一章 遭遇 (3)
ふとカゼスが目覚めると、ベッドの中だった。
議長の家と言っても田舎街のこと、暮らし向きは地味なもので、ベッドも堅い。木の寝台に羊毛を詰めた布団が敷かれているが、決してふかふかだとは言えない代物だ。カゼスの体も所々が痛んだ。
ゆっくり首を巡らせて、人はいないかと確かめる。
〈今、何時かなぁ。あれからどのぐらい経った?〉
〈ミネルバ時間で四時間ほどですね。ここがデニスということは、第四惑星ですから自転周期は大差ありませんから、概算時間でいいでしょう。あなたに正確な時間を教えても混乱するだけでしょうし〉
しれっと枕元でリトルが応じた。カゼスは言い返す気力もなく、よろよろと起き上がった。頭にまだ霧がかかっている。
カーテンのない窓から、夕暮れつつある空が見えた。日干し煉瓦の四角い建物や、草葺きの屋根のついた平屋、ナツメヤシの梢などが、茜色に染まっている。どこか郷愁を誘うその風景に、カゼスはしばし夢見心地を味わった。
バサリと布が動く音がして振り返ると、アーロンがカーテンをくぐって入って来たところだった。
「目が覚めたか。気分はどうだ?」
「あ……おかげさまで、随分よくなったみたいです。ええと、」
相手が何者か把握できていないので、カゼスは目をしばたたかせる。アーロンはベッドに近付き、カゼスの顔色を見た。
「まあ、悪くはないというところか。今、議長殿が怪物退治の祝宴を支度している。おぬしはどうする? 出られそうか」
「え、遠慮します」
慌ててカゼスは首を振った。食べ物を想像しただけで胃がムカつく。まだ魔術の影響が残っているらしい。そのひきつった顔を見て、アーロンは納得したようにうなずいた。
「そうか。その方が賢明かも知れぬな。後で障りのない汁物でも運ばせよう。それと……替えの服だが」
男物を用意させるべきか、女物か。アーロンは言葉に詰まってしまった。まさか、おぬしは男か女か、などといきなり不躾に尋ねるわけにもいかないのだが……カゼスはきょとんとしており、アーロンの困惑を察してはくれない。
「その服ではあまりにみすぼらしい。それに、どこで調達したのだ? 臭うぞ」
仕方なくそう言って、アーロンは顔をしかめた。元々デニス地方の衣服は、男物も女物もよく似たデザインなのだ。男でも長衣をまとえば女物と似た雰囲気になるし、女でもズボンを着用する者もいる。その上、カゼスの失敬した物のようにボロボロになっているのでは、衣服からその主の性別を判断するのは無理な話だった。
「あー、やっぱり臭いますか。これ、死体から貰ったんですよね」
苦笑してカゼスは袖口を嗅いだ。アーロンはたじろいで顔を背ける。
「なぜそんな真似を……いや、詳しい話は後で良い、とにかく替えを用意しなければならないが……」
遠回しに尋ねる方法をあれこれ考え、結局アーロンは諦めることにした。
「で、おぬしはどちらなのだ? 男なのか女なのか」
「ああ、その事ですか」
どうもさっきから奥歯に物の挟まったような言い方をするな、と思っていたら。カゼスは納得してうなずき、次いで苦笑した。
「ええと……どっちに見えますか?」
実はどちらでも無いんです、などと言ったら、化け物扱いされかねない。髪が青いだけでも充分だと言うのに。しかもこの社会において男女の区別は、各々の意識の上でも、社会的な立場の上でも、明瞭厳格だろう。カゼスは生まれてこの方、自身を男あるいは女だと感じた事など一度も無いが、そんな事実を明かして許容されるとは到底思えない。
どちらかと言えば体格や声質は男と偽る方が楽だし、男性優位社会のようだからその方が望ましいが、もし女だと判断される程度ならばそれに合わせるしかないと覚悟を決める。
返答を待つカゼスの前で、アーロンはしばし考えてから困り顔のまま言った。
「最初、倒れているのを見た時は……女かと思ったのだが……もしや、男なのか?」
見た目はともかく、言動があまりに女らしくないので、ということだろう。何にせよ天秤が楽な方に傾いてくれたので、カゼスは少し安堵して笑顔になった。
