第78話 血濡の英雄
チラチラ、チラチラ。
窓の外で白い雪が静かに降り積む。外では息を吐けば真白に染まる程の凍てつく寒さだが、内にいる彼等はそんな事も気付かずにただ辺りを‘紅’に染めあげていた。
「っのぉ!」
「貴様ら!反逆罪がどれだけの大罪か分かっての狼藉か!!」
「知ってんに決まってんだろ!そういうテメェ等こそ今のこの国の状態見て何もせずに何でいられるんだよ!」
キンキン!と鋼がぶつかり合う音がそこかしこで響き渡っている。寒さの為窓が開いていないので血臭が酷い上、城内では目も当てられない程残虐な光景が散りばめられていた。国王に与する者はその光景に青褪めながらも応戦、心の弱い者は降参、エインセルに与する者はただひたすらに応戦する国王派へと切っ先を向ける。彼等の中で重傷を負う者は何故か一人も居ない。
「平民がどこでくたばろうと俺等には関係ないッ!」
「そうだ!汚いゴミ共が唯一出来る事は我等貴族への奉仕のみであろう!」
「奴等が貴族として生まれなかったのが悪いのだ!」
国王派の意見の何と醜く愚かな事か。王子派はその意見に怒りを増長させる。彼等の大半はその‘汚い平民’出身でありながら家族の為にと最も嫌う王へ仕える事を決心した者達だ。幼い頃に経験した事からの憎悪は中々消える物では無い。彼等がこうしてエインセルの下で剣を振るっている事自体が奇跡に近いのだ。今までに受けた仕打ちはこの比では無いのだから。
「生まれなんて選べる訳ねぇだろッ!」
「僕達は貴様等のような醜い貴族へ生まれなかった事を心の底から神に感謝している!」
突く。刺す。薙ぐ。斬る。殴る。打つ。射る。千切る。中てる。絞める。
室内なので使い辛そうな武器も多々ある。大きな魔法は打つ事が出来ない。そんな泥沼の争いの中、絶望的な人数差を物ともせず王子派は歩を進める。彼等が革命活動を開始したのが根本的にこの城内からだったのだ。城に出入り可能な官僚のみで構成された特殊な革命軍は、その利を生かし頂点に限りない場からスタートしていた。
そして、それはエインセルも同じだった。
「父上……今此処で王位をお譲り下さい。そうすれば処刑は行いません」
「エインセル……愚かな息子だお前は。その血の魔力、兄二人は既に殺した後か」
碧の瞳が深淵を映しているように昏い。いつもなら銀に煌いているであろうその髪は一部赤に染まり、手に持つ長剣もまた赤い血を滴り落としていた。それを無感動に眺めた王は、つい、と手元の長剣へ目を移し細めた。
「しかもその剣、お前の武器では無いな。国宝庫に仕舞ってあった物を持って来たか」
「ええ、宝剣フラガラック。スヴニールクレでは人は斬れませんし、最早アレは使ってしまった後ですので此方を用意しました。さて父上、如何なさいますか?私は最早兄の血で塗れた人殺しです。親も兄もそう変わらないでしょう」
淡々と伝えられる言葉は冷徹で、まるで感情が込められていなかった。しかし瞳には憎悪の炎が燻り続けているのがありありと見える。この場に客観的に物事が見れる者が居たら鋼の瞳、と称したであろう視線を受け、しかし国王は薄っすらと口元を笑みで彩った。
「お前はいつも私を苛立たせるな。そしていつも愚かな選択しかしない。どうしてこの有事の中逃げずに私が此処に居続けているか、お前は分かっていないな?」
「……何を言っているのですか?死に際の戯言なら……ッ!」
背筋をゾクリと走った寒気に言葉が止まった。今まで気付かなかった事に違和感しか覚えない程の圧迫感が後ろから注がれている。だが、それはエインセルにとってとても覚えのある圧迫感だ。
オーバーSの、全開の魔力量という名の。
「……王子殿下、そちは賢しいのお。それと吾以外の強者は全員お主の下へ下ったな。彼奴等もまた、賢しい判断の出来る者よ。吾は誓約がある故此奴の手下となってはいるが、普通に考えれば主につくのが正しい上達部としての行いよのぉ」
枯れた老婆の声に体が動かない。まさか、という言葉が脳裏を占め、口の中がカラカラに干からびる感覚が這い寄った。手が汗ばみ剣が滑り落ちそうになった。
「……リトスは、どうしました」
彼女の元へはリトスが、そう計画を練っていた筈だ。魔力量・技術力的に彼以外でこの老婆を任せられなかった。リトスの天才は‘並の天才’とは訳が違う。例え400歳近くの歳と経験の差があろうと、彼なら互角に戦えるのではと思っていた。
だが、今この老婆は確かに‘此処に居る’。
