一章 高地の姫君 (1)
ファラケ・セフィール――『白い天』とデニスの人々が呼ぶ高地は、その名の通り、ほとんど一年中冠雪しているほどの山並みに囲まれている。ティリスではもう初夏だと言うのに、湖畔の王都エデッサでは朝夕吐く息が白い。
朝の訪れも遅く、東の赤みが薄れ天蓋が明るい青に塗り替えられる頃、ようやく険しい山々の向こうから太陽が姿を現す。その瞬間、木々や草の葉に宿る露がいっせいに光を受けてきらめき、仄暗かった世界が薄闇の衣を脱ぎ捨てるのだ。
王城のある小島の浮かぶウルミア湖が、冷たく凍った水晶から、隙間なく雲母で埋め尽くされた光の海へと変化する。
そのほとりで満足そうにじっと立ち尽くして、羽化する世界を眺めている少女がいた。
年の頃は十七そこそこ。背に矢筒をかけ、手には弓を持っているが、狩人の娘というのでもないらしい。着ている服は簡素だがよい仕立ての物で、清潔だった。
容貌は典型的な高地人の特徴を備え、長い金髪を高い位置でひとつに括っている他は、娘らしい飾り気も洒落っ気もない。だが、そんなものなどなくとも、理知的な青褐色の瞳に宿る生き生きとした光が、何よりも少女を輝かせている。
その溌剌とした目がふと何か動く影を見付け、立て続けに数回瞬きした。
(なんだ……?)
それが見慣れぬ人間であり、しかもこそこそと人目を避けるように水辺に寄って行こうとしているのだと判ると、少女は考えるより先に「おい!」と呼びかけていた。
見られているとは思っていなかったらしい、その人影はぎくりとして振り返った。そちらに歩み寄り、少女は相手の格好を見て呆れた。むさくるしい図体の男が、何を考えてか上半身裸で水に片足を突っ込んでいたのである。
「馬鹿か、そなたは。いくらなんでも泳ぐには早すぎるぞ。どうしても泳ぐと言うのならば、せめて昼過ぎまで待て。凍え死なれては困る」
少女の妙な物言いに、男は不審な顔をした。が、どう見てもこの場合、男の方がよほど不審人物なので、おとなしくうなずいただけで何も言わず、そそくさと退散する。木立の中へと逃げ込む男を見送り、少女は不可解げに顔をしかめた。
「何なのだ、一体。今の季節、しかもこんな朝早くに泳ごうなどとは酔狂な」
街の人間でないことだけは確かだ。しかし、わざわざ泳ぐ為に山を登って来るよそ者がいるとは思えない。
首を傾げ、しばしその場に佇んで考えを巡らす。しかし説得力のある仮説も出てこず、彼女は諦めて首を振り振り立ち去った。小娘一人に見付かったぐらいでこそこそ逃げて行くのだから、そう心配する必要もないだろう。
ちょうど、朝夕二回の渡し船が出ようとしていた。慌てて駆け出し、大声で叫ぶ。
「おーい、待ってくれ! 私も乗るぞ!」
この無料の渡し船には御用商人などは乗れず、別の船を用意しなければならないのだが、それでも王城へ向かう人でいっぱいになっているのが常だ。嘆願者や訴訟を抱えた者、顧問官カイロンの施す治療の技を頼って来る者も多い。
船着き場で厳しく身元と所持品を検められるのが普通だが、この少女は別で、何も咎められることなく船に飛び乗る。
船は城内へと続く水路へ入り、城の地下に直接漕ぎ着ける。下船した後にもまた検問があるが、少女はそれを素通りして、一人さっさと城の中へと入って行った。
が、彼女の堂々とした態度もそこまでだった。
ごちゃごちゃした船着き場の賑わいから離れるほど、人目を憚るようにこそこそと、足音を忍ばせきょろきょろし始める。だが、どんなに用心しようと相手が相手だ。彼女の努力も、滑稽なばかりであまり意味はなかった。
「お帰りなさいませ、アトッサ王女殿下」
皮肉っぽい声がいきなり背後で言い、少女、すなわちアトッサはぎくっと身を竦ませた。反射的に振り返り、いつの間にかそこに現れていた顧問官の映像にぎょっと飛びすさる。
「カ、カイロン! 驚かせるな!」
その反応に対し、銀髪赤眼の男は微苦笑を浮かべたが何も言わなかった。アトッサは上目遣いになって、恨めしげにカイロンを睨む。しばらく拗ねたように唇を曲げて黙り込み、それから彼女は不承不承「今帰った」と相手の言葉に対する返事をした。
「申し上げたいことはお分かりでしょうな?」
やんわりとカイロンが言う。穏やかな苦笑を浮かべてはいるが、言い逃れはできそうにない。ますますアトッサは渋面になる。
「部屋の方に食事の用意が出来ております。早くお戻りを」
慇懃にそう告げて、カイロンの立体映像はフッとかき消えた。途端にアトッサは、ぶはっと息を吐き出してげんなりした表情になった。
「まったく……魔術師という奴は、どうしてこうも根性が曲がっておるのだ?」
ぶつくさ言いながら、それでも素直に自分の部屋へと足を向ける。