「そうです。あんまりらしくありませんけど、まあそれは育った環境ってことで。ところで、あなたの名前をまだ伺っていないんですが」
「アーロンだ。万騎長の」
無愛想に答えた相手を見上げ、カゼスはその顔と名前を一致させようと頭に刻み込む。
「ええと、アーロン……様、ですね」
さん、という呼称はあまり用いないようだし、万騎長というのがどの程度偉いのかよく分からないが、エンリルと親しく話していたのだから、『様』付けすべきなのだろう。
カゼスは一応治安局という組織に属してはいるが、中でもフリー色の強い魔術師部門である上に準局員という事で、接遇なるものをまともに学んでいない。はっきり言えば営業や接遇は大の苦手で、だから魔術師を選んだ節さえあるのだ。
今頃そのツケが回ってきたのかもしれない。
複雑な顔をしているカゼスに、アーロンはやはり無愛想な態度で言った。
「無理に敬語を使わなくとも構わん。おぬしのその妙な言葉遣いで『アーロン様』などと呼ばれても、揶揄されているのかと疑いたくなる」
「すみませんね。がさつなのは地です」
さすがにムッとなってカゼスも言い返す。優れた翻訳呪文と言えども、細かい言葉遣いまでは直してくれないらしい。もっとも、意思を伝えるという点では正確なのだろう。カゼス本人、「アーロン様であらせられますね」などと言った覚えはないのだから。
カゼスのむくれた反論には何も言い返さず、アーロンはさっさと部屋から出て行く。しばらくして、さっきの台詞はまずかったかな、とカゼスが後悔し始めた頃、左腕に衣服をひっかけてアーロンが戻って来た。
「体に合わぬかも知れんが、我慢しろ。着方は分かるか?」
「あ、はい、多分。ありがとうございます」
ベッドの上に投げ出された衣服を広げてみて、カゼスは礼を言った。アーロンは小さく肩を竦めて見せる。
「この家の召使はそう多くない。今は全員が宴の準備にかかりきりだからな、仕方あるまい。他に必要な物はあるか?」
「いえ、特には。すみません本当に」
よく考えたら、人手不足というだけで万騎長という肩書の人間に雑用をやらせるなど、ここでは無礼どころか処罰ものの事態なのではなかろうか。不安になってカゼスはおどおどした目で相手の顔色を窺った。その心情の変化に気付き、アーロンは初めて苦笑を浮かべた。
「性分だ、気にするな。また後で誰かを来させる」
短く言って、面倒見の良い元守役は出て行った。それを見届けてから、カゼスは衣服を検分にかかる。
〈リトル、どんなもんかな? 肌着……は、ないみたいだね、やっぱり〉
情けない顔をして、一枚一枚広げていく。麻とおぼしき生成りのズボンとシャツ、それに藍染めの毛織りの上着、幾何学的な織り模様の帯。柔らかい革の靴まで用意してくれたのはありがたい。サンダルほど紐が多くなく、あまり擦れる心配がない形だ。
「でもサイズがちょっと合わないな……ええと」
ぼそぼそと、最下級の『力』を組み合わせた呪文を唱える。鈍痛がこめかみに響いたが、じき治まった。靴が足にぴったりすると、次は衣服だ。
〈シャツとズボンが最初ですね。ウエストは紐で括れますよ。そう、そこ。それから上着……頭から被るんです、ボタンはありませんから。最後に帯、端は結んで中に押し込んでいるようですよ〉
あれこれとリトルが指示してくれるのに従って、なんとかカゼスはそれらしい格好を整えた。治癒呪文を唱えて、てのひらや足に残る傷をきれいにし、少々こすれても大丈夫なように保護しておく。
それだけすませると、カゼスはベッドに腰掛けて一息ついた。デニスの力場が非常に高レベルであることは知っていたので、いつも術で使うレベルの『力』より下位のものを利用したのだが、それでもまた気分が悪くなってしまった。
「それだけへっぽこだって事か……うう、参ったな」
カゼスは頭を抱え、うめいた。容赦なくリトルが事実を指摘する。
〈そのへっぽこさんが、伝説のラウシール様とはね。そんな大役があなたに務まるとはとても思えませんが、でも、こうしてあなたがここにいるって事は、やらなきゃならないんでしょうねぇ。私としては取り返しの付かない失敗をしでかす前に、なんとかミネルバに帰って頂きたいものです〉
