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帝国復活  作者: 風羽洸海
第一部 ティリス内乱
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七章 王都奪還 (4)



「……後悔なさっておいでか」

 カイロンは、中庭の様子を映しているモニターを凝視しているシャフラーに向かって言った。シャフラーは曖昧な表情で、何も言わずただ首を振った。

 なぜカゼスが泣いているのか、彼にはよく分からなかった。顧問官は、大事な家族を殺した張本人なのだ。そんな奴が死ぬのを、どうして悲しむのだろう。

 理解に苦しんでいる彼の心中が分かるのか、カイロンはモニターをはじめ機器類すべての動力を落としながら、振り向かずに言った。

「確かに、理解しにくいだろうな。彼はデニス人とはあまりにも価値観が違うし……我々から見てもかなり希少な人間のようだから」

 それが独り言なのか自分に向けられた言葉なのか判断しかね、シャフラーは口をつぐんだまま立ち尽くしていた。

「とりあえず地上に戻して差し上げよう。だが私ならば、マティスと同じ風貌の者に助けられた事実など、沈黙の海に沈めてしまうがね」

 もっとも、あのカゼスの姿を見ていながら、マティスを殺したのは自分だと名乗り出る気にはなれまいが。

 自分の考えにカイロンは小さく肩を竦め、まだ夢醒めやらぬといった風情のシャフラーを転送して地上に戻してやった。

 一人になると、カイロンは室内の椅子に腰を下ろし、深いため息をついた。

(どうしてこんな事に)

 カゼスの声が何度も繰り返される。

「『どうして』……?」

 唇だけを小さく動かし、彼はつぶやいた。

 同郷の者を殺さざるを得なくなったのは、どうしてだろうか。

 どうして自分はここで、ミネルバの匂いのする物をすべて消し去ろうとしているのか。そのことがこれほど虚しく感じられるのは、なぜなのだろう。

 ……自ら望んで新天地へと旅立った筈だったのに。

「それが分かるなら、教えて貰いたいな」

 ふとそんな言葉をこぼし、彼は微苦笑を浮かべた。

 理由が分かったからと言って、それでどうにかなるものでもないだろうに。

 彼はまたひとつため息をつくと、厭世的な気分を払うように頭を振って作業を続けた。


 イスハークの薬品棚は、まるで盗っ人に入られでもしたかのように、見事にすっからかんになっていた。

 どうにかこうにか怪我人の手当を終えて騒動にも一段落ついた頃、久しぶりにエンリルが訪れた時も、そんなわけで老医師はまたしかめっ面を見せることになった。

「何ぞご用ですかな、殿下。今来られても、こっそり分けられるだけの薬などこれっぽっちもございませんぞ」

 相変わらずの皮肉っぽい口調に、エンリルは愉快げな苦笑を浮かべる。

「今日はそなたから薬を巻き上げようとして来たわけではないのだ。人生の先達としての知恵を借りに来たのだが、構わぬか?」

 思いがけない言葉に、イスハークは目をしばたたかせる。とりあえず椅子を勧めると、エンリルはちょこんと妙に行儀よく座った。何か良からぬことでも企んでいるのでは、と、イスハークはかえって不安げな表情になる。

「この老いぼれの黴びた知恵でもお役に立つなら良いのですがな。どうなされました?」

「……うん。実はな」

 言いかけてためらい、エンリルはちょっと頬を掻いた。

「ふたつほど、相談があって……基本的にはひとつなんだが」

「?? 何ですとな?」

 顔をしかめたイスハークに、エンリルは小さなため息をついてから、ひそっと言った。

「まだ私と父上との間でしか話していないのだが、父上はどうやら私に王位を譲って引退するつもりらしいのだ」

「何ですと!?」

 今度は大声で叫び、イスハークは慌てて口を押さえた。

「なぜまた、さように急なことを……せっかく陛下のお体も良くなられて、また政務を執っていただけるものと安心しておりましたものを……あまりに時期尚早な、いや無謀とさえ言えますぞ、それは」

「……そこまで言われると傷つくな」

 憮然として見せ、それからエンリルは苦笑した。

「私もそう思わぬではない。だから思い止まって下さるようお願いしたのだが……どうやら、お体よりも気力の方が問題らしい。ナキサーに裏切られたのが随分と堪えていらっしゃるようなのだ」