「下界では何やら『青き魔術師』とやらが現れたという噂だが、魔術師と言うからにはろくな輩ではあるまい。底意地が悪いとか、皮肉屋だとか、慇懃無礼だとか……どのみちこの悪口も、どこぞで聞いておるのであろうが、え、カイロン!」
言いながら、自室のカーテンをバサリとはねのけて中に入る。テーブルに載せられた、まだ湯気の立っている朝食の向こう側に、実体のカイロンが佇んでいた。
「そう文句ばかり言うものではありません。母上譲りのお顔立ちが台なしになりますぞ」
苦笑しながら彼は言い、王女に椅子をすすめる。アトッサは矢筒を外し、弓と一緒に棚に立て掛けると、どかっと荒っぽい仕草で座った。乾燥したティリスと違い、高地は冷涼で湿潤なため地べたに座る習慣はない。
アトッサは憮然とした顔のまま食事に手をつけ、匙でスープをやたらとかき回した。
「黙って外泊したのは悪かったと思っておる。だが、私とて全く無分別な子供ではないのだぞ? まあ、分別があると言うほど自惚れてはおらぬが」
ぶつぶつと、詫びているのかいじけているのか分からない口調で言う。カイロンは小さなため息をつくと、熱い茶を注いで彼女に差し出した。
「確かに、いつまでも城に閉じ込めておくのが良いこととは思われませぬ。ですが、無断でというのは城の者を動揺させますぞ。私はともかく、他の者には姫の居所など分からぬのですから。外に出られるのならば、前もって知らせて頂きたいものですな」
「……分かった。以後気をつける。だが、何をそれほど警戒する必要があるのだ? どうせ私などお飾りだし、いてもいなくても政務に支障あるまいが」
眉を片方上げて、アトッサはそんなことを言う。その口調は、自分が何の権力も役目も持たぬことを僻んでいるようなものではなく、ただ単に事実を述べているだけ、といった淡泊なものだった。
それが分かるから、カイロンも眉をひそめるかわりに呆れ顔になった。
「だからと言って、遊びほうけていて良いという理由にはなりませぬぞ。いずれあなたには、この国を導く役目を担って頂かなければならないのですから」
正論で諭されては言い返す余地がない。アトッサは唸り声を上げたものの、それ以上の反撃はできなかった。
黙々と食事を片付けていると、「それで」とカイロンが話題を変えた。
「外泊の結果、何か面白いことでもありましたか?」
「これと言って特には、何も。だが、いつもは見られぬ夜の街の顔を見られたのは、なかなか面白かったぞ。エデッサにも色々な店があるのだな」
愉快げに笑ったアトッサとは対照的に、カイロンは不安げな顔になる。
「まさか、いかがわしい店に入られたのではないでしょうな」
街の者のほとんどは、アトッサが王女だと知っている。だがあえて気付かぬ振りをして、彼女がお忍び気分を味わえるように配慮してくれているのだ。アトッサが旺盛な好奇心を満たそうと行動する知恵をつけ始めた頃に、健在だった父王フラーダが街の顔役たちに頼んだのだが、その習慣が定着して、今では本当に王女だと知らぬ者さえいる。
エデッサは治安が良く、スラムや娼館といったものも無きに等しいが、それでもやはり何かしら暗い部分を持っている。もし、そういった部分の住人がアトッサを餌食にしようとしたら……。
「うん? ああ、色々見て回りはしたが、危険だと感じた所は全部避けて通ったぞ。心配しなくても、自分の身を守ることまで忘れるものか」
けろりとそう言って、アトッサは悪戯っぽさの残る得意顔を見せた。
「私とて、皇族の力を有しているのだからな。不可思議な技を行うのはそなただけではないぞ、魔術師殿」
「そうでしたな」
カイロンは自分の心配症に苦笑した。どうしても、この王女がそれなりの知恵も分別も備えた歳だということを忘れてしまう。危なっかしい足取りで、好奇心の赴くままちょこちょこ走り回っていた幼児の印象が、いつまでも消えない。
それを口にすれば怒らせることになると分かりきっているので、彼はただうなずくだけにしておいた。
「そういえば」
ふと思い出して言ったアトッサの声が、カイロンを物思いから醒ました。
「妙な男がいたな。この寒いのに、つい今し方、湖で泳ごうとしておった」
「泳ごうと?」
カイロンが眉をひそめると、アトッサも首を傾げた。
「うん。声をかけたら慌てて逃げて行ったぐらいの奴だから、さして危険はなかろうと思うがな。酔狂な奴だ」
「また呑気なことを。いずこかの密偵やも知れませぬぞ。どのような姿でしたか?」
「まさか」とアトッサは笑った。「あんなでかい図体ともさもさ頭をした目立つ奴を、密偵にする筈はなかろう。流れの剣士か何かではないかな。高地の水の冷たさを知らぬのだろうよ」
「……だと良いのですが」
不安げにカイロンはつぶやいた。天然の要塞となる険しい山々がこの高地を守ってくれているが、それとていつまでもつか分からない。
ティリスの若きエンリル王がその手を伸ばして来たら?