〈私だって帰れるもんなら帰りたいよ。出来るわけないじゃないか、このままエンリル様のデニス統一を助ける? 冗談じゃないよ〉
我が身の不運を嘆き、深いため息をつく。
カゼスは以前にも事故でデニスに落とされた事があるのだが、その時は今の時点よりも二百年ばかり後で、エンリルも既に伝説と化していた。その建国詩に謳われていた青い髪の魔術師、ソレス・イ・ラウシールが、まさか自分の事だったとは。
〈前回は運よく帰れたけど、今回はうまくいくかどうか……はあぁ〉
〈デニスが統一されるか、代わりのラウシール様が現れてくれない限り、無理でしょうね。まったく、なんだってあなたはそう災難に巻き込まれてばかりなんです? お陰で私までこんな文明未開の地で……〉
ぐちぐちぐち。なまじ性能が良いものだから、リトルの愚痴は尽きるところを知らない。修辞法や時には韻律を駆使して延々と、能力を発揮できないリトルヘッドの嘆きとやらを聞かせてくれた。
カゼスはベッドにひっくり返り、この厭味を聞き流していたが、やがてまた眠気がさしてきて、窓から差し込む光が弱くなるのにつられるようにうつらうつらし始めた。
「ぼく、魔術師になる」
進路相談の時に、家族を連れずに来た子供がつぶやいた。
「そうしたら、この髪も、染めなくてもごまかせるから」
それを聞いた担当教師は初めて、その子がどれだけ深刻に悩んでいたのかに気付いた。
人間未満の幼児たちは残虐だ。残虐であると知らず、なぜ、何がいけないのかも認識しないままに行動する。餌食となるのは、彼らよりも弱い生き物か、彼らの中で少し毛色の変わった者。
就学前から既にカゼスは、自分が異端児だと思い知らされていた。染めているとして責められ罵られ、小突かれたり髪をむしられたりされた。記憶にある限り、誰も助けてはくれなかった。
親も教師も、何ら実効的な手段を講じてはくれなかったのだ。初等学校に入る時に、カゼスは髪を染めて黒髪を装った。だが、髪が伸びたら根元から青くなる。目敏くそれを見付けた子供によって、再びカゼスは小さな社会から弾き出されてしまった。
まやかし、と一般に言われる幻覚術を知ったのは、中等教育課程に進む前、大まかな進路の方向を探っていた頃だった。
魔術師なら、治安局の局員養成学校で資格が取れる。開業するか局員試験を受けるか、その先は分からないが、とにかく魔術を体得すること自体はそう難しくはないのだ。
とにかく外見をごまかす術さえ身につけられたら。
そう思ってカゼスは、その後、魔術師だけを目指して勉強を続けた。もっとも、魔術師というのは確かにある種の変わり者が選ぶ職業でもあったので、他人といまさら同じになれるものか、なりたくもない、という心理が働いていたのも否めない。
『異端』から『一般』への変化は、時がゆっくりと密かに進めてくれていた。カゼス自身の内面や、かつて彼を異端扱いした者たちとの関係に、何の劇的な変化もなく、ただいつの間にかカゼスは周囲に溶け込み、目立たない、十人並みの人間になっていた。
周囲が皆、誰かをいたぶるより自分の将来や恋愛に向き合うのに忙しい年齢になり、髪を染めるのも珍しくはなくなって、やっと、ではあったが。
もう髪の色や性別をごまかす必要がなくなった後も、カゼスはそのまま魔術師を目指した。
「いや、おまえの場合、天職だと思うぞ」
養成学校で知り合ったオーツは言った。
「何しろおまえの不精さは、魔術でも使って補わない限り破滅的だからな。それに魔術師ってのは、そんなに人間相手にしなくていいし。俺みたいに剣士部門の下っ端だと、住民の皆さんとの折衝が大変だよ」
そう言って苦笑した友人が、爽やかな笑顔と闊達な話し方とで、人に好印象を与えることはカゼスもよく知っている。自分にあの資質の一割でもあればな、と考え、カゼスは自嘲したものだった。
(所詮、私は私でしかないんだ)
私は、私。
青い髪と性のない体をしていても。家族の誰とも血がつながらず、自分が一体どこから来たのか誰にも分からないとしても。
私は、私。
今、生きている。ここに在る。
私は―――
