第74話 戦争の開始
「……ち、ち上……今、何と……」
呆然と、まだ幼さの残る銀の少年が立ち尽くす。碧の瞳は不安定に揺れ、動揺を隠せずに手は小刻みに揺れていた。そんな姿をまるで汚いモノを見る目で眺めるのは現国王、エルファーレン・C・ヴィレット。くすんだ灰色の長髪と碧の瞳、母親に似た長男次男とは裏腹に、息子とよく似た色合いをしているのに他人へ与える印象は全く違う。怜悧な美貌は冷たさのみを印象付け、エインセルのように溌溂とした雰囲気はどこにも無い。
「もう一度だけ言ってやろう。明日を以て平民からの税収を引き上げる」
「そんな唐突な……ッ!?」
愕然として叫ぶエインセルを見る王の目は完全に蔑みの色を宿していた。息子を見ているのではなく、最早虫けらを睨むソレだ。しかしそれに屈するエインセルでも無ければ、彼を完全に物扱いする程の父親でも無かった。
「くどい。この国は今前進の時なのだ。戦の為に金を集める事のどこが悪い」
絢爛豪華な玉座でそう宣言する姿は正に暴君。金になる物はここを見渡すだけで幾らでも見つかる。とは言え、勿論王は国民に権力を見せる為絢爛な場に住み、着飾り、威厳を持たねばならない。例え国民へ金を充てる為にとみすぼらしい姿になった王では、国民への失望を煽るだけであろう。他国へ付け入られる元でもある。国がしなければならないのは慈善事業で金を与えるのではなく、恒久的に国民が安定した生活を送れる為の公共事業だ。
だが、まさに今この国はそれすらも放棄してただ腐敗の一途を辿っている。
「……父上、国民がいなければ国家は成り立ちません。このままでは全ての民が飢えて死ぬでしょう。食糧が異常なまでの不作を見せているこの3年程で既に民の疲弊は限界です」
「どうせ三大貴族領の領民は飢え無い程度の食事を与えられているのであろう?他の領民にもこそこそ手を出しているだろうし、問題はないだろう」
「それがもう限界だと言っているのです!!どうして分からないのですか!このままでは兵糧も、兵も、民も戦については来れません。輸入に頼れば他国の付け入る隙となりますし、ついこの前までの‘魔物繁殖期’の影響で他国であれども作物が育つ土地は大分減りました。この食料危機は世界中で起こっているものなのですよ!」
煩わしそうにエインセルの叫びに返す父に、段々と失望と苛立ちが募っていった。魔物が通った土地はそれだけで作物が育たなくなる。‘ユグドラシル奉納’という、たった一人の少女の犠牲で魔物の数は激減したが、土地が浄化された訳では無い。土の疲弊以前に、作物が育つ土地自体の問題なのだ。それを分かっていながら戦へ出ようとする目の前の無能の考えが、エインセルには読めない。
「……では訊こう。エインセル、お前はこの国に媚びへつらい権力を気の赴くままに行使する貴族共に「数少ない食料を民へ分け与えよ」という触れを出した所で守られると思うのか?」
痛い正論に、エインセルはぐっと言葉に詰まった。確かに、王権が強いとは言え貴族勢力が衰えている訳では無いヴィレットではそれは通らないかもしれないのだ。ヴィレットの歴史は複雑怪奇で、帝国と名乗りながらも治めるのは皇帝でなく国王、という時点でおかしいのだが、何よりもおかしいのは貴族勢力と国王勢力の権力の差だ。
国王の力は勿論ヴィレット全域に渡る。普通の貴族領では国王の権力が貴族のそれを上回るが、貴族の意見を無視出来る程王権は強く無い。三大貴族領の、それもゼラフィードは王権を上回る権力を持ち、一種の独立国のような形態をしているが、基本は国王の下として行動している。ローゼンフォールに至っては、変人過ぎて話が成り立たない事が多々あるので、どちらの権力が上なのかが長い歴史上全く読めない。
「……なら、それこそ兵糧として溜めている一部の解放は出来ないでしょうか。同時に国民へ技術の提供も進め、土地の浄化へ勤しむべきかと」
「ヴィレットの不安定な政治状態で兵糧を減らせと?小国が幾つも虎視眈々と報復を狙っている最中で軍備縮小させるとは、中々に愉快な思考をしているな。そして浄化の件は国民へ技術を渡した場合、国家反逆の用途で使う者が多いのが分かり切っている為に却下する」
そこまで言い切ってから王は憐みのような目をエインセルへ向けた。まるで出来の悪い子供を見る教師の目だ。親の情など入っていない、他人を見る視線が同じ色の瞳に突き刺さった。
