉を添えた。

「また、ティリスの者にわずかなりともエラードの財宝ないし土地を与えた日には、貧しい国の輩のこと、味をしめて我らから根こそぎすべてを奪おうとするのは目に見えております。一度は引き下がる素振りを見せ、また機を狙って攻め寄せることでしょう」

 二人の武将の言い分にエリアンもうなずいて言葉を重ねる。

「こちらが強気に出て奴らの要求を突っぱねれば、強いて捕虜の解放などにこだわることもありますまい。万一こちらの兵が守りを固める前にハトラが落とされたとしても、その時は総督の一存であるとすれば良いでしょう」

 周囲の人間に押し切られる形で、王はハトラに迎撃の兵を送ることを決めた。


 会議が終わって主立った面々が退室すると、スクラは「恐るるに足らぬ」と言い切った武将に近付き、その腕をとらえた。

「気を付けろよ、サルカシュ」

 低くささやかれた武将、サルカシュの方は、目をぱちくりさせてスクラを見下ろす。

 ただでさえ小柄なスクラは、長身のサルカシュと並ぶと滑稽なまでに差がついて見えた。おまけにリズラーシュ人の血を引くスクラは顔立ちも地味だが、サルカシュは海の民の血が濃いらしく、くっきりした目鼻立ちをしている。

 外見だけでなく、物言いから態度までが対極に位置するかのような二人だが、それでも実は結構仲が良い。王宮の者には不思議がられてもいるのだが。

「なに、ハトラには警備隊もいる、案ずるほどのこともあるまい。おぬしの方こそ、慎重すぎてしくじるなよ」

「おぬしに言われるほど間抜けではないつもりだ」

 しらっと真顔で応じたスクラに、サルカシュは苦笑した。せめてここで厭味な笑みのひとつでも浮かべてくれたら、こちらも何か言い返しようがあるものを。

「確かに無用の心配であったな。どうだ、出発の前に一杯」

 軽く杯を呷る仕草をして見せたサルカシュに、スクラは無表情のままうなずいた。

 自室に戻ると、サルカシュは棚の壜を取って栓を抜いた。慣れたもので、スクラはさっさと二人分のリュトンを用意している。

 葡萄酒を一口すすってから、サルカシュは不意にため息をついた。

「やれやれ……陛下も相変わらずだ」

「おぬしもな」

 スクラは短く言い、こちらは芝居がかったため息をついて見せる。

「見ていてひやひやする。迂闊なことを口走れば、陛下はともかく顧問官に首を斬られるぞ。さすがに、取れた首を元通りにつなげる術までは知らぬからな、そうなったら俺にも救いようがない」

「何を大袈裟な。確かに俺は理屈は苦手だが、そこはいつもおぬしが何とかしてくれるではないか。おぬしが俺の手綱をとっておる限りは、案ずる事などあるまい」

「朝から晩まで心配しておらねば、手綱を緩めてしまうではないか。おぬし、俺を心労で殺す気か? そうでなくとも近頃、髪が薄うなったのではないかと気にしておるのに」

 ことさら悲愴感を漂わせてスクラが言ったので、思わずサルカシュはふきだしてしまった。むせかかったのを堪え、色こそ淡いが豊かな髪の持ち主に、苦笑で言い返す。

「ぬかせ。俺の方こそ、おぬしに髪を根こそぎ引っこ抜かれるのではと思うわ」

 その身長差ゆえ、喧嘩っ早いサルカシュを止めるためにスクラは相手の『尻尾』を引っ張るのが常だ。もっとも、それが原因で髪を引っこ抜かれるとしたら、悪いのはスクラでなくむしろサルカシュ本人の方ということになるのだろうが……。

 サルカシュはその点には気付いていないらしく、葡萄酒を注ぎ足して話を変えた。

「冗談はさておき、ティリスはどう出ると思う? かつての戦で得たティリス人捕虜を寺院の建造に従事させているのは知っていたが、どうも奴らはそれにかこつけて我々を極悪非道の輩に仕立てたいらしいな」

