第一章 国都警備隊『新撰組』 その⑥
「頭上だっ!」
後方から飛んできたジャミルの声に三人の浪士はいっせいに頭上を見あげ、そして見た。
まるで見えない羽でも生やしているかのように、廊下の天井すれすれにまで飛びいたった少年の姿を。
いつ三本もの剣撃をかわし、いつ廊下の宙空高く跳躍したのか。三人の浪士たちにはまるでわからなかった。
「い、いつの間にっ!?」
「天然理心流、旋風斬!」
頭上から降下してくる少年が発したその一語が、三人の浪士がこの世で聞いた最後の人語となった。
手にする剣をジョシュアが水平にかざした次の瞬間。廊下の宙空に一陣の風が巻きおこった。剣を水平にかまえたままジョシュアが身体を回転させたのだ。
見たこともない変幻の剣技に、だが三人の浪士には驚く間もなかった。円の軌跡を描いたただ一条の剣光が、同時に三つの死を産んだのである。
音もなくジョシュアが床に降り立った直後、三人の浪士は斬り裂かれた互いの頸部から噴きだす血しぶきを見つめながら、声もなく床にくずれおちた。
周囲からわきあがった宿泊客たちの悲鳴を耳にしつつ、ジョシュアは刃についた血のりを払い飛ばし、ゆっくりと廊下の一角に視線を向けた。
黙して呆然と立ちつくすジャミルたちの姿がそこにある。少年がくすりと笑った。
「だから言ったでしょう。生命の保証はできないって」
「こ、こいつ……!?」
ただの子供ではない。最初の二人とあわせて五人の仲間がごく短時間のうちに斬り倒されて、ジャミルはようやくそのことを悟った。
悟ると同時にジャミルは一歩、また一歩とゆっくりと退き、ついには踵を返し、そのまま廊下を反対方向に駆け去っていった。
ジャミルの突然の逃走に浪士たちは目玉をむいたが、逃げねば殺されるという同じ思いにいたったのであろう。遅れることわずか、浪士たちはもつれる足を必死に制御し、先に逃げだした自分たちの頭目を懸命に追いかけていった。
遁走するジャミルたちの姿を、ジョシュアはその場から黙然と眺めていた。
追いかける必要のないことを少年は知っていたのである。
「やれやれ。どうがんばっても逃げられっこないんだけどな……」
ふとジョシュアは、自分に注がれる数多の視線に気づいた。
騒動から身を守るために自室に避難した宿泊客たちが、それでも好奇心に負けて扉の隙間から顔だけ覗かせていたのだ。ジョシュアが剣を鞘におさめる。
「宿泊客の皆さん。どうも夜分、お騒がせしてすみませんでした」
天使を思わせる微笑を浮かべて、亜麻色の髪の少年はぺこりと頭をさげた。
†
新撰組の一番隊長をつとめる少年が、宿泊客たちに騒動の謝罪と事情説明をしていた同時分。
その少年の前から逃走した浪士の一群は、建物の裏側に備えつけの非常階段に飛びだし、そこを地上に向かって駆け降りていた。
だが、わずか一階層だけ降りたところで彼らは停止をよぎなくされた。地上に新撰組らしき人影の群を確認したのだ。
彼らのほうでもジャミルたちの存在に気づいたらしい。頭上を見あげながら右に左に騒ぎはじめた。
「だめです、ジャミルさん。地上には連中が待ちかまえています!」
「くそっ、ならばこっちだ!」
舌打ちしたジャミルは扉を蹴り開け、ふたたび建物内に戻った。
そこは建物の四階部分で、やはり騒動を知った宿泊客で廊下内はあふれかえっていた。
それでもジャミルたちは怒号を飛ばし、剣で威嚇するなどして走路を確保し、建物内を駆け進んでいったのだが、廊下の中腹にいたったところでその足はまたしても停止をよぎなくされた。行く手に小山のような黒影を見つけたのだ。
「で、巨漢いっ!?」
浪士たちが口々に驚きの声をあげたのも無理はない。
彼らの視線の先には二メイル(二メートル)はあろうかという、浅黒い肌をした筋骨たくましい巨漢が立ちふさがっていたのだ。
幅と厚みのある身体には、頸部にも腕部にも力強い筋肉が盛りあがっている。広く高い造りの宿の廊下が、突然、縮小したような感覚をジャミルたちに感じさせたほどだ。
黒塗りの革甲、だんだら模様の陣羽織、紋章入りの鉢巻きにくわえ、手には棍棒のような形の武器を握りしめている。目の前に立ちはだかるこの巨漢が新撰組の隊士であることは言葉にする必要もないことだった。
それでもひとつ息をのんでからジャミルは吠えた。
「きさまも新撰組か!?」
「そうだ。ここから先は通さぬぞ、不逞浪士どもよ」
吐きだされた声は、聞く者の心にずしりと響くものがあった。
ほとんど正方形の顔には温和さと愛嬌を感じさせたが、丸い両目から発せられる眼光は烈しく熱い。
ジャミルたちを威嚇するように握りしめる棍棒のような武器を水平にかざしながら、巨漢は自らの正体をあかした。
「わが名はアレク・ガッツーオ。新撰組の二番隊隊長なり。不逞浪士どもよ、生命が欲しくばおとなしく縛につくがいい!」