第79話 空蝉の地獄
空蝉…魂が抜けた虚脱状態の身。同音異義語で現人(この世・この世に現存する人間)がある。
少しこの言葉を意識して頂ければ幸いです
ぎゅう、とリーンは拳を握った。その背にあるのは身長を考えると巨大とも言える純白の翼で、その能力を使って彼は降り積もる雪から人々を守っていた。雪は町を覆う結界につもり、しかし円形なので脇に滑り落ちて行く。その先には火の魔法が用意してあるのですぐに溶けるという、二段構造が待ち受けていた。
「配給此方でーす!まだ貰って無い方いらっしゃいませんかー!」
ローゼンフォール・フォロート・ゼラフィードの使用人や騎士見習いが大鍋で作られた温かいスープを配給し、その周りでは涙ぐみながら親が、子が、老人がそれを食している。中には祈りを天に捧げる者さえいる程だ。そんな敬虔な人にはそっと女性の使用人が近づいて、温かい内に食べる様進める。感謝の祈りよりも今は彼等には栄養そのものが必要だ。
そんな様子をぐるりと見渡してから、リーンは横に立つソラを見上げた。
「さて、ソラ。多分貴族ぎらいの人も隠れてるよね。このなべ、保温の魔導具兼ねてるから持ってってくれる?オレもついてくけど、この見た目でも偶にけいかいされちゃうからさ」
「そこまで貧相な格好してまだ微妙に貴族っぽい元平民っつーのもスゲーな……」
リーンは現在何処から手に入れて来たのか、平民と同じような継ぎ接ぎだらけのボロい服を着、片目を包帯で隠し、髪を黒く染めていた。敢えて悪い染髪剤を使っていた筈なのにあまり痛んでいない髪を見ながらソラは戦慄する。どこまで素材が良いんだ、と。流石に青い目は隠せないが(本人が全力でカラコンを嫌がった)その位なら普通は誤魔化せる……筈、である。
そんな2人をスルーしてフィリアが声をあげる。
「あ、ボクも行くよ。医療品貰ってくるからちょっと待ってて!」
子供3人も各々が仕事を熟していた。そもそもまだ安静にしていた方が良いソラを引っ張って来た理由がこれだ。フィリアやリーンでは子供であっても貴族的な見目が反感を買いやすく、ただの使用人が行けば下手すれば惨殺される可能性がある。騎士が行けば警戒を解かれないであろう、という事で完全なる平民且つ有志であるソラを態々連れて来たのだ。その成果は上々で、ソラが鍋を持っていくと渋々であろうと受け取ってはくれる。痩せ細った身体が受けるのだろうか、いや、痩せで言えばリーンもあまり変わらない。リーンは自分の身体を見下ろしてすこししょぼんとした。
「お待たせ。さて、どっちに行こうか」
包帯や薬を詰め込んだショルダーを持って来たフィリアが声をかけた事で3人は移動する。子供だけなのは警戒がどうのこうの、という理由もあるが何よりも一番の原因は、そこらの雑兵よりもとんでもなく戦力が高いからだ。フィリア一人でも安全面ではお釣りが来る魔力量なのに、それに防御・攻撃を熟す底なし魔力のリーンが加わった今、戦力は一個小隊にも勝る。
「んー、人の流れ的に見てるとこっちに集まってるかなぁ?」
すい、とリーンが指した方向は町の外れの方へと向かう道だった。雪が積もっているので足跡がごちゃごちゃと付いているが、確かに其方の方への道は比較的それが少ない。住居の数を考えると息を潜めて閉じこもっている反貴族的な市民が多いのは間違いなさそうだ。
「にしても空腹の欲望よりも憎しみが勝つっつーのも感心するよな」
「同感。でも流石に食べ物の匂いまでしたら誘惑に負けるでしょ」
フィリアとソラであーだこーだと議論しているのを尻目に、リーンはのほほんと呟いた。
「オレとしては反貴族派でもいいから自分達が生き残るように考えてほしいんだけどね。人が死ぬところなんて見たくもないし、いっそこっちの配給を糧に反逆してくる位きがいがあってもいいんだけど」
「おい」
言っている事は聖人思考のソレだが、内容は革命を現在進行形で行ってるメンバーの主要人物が口に出すと大問題発言へと様変わりする。ソラが思わず声を上げた横で、フィリアは苦笑いして内心こう考えた。
(やっぱフォーってローゼンフォールだよねぇ)
本人が聞いたら怒るかショックを受けそうな言葉だ。確かに他のローゼンフォール家の者と比べれば真っ当な思考回路はしているが、どこかズレている。
