第77話 運命の一日
ウィンザーには使われていない空間が多い。それは主に軍事演習の為であったりとか、王族用の特別な部屋であったりとか、何故作られたのか分からない無用な空間も勿論ある。歴史の中で何らかの為に作られ、その後も広大な領土を持て余しているが故に放置しただけの、あまり意味を成さない場所だ。そんな場所では誰が使っていても気付かれにくい。敵対勢力の貴族が動いた、だとか王が使っているならば人々の注目をその場限りで浴びたかもしれないが、そうで無ければ警備すら怪しい程だ。
例に漏れずそんなとあるホール。そこには何と千にも渡る軍人が並び、それを越す量のホログラム通信機が置かれていた。全ての通信機が映像を映す為に向いている方向は、ホールの舞台上。兵たちの覚悟を秘め爛々と輝いた瞳もまたそこに集中していた。
その視線の先に居るのは、一人の少年だ。まだ10を幾つか過ぎたばかり。大人か子供かと問えば、子供だと誰もが答えるであろうその姿は、視線に貫かれようと身動ぎすらしなかった。それどころか、まだ声変わりを仕掛けている位の幼さ残る声でその場の全員に、凛と呼びかける。
「皆、想像して欲しい。今この国の何処かで、誰かが横たわっている。涙も枯れ果て、この雪が積もる寒空の下で薄いボロボロの着物を一枚だけ纏い、食事なんて勿論ままならず、家族にすら見捨てられたであろう誰かだ。しかし、その誰かは一人では無い。複数が別々の場所で似たような生活を送っているのだ。いや、これは最早‘生’活では無いな。誰かはたった今、この国内で地獄を体験しているのだ」
少年の高い声はホールのどこまでも響いた。彼の姿は、銀の長い髪は端に立つ兵にもよく見えた。彼の覚悟は、誰にでも伝わった。
「そんな彼等は待っているのだ。争いのない日々を。今、この国では誰もが戦っている。平民、貴族、老若男女問わずだ。一粒の小麦を手に入れる為に、冷え切った身体を暖める火を焚く為に、医者に真っ当な治療をしてもらう為に、死から逃げる為に。或いは、権力を増大させる為に、我欲を満たす為に!」
兵の顔をぐるりと見渡せば、彼等の顔は悔しそうに歪められている。歯を食いしばる者も、掌を食い込んだ爪で傷つけそうな者だって少なく無い。憎悪と憤怒が入り混じった空気が漂う。
「さて、諸君に訊こう!その誰かとは誰だ!彼等とは誰だ!同じ町で生まれ育った隣人か?友か?家族か?若しくは、自分が守るべき自領の民か!?」
貴族出身の者が恥じらうように顔を覆った。画面の向こうに立つゼラフィード公、フォロート侯、ベッドに横になっているローゼンフォール侯すらも痛々しい表情で地を、天を見つめる。そしてその演説を同じく画面越しに見ていたリーンフォースはグッと左手を握り締め俯いた。
「私は残念ながら家族にも友にもそのように喘ぎ苦しむ者は居ない。だが、この国の誰よりも近くでこの堕落し、腐敗し、醜悪に成り下がった国を見続けて来た。守るべき者を見捨て弄ぶ貴族を見続けて来た。私は嘗ての栄光あるヴィレットは嘆かわしい事に書物の中でしか見た事が無い。今我々の前にあるのはヴィレット以外の五強国ですらも見下し嘲笑する程に地に堕ちた、過去の栄光の残骸だ!」
ダン!と手に持っていた剣を打ち付けた。
「私は6つの頃に悟った。父もまた愚かだと。だから私は今日此処に立っている。リトスとコウに背を預け、国に輝きを取り戻す為に刃を研ぎ澄まして来た。そしてその結果が今、私の目前にある!背を預ける者がこんなにも増え、例え敵の前に倒れそうになっても支え合える仲間に囲まれている!これが私の唯一の救いだ!立ちはだかる現実と言う名の壁は見上げる程に高い。だが、不屈の精神を持った騎士が、私を壁の頂上目前まで押し上げてくれた!そして今から私はそこを飛び越えよう!この剣を兄弟の血で濡らし、父の心臓を穿ってでも争いを無くそうという覚悟を持って挑もうではないか!上へ登ろうではないか!」
右手の人差し指が天を指す。そして一度手を下げ、剣を抜き払った。
「諸君!愛する者を守れ!守るために、腐敗したヴィレットを終わらせる戦いを始めよう!時は満ちたのだ、悔し涙を流し、肥えた豚に頭を垂れる時は終わりを告げるのだ!」
煌く切っ先は天へ。澄み切った碧の瞳は兵の下へ。高揚した兵を見据え、エインセルは高らかに宣言した。
「諸君!革命だ!!」
◆ ◆ ◆
高揚が治まらない。画面越しに見た熱気が伝わって来て、胸の奥に熱いわだかまりを残した。はふ、と胸元を抑えて一息つくと脳内に怪訝そう音が響いた。
(おい、お前なんでこんなに感情昂ぶってんだ?)
