第80話 暗闇と始動
父上、とゾッとする程静かな声がよく響いた。
空虚な呼び声の後に鈍い音が聞こえ、リトスは一瞬魔女から気を逸らして声の主の方を垣間見、そして思考が停止した。
「……革命が終わったの」
魔女は杖を下げ、疲れた様に笑った。抵抗する気の一切無い反応と、呆気なく終わった現状に頭がついて行かずリトスはただ呆然と立ち尽くした。その視線の先では、エインセルが同じように呆然と血の海と化した元凶―――父親だったものを眺めている。その姿に何と声をかけるべきなのか分からなくなった。嬉しい筈なのに、全く喜ばしく無い。
「……なあリトスよ。何故この国はこんなにも腐ってしまったのであろうな」
唐突に背後の魔女が問い掛けて来る。ハッとして振り向くと、魔女は泣き笑いのような表情を浮かべてリトスをじっと見ていた。こんな表情を彼女がする所を見るのは初めてだ。
「吾も最初は理想の未来図を持っておったのじゃよ。あの頃は今より断然良い世であったがな。人々が当たり前のように笑い合い、支え合い、時に恋をしたり、失敗を笑い話に酒を飲んでいたり……幸せが溢れておった。日常の中にそれはもうゴロゴロと転がっておったよ」
何を、と思う前に魔女の独白は始まり、そして止まる事無く続く。
「だが、時は流れた。徐々に国王の権力は衰え始め、貴族達が勢力を伸ばし始めた。先々代の辺りからじゃな、これは。そして緩やかな変化には中々気付けず、先代の時になって漸く分かってしまった。遅すぎた理解じゃ、ヴィレット程巨大な主権国家が再び封建国家になりかけていたなど考えもしなかったのぉ……」
主権国家は他国からも自分達と同等の王権を持つ、と保証される。土地にしてもそうだ。お互い平等だという視点で国際関係を保つ為、ある程度の敬意を他国にも示すのだ。個として纏まり、互いが絶対的であったが故に成り立った世界の法則。しかし封建国家は違う。地方権力と王権が下手をすれば同等、それ以上の格差が逆方面へと生まれ国としての纏まりは持ち難い。そこにあるのは‘緩やかな支配’だ。そしてそれは、主権国家の中にあるまじき異質な存在である。
「先代は最早、貴族勢力の拡大を止める事すら出来なかった。今代のそやつがどうにか王権を保ったが、このままでは危うかったの。其方の言う通り、貴族勢力を完全に止める抑止力が今は必要だったのじゃよ。ゼラフィード、ローゼンフォール、フォロート。この三家だけがそれに気付き、この‘革命と言う名の国家建て直し劇’に乗った。其方等を担ぎ上げての。ま、勿論今代がもう色々な意味で限界だったというのを悟ったからでもある。殿下のような有能な君主の素質を持つ者が居たからの強硬策でもあるよの。しかし、だからこそ王は敢えて悪役へと徹した。ここ2年はな」
「……それは、何となく気付いてイマシタ」
ピクリと話が進むごとに反応するエインセルを一瞥して、リトスがポツリと吐露した。何となくおかしいとは思っていたのだ。西奪政策、あれは何時だったか南の領の一部が最初に主張していた気がする。国王が正式に言い出した事でそのインパクトは薄れてしまったが、今思えばエルファーレン王の出した政策の大半は国より地方領主に利がある物ばかりだった。
「そうか、主は矢張り聡いの。最も気付いていないようなら今此処で主を殺す事も考えてはいたのだが、残念だ」
「……ソウデスカ」
唐突のカミングアウトに反応に困った。と、そこでふらりとエインセルが立ち上がる。目を見開いてそれを見たリトスに、酷く疲れた笑みを浮かべてエインセルは口を開いた。
「……これで、革命は終わりだ。少々呆気なかったが、国が正しく導かれるなら―――父上が、そうありたいと多少なりとも思ってたのならもうそれで良い……リトス、魔女、国中に私の声を届けられるか」
「本当に宣言して良いのじゃな?後悔しても今のヴィレットに跡取りになる資質がある者は居らんがな。分かっておるじゃろうが王子は今のままでは就かせられん」
「後悔はしない。王子を―――あの子を此処に座らせるなら私が王になると言った言葉に偽りは無い」
先程までのボンヤリとした雰囲気は最早なく、エインセルが纏うのは確固たる‘自分自身’を持った覚悟のソレだ。それに満足したように頷き、魔女は玉座から繋がるバルコニーを指さした。