エラードのエリアンが高地を併合しようと強硬な態度に出たら?
アルハンのキースが国王の野心を抑えておけなくなったら?
(何としても、この地を戦乱に巻き込むことは避けなければ)
先王より託された王女の未来のためにも。
同じ頃、町並みから離れた木立の中で、噂の酔狂な男は焚火ににじり寄っていた。
毛織りのマントをきつく体に巻き付け、震えながらくしゃみを連発する。その情けない姿に、横で枯れ枝を炎に食わせている連れの青年が呆れ顔になった。
「無茶をなさるからですよ。ティリスとはあまりに気候が違うのですから……こんな季節に泳いで島に渡ろうなどと、無謀にもほどがあるとお止めしたでしょうに」
「まだ泳いではおらんぞ」
憮然として言い返し、でかい図体ともさもさ頭の男、すなわちカワードは、また大きなくしゃみをした。連れの青年、つまりウィダルナは、苦り切った風情でため息をつく。
「泳がずともその様ではありませんか。まったく、カワード殿でこれだと言うのに、私まで泳がされた日には、凍え死んで魚の餌になってしまう……大体、なぜ万騎長ともあろう方が、密偵の真似事などする気になられたんです? 他に適材はいくらでもおりましょうに。お陰で私まで付き合うはめになって、こんな場所で……あいたたた!」
ぶつぶつ愚痴をたれていたウィダルナは、いきなり髪の毛を力任せに引っ張られて悲鳴を上げた。
「ぐちぐちとしつこいぞ、最近ますます小舅じみてきたな、えぇおい。厭味の多いところなどアーロンそっくり……ぶぇっくしょん!」
くしゃみで文句を中断せざるを得ず、カワードは渋々手を放してマントにくるまった。ウィダルナは生え際をさすって顔をしかめ、何か言いかけて結局黙り込み、とびきり深いため息をつく。
せっかく内乱が落ち着き、エンリル新王の指示によって宮廷内が刷新されたと言うのに、もう早々とこの上司は嫌気がさしているらしい。確かに、ゾピュロスが騎兵団長になったのはウィダルナとて気に食わぬし、シャフラー元総督がその能力を高く買われ、尚書として迎えられたのも、感情的にはやはりしこりが残っている。
だが、以前に較べればはるかに宮廷の居心地は良くなった筈だ。国王や顧問官の機嫌をとることしか考えていない出世虫の無能官吏はすべて放り出されたし、顧問官の操作によって不合格にされていた有能な官吏志願者が呼び集められ、その身分や出自にかかわりなく、応分の役職に就いている。結果として、貴族でない人間の割合がかなり増えた。
……にもかかわらず、やはりカワードにとっては、窮屈に感じられるのだろう。高地の情勢があまりにも不明瞭なので、誰か様子を見に行かせなければ迂闊に使者を立てることも出来ぬ、と言う話が出た時、一瞬の迷いもなく彼が立候補したのだ。
「あぁ……こうしている間に、兵が我々の事を忘れてしまいやしませんかね」
嘆かわしい、とウィダルナは声に出してつぶやいた。万騎長と千騎長がそろって出張しているので、その間の教練や人事管理はアーロンとイスファンドが代行してくれている。もちろん、他の千騎長や下にいる百騎長たちの中にも優秀な者がいるので、実際は彼らが自主的に隊を動かしているだろうが。
カワードはフンと鼻を鳴らしただけで、何も言い返さなかった。忘れられたら忘れられたで、別に彼としては構わないからだ。が、そこまで言って、このまま逃亡するつもりかと疑われてはかなわないので、かわりに別のことを口にした。
「それにしても、先刻の小娘はいったい何者だったのだ? 言葉遣いからして、どうもそこらの住民というのではなさそうだったが。まさかバレてやせんだろうな」
いささか不安になり、鼻をすする。ウィダルナは下らないとばかり呆れ顔をした。
「まさか。こんな所でこんな事をしているのがティリスの万騎長だなどと、誰も考えやしませんよ。私だって信じたくない。せいぜいが浮浪者……あちちちち!」