老婆へ背を向けたまま問うと、見てもいないのにニィ、と彼女が嗤ったのが分かった。孫にあった祖母のように楽しそうな応えが、じわりと冷たい汗が伝っているエインセルに返って来る。
「‘此処には’来ておらんのぉ。彼奴は今恐らく、血と肉蔓延る室で‘吾’と戦っている筈じゃ」
ふぉっふぉっふぉ、と嗤う声が憎らしい。現在ヴィレットで最も長く生きるこのオーバーS、名を誰にも名乗らない為に基本‘魔女’と呼ばれている。本人公認の呼び名だが、エインセルはその言葉がピッタリだと思っていた。黒のマント、皺だらけの手や顔、鉤鼻、そして‘金と赤の目’が不気味さを増長させている。
「……リトスに幻影とは言え姿を現して戦うなんて、随分な危険を冒しますね。本来貴女は‘この国に居ない筈の人間’なのに」
「なぁに、小部屋だから平気さね。それに吾が居ない理由も王家が外国に睨まれない為であろう。別に吾自身は好きで身を隠している訳では無い故にな。ただ吾は‘ユグドラシルでありながら人殺しをした’だけのだからのぉ。軍属として何が悪い?」
「人殺しのユグドラシルを奉納すると魔の数が増える。故に【捧げられる可能性ある者全員、大罪を犯す事無かれ】という国際法が敷かれていた筈です。それなのに何故貴女はそれを破った?」
そう、この法律が今リーンを救っている。軍属で、しかもこんな国の者が人殺しを今までさせられていないというのは特例に近い事である。本来は官位を戴いた時点で軍人は‘肉の感覚を覚えさせる’。有事に向けて慣らす、という名目ではあるが非常に残虐な行為に変わりは無い。それで心が折れ、退職する人も少なく無いのだ。それを、たった7歳の子供に強制したらどうなるか。
「吾は自己防衛で人を殺めただけよ。350年前の乱の時に命を狙われた故にな。しかしそれのどこが悪い?吾はただ生きたかっただけで、吾が死ねばヴィレットは手駒を減らしより墜ちただけであろう?あの頃はまだ世界でも―――そうさね、2位の実力はあったの」
「……そうですね、そうでしたね。ですが国際法の存在は今の私にとってとても有り難い物なので否定は出来ません。あれは私の唯一の救いです」
あれが無ければ今頃リーンは、自分と同じ血の道を歩んでいた。
エインセルはそんな想像にゾッと鳥肌をたてる。自分が持っていない物を沢山持った、少し大人びた、けれどとても可愛い弟。どんなに捻くれようとそれだけは変わらないのに、人を殺してしまったら彼はきっと何かが変わってしまう。血の色と消失は彼の根幹に恐怖としてこびり付いているだろう。あの子は優しいから、きっと誰であれ目の前で誰かが死んだら、ましてや自分が原因でそうなったら狂ってしまう。
もう、あの冷たい瞳は見たくないのだ。―――それに。
「ほぉ、本に主は弟君が好きよの。―――あの子供に、もう一人だった世界樹の少女を重ねている故か」
その言葉に王が笑みを深めた。一方エインセルはギリ、と剣を握る。憎憎しげに睨んだ様子にクスクスと笑いすら漏らす魔女に苛立ちが募った。
「煩い。―――あの娘が、何故捧げられなければならなかったと思っている」
「吾がこの通り‘赤目であるから’も一つではあるな。人を殺めた印がこうして浮き出るのが一番の難点よ。昔は綺麗な黒をしていたのだが……」
残念そうに瞼の上を撫ぜる魔女は、しかし飄々とした態度を崩さない。そもそも初めて元の色が‘黒’だと知った位だ、そんな嘯きにはまるで興味が持てない。
「まぁ、主の好きな色は薄氷のような白藍と海より深い露草色かの。あの娘と主の弟君、共にその色であったからのぉ」
「……あぁ、そうだな。あの‘氷のような瞳’は、確かに私のお気に入りだよ」
詰まら無さそうな魔女に、ニィ、と哂うエインセルの纏う魔力は突如として攻撃的なソレに転じた。年齢を考えたら圧倒的と言えるAAの魔力がキリキリと辺りの空気を凍てつかせる。魔力がエインセル程多く無い王が空を見つめて目を細め、小さく手を動かした。
「―――やれやれ、お主は本に化けの皮を被った狸よ。愛くるしい見目で誘い喉元に食らいつく姿、其処な父にそっくりじゃ」
その言葉にエインセルは心底嫌そうな顔をした。王も一瞬眉間に皺を寄せた所を見ると、矢張り煮た物親子なのかもしれない。嫌そうな目元がそっくりだ。
「―――魔女よ、そろそろ話していないで愚息の処分をしろ」
「おやまぁ、気を悪くしたかね。―――どう処分して欲しい?」