 渋面で言ったサルカシュに、スクラは無言だった。実際のところ二人とも、事実をその目で見たわけではないのだ。王都から遠く離れた国境で何が行われているのか、正確なことは分からない。クシュナウーズの目撃談を聞いてもいないサルカシュが、使者の言い分を本気にしていなくても、当然と言えば当然だった。

「王都の守りを残してほとんど全軍が出るとあらば、さしものエンリル王も恐れをなして引き返すと思いたいが……」

「無理だろうな」

 あまりにあっさりスクラが答えたので、サルカシュはしばらくその単純な言葉を理解できなかった。ややあって、目をしばたたかせながら「だが」と反論しかける。スクラは首を振ってそれを遮った。

「エンリル王は真実、捕虜の解放に重きを置いている。仮に財宝や土地でごまかそうとしても、捕虜を解放せねばやはり兵を進めて来るであろうよ」

「な、なぜそんな事を……いやしかし、それならばなぜそうと言わなんだ? あの場では顧問官の論に全面的に賛成しておったではないか」

 サルカシュは戸惑い、しどろもどろに問う。相手が何かを隠している、それも相当に厄介な事を――そんな嫌な予感に顔を歪めて。

 だがスクラは友人の心配など、どこ吹く風といった体である。

「ああでも言わねば、陛下は王都に籠城してしまうか、前後の見境を失って無謀な作戦を強行するかのどちらかだ。俺はまだ死にたくないからな」

「しかし……」

「いずれにせよ、奇蹟でも起きぬ限り我々がティリス軍に勝てるとは思えぬよ」

「な……!」

 さすがにこの言い草には腹が立ち、サルカシュは顔を赤くした。その反応を予期していたスクラは、「まあ落ち着け」と小声になる。自分たちが穏当ならざる言葉を交わしていると思い出させるために。

 ハッと相手の意図に気付き、サルカシュは抗議の声を飲み込んだ。それから彼も、ぐっと声をひそめて問う。

「なぜそうだと言い切れる?」

「馬鹿。考えてもみろ、あれだけ若くして国内の混乱を収め王位についた人物だぞ? しかも『偉大なる青き魔術師』とやらがついていると聞く。少数で多数を破る奇策を考えつく人物が、それを実行可能にする能力の持ち主と組んでおるのだ。それこそ何を恐れることがある?」

「…………」

 正論で諭され、サルカシュはかえって納得のいかない顔になった。眼前にいるこの友人は、そんな『論』だけで確信を抱くほど安直な人物ではないはずだ。

 何とか本当のところを聞き出したいのだが、自分では言いくるめられるだけと分かっているため、サルカシュは複雑な唸り声を立てた。それを聞いてスクラは、表情の乏しい面にほんのわずか愉快そうな気配を浮かべる。

「まあ、ひとつだけ教えておいてやる。俺を信ずるも信じぬもおぬしの自由だが、早まった真似はしてくれるなよ」

 来い来い、と手招きされ、サルカシュは不審げな顔のまま背を屈める。スクラは「騒ぎ立てるなよ」と念を押したが、無駄だった。

「何だと!?」

 秘密を聞くなりサルカシュは大声を上げ、スクラに掴みかかった。が、行動を読んでいたスクラは難無くひょいとそれをかわし、「落ち着けと言うに」などとすまして言った。カッとなってサルカシュは言い返した。

「これが」

「落ち着いていられるか」

 台詞を横取りされ、サルカシュはぐっと言葉に詰まる。スクラは友人の単純さに対してか、事態の面倒さに対してか、軽く肩を竦めた。

「と言うのも分かるが、まあ、そこをなんとか堪えてくれ。今はこれ以上のことは教えられぬが、少なくとも結果によって国内情勢が現状より悪化することはない。それだけは信じてくれて良い」

「…………」

 黙り込んでしまったサルカシュの腕をポンと叩き、スクラも無言で部屋を出る。

 ちゃっかりと葡萄酒の杯を乾すのだけは忘れずに。


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