「お前は恐らく兄弟の中で最も頭が良い。レンバルトやリュセルのように魔力が低い訳でも無く、権力の使い方も分かっている。なのに何故お前はそんなにもあの群衆共へ肩入れをする」
「この国で次代を背負う実力者達が一般市民から出ているからです。シュタット兄弟、フュズィが代表例として出して良いかと思われますが」
「確かにあれらは平民にしては良い。が、所詮一握りであろう。魔力は貴族の方が圧倒的に多い。その事実が覆る訳が無かろう」
徹底した選民主義に取りつく島も無い。そもそも貴族の魔力が多いのは遺伝だと思われるのだが、それを言ってもまた何かしら屁理屈で返されるだろう事が容易に想像出来る。
そう、もうこの王には何を言っても無駄なのだ。貴族からの強い要望で無ければ意見を曲げようとはしない。これが賢王であれば決して甘言に惑わされない不屈の王として名を連ねただろうが、彼の欲望のままに赴かせる政治では、ただの愚者としか言い様が無い。
それを今ここで完全に理解したエインセルは、表面上悔しげな顔を浮かべ、醜い玉座から退室した。
だが、そこから出た瞬間、彼の瞳には強い覚悟の色が宿っていた。
◆ ◆ ◆
「お腹空いたなぁ……」
そう呟いて雪降る曇天を見上げたリーンは、しかし目の前の大鍋で作られている温かいスープには目もくれずその場から離れた。そのスープへは久しく真面な物を口にしていない平民達による長い列が出来て居て、貴族である彼が手を出せるような状態ではない。そんな姿を見せたら最後、彼の身体は挽肉と化しているだろう。
「リーン……もう断食3週間は突入してるんだよ?家に戻ったら少し食べよう?久しぶりにオレンジジュースでも用意してあるって料理長さんも言ってたし」
「ん、ありがとう。でもそれは市民に回してあげて。オレは食べなくても死にはしないから。それよりフィリアこそちゃんと食べてる?まだ魔力をエネルギーに変える方法習得してないんだから、栄養取らないと死んじゃうよ」
「一応しっかり食べさせて貰ってるけど。食べていいのかって心配になる位には」
完全に冬に入り、おまけに今年は去年に続いて雪までちらついている。その寒さで凍死や餓死をする人が続出しかねないという結論に達し、三大貴族領+エンス勢力が手を組んで市民の救済へと向かっているのだ。特に酪農や農業、羊毛の生産が盛んなフォロートが先陣を切っている。フォロート侯爵領では次期当主候補の嫡男ですらも今は粗食(貴族の定義で、だが。パンとスープ、バターやチーズ等が揃っている食事は今の平民では豪華この上ない)で耐えさせているらしい。食べ盛りの子供ではキツイだろうなぁ、と自分も同い年である事を放置してリーンは感心した物だ。
「ならいいんだ。フィリアは絶対に飢えちゃダメだよ。エンス兄様の最後の砦なんだからね」
「……本当に最悪なパターンはエンスの所に嫁げばいいんでしょ?王族と王族の血縁関係を結ぶ事で、エンスの地位を上げるっていう。で、王女がガリポッキンじゃ不味いから最低限は食べて肥えてろって、どんな拷問よこの時代に」
「まぁ、これは本当に最終手段だけどね。こんいんとか本人たちの同意なしでやるような事じゃ無いでしょ。まだ13じゃなおさら」
この革命が上手く行かない方向に行った場合の最終手段は、フィリアの家名を使うという方針だ。公爵家という名目だが、フィリアは本来王族の末裔。おまけに彼女の祖先の生まれ故郷である灯火島は現在魔術の調査と、‘ユグドラシル奉納’が行われる地となっている。本来彼女が在るべき土地はこの通り国家間での重要な役割を現在も見せている為、国際的には彼女の地位はかなり高い。それと大国ヴィレットの王子の婚姻ともなれば、他国は繋がりを求めに彼等の保護へ走る筈だ。ヴィレットと争うよりも彼等を懐柔、恩を売って接点を作り、政治的なステータスを持とうとする者など五万と出て来るだろう。
「んー、まぁ好きな人が居る訳でも無いし、別にエンスならいいんだけどね。性格にちょっと難があるけど顔もお金も権力も問題ないじゃない?」
「……そのきじゅんはどうかと思うよ」