「今となっては唯一の第3ヴィレット朝直系の血族だからな、死なない程度に痛めつけてやれ。あぁ、それと子供は作れるようにしておけ。血を絶やすのは得策ではない」
煩わしそうな王の態度にエインセルは憎しみ籠った瞳で睨み付けた。今まで愉快そうに傍観していたと思っていたら、結局はこの態度だ。
歴代王の中では‘無能’とされる程の魔力量―――とはいえCはある―――で、剣の才能も秀でた頭脳も無かった父王は誰かを使う事で権力を維持している。血に縋っているとも言えるだろう。だが、本物の天才であるエンスから見ているとこの人は決して‘愚かでは無い’。ただ貴族の権力を抑えられないだけ、というのが根本にあるのだ。勿論、王族として育っている為に豪華絢爛を好み、平民の負担を重くしている部分は全く褒められた事では無いが、それでも貴族の横行を抑えられない姿は哀れに思う。もし安定した世であれば、ここまで国が荒れる事も無くそこそこの状態を保てただろうに、きっと生まれる時期が悪かったのだ。
「……本当に、貴方は哀れな方です。父上」
「お前は哀れで無いと?」
「それは私には分かりません。ですが、凡才が上に立てる時代で無いという事は理解出来ています。この言葉はあまり好きではありませんが、今この国に必要なのは粛清してでも国を平定させる‘力’がある天才でしょう」
魔女はほぉ、と感心したように呟いた。だが王の表情は硬いままだ。それもその筈、目の前で自分の息子にコンプレックスをグッサリ抉られたような物だ、どんなに豪胆でもダメージを受けない訳が無い。
「……だから私はお前が嫌いなのだよ。銀として生まれ、才溢れ、人望も持っている。銀とは皆そうなのかもしれないがな、私に無い全てを持ちこの天上のような地位を牢獄のように見せて来る。お前も、あの‘世界樹の銀の娘’も―――お前が隠したがって止まない王子も、な」
「それは貴方が努力する事を止めたからです。進む事を諦めた身で、前を歩こうとしている者と同じ場所に立とうなど失笑物でしょう。―――王子は、今は前だけを見据えています」
「面白い事を言う。前だけを見据えているのではなく、後ろを振り返れないようにされているだけであろう?アレが今いるのは此処と同じ、生温い牢獄だ」
鼻で笑った王に、エインセルは同情の念を強める。王の地位を牢獄だと切って捨てた。これからは自分が就かねばならないし、その覚悟もある。だが、当事者に言われるのはとても重たい響きだった。本来なら回って来る筈の無かったエインセルを縛る軛は、冷たい鈍色なのだろう。輝く銀色のようで、しかしそれとは何処か違う鉄の色の地位だ。
「……それでも私にとっては、王子がその状況にある事が何よりの安心感を与えてくれるのですよ」
最後にポツリと呟いて、剣を持つ力を増した。それに気付いた魔女が一歩前へ進み、君の悪い笑みを浮かべて杖を握った。
「さぁて、漸くやる気になったようさね。これでも歳の甲には自信がある吾にどこまで食い付いてくるかねぇ、楽しみだねぇ」
「城は出来るだけ壊すなよ」
「主は注文が多いの。取り敢えず殿下に少ぅしキツイお灸を据えれば良いのだな?」
肩を竦めて応じた魔女が杖を掲げると、ヴォン……と嫌な音を立てて魔力が集いだす。その魔力の密度を肌で感じ取ったエインセルは瞬時に拙い、と気付いて接近戦に持ち込んだ
キィンッ!
だが、剣が魔女を貫く事は無く、彼女が張ったと思われる固い結界に阻まれてしまった。
「チッ、風の結界か……」
「主は前衛職故にちとこの結界を破るのは難しいであろう。リトス辺りなら解呪しそうなのだがの」
そう言う間にも魔力は集っていく。城を壊すな、という命を受けている以上破壊活動はしないだろうが、代わりにあの魔力は精神に直接響く物だと理解出来た。無詠唱の為細かい術は分からないが、当たったら一撃必殺にされる事だけは嫌でも感じられた。
「さぁて、この術式には大凡3分かかる。主が結界を壊せれば其方の勝ち、吾が術を完成させれば吾の勝ち。この単純明快な賭けに主は乗るか?」
「乗らなくても結末は同じだろう……!」
「ま、その通りよの」
カラカラと哂う魔女に苛立ちながらも、一呼吸おいて剣に魔力を覆わせた。微かに青みを帯びた剣に興味深そうに目を開いた王は、だが黙ってただ傍観を決めていた。先程からあの反抗する気の今一無い態度はその位の重みに耐えきれなくなったからなのか。違和感を感じるも今は目の前だ、と思考を切り替え鋭く魔力を練り込む作業に没頭する。
そして、彼はその剣を再び携えて再び結界を切り裂きにかかった。