(……ラウシール)
誰かの声が重なった。……誰か?……自分の声だ。
私は、ラウシール――
「ラウシール殿ぉ、お食事ですぞぉー」
野太い声が、いきなりカゼスの意識に冷水を浴びせた。ぎょっとなって飛び起き、室内に漂う酒気にウッと顔をしかめる。
外はすっかり暗くなっており、誰かがもう鎧戸を閉めてくれていた。かわりに蝋燭に火が灯されており、漆喰の壁に蜜のような影を映している。
来訪者に対する議長の敬意ゆえであろう、燭台の数は多く、室内には充分な光があった。見ると、上機嫌のカワードが果物を両手に抱えており、その後ろにエンリルが立っている。ちょうどアーロンが入って来たばかりだった。
「カワード、おぬし飲み過ぎだぞ」
呆れ顔で言い、アーロンはカワードをつまみ出そうとする。その手を振り払い、カワードはアーロンに絡みだした。
「馬鹿を申せ、この俺が酒に呑まれるわけがなかろう! らいたいなぁ、おぬしはああらこうらと口うるさいぞ、この小舅がぁ」
既にろれつが怪しい。エンリルが苦笑いでカゼスに言った。
「すまぬな、少し目を離した隙にこれだ」
ひょいとカワードの手から果物を取り上げ、カゼスの手に渡す。「どうも」とカゼスは受け取り、呆れ顔になってカワードを眺めた。
(どこの世界にもオヤジってのはいるんだなぁ)
などと失礼な感想を抱き、手を焼いているアーロンの姿を見て、酔った上司に辟易している社員の図を重ねてしまい、ぷっとふきだす。
「なんらぁ? おお、ラウシール殿もお楽しみかぁ、ほれほれ」
幸いカワードに酒乱の気はないらしく、ひたすらご機嫌になっていた。カゼスの膝にほいほいと果物を乗せて、何が面白いのかげらげら笑いだす。アーロンが顔を覆って呻いた。
カゼスはもう少し見物していたいところだったが、あまり近寄られると酒の匂いがたまらぬし、いつまでも話が進まないのも困る。やれやれと果物の山を脇に避けて、少し身を乗り出した。
自分自身には使ったことのない呪文を慣れた手順で組み立て、全体のレベルを下げてから、カゼスは人差し指でカワードの額に軽く触れる。
小さく呪文をつぶやくと、カワードの全身に巡っていたアルコールがきれいに分解されてしまった。いきなり水風呂に放り込まれたも同然である。カワードは驚きに目をぱちくりさせ、その場にへたっと座り込んでしまった。
「貴様、何をした!?」
カワードの部下らしい、壁際にいた青年が気色ばむ。カゼスは苦笑した。
「酒気を抜いただけです。他人事なら見ていても面白いんですけどね、話が出来なくちゃ困るでしょう」
「何だ何だあぁ? いきなり酔いが醒めちまったじゃないか。ああ、もったいない……そこそこいける葡萄酒だったんだぞ」
情けない顔でカワードが嘆く。よろよろと立ち上がり、恨みがましい視線をカゼスに向けて、彼は口をへの字に曲げた。
「便利なものだな。カゼス、やはりそなた魔術師なのだな」
エンリルは感心し、手近にあった椅子を引き寄せて座った。カゼスは軽くうなずき、ベッドの端に移動して椅子のない面々の為に場所を空ける。もっとも、警戒してか誰も座ろうとはしなかったが。
それからふとカゼスは、室内の蝋燭の数を考えて眉を寄せた。
(こういうところが貧乏性って言われるんだろうなぁ)
カゼスはやや繁雑な呪文を組み立てると、声にして解放した。途端に室内の蝋燭の炎がいっせいに揺らいで、フッと消えてしまう。一同がぎょっとなった直後、天井の中央あたりに光源を設定した魔術の光が灯った。
「これはいったい……」
ぽかんとしているエンリルに、カゼスは平気な顔で説明する。
「魔術の光です。蝋燭をこんなに大量に使ったらもったいないでしょう? それより……さっき、なぜ私を『ラウシール』と呼んだんですか?」
「呼んだか?」
などと目をぱちくりさせたのは、当のカワードである。カゼスは苦笑した。
「呼びましたよ、あなたが。ラウシール殿ぉ、お食事ですぞぉ、って」
「そうだったか? ああ、そうそう、食事だ食事」
きょとんとしたものの、カワードはすぐに、後ろの小卓上に置いていた椀を取り、カゼスに渡してくれた。粗末な焼き物の器で、匙もついている。何やらスープのようなものが入っているが、正体は分からない。