「あぁ、革命が始まったんだよ」
同じく胸元を抑えて不思議そうな顔をした少年、ソラが驚愕に染まった。因みに彼の本名はちゃんと訊いたが、フィリアがソラ君としか呼ばないのでそれで落ち着いてしまっている。
(おいっ!?此処ウィンザーだろ!?領に戻んなくていいのかよ!!)
「むしろ革命が始まるから領から出て来たんだよ。オレは直接参加はしないで城下のこんらん抑えるのが役割なんだけどね。……仕事前に君が動けるようになって何よりだよ」
(は?俺?)
顔を指さして首を傾げたソラに、横からクスクスという笑い声が聞こえた。笑った張本人であるフィリアは、さもおかしそうに口元を手で覆った。
「ソラ君が何言いたいのか丸分かりだよ。……大丈夫、手は打ってあるし、君を悪いようにはしないから」
ニヤリ、と企んだ笑いを浮かべたフィリアに尚更混乱した視線を迷わす。
「オレ等は残念ながら平民には見えない。平民上がりの筈のオレは何でか一度も平民に見られた事がなくてね。城下のこんらんを落ち着かせるどころかこんらんを招く存在になりかねないんだ」
ピコピコと顔の横の髪を引っ張って主張されると納得できた。平民のように薄汚れて居ない金髪の輝きは目立つ。おまけに色素が薄い髪の平民というのは何方かと言えば珍しいのだ。銀に近い、つまり色素が薄い髪は持て囃される傾向にある上、劣性遺伝子故にそれを狙った結婚をする貴族が出て来る始末だ。平民でこの色はそうはお目にかかれない。こう考えるとリトスの灰色やアズルの薄茶も割と珍しい部類だ。
「まぁ染めてくつもりだけどね。でも見た目がなんでか貴族っぽいらしいんだよなぁ。血の繋がりは国内じゃ全否定されてるのに。……ついでにフィリアなんて皇族だし」
「フォーは色の白さが助長させてる気もするけどなぁ。私のはまぁ、薄まりまくってるとはいえ、ねぇ?」
困った様にお互いを見合うが、何とも羨ましい悩みだ。平民だと蔑まれる事はそうあるまい。自分だって初めてリーンを見た時は貴族か平民か判断が付かなかった程だ。見た目の効果とは恐ろしい。
(で、俺は要は平民の誘導しろって?声出ないんだけど)
「声はこの後調節するから多分出るようになると思うよ。そっちの準備に手回せなくておそくなっただけで」
(……前に代償がどうのこうのとか言ってなかったか?)
クエスチョンマークが頭上に踊っているようだ。怪訝な顔を隠しもしないソラにリーンは意地の悪い笑みを見せた。
「オレが軍で何て呼ばれてると思う?」
(……クソガキ)
「…………確かに言われてる」
バツの悪い顔になったのはそれ相応の事をやらかしているからか。6歳で宮廷魔導士の術を防いだ事は一部では有名だ。おまけに平民出身。嫌われる要素がてんこ盛り過ぎたからか、裏では罵詈雑言を吐かれていた。勿論一々気にしていない上、過保護な兄一同がその情報を入手次第チクチクと言った人々を苛めているらしいが。
「他に想像つくのは?」
(悪ガキ、小悪魔、捻くれ者、女顔、チビ、小童)
「………………ソラ、君はオレを怒らせたいの?」
指折り数えられたあまりの罵詈雑言に頬が引き攣る。確かに言われて無いとは口が裂けても言えないが、命の恩人にその言葉はないのではないか?その感情を受け取っても焦らない所を見ると、中々肝が据わった拾い物をしてしまったらしい。
(じゃあ何だよ)
「天才」
ポカン、と呆けたソラに憮然としてリーンは鼻をならした。
「これでも魔導理論なら発表されてるものは全部理解してる。独自の理論も……まぁよっぽど高難易度じゃなきゃ展開出来る。言われて良い気分になる言葉じゃないけど、否定する気は無いよ」
本気でそれを褒め言葉と受け取っていないらしい。自分から言った癖に随分と嫌々認めているようだ。だが、自分で否定できないという点は凄い。しかも周りがそれに反対しないなら尚更だ。反抗はされているかも知れないが。
(……つまり俺の声戻す程度なら時間あれば出来る、と?)