少女にしては枯れた考えに、微妙な顔をして返す。本来夢を見て王子様に憧れるようなお年頃の筈なのだが、リアル王子様に嫁ぎかけのお姫様の身分である所為か、それとも平民生活が長い所為か、夢の欠片も見当たらない。そんなフィリアにそれこそ自分を棚に上げたリーンは複雑な感情を持て余す。何より、リーンの中でフィリアは‘お気に入り’なのだ。例え兄と慕う主であっても、渡したくはない。
―――リーンは未だ、この独占欲の根源となる感情が何であるか理解していない。
「まぁこの話は後々。ほら、リーン探して来なよ。まだ警戒して出てこない町の人とか居るんでしょ?そろそろ雪が積もり始めてるし、凍死の危険が増してきてるよ」
「うん、そだね。じゃあちょっと行ってくる。フィリアは引き続きケガしてる人のちりょうと食糧の配給よろしく。リトの結界から外に出ちゃだめだよ?」
「分かってるって」
この町全域には現在リトスが組んだ結界が張られている。それは国王勢力にこれら配給の様子を見せない為の幻影作用と、フィリアの防御を兼ねた高精度の代物だ。
リトス自身はこの結界を保つ為に奥のテントの中で動かずじっとしているが、どこで何が起こっているかは把握している筈だ。この結界がそういう風に作られている。
水属性+医者の娘というアドバンテージで医療班として活躍しているフィリアと別れ、リーンは持ち前の盗聴・盗撮技術をさらにアップさせた探索魔法でまだ配給へ顔を出さない人を探し回る。貴族に抵抗がある者は貴族の施しなど受けるか!という姿勢を貫いている事もあり、基本配給に回る時は粗末な服を纏うのがエインセル勢力での暗黙の了解なのだが、リーンがそれをやっても全くもって平民と思われないから不思議だ。一応彼は平民出身という事になっているのに、誰も信じない。
「んー……こっちのってまだ生きてるのかなぁ……」
そこで、微かに人らしきものを探知したのだが、余りにも低い温度で生死すら疑われる。勿論亡くなっていたら埋葬する気でいるので、そちらに急ぐ足を止めたりはしないが、雪が段々と深くなってきて歩きにくい。諦めて人目につかない所までは飛ぶことにした。
真白に染まっていく大地はリーンの気を防がせる。父が死んだあの日を彷彿させて、一人で居る事が正直怖い。が、この状態でそんな我儘を言える訳もなく、心配そうなアリアや洸の視線を振り切って出て来てしまったのだから今更引き返せない。エンスに関しては、何やら朝国王に呼ばれたとかで顔すら見て居ない。
と、そろそろ人の気配が近づいて来たので飛ぶのを止め、足が埋まるか埋まらないか程度の雪を踏みしめながら進んでいく。少しだけ雪は弱まって来たが積もった雪は勿論溶けない。サクリサクリと音を立てる雪が憂鬱にさせていくのだが、次の瞬間それも吹っ飛んだ。
「っ!」
人が居た。それもまだ10前後の少年だ。灰色がかった空色の髪の子供が横たわって動かない。虚ろに開いた目は、偶に動いているようだ。まだ、生きている。
「……お兄ちゃん、大丈夫?」
警戒心が強いだろうから、出来るだけ柔らかく、子供らしさを強調して訊ねてみる。声はまだ出せるのか、多分動けないのだろう、手足は文字通り折れそうな細さをしているし、身体には雪が降り積もっている。体温が低下し続けているのは間違いない。
「……お前は、誰だ?」
掠れているが、聞き取れる声が返って来てホッと一息つく。あぁ、生きている。そう思って安堵して、急いでその体から雪を除け、火の魔法で体を温める。魔術に一瞬驚いたような顔をしたが、すぐにその表情は諦観に変わった。
「……オレは、もう死ぬ……むだな力、使うな……」
「……死にたいの?」
絶望しきった顔に、一瞬顔を歪ませて尋ねると、数秒迷った顔をしてから一言だけ呟いた。
「…………生き、たい……けど、むりだろ……」
本能のままに生に縋るその言葉の何と痛々しい事か。だが、その言葉が欲しかった。もしかしたら自分がこれからやる事は束縛にも似た酷い事かもしれない。けれど、本人にその気があるのなら。
「じゃあ、オレと一緒に生きてくれる?オレに一生、束縛されてくれる?もしそれで良いなら、オレは君を生かしてあげる。大丈夫、ひどい扱いはしないから」
冷たく凍えて、凍傷になってるであろう手を握り、目を見て訊ねると数秒の沈黙。そして、掠れ切った声でその契約は成立した。
「……ああ、地獄の底まで、ついてってやるよ」