 言葉の後半は、真面目な口調だった。イスハークも深刻な表情になり、ため息をつく。

「ふうむ……確かに、ナキサー卿は陛下の片腕でしたからのぉ。激動の時期を乗り切ってきた友人が自分を裏切るというのは、歳月のむごさを感じずにはおれますまいよ」

「そのようだな。めっきり活力を失われて……」

 言葉を途切らせ、エンリルは唇を噛んだ。

 彼は聞いてしまったのだ。オローセスが、近衛隊長となったアスラーと話しながら、小さくつぶやいた言葉を。

(年は取りたくないものだ)

 彼はそう言った。ナキサーの骸を見下ろしていた時と同じ表情で。恐らく、どういう意味かと問われても、彼自身はっきりと答えられる類のつぶやきではなかったろう。アスラーも、何も言わずにただ黙って聞いていた。

 長い沈黙の後、オローセスはごく微かに頭を振って続けた。

(だが恐らく、それだけが公平な神の慈悲なのだろう……)

 老い、心身ともに変化し、そして様々なことを後ろに置き去りにして異世へと旅立つ。それだけが、人に与えられた公平な慈悲なのかもしれない、と。

 カーテンの陰でそれを耳にしたエンリルは、泣きたいほどの衝撃を受けた。父がその慈悲を求めていることは、声だけで充分に分かってしまったのだ。

 不吉な考えを払うように、エンリルはうつむいたまま小さく首を振った。

「何をしておられても、今ひとつ精彩を欠くと言うか……このままでは、ゆるゆると死に行くだけなのではないかとさえ思える。どうにかして、元気づけて差し上げたいのだが」

 そう言うと、エンリルはわざとらしい仕草で顔を上げ、話を変えた。

「元気づけたいのがもう一人いてな。こちらは父上よりさらに複雑な理由で落ち込んでいるようなので、難しいかも知れぬが……カゼスがな、あれ以来ともすると寂しそうな顔を見せるのだ。時々、何やら考え込んではため息をついている」

 これにはイスハークも唸るしかなかった。マティスの死に際の話は聞いていたが、

「そればかりはどうしようもありませんなぁ」

 正直な感想を述べ、彼は白い顎髭を無意識に引っ張った。

「カゼス殿はお優しすぎるんでしょうな。根本的なところから元気づけるのは、まず大抵の者には出来ますまい。一緒に酒でも酌み交わして差し上げたら、少しは慰めになりましょうがね。何しろカゼス殿は女人には奥手でいらっしゃるし、馬で遠駆けをするのも無理とのことですからな。それぐらいしか手はないですじゃろ」

 言葉尻でおどけ、イスハークは肩を竦める。エンリルは思わず笑いだしてしまった。

 くすくす笑っているエンリルに、イスハークは多少意地の悪い口調になって言った。

「陛下の方は、失礼ながら殿下にとれる方法はただひとつでしょうな。すなわち、陛下のお望みの通り即位し、ティリスの王となられることです」

 途端にエンリルは笑いを引っ込め、苦い薬湯を喉に流し込まれたような顔をする。が、そんな顔など見慣れているイスハークは、まるで気にかけない。

「そろそろ殿下も、陛下の背負っておられる重荷を肩代わりしても良い歳ですぞ。とは言え、一度にすべての荷を取り除けば、陛下はますます気力をなくしてしまわれるでしょうから、少しずつ、殿下が肩代わりして差し上げなされ。楽になったことが実感出来れば、残りの荷は気にならず、陛下もまた歩き出せるようになりましょう」