「そゆこと」
随分とハイスペックな子供様だ。自慢する訳でも無しで尚更凄いと思う。普通子供は自慢したがる気がするのだが、リーンは自慢でなく厳然たる事実として言っているようだ。
(……お前ってホントに雲の上の人間なんだなぁ)
ふと感想を内心で反芻すると流れてしまったらしい。リーンが自嘲するかのような笑みを浮かべ空を仰いだ。
「雲の上、ねぇ?別にそんないい場所でもないと思うんだけどな、雲の上なんて。寒くて風が強くて空気が薄い、人間じゃ到底生きられない空間だよ。下から眺めてる分にはキレイだけど、実際に上に行くと居るだけで苦しい。誰も、鳥すらも来れない位に高くてこどくな場所。そうは思わない?」
空よりも深い青の目がすぅっと細まる。空の上に居る事に対し諦めたのか、逃れたいのか。今、孤高とは正しく‘高過ぎて孤独な場所なのだ’と宣言したのだ。経験者は語る、と言うが彼のこの台詞は正にそうなのだろう。言ってしまった自分を後悔した。リーンは多分甘えていれば良い年頃、なのだろう。自分もあまり親に甘えたという自覚は無いが、リーンのように貴族の家で育てられたなら普通はそんな苦しみを持たずに済んだはずだ。寧ろ何一つ不自由のない生活が普通だと思う。だが、そんな彼が孤独を自覚し、しかも奥底に眠っていたであろう感情を呼び覚ましてしまったのは、自分だ。
「……大丈夫だって、フォー。君の周りにはちゃんと人が居るよ?エンスも、リトスさんも、洸さんも、勿論ボクだってね」
そっとフィリアがリーンを抱き込むと、ふ、と視線が柔らかくなった。流れて来る冷たさが消えてなくなり、代わりに暖かいモノが流れて来る。
「……うん、ごめん。取り乱した」
「うーん、そこは子供らしく思いっ切り抱き着いてくるとか無いの?」
「演技で良ければ」
可愛く無い回答が逆にらしくて、今度こそ穏やかに2人そろって笑った。それにホッと安堵したソラの気を知ってか知らずか2人はそのまま会話をつづける。
「さて、フォー。現状城下に混乱は起きて無い。食糧配給を進めているようだけど……正直足りるかは微妙なラインかな。今エンスがポケットマネーで‘ミッテルラントから輸入している’けどそれだってそう多くは無いしね。向こうも今年は天候が良く無かったらしいし」
「違う意味での混乱は起きかけている、と。水を輸入しなくて言い分まだ楽だけど、食べ物はどうしようもないな……ついでに言うとやっぱり医者の数が足りないよ。それと衛生管理がズサンなのも気になる。疫病なんて流行られたらホントにこの国終了だし」
「エンスが勝負をしっかりつければどうにかなる所なんだけどねー全部。ただ今回の作戦かなりえげつないから短期で決まる……よね」
続く会話は耳を疑う内容ばかりで落ち着いた心がまた騒ぎ出した。いくら同盟国とは言え一貴族?が他国と輸入出来るのか。しかも会話を聞く限り向こうの国も余裕が無いと見る。
「ろうじょう戦が出来ない作戦だからね。城中が血の匂いにむせ返るかもしれないけど、長期にはならないようになってる。長期になったらそれこそもたないのは向こうだしね。オーバーAの殆どはこっちに入れたもん」
「でも向こうには一人厄介な人が居るんでしょ?オーバーSの引き篭もりの人」
「……正直オレもあの人の事はよく分かってないんだけどね。ただ言えるのは、盲目的なヘーカの信者だって事位」
ソラにはよく分からない話が続いている。ただ困惑と焦燥、顔面には取り繕っている恐怖は感じていた。困ったなぁ、なんて呟いている裏で怯えているようだ。何にかまでは分からない。きっとこのラインは感情を伝えてはしまうようだが、深い考えまでは流石に読めないらしい。思い返せば伝える気がなければ、何を考えて居るかまでは全く分かったことは無かった。
(……なぁ、ところでオレの治療、いいのか?時間ヤバいんだろ?)
「あ」
だが、先程言っていた事を思い浮かべるとこんな風に焦っている時間すら勿体無いのではないか。水面下で物事が動いている内に鎮圧すべきだろうという程度は考えられる。それを伝えると案の定リーンはしまったという顔をした。
「……フィリア、儀式用意よろしく」
「やっば、忘れてた!ちょっと待ってて!」
慌ただしく部屋を出て行ったフィリアの後ろを眺めていると、リーンが此方を凝視していた。なんだ?と問うと悩んだ末のような感じで口を開かれる。
「……どうして、君とオレは相性が良いんだろうね」