「ならば其方は其処へ。注目は惹いてやろうぞ」
ニヤリ、と笑った魔女に背を押され、立ち上がる。一つ深呼吸をして一歩一歩を慎重に進んでいくと頭に重たいモノが置かれた。言われなくても分かる。王冠だ。戴冠式を飛ばしてしまうのもどうかと一瞬考えたが、自由の象徴には丁度良いと受け流す事にした。
誰かが今日も何処かで殺されているのだろう。だが、それも今日で終わりだ。
その覚悟を持って閉じられていた窓を開く。凍える程凍てついた空気が火照った身体に沁みた。雪が微かに降り続く為、明るく見える城下が眩しい。目を細め、一度だけ父の遺体を振り返ると魔女が加工を施したらしい。氷で出来た棺の中で眠っている先代王の姿は、とても穏やかだった。
―――一つだけ、まだ父王を許せない理由があるエインセルとしては複雑になる姿だ。
その感情を振り切り、ベランダへと出た瞬間、リトスが空へ手をかざす。すると大きな爆音を立てて、空には5輪の色鮮やかな花が咲く。下を向いて辺りを見渡すと、呆然と城を眺める国民と、戦いの途中で不規則な恰好のまま止まった軍人たちが目に留まった。
右手を挙げ、拳を握る。一つ大きく息を吸い、革命を叫んだ。
「エルファーレン王の圧政は終わった!諸君!革命は終わったのだ!」
魔術によりエインセルの声が木霊する。誰しも言葉を忘れたように上を見つめてくる。様々な感情を孕んだ視線を一点に受けながらまた言葉を紡いだ。
「これよりエインセル・アンバー・ヴィレットが汝等を率いよう!汝等、剣を捨てよ!我は、汝等を守護する事を四大精霊の名の下に誓う!」
その声に、国中から歓声が聴こえた。
◆ ◆ ◆
打ちあがった花火にフィリアは顔を綻ばせた。
「やった……!エンスやったんだ!」
大喜びするフィリアとは裏腹にソラは嘘だろ、という呟きと共に立ち尽くす。リーンは喜びと共に、謎の重たい感情を抱えた。名前を付け難いが、あまり良く無い気分だという事だけ認識できる。
「……なんだろ、コレ」
誰しも配給を求める手を止めて城へ目を凝らす。5発の花火という意味を理解した者はいなさそうだが、それも学の無い市民では仕方が無い。5という数字の意味は「自由」「変化」「進歩」の意味を持つとされる。これを考えたのはリトスだろう。エンスの間近で革命の終わりを確認できるであろう人材は彼か、まぁ無いと思うが魔女位だ。
「さて!フォー、ソラ君!エンスがお仕事終えたんだしボク等もちゃんとやらなきゃね」
「あぁうんそうだね。……問題はけいかい心バリッバリな所だけど」
「怖ぇ……暴力反対……」
リーンの作った小さな‘結界’の外には石がゴロゴロと転がっていた。偶に泥や雪玉も転がっているのは、まぁそういう事だ。
「今は呆けてるから攻撃されないけど、結界解いてしばらくしたらまた投げられるよ。どーするこれ」
「うーん……空腹との耐久勝負?」
数人が正気を取り戻し再びこちらを多少睨んで来る。だが革命宣言があってか多少その視線には迷いが生じているようだ。もうひと押しするか、と思った所で一人の男が姿を現した。
「お前ら、いい加減にしろ。……其方は、革―――いや、現国王派の使いで合っているか?」
「え、あ、はい」
窶れた姿と裏腹に目はまだ生気を持っている。一体この人は、と考えるまでも無く周りが落ち着いた所から此処周辺を取り仕切っている者なのだとリーンは予想を付けた。
「村の者が済まなかった……が、子供だけで来る事はないのでは?」
「オレ等はたしかに子供ですが、大人だとよりけいかいされるという点とおそわれた際の防御面の問題で使わされています。尤も、あまり意味は無かったようですが」
「成程、済まなかった。……この村ももう限界だ、食料の配給を頼めるだろうか。俺はこの村の村長を務めている……とは言え、何が出来る訳でもないがな」
自嘲するように鼻を鳴らした男は辺りを見渡して3人に周囲の様子を気付かせる。それ以前から気付いてはいたが、矢張り栄養失調気味なのは否めない。子供の姿が見えないのは家に閉じ込めているから、ならまだ良いのだが。
「いえ、こうして皆がまとまっているという事は貴方はしたわれているのでしょう。それよりも今は配給が先です。この通り用意はしてあります。まずは申し訳ありませんが子供と老人を優先で。病人が居るならフィリア―――この人へ」