カゼスは礼を言って受け取り、「それで」と促す。代わって説明してくれたのはエンリルだった。
「ラウシールというのは私が言い出したのだ。今では『青い』という意味ぐらいにしか使われない古語なのだが、本来は『青き者』という意味だったらしい。古典の詩に、稀に出てくる言葉なのだが……正確な由来はよく分かっていなくてな。司書などは、恐らく青い衣か何かを身につけていた一種の階級であろうと言うのだが。そなた、何か心当たりでもあるのか?」
「いえ、そういうわけじゃないんです。ただ、その単語が私の呼び名になるようなので」
曖昧に答えてカゼスはスープを一口飲んだ。まだ温かく、喉越しも柔らかでホッとする。このスープを選んでくれたのは多分アーロンなんだろうな、とカゼスは考えて、ちらっと目をやった。
その視線を予想していたらしい。アーロンは小さくうなずいてから、質問した。
「食べながらでいい、話してくれ。なぜおぬしがここにいるのか、おぬしは何者で、何を知っているのか」
なぜ、ここにいるのか。
それについては、カゼスの方が、なぜかと問いたい気分だった。ため息をついて答える。
「事故、としか言いようがありません。もしかしたら、私の与かり知らぬところで何らかの力が作用しているのかも知れませんが……私自身が望んでここに来たわけではないんです」
何者なのか、という問いにも、さあ、としか答えられない。
「その青い髪は何なのだ? 生まれつきか? そなたの国では皆がそうなのか?」
厭うでもなく、ただ好奇心だけの見える顔でエンリルが問う。一瞬カゼスは、そうです、と答えたくなった。私みたいなのは普通です、と。だが口は「いいえ」と答えていた。
「生まれつきなのはそうですが、元々青い髪という人間は、知る限り、いません。どうしてこうなっているのか、今のところ誰にも分からないんです。だからと言って特別頭がいいとか、魔術の才能があるとかいうわけでもないらしいのが残念ですけど」
そう言って苦笑する。どうせなら才能の面で非凡だったら良かったのに、とはよく思ったものである。外見だけ変わっていても何の得もない。
「何を知っているのか、についてはもう少しマシな回答ができます。以前私は、今からおよそ二百年後のデニスに落ちた事があるので、その時にどうなっていたか、結果だけは知っているんです」
「……? ちょっと待ってくれ、時間関係がよく飲み込めないのだが」
アーロンが困惑顔になって話を遮った。さもありなん、とカゼスは苦笑し、空中に青と緑の球を浮かび上がらせた。
「この青い球が、私の故郷です。緑の方がデニスとしましょう。ふたつは同じ時間の流れに乗っているんですが、今、こちらにはエンリル様や皆さんがいます。で……」
〈およそ千四百年後の人間があなたですね〉
即座に計算してリトルが教えてくれる。
「千四百年ほど時間が流れた後のこの青い方から、私が今、ここに、落っこちて来たわけなんです」
「つまり……時を越えて、という事か?」
さすがにエンリルも驚いた顔になった。カゼスはうなずき、どこまで説明したもんかな、としばし首をひねった。
「そうです。ええと……魔術を使えば実際に、時も空間も越える事が可能です。ただ、未知の法則があるらしくて、完全に自由にとはいかないんですが。ですから、皆さんにとっては未来になる時点へ、『過去の私』が現れた、というのもあり得る事なんです」
「……ややこいしな」
エンリルが情けない顔をしたので、カゼスは思わず失笑しそうになり、慌てて表情を取り繕った。この分では、シザエル人の事などは黙っていた方が良さそうだ。
カゼスから見て百年前、エンリルたちから見て千三百年後。シャナ連邦の少数民族シザエル人の大部分が、布教と称し、彼らの宗教にとっての新天地を求め、数多の界へ散開するという事件があった。
やり方が強引であちこちの界に混乱を引き起こした為に、シャナの連邦公安部とテラの治安局とが協力して彼らを狩り出すという、今から見ればかなり横暴な処置が取られたのだ。局員規約の十一条はこの時に作られた。