今度は後頭部を押さえ込まれ、炎の中に顔を突っ込まれそうになる。幸い今度も、くしゃみのおかげでカワードの魔手から逃れられたが、危うく髪が縮れるところだった。
浮浪者呼ばわりされた当人は、しばらくムスッとして発言者を睨んでいたが、ややあって大袈裟に舌打ちした。
「やれやれ、こうしておっても埒が明かん。薬を買いに行くとするか」
のそりと立ち上がって荷袋を肩にかける。ウィダルナも慌てて焚火を消し、立ち上がった。さっさと歩きだしているカワードの後を追いながら、ふと彼は眉をひそめた。この国は他の三国よりもはるかに高地人の割合が高く、自分たちのような『海の民』の血筋の者が少ない。
(目立つだろうな……何事もなく穏便に済まされれば良いが)
せめてこれがカワードではなく、いっそエンリル本人であった方が、いくらかマシであったかも知れない。
そんな不謹慎な考えを抱き、ウィダルナはまた、ため息をついた。
だが幸いにして、街はちょうど市の立つ日だったらしく大勢の人間でごった返しており、あまり二人の姿も目立たなかった。戦乱をものともしない商人たちが、貴重な高地の紙や織物などを求めて、各地から山を登ってきているのだ。
海岸の都市で塩や香辛料を仕入れて、ここで高値で売りさばく者もいる。お陰で日焼けした黒髪の男がのしのし歩いていても、気に留める者はほとんどいない。
「あれっ」とウィダルナは彼の行き先に気付いて、慌ててその袖を捉えた。「薬師の看板なら、あそこに出ていますよ」
見当違いの方へ行こうとしていたカワードは、案に相違して、皮肉っぽく片眉を上げてウィダルナを見返した。
「誰が医者や薬師の辛気臭い面を拝みに行くと言った。俺は、薬を買いに行く、と言ったんだぞ。この世で一番よく効く薬と言ったら、決まっておろうが」
言われてウィダルナは相手の頭の向こうにぶら下がっている看板を見付け、愕然とした。何かと目を凝らすまでもない、酒場の看板だ。脱力して手を離し、がくりとうなだれる。
「ああ、嘆かわしい……」
「来たくないなら別に構わんぞ」
にやにやしながら言って、カワードはさっさと中に入ってしまった。
さすがに昼日中から飲んでいる者は少ないが、彼は全く気にせず酒を注文する。亭主が琥珀色の林檎酒をリュトンに注いで出した時には、諦め顔のウィダルナも店内に現れ、熱い茶を注文してから隣に座った。
その店内の様子は、王城の隠し部屋でも見ることが出来た。
カイロンは二人が酒場にしばらく居座りそうだと踏むと、モニターを切ってアトッサの部屋へと向かった。
「姫、今朝見かけられたという男の事ですが、顔は覚えておられますかな」
「もちろん。見ればすぐに分かるが……なんだ、まだ気にしているのか?」
心配性だな、とアトッサは苦笑する。
「今から臨時に船を出しますゆえ、酒場で飲んでいるその男と連れの二人を、城へ招待して頂けませぬか? 私が出向いたのでは人目を引いてしまいますので」
思わぬ頼みにアトッサは何の罠かと疑ったものの、カイロンの方から船を出してくれると言うのだから断ることもないだろう、とすぐ思い直した。ついでに市を見物できるという打算もあって、彼女は二つ返事で引き受けると、急いで城下へ出て行った。
しかし、いかにカワードが酒好きとは言え、へべれけになるまで飲んでいるほど自制心に欠けるわけではない。アトッサが駆けつけた時には、既に二人とも店を去った後だった。
弱ったな、と店内を見回し、アトッサは慌てて外に出ると、あてずっぽうにこちらと思われる方へ歩きだした。彼女はあまり背が高い方ではないので、今日のように海の民系の人間が大勢いると、視界を遮られてしまう。それでも自分の勘を頼りに市場の中をうろうろと歩き回っている内に、うっかり誰かの足をまともに踏み付けてしまった。
「あっ、と、すまぬ」
慌てて謝り、顔を上げる。「いや」と答えたのは、捜している顔だった。
二人は同時にあっと驚いた顔をしたが、反応はアトッサの方が早かった。逃げられない内に、はっしと相手の袖をとらえる。