「フィリアです。抵抗はあるかと思いますが魔法での治療ならある程度は出来ますので、本当に危うい方や魔法に抵抗がそこまで無い方は診たいのですが良いでしょうか?」
「助かる。この寒空の下というのもどうかと思うが、村の中央に東屋があるんだ。雪は防げるだろうから、そこで良いだろうか」
「お気遣い感謝します」
トントン拍子に進んでいく会話にソラはポカンと呆ける。さっきまでの抵抗が嘘のように村人たちは静かだ。
「ソラ、行くよ。具合は平気だね?」
「あ、ああ。平気だ。つか、お前の方こそさっきから術ガンガン使ってるけど平気なのか?魔力って使うと疲れるんだろ?」
「んー、オレの場合絶対量がアレだし、ぶっちゃけ結界は魔法使って張ってる訳じゃないから負担はそうでも無いんだ。寧ろソラに魔力使ってるから身体のなかで溢れないで楽な位?」
魔術を使ったことの無いソラにはよく分からない回答なのだが、本人が大丈夫だというなら平気なのだろうと気を取り直して先導する村長の後を追う。雪が徐々にまた強くなってきたので、今晩でまた大分積もってしまうのだろう。
暫く歩くと東屋が見えてきた。フィリアはそこに医療道具を広げ、ソラは運んできてもらった机に背負ってきた鍋を置く。リーンはどうやら村に結界を張ったらしく、雪が一切降り注がなくなり、冷たい風も吹いてこなくなった。
「さて、では皆さん!まずは動ける方でスープを運ぶ作業を手伝ってください!」
「動けない方が居る家に案内をお願いします!魔術的な治療の必要が無い方は此処に残していく包帯などでお互いの治療をお願いします!」
こうして村人たち全員が動き始めた。
◆ ◆ ◆
「フォー!重傷者は全員治療終了!けど薬が大分減ってるのと清潔な布があと二日位で無くなりそうだから帰ったら申請お願い」
「ん!こっちも戸籍と実際の人数が大分違って食料がギリギリ。分かってはいたけど大分キツイかな……王宮の食糧庫制圧報告は?」
「二時間前に確保してるって。ただエンスが気力切れで軽く熱出してるっぽいから城の方も荒れ気味。今はリトスさんとソフィアさんで色々保たせてるって」
少々疲れた表情のフィリアが報告していく内容にリーンは頭を回転させる。明日には自分は城の方の管理に回った方が良いかもしれない、と考えながら辺りを見渡すと人々の表情は大分和らいでいた。何処からか子供の泣き声が聞こえるが、泣ける程体力が回復したと考えれば良い事だ。特に、リーンと同じ世代の平民の子供は‘満腹’というのを始めて知ったであろうから。胃が縮んでいて量が食べれていないのが痛々しい……と言いたい所だが人の事を言えない位の生活を送っていたリーンは何も言わなかった。尤も、封印具を付けられていない状態では常に栄養不足(魔力が常に放出される為補う為に体がエネルギーを魔力に変換してしまっている)のでかなりの大飯食らいなのだが。
「そっか……てことは兄様は少し休ませた方がいいね。メディア掌握を敢えて少し遅らせよう。代わりに貴族会議の根回しを重点的に。フォロートが隣国との血族関係強かったし、少し援助を申し出て貰おう。ローゼンフォールも多少のコネがあるから連名にした方が良いかな」
と言った所でソラも戻って来る。横目でチラリと二人はそれを確認して、一旦相談を打ち切った。流石に一般人が知っていて良い情報ばかりではない。
「分かった、それも伝えて―――」
「済まない、少し時間を良いかな」
さらに会話は村長によって切られた。はい?と首を傾げたリーンの子供っぽい動作に苦笑して彼は後ろを振り返った。
「ウチの村に一人、恐らく魔力が強い子が居てな。偶に暴走させている所為で殆どの人が怯えて近づけないんだ。もし時間を取れるなら、少しだけ見てやってもらえるか?」
「あぁ成程。分かりました」
こういった農村部では良くある事だ。なまじ魔力が強い子供が感情的になった時に無意識に発動させてしまう事件は少なく無い。宜なるかな、それも魔力忌避に拍車をかけている要因の一つではあるが、これからはしっかりとした教育をさせる施設も考えなくては、とリーンは思考を巡らした。フィリアとソラに行ってくるという事を伝え、その場を立ち去る。
いってらっしゃい、と二人が手を振った時に、ソレは起こった。
―――ザシュッ!