因みに現在ローゼンフォールは革命支援として魔力のある者は全力で城内破壊活動に勤しんでいる筈である。準備の時集まった際、数人が「一度壊してみたかったんだよなー、城」「ウチに無い拷問道具をちょっと頂いて敵に使ってもいいかしら」「おや、愛用している拷問道具を使うのも乙じゃないかい?」「秘密の抜け穴みたいなのないかな!それで国王の後ろに回ってブスッとヤるの!」と和やかに笑っていたのを一般兵が震えて見ていたが大丈夫だろうか、色んな意味で。フォロートとゼラフィードの人間は相変わらずだな、という目で見てたのも凄まじい。
「とりあえず食べて貰う事を先に考えなきゃねー。まぁ、兄様達が成功してないとこれからの食糧はもっとひさんな事になるんだけど」
さて、向こうはどうなっているかな、とリーンが城を見上げたのを眺めて、フィリアも心配そうに視線の先を追った。
◆ ◆ ◆
そのエンスはというと、タイムリミットに追われていた。
5撃、6撃、7撃。何度剣をぶつけても結界には罅も入らない。みるみる膨れて行く魔術に焦りが生まれると同時に、自分の肩にかかっている重圧に押しつぶされそうだった。
これに負けたら、当分この国はこのままだ。自分が王位に就ける事は確定したようだが、今欲しいのは未来の確約ではなく現在の自由だ。鳥すらも羽ばたかない、猫すら歩かないこの地を城の上から眺めるだけだなんて絶対にしたくない。
「……く、っそ!」
キィン!という音が響き渡る。それをきっとあの二人はニヤニヤしながら眺めているのだろう。魔女を放置していっそ父親を、とも思うがその前に魔女が何かしらの手を打って時間を無駄にすると判断してこうして地道な作業に勤しんでいるのだが、そろそろ時間が迫ってきている。ここで父が自分に仕掛けてこないだけマシなのだろうか。二人相手にするのは幾ら父が強く無いとはいえ、この場では骨が折れる。
焦りを押しとどめもう一度魔力を練り直した所で、ヒヒッと厭らしい笑いが聞こえた。
「殿下、残り30秒ぞ。さぁて、傷一つ付けられていないが、どうするかねぇ」
押しとどめた不安を再び煽る台詞に苛立ちは増していった。そもそもSランクとAAランクには絶望的な差がある。それは馬力だけでなく、その量を暴走させずに扱い切る制御力もだ。本来なら流石に二つも同時展開させていればどちらか、あるいは両方の魔術の質が落ちる筈なのだが、腐っても魔女、マルチタスクでその程度は難なく熟してしまう。たかだか10年ちょっとしか生きていないエインセルとは大違いである。
キィンキィン!と澄んだ音は結果を残してはくれない。この短時間で余りにも剣に魔力を注ぎ過ぎたのか、エインセルは僅かに脳内がくらりと揺れるのを感じた。だが、止まれないと自分に発破をかけひたすらに同じ個所を狙って剣を振るう。
しかし、そうして何も手立てがないまま時は残酷に流れて行く。
「さて10、9、8」
開始されたカウントダウンに心臓が跳ねた。
「7、6……」
焦る。冷たい汗が背を伝い、暴走しかかっている魔力は室内を極寒へと導く。
「5、4、3……」
最早ダメか、と魔女の魔術に耐える事を考え始めた次の瞬間。
「解呪」
低い声が響いたかと思うと、目前の障壁どころか、もう一つの術式まで解けた。瞠目してその声の主を探そうとするが、その前に彼はエインセルを庇うように前に立った。
「さぁテ、お待たせしましたエンス。遅ればせナガラ貴方のリトスが参上仕りましたヨ」
灰色が目に入る。纏う魔力は密度の濃いそれ。握った剣はエインセルの物と同じようにまだ赤い血を滴り落としている。一体何処で何をやってきたのか、全身ずぶ濡れになっているリトスは軽口を叩きながらもその警戒は解かなかった。切っ先を魔女へ向け、不敵に目前を睨み付けている。
「……リトス、気持ち悪いぞお前の発言」
緊張から解放され、ふ、と口元を歪めながらもエインセルが毒を吐く。吹雪で荒れる室内の空気も空調が漸く効いてじんわりと暖かさを取り戻し、脇に積もりかけていた雪も姿を消していった。
「おやエンス、人の事を気持ち悪いだなんテ失礼ナ。まぁ遅くなったのには詫びますガ、気持ち悪いといわれる筋合いナド欠片も持ってませんヨ」
「まぁその話は後だ。今は目の前の二人に集中しろ」
「……魔女よ、リトスは食い止めていたのではないのか」
ポンポンと流れるような応酬に王が眉を顰めて不快感を露わにする。魔女もおやおや、と呟いて首を振った。
「幻影を振りほどかれるのは流石に予想外だねぇ。流石神童リトスの名を欲しいがままにしただけはあるの。ずぶ濡れなのは……あぁ、だからか、成程厄介じゃの」
「どういう事だ」
「なぁに、『リトス』は願われていない名前だ、という事さね。彼奴の家系は本来水じゃからな」
ふぉっふぉっふぉ、と面白そうに笑う魔女に王の機嫌は急降下する。しかしこの場でそんな事を気にする人間は誰も居なく、じりじりとした緊張感が湧き上がっていく。特にリトスからはそれが顕著だった。