「ちょうど良いところで会った。そなたに用があるのだ」
「俺の方には心当たりはないぞ」
嫌な予感に、カワードは少女の手を振り払う。次の瞬間には、ウィダルナと目配せを交わすや否や、身を翻して走りだしていた。
「あ、待て!」
アトッサも追いかけようとしたが、いかんせん、でかい図体で人垣をかき分けて行くカワードと違い、思うに任せない。
「えい、くそ……待て、この、盗っ人!」
咄嗟にアトッサが叫ぶと、途端に周囲が逃げる二人に注目した。追っ手が王女だと見て取った地元民が、真っ先に行動を起こす。
アトッサの正体を知らぬ者も、彼らの動きにつられた。瞬く間にカワードとウィダルナの行く手は、手に手に棒や石を持った人々で塞がれる。こんな場所で剣を抜くわけにもいかない二人は、結局取り囲まれた挙句にふん縛られてしまった。
「断っておくが、俺たちは盗っ人などではないぞ」
カワードは自棄気味にそう言い、数人がかりで押さえ付けられた姿勢のままアトッサを睨んだ。隣ではウィダルナが、心底情けないといった表情でうなだれている。
「どうだか、調べてみれば分かることだ。やましい所がないのであれば、何を逃げ出す必要がある?」
アトッサはフンと鼻を鳴らし、どうやらカイロンの心配性も時には有益らしい、などと内心で肩を竦めた。カワードは不満げに下唇を突き出し、小さく唸る。
「分かった、取り調べでも何でも従おう。だからこの扱いはやめて貰えんかね」
「カワード殿!」
ぎょっとなってウィダルナがささやく。まさか、開き直って洗いざらいぶちまけるつもりではなかろうな、と。だがカワードは皮肉っぽい顔をして応じた。
「どうやら俺もまだ浮浪者に見られないだけの風采らしい」
「そんな事を言っている場合ですか! 知られてしまえば、盗っ人よりもなおのこと窮地に追い込まれてしまうのですよ!?」
ひそひそとやりとりを続ける二人の前で、アトッサは腕組みをして仁王立ちになっている。ややあって苛々してきたらしく、トントンと爪先を鳴らし、催促した。
「で、どうするのだ。おとなしく城へ連行されるのか、まだ抵抗するつもりか?」
囚われの二人は顔を見合わせ、深いため息をついた。いずれにせよ、自分たちに選択の余地はほとんどないのだ。このまま転がされて行くか、自分の足で歩いて行くかの違いなだけで。
「……仕方ありませんね」
渋々ウィダルナが諦めると、二人を押さえ付けていた男たちが手を離した。アトッサ自身が彼らの縄を解き、立たせてやる。
「はじめから素直について来れば良かったのだ」
呆れた風情で言うと、アトッサは協力者に感謝してから二人を先導して歩きだした。
「カイロンがなぜそなたらにこだわったのか分からぬが、確かに後ろ暗いところがあるようだな。しかも、その手のことには慣れておらぬのだろう」
馬鹿にした口調で言われ、カワードはムッとなった。なぜ高地に来てまでこんな小娘に見下されねばならぬのだ。
「そういうおまえこそ、尋常ではない物言いだな」
厭味っぽく言うと、アトッサはいささか傷ついた顔をした。自覚はあるらしい。
「うむ……ここだけの話だが、私は王女なのでな。染み付いた話し方はなかなか……、なんだその顔は。信じておらぬな」
小声で告白した彼女だったが、二人の表情があまりにもあからさまに不信を示していたので、むっとして心持ち赤くなる。
ややあって、ウィダルナの方が「そういうこともあるかも知れません」などと持って回った言い方をした。どういう事かと問うまなざしを向けた他の二人に、彼は真面目くさった顔で一人うなずいて見せる。
「何しろ、ここにおいでのお方が、ティリスの万騎長なのですからね」
今度はアトッサが変な顔をする番だった。彼女の方はいささか我慢が足りず、ついふきだしてしまう。
「嘘が下手だな」
苦笑しながら言った少女に、カワードは憮然として「お互い様だ」とぼやいたのだった。