「え……?」
人を切った時の鈍い音が木霊する。フィリアが口元に手を当てた瞬間、ソラが膝をついた。だが、斬られたのはソラでは無く―――
「リーンッ!」
「いやぁぁあああああ!」
「ぐ、ぅっ、いッ……ぁあああああああああああッ!!」
背を斜めに斬られたリーンが痛みに絶叫した。雪が覆う地に倒れ込んで悶え苦しむ。フィリアが泣きそうな顔でリーンの下へ駆ける動作をした時、更にそれは起こる。
―――ズブリ!
「っおい!?フィリア!!」
「い―――ッ!」
霞んだリーンの視界に胸元を貫かれたフィリアが声なき絶叫をあげソラの前に倒れ伏したのが映った。何が起こったのか分かっていないソラはフィリアの元に走ろうとして、しかし男の声に止められた。
「……魔導士なんて、滅びれば良いんだ!」
「な、にを?」
「お前は何故そんな所に居る?何故魔導士に加担する?こんな化け物を放し飼いにするなんてこの世界はどうにかしている!お前もよく知っているだろう!コイツ等は笑って村を焼くんだぞ!?人を嬲り殺して喜ぶ野蛮な獣だ!早く駆除せねば!」
狂ったように騒ぐのは、村長を名乗った男本人だった。目を見開いて固まるソラに男は募る。
「どうせ新王も魔力に依存しているのだろう!?奴等の支配はもううんざりだ!こうやって甘い汁を今は吸わせているがどうせ後々になれば金が無くなったとほざいて俺等に金をせびりにくるんだ!何が王家だ!化け物を輩出するだけの大量兵器の倉庫と同じだ!」
固まったソラの横でフィリアが血を流し続ける。何かを呟いているのが聴こえるが、身体が動かない。助けようにも、どうすれば良いか分からない。
「ぐ……ぅ、ふぃ、りあ……!」
と、リーンが必死に体を引きずって少しずつ前進している。だが、溢れる血は止まらず、白い地面を赤く汚していく。来るな、動くなと叫びたいのに、何も出来ない。ぐちゃぐちゃの頭で現状だけを把握するソラに、追い打ちをかける言葉が聞こえた。
「フォ……ッあやめ、を……ッ……」
フィリアが、動かなくなった。
「ぁ……あああああああああああああああッ!」
そして視界は白に染まる。
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革命の大凡を話し終わり、ふぅ、と手元のお茶を飲もうと手を伸ばした。しかし震えて持てなさそうな事に気付く。身体中ガクガクだ。我ながら何ともまぁ豆腐メンタルな事だ。
「僕も後で知ったんだけどね、ソラはショック状態で魔法を暴走させその後の被害を減らした。ま、聞こえは良いけど村の人数人が犠牲になってる。で、全員意識朦朧としてる時に、僕のバイタルサインの変化で慌てて駆け付けたフュジーが救助……けど、フィリアはもう駄目だった」
彩夢姫が気丈にも泣かない様に耐えている姿が痛々しい。エレナ嬢がその分泣いているようだ。
「僕が起きた時には葬式も納棺も全部終わってて……僕が覚えてる最期のフィリアは、君を頼んで来た姿なんだ。……だから、フィリアが好きだった赤は、僕は好きにはなれない。けど、赤いドレス姿のフィリアは一番好きなんだ。彼女が一番生き生きしてたからね」
「……姉様は、幸せだったの?」
ポツリと彩夢姫が呟いた内容に、僕は少しだけ困って表情を崩してしまった。さて、どう応えようか。
「…………幸せ、だったのかな。元々明るい性格だったから偶にしか辛そうな表情見せなかったけど……うん、多分本心で幸せだったと思う。けど、君を早く見つけられてれば、もっと幸せそうにしていたのかなとも思う」
ごめんね、と頭を下げると横に首を振られた。え、と顔を上げると、そこにはとても綺麗で、フィリアによく似た笑顔が一つ。
「……私の方がそれを言いたい。姉様に、幸せな生活を送らせてあげて……ありがとう」
ポツリと、僕の掌に雫が落ちた。