 神妙な顔でエンリルはそれを聞いていたが、イスハークが言葉を切ると「分かった」とうなずいた。

「気は進まないが、そなたの助言に従うことにしよう。父上が完全に引退されるまでに予行演習をしておくと考えれば、そう悲観的にならずにすむだろう」

 やれやれといった風情で立ち上がり、エンリルはにこりと笑顔を見せた。

「本当は、そなたにそう言われるのを期待していたのかも知れぬな。私一人の判断で父上の提案を受け入れるのが、不安だっただけかも知れぬ」

「まあ、そんなところですじゃろ。心配されんでも、陛下もご健在なら優れた武将知将も揃っております。少々失敗されても、ちゃんと後始末のできる者がおりますよ」

 イスハークは皮肉めかして言い、「それに」と付け足した。

「殿下が陛下になられたら、これまでほど頻繁にここを訪れて老いぼれを煩わす暇もなくなるでしょうからな。結構なことです」

 薮蛇だった、と言うようにエンリルは首を竦め、そそくさとその場を退散する。

 自室に戻る途中で、彼はふと話し声に気付いて足を止めた。

「……別に、誰が悪いとか、そういう風に思うわけじゃないんです」

 なにげなく声のした方をひょいと覗き、目をしばたたかせる。中庭のナツメヤシの植え込みのところで、壇に腰掛けてカゼスとアーロンが話していた。

「ならば何をいつまでも引きこもっている? フィオが心配していたし、殿下も気掛かりな風だった。おぬしが暗い顔をしていると、周囲にまで暗雲が広がる」

「どうせ私は暗い顔ですよ」

 カゼスは少しいじけて見せ、それから苦笑を浮かべた。

「分かってはいるんです。こんな事……考えていたって何の解決にもならないって。でもやっぱり……気が付くとまた、同じことを考えている。どうしてあんな事にならなくちゃいけなかったのか、とか……何が悪かったのか、何のせいにしたら良いのか分からないから、もやもやしたままなんでしょうね」

 そう言ってから「誰のせいでもないとは分かってるんですけど」と付け足し、頭を掻く。途切れがちな言葉をじっと黙って聞いていたアーロンは、カゼスが口をつぐむと、いつもの真面目な顔で静かに言った。

「本当に分かっているのか?」

 「え?」と聞き返したカゼスに、彼は言葉を選びながら続ける。

「おぬしは『分かっている』と何度も言うが、それで自分を納得させようとしているだけで、本当は、誰のせいでもないとか、考えても仕方ないとか、そういった言葉を受け入れたくはないのではないのか?」

「…………」

 カゼスはしばし絶句し、それから大きく息を吐き出した。短い沈黙を挟んで彼は苦笑したが、今度のそれは幾分楽になったような表情だった。

「参ったなぁ、本当にあなたは鋭いんですね。……そうかも知れません。やっぱりどこかに原因はある筈だし、何か解決方法があった筈だ、とか……。ない、なんて言って諦めたくないのに……あ、いや、これは別に」

 台詞半ばで声が揺らぎ、目に涙が浮かぶ。慌ててカゼスは指先で涙を拭いて、ごまかすように笑った。

 それ以上見ているのは悪い気がして、エンリルはそろっと踵を返した。どうやら、大抵の者とは違う人間がカゼスを元気付けてくれるらしい。

(まあ、後で酒か果物でも持って行ってやれば完璧だろう)

 そんな事を考え、彼はそそくさとその場を離れた。

 もちろんアーロンもカゼスも、そんな傍観者がいたとは気付いていない。

 アーロンはふとカゼスに手を伸ばしかけ、その動作を途中でやめて、ごまかすようにちょっと頭を掻いた。

「おぬしの言う事は……何というか、ひどく風変わりだが、時に真理を耳にしたような気にさせられるな」

「そんな大したものじゃありませんよ」カゼスは苦笑し、首を振った。「私は真理の伝導者でもないし、飛び抜けて頭のいい哲学者でもありません。ただ、あなた方とは少し考え方が違っている、それだけです」

「確かに、絶対の真理ではないかも知れぬ。だが、今まで自分でも気付いていなかったものに気付かされる、そんな力がある」

 至って真面目にアーロンはそんな事を言った。カゼスは目をしばたたかせ、小首を傾げる。気付かされているのは自分の方ではないのか、と。だが、そんなカゼスの内心が分かったのか、アーロンは微笑を浮かべた。

「分からないか? おぬしの振舞いを目にして、なぜだろうと考える。その理由に思い至った時、初めて自分の中にあった感情に気付いて驚かされるのだ」

「……そうなんですか?」

 照れ臭そうにもごもごとカゼスは言い、ぽりぽりと頭を掻いた。

「そこまで考えぬ者も多かろうし、理由を知ったところでやはり理解できぬ者もいようがな」

 心持ちおどけて答え、アーロンは肩を竦めた。カゼスは思わずふきだし、ちょっと笑ってから無邪気に言った。

「それじゃあ、もしかしたら私たちは、ものの考え方や感じ方が、実はよく似ているのかも知れませんね」

 その言葉に、アーロンはいささか複雑な反応を示した。曖昧な表情になって、中途半端に「ああ」とかなんとかうなずく。その戸惑いの理由などまったく思い当たらないカゼスは、きょとんとして目をしばたたかせた。