「リトス、そう睨むでない。そんなに水は嫌いか?」
「……水は嫌いじゃないデスヨ。雨は嫌イですけどネ」
その返答にそうかそうか、と満足そうに頷いた魔女はさて、と改めて杖を持ち直した。
「さぁさ、時間を食ってしまったから早く決着を付けねばな。今頃味方は中々に悲惨な事になってるであろ。そち等、戦力過多にも程があると思うのだがな?」
「数の暴力を持ってる方が何を言う。幾らオーバーSでも城を壊さずに何十人も相手取れるのはお前しか居ないだろう」
「ふむ、そうも取れるか。城を壊さず、というのが誰も彼も生温いのじゃが、確かにこの国の文字通り財産の塊を壊したらこの先やって行けんの。ま、無属性は便利だというのに自分の属性ばかり伸ばしたがった若造達のツケじゃな。仕方あるまい」
それ、と杖を振った魔女が放った術は簡単な掛け声とは裏腹に酷く凶悪だ。夜の闇を凝縮させたような黒は見る者に寒気すらもたらす。が、それを難なく切り裂くリトスの身体能力も中々におかしい。
「エンス、打ち合わせ通りデス」
「頼んだ」
お互い頷き、一瞬で各々の相手との距離を詰めた。ガキィン!という剣と結界が交わる音と、剣と剣が交わる音が響く。
「父上、剣使えたんですか」
「お前は本当に失礼な息子だな……凡才だからと舐めてかかるな」
割と本気で驚いたエインセルに似た顔立ちが、嫌そうに眉間に皺を寄せる。豪華で動き難そうな服を着ている割に自分に食い付く父親の剣筋に初めてエインセルは評価を見直した。日がな一日惰性に生活しているような人だと思っていたが、案外剣の腕前は鈍らずいるようだ。こうして手加減ほぼ無しで打ち合っていても息を切らさず応酬に応じるのが父親だというのが何だか新鮮だ。そもそもこんなにも長く一緒の空間に居た事等、公式行事以外であっただろうか。
「それは、失礼をっ!」
渾身の力で相対した剣を跳ね返すと、また迫って来る鈍色のソレ。何度も弾き返し、何度も父の身体を掠り、何度も自分の身体を斬る。痛みはあるが、それよりも高揚感すら生まれて来る謎の戦いに心躍らせながら軽口を叩く。
遅ればせながら気付いたのだ、自分はただ認めて欲しかっただけなのだと。生き地獄を体現する国を立て直したかったのも事実。世界の荒波に呑まれる弟へ確固たる地位を与えたかったのも事実。自分以外に頂点に立てる人材が居ないと気付いたのも事実。
だがそれ以上に、自分は存外親と言う者を好きだったらしい。冷徹な瞳で上から自分を見下ろす、唯一の片親。幼い頃に母は死んでいるし、兄達は自我が拡大し過ぎて相手をするのが面倒だった。だが、この父だけは何処か感覚が違ったのだ。駄目親父だとは思っていたが、完全な悪人とは考えきれて無かった。こうして玉座を奪おうとしている時に初めて気づくのも滑稽だが、感情は覆せない。
そう。初めてだったのだ、父に軽口を叩こうなど思ったのは。浮かれてる自覚はある。こんな時にと思わないでも無い。
しかし、それでも‘はじめて’なのだからいいだろう、と受け入れ納得したた瞬間。
「ふん……まぁ良い。これが最期だろうからな」
え、と目を見開いたエインセルに、珍しい位に柔らかい父親の双眸が焼き付く。その似通った顔立ちに、自分もこう育つのだろうか、とこの国の未来をかけた戦いの場にそぐわない思考すら持ち出した瞬間。
―――チリッ
―――ズブリ
「――――――え?」
頬を掠めたのは父王の剣。たらりと熱いものが伝い落ちる感覚が走った。
次いで襲うのは、肉を裂いた感触。骨すらも断った程の剣は、相変わらず酷く美しい。
その後伸し掛かったのは、二回りほど大きな父の体重。喘鳴のような呼気が首元にかかる。
最後に感じたのは、身体中を濡らす紅い血。ししどにエインセルを濡らすそれは、胸元に剣を穿たれた父王から止まる事を知らず流れ続ける。
「―――おうには、じさつ、など、みとめられ、ないのだよ」
晴れやかな笑顔が自分に向けられているのが見える。焦点の合わない瞳は徐々に光を失っていくように思われる。掠れた声は、とても良く耳に響いたように感じた。
「―――こ…が、にば…め、の、ぷれぜ…と……だ…えん、す…………」
突き刺さった剣が鋭さと父王の体重故に僅かに上へずれる。心臓を完全に切断したのかもしれない。ゴホッと鈍い音と共に肩口が濡れ、それを最期に父は全く動かなくなった。
「ち、ち―――うえ―――」
呆然と呟いて思わず崩れ落ちたのは重さでか、脱力感でか、虚無感でか。
未だ温もりを保つ頭が、エインセルの肩から滑り落ちた。