異世界において、その世界の本来的な発展に多大な影響、特に悪影響を与えるミネルバ人を強制送還ないし拘束する権利を局員に付与する、というもの。やむを得ぬ場合には、現地の法ないし慣習に従ってその者を殺傷する権利をも有する、というのだから、当時の苛烈さが分かるというものだろう。
そのシザエル人の内、一部は、百年経ったカゼスの時代でも行方不明のままだ。それが、今、このデニスにいる。
〈……なんて、どうやったら納得して貰えるのか分からないし、下手にバラしてとばっちりを食うのも嫌だしなぁ。黙ってた方がいいだろうな〉
〈そうですね。シザエル人の方にあなたがミネルバ人だという情報が知れたら、向こうの出方も厳しくなるでしょう。あの時に伝承をすべて聞いていて、これからどうすれば筋書き通りの歴史が出来るのか知っているのならともかく、現状では情報は握っておいた方が得策でしょうね〉
「とりあえず今言えるのは、その、今から二百年後の時には、エンリル様はデニス統一の王として伝説になっていた、ってことぐらいです。それと、その補佐をした正体不明の魔術師としてソレス・イ・ラウシールの名が残っている、ってことですね」
カゼスは肩を竦めて言った。その内容が各自の頭に浸透するのに、しばらく時間がかかったらしい。一同はシンと黙り込み、徐々にそれぞれなりの驚きや困惑を表情に出した。
エンリルは皮肉と驚きのまじった顔になって、頭を振った。
「デニスを統一する? 私が?」
「あなたが、です。私がここに落っことされたんですから、そうなんでしょう」
そうでなければ嬉しいのだが。カゼスはため息をつく。その心情が分かるのか、エンリルは眉を片方上げて、おどけた表情を作った。
「そなたが青い髪をしていなければ、私を惑わし国を乱すべくエラードやアルハンから放たれた間者であるとして、処刑するところなのだがな。私を煽って戦乱を引き起こし、首尾よく私が王位に即いたとして、そなたにはどのような益があるのだ?」
内容の恐ろしさとは裏腹に、エンリルの声には脅しの含みは感じられない。カゼスは苦笑して、周囲の武将が殺気立っているのをごまかそうとした。
「知りません。前にデニスに来た時には、詳しい話を聞けなかったので……結果は知っていますが、どうすればエンリル様が国王になれるのか、とかいった事はさっぱり。私自身はどうやら、いずれは元の世界に帰れるらしいですけれどね。デニスにとどまったわけではないようなので。あなたに野心がないのなら、成り行きでどうにかなるんでしょう」
「役に立たぬ予言者だな。ティリスにはエセ予言者ばかりが集まるのか」
エンリルは辛辣な笑みを浮かべる。その棘は眼前の相手に向けられたものではないが、それでもカゼスは一瞬びくりと怯んだ。次いでカゼスはハッと気付き、身を乗り出した。
「『ばかり』? まさか他にも同じことを言った人がいるんですか?」
故郷ミネルバではカゼスが前回落ちた報告をするまで、第四惑星にデニスがあったことは知られていなかった。もしエンリルに未来を予言した者がいるのならば、それはカゼスの知らぬところでこの国に来た同時代あるいは未来の同郷人だ。より詳しい歴史を知っていて、介入しようとしている治安局の者かも知れない。
だが期待は裏切られた。エンリルは表情の険を消して答えた。
「いや、そなたのような者ではない。顧問官という奴がいてな、不吉な前兆ばかり他人に告げては不安がらせている、詐欺師のような輩だ」
「ああ……『赤眼の魔術師』ですか」
なんだ、とカゼスは肩を落とす。「知り合いか?」と皮肉めかして問うたエンリルに、カゼスも苦笑を返した。
「直接には知りませんけど、去年……じゃない、二百年後に、聞いたんですよ。なんだか時制が変だなぁ。仕方ないけど……その中では、エンリル様の敵役みたいに言われてましたけどね」
「あの女狐をどうにか出来ると言うのなら、それだけでも歓迎すべき予言だ」
エンリルは鼻を鳴らし、ふと思い出してカゼスをまじまじと見つめた。
「で、それはいつの事なのだ?」
「……さあ、そこまでは……」