 何となく気まずいような、妙な雰囲気。そんな状態になってしまうのを見計らったように、建物の中から例によって柄の悪い声が飛んできた。

「おーう、こんな所にいたのか、お嬢ちゃん!」

 我知らずホッとしてカゼスは声の主を振り返り、次いで唖然となった。おおい、などと言いながら振っている手に、酒の壺が握られている。

「なんでえ、余計な奴までいやがった」

 アーロンを見付けてクシュナウーズは大袈裟なしかめっ面をした。

「何なんですか、その手に持っているものは」

 呆れ口調でカゼスが言うと、彼はにやっとしてカゼスのすぐ横に腰を下ろした。

「いや、なんかお嬢ちゃんがあれこれ考え込んで落ち込んでっからよ、ちょいと元気付けてやろうと思ってよ。そーゆー時は、うだうだ悩むよりこいつを飲むに限るぜ。付き合ってやるから、潰れるまで飲みな」

「付き合ってやる、って、要するに飲みたいのはあなたの方でしょう」

 苦笑しながらカゼスは言い、堪えきれなくなって声を立てて笑い出した。

「やってられませんね、あなたときたら、他人の悩みや落ち込みまで酒の肴にしてしまうんですから」

「おいおい、人の善意を悪意的に解釈するこたねえだろ。どうすんだ、要らねえのか?」

 おどけて不満げな顔を作り、クシュナウーズは肩を竦める。

「もちろん頂きますよ、お酒に罪はないでしょう」

 意味ありげにカゼスはにっこりする。つまるところ、それを持参した人間には罪でもありそうだが、というわけだ。

 クシュナウーズは自分でその点を指摘したりはせず、渋面を作ってから小さく鼻で笑った。いささか苦笑のまじった、だが温かい笑みがその口元に浮かぶ。

「ここじゃなんだから、部屋の方に行こうぜ。べろんべろんになったラウシール様なんざ一般人に見られちゃ、大事だからな」

 カゼスが立ち上がり、当然のようにアーロンも番犬よろしくついて来る。クシュナウーズは何か言いたそうな顔をしたが、それだけで充分厭味の効果はあったので、あえて言葉にはせずにおいた。

 そうして彼らは連れ立ってカゼスの部屋に向かったが、途中、思いがけない面々とばったりでくわした。カワードとウィダルナ、フィオとイスファンドの二組が、それぞれ別の方角からカゼスの部屋の方へ歩いてきたのだ。一人一人が手に果物だの酒だのを持って。

「……なんでえ、考えるこた同じってわけかい」

 クシュナウーズが呆れるやら憮然とするやらで複雑な声を出す。

「あんたと一緒にしないでよね!」すかさずフィオが言い返した。「あたしはカゼス様に元気を出して頂きたくて、お口に合いそうな果物を市場まで探しに行ったんだから!」

 カゼスは目をしばたたかせ、問うような視線をカワードたちに振り向ける。

「あ、いや、俺は別に……たまたま良い葡萄酒が手に入ったんで、まあ味見ぐらいならさせてやっても罰は当たらんだろうと思ってだな」

 もごもごと歯切れの悪い調子でカワードが答える。カゼスはばつの悪そうな面々を見回し、やれやれと苦笑した。

「もしかして私、餌付けされてるんでしょうかね?」

 その言葉に対する返事はなく、ただ、まるで示し合わせたように、誰もが曖昧な表情で視線を交わしただけだった。


 ティリス内乱平定後ひと月と置かず、国王オローセスは王太子エンリルにその座を譲り、かつてナキサーのものであったティリス領を治める主となった。

 顧問官をはじめ反乱に協力的であった官僚を一掃し、王宮には新しい風が吹き込む。ようやく政務が正常に動き始め、人々の上に平穏な生活が戻って来たかに見えた。

 ――だが、己の歩む道の行く末を知らされている新王は、この穏やかさがそう長くは続かないことを知っていた。

 そして、事実ティリス王宮でのどかな日常風景が繰り広げられている頃、隣国エラードの王都ラガエでは――。

「死んだ?……そう、仕方ないわね。それじゃ、もう『悪魔』は造られないわけだから、『御使い』の使い道も考え直さないと……」

 銀髪の女がひとり、電磁ロックされた部屋の中でつぶやいていた。それから彼女は顔を上げ、すぐそばに立っている巨大なカラムを見やってうっとりと言う。

「きっと認めるわ。この子が素晴らしいってことを」

 誰に対する言葉なのか。自身の内側と対話するかのように、どこか思いつめた目で、カラムの中に息づいている生命を眺めながら。



(第一部・終)

ここで第一部終了です。

第二部には1作目『LOST』のネタバレが盛大に含まれますので、

未読の方は先に進まれる前にそちらをご覧下さい。

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