首を傾げたカゼスに、アーロンがしかめっ面を作った。
「つまり、いつ成就するやも知れぬその予言の為に、おぬしを手元に置いておかねばならぬという事か」
居候、というわけである。何か言おうとしたカゼスを遮り、エンリルはおどけた顔でアーロンを振り返った。
「いつからそんなに諦めが良くなったのだ?」
「殿下の拾い癖はよく存じ上げておりますから」
やれやれ、とアーロンは大袈裟なため息をついて見せた。拾い物扱いされたカゼスは目をしばたたかせ、慌てて口を挟む。
「あの、ご厄介になるつもりは……もちろん、何か出来る限りの事をさせて貰います」
貧乏性な発言に、エンリルが苦笑しながら振り返る。
「そういう問題ではないのだ、カゼス。たとえそなたが実際に非常に有能であったとしても、私の手元に置くという事は、そう単純には行かぬ。一兵卒として軍に入れるだとか、王宮で下働きをさせるだとか言うのならばともかく、私の身近に誰かをいさせるという事は、それだけでその者に地位を与える事になる」
「は……? あ、はあ、なるほど」
一瞬戸惑ったものの、カゼスは事情を理解してうなずいた。
この手の社会では、権力者の身近にいられる事それ自体が、一種の地位であり権力であるのだ。素性の知れぬよそ者をほいと気軽に召し抱えられるものでもないし、そうすると誰かにしわ寄せが行って恨みを買う事になる。
原始的な情報伝達手段しかない社会では、物理的な距離がそのまま心理的・社会的な距離になる。毎日ご機嫌伺いに顔を出せる者と、月に一度の文が届く程度の者とでは、おのずと重要度に差が出るというものだ。
「そうですよね。えーと、じゃあ……どうしましょう」
はて、と首を傾げたカゼスに、エンリルが可笑しそうに言った。
「そなたが気にする事はない。構わぬ、我が目付役もあの通り諦めておるのだから、共に来るが良い」
何の気負いもなくそう言いながらも、彼は油断ない光をその目に浮かべる。
「そなたが本当に私を助けてくれるものか、見せて貰うとしよう」
言われた当人は、すっかり平和ボケした一般人らしく、緊迫感のかけらもなく頭を掻いたりした。
「保証はしかねますね……いまだに人違いなんじゃないかと疑ってるんですから」
〈まったく、そうだったらどんなにいいか!〉
精神波のため息が伝わる。カゼスは苦笑いした。
「それに、予言云々という事態になる前に厄介払いされるかも知れませんしね。役立たずのくせに態度がでかくて」
「横柄だと言うのか? そなたが?」
よく出来た冗談を聞きでもしたかのように、エンリルは楽しそうな顔になる。
「私ならばその形容は、他の心当たりに付けるが」
言外に揶揄されているのが分かり、カワードとアーロンはお互い苦い顔で、おぬしの事だぞ、とでも言うような視線を交わす。エンリルの背後での無言劇にカゼスはふきだし、くすくす笑いながら予防線をもう一本張った。
「私の場合は、この国の方々とまったく考え方や常識が違うので……一応、言葉に気を付けるつもりですけど、多分かなり不躾に物を言ってしまうと思いますよ」
「ああ、なんだ、そういう事か」
今度は本当に笑いだしかけながら、エンリルはうなずいた。背後の面々をちらっと見やり、失笑を堪えきれず妙な声を立ててから言う。
「そのような者は既に大勢いるし、私も下らぬ世辞より直言の方がありがたい」
「殿下……なぜこちらをご覧になってからおっしゃるんです」
心底不本意げにアーロンが抗議する。カワードはおどけて不満顔を作った。
「大勢、ってところが気に入りませんなぁ」
どうやらその反応を予想していたらしい。エンリルはしてやったりとばかり、嬉しそうに皮肉たっぷりの笑みを浮かべた。
「何が不満だ、二人とも? 私は褒めたのだぞ。それとも何かやましい所があるのか?」
とうとう、壁際の方に控えていた武将たちまでが笑い出してしまう。笑いの渦の中で、カワードはぼそっと唸った。
「おぬしの教育の賜物だな、守役殿」
それに対し、アーロンはいつものごとく真面目くさった顔で応じたのだった。
「おぬしが来るまでは、かような事は仰せられなんだ」