第72話 追懐と信頼
その日、フィリアはいつも通りウィンザーにあるローゼンフォール別邸で生活していた。冬の冷たい風が吹いているのを敢えて無視して自室の窓を開け、新鮮な空気へと入れ替える。枯れてしまった植物が物寂しいが、空は青く澄みきっていて高い。侯爵家の王都邸宅ともなれば庭の壮観も中々のもので、ここから見る景色は彼女のお気に入りの一つであった。惜しむらくは、彼女の好きな赤に染まる夕暮れ時で無い事だろう。
「ん~!今日もいい天気だし、偶にはフォーを外に連れ出すのも悪くないかなぁ」
無事に術式を完成し終えてからというもの、その改良と他の(彼曰く単純な作りをした)魔術を組み立てるのに夢中らしく、ここ3、4日は城にすら出向かずひたすらここで引き篭もっている。本人曰く食べなくても問題がないとはいえ、成長期という事もあり食事だけはきっちりとらせているが、何分封印具の影響で食が細い。酷い時はサラダを突いて終了だった程だ。勿論その時は泣き落としてパン一切れも食べさせたが。
とまぁそんな具合なので、そろそろ外へ引っ張り出したい所なのだ。今日の予定はなんだったっけなぁ、と身支度を整えながら考える。安全と国王の目から逃れる為に‘姫’だと公表されていない為、普段は女中の服を着ている。実際仕事もしているし(ただし年齢と裏では身分も考えられ、基本的に重労働は任されないように配慮されている)この服で何ら問題は無いのだが、流石はローゼンフォールと言うべきか。何となく事情は察されているらしく周りからの配慮が細かい。もっとも、リーンが連れて来た、という時点で余程だと思われている可能性もあるが。
身支度が終わると、まずは仕事、とリーンの寝ている部屋へと向かった。しかし廊下へ出ると、屋敷の中がやけに騒がしい事に気付く。何だろう?と見回して首を傾げていると女中の一人に呼び止められた。
「あ!フィリア居たわ!貴女、今からリーンフォース様の部屋に向かう所?」
「はい。けど、なんですかこの騒ぎ?」
来賓があったにしても随分と慌ただしい。ここに来て半年ほどが経ったがこんな事は一度も無かった。エンスが訪れて来た時でさえ(寧ろ彼がやって来るのは日常的だったらしく皆行動が手馴れていた)こうはなっていなかったのに、だ。
「あぁ、そういえば貴女が来てからここまで酷いのは初めてだったわね。昨晩リーンフォース様がまた体調くずされてしまったのよ」
「ええ!?またですか!?」
困ったわ、と頬に手を当てる女中とは裏腹にフィリアは驚き呆れ果てた。先程まで外に連れ出そうと計画を立てていたのに一瞬で崩れ去ってしまったではないか。しかし心配ではあるのでチラチラと彼の寝室の方を見ると、女中が落ち込んだように溜息をついた。
「ええ、しかもここ最近魔力使う機会あまり無かったでしょう?その所為で大分魔力を溜め込んでしまっていたらしくて、夜中に一回心臓止められてしまって……」
「…………はい?」
聞き間違いでなければ、今心臓が止まったと言われた気がする。心臓が止まるとは即ち死んだという事だ。え、ついさっき死んだばっかり?有り得ない。まずこの人の反応が、貴族の子供が死んだ後の反応では無い。フィリアの脳内は絶賛大混乱中だ。
「急いでアズル様を呼んでどうにか‘また’蘇生はなさったのだけれどね。意識がまだ戻らなくて、今本家とエインセル様の所に連絡を取っているのよ。流石に夜中に伝えるには忍びなくて……」
「いやいやいや、人が死んだっていうのに朝に回すってどういう事ですか!?」
どこから突っ込むべきなのだ。リーンの心臓が止まった事に対し日常茶飯事的な反応をされた上、生き返った事が複数回あるような言い回し。つまり複数回死んだと取っても良いだろう。人はそんなにポンポン死んでポンポン生き返るようなものか?いや違う。しかもまだ10に届かない子供が陥る状況では無い。確かに今まで血反吐を吐いていたり痙攣を起こしたり呼吸困難に陥ったりはしていたが、心臓が止まった事は流石に無いのだ。……自分が知る限りでは。
「御当主もちょくちょく息止めてお医者様驚かせているし、リーンフォース様はあの通り体が耐えきれてないから。久しぶりでごたついているけれど、ローゼンフォールでは偶にある事だと思わなきゃ駄目よ?」
「何がですか!?」
当主と前当主の子供が死んでも「あぁ又か」みたいな反応を返される事に慣れろと言われても土台無理な話だ。
「それにリーンフォース様は……あら、マズイわ。大分話し込んじゃったわね。早くフィリアはリーンフォース様の所に行って差し上げなさい。あの方があんなに子供らしく振舞うの、貴女の前だけなんだからね」
「いや、あれで子供っぽい―――?ええと、まぁ分かりました。それじゃあ失礼します」
何を言いかけたのかも気になるし、あれのどこが子供らしく振舞っていたかもフィリアには到底理解出来なかったが、仕事が先決だと訊くのを諦めて再び足を寝室の方へと向ける。恐らくエンスに連絡を取ったという事は、そう時間を置かずに仕事を放置して飛び込んで来るだろう。それが普通の状態だから自分としては文句も何も言わないが、リーンは果たしてどう反応するのだろうか。
◆ ◆ ◆
「リーンは無事かっ!?」
30分後、フィリアの予想通りエンスは真っ青な顔で屋敷にやって来た。銀に輝く髪は走って来たのだろう、ぐちゃぐちゃになっていて正直格好悪い。後ろで一つに括っているからまだマシなのかもしれないが、前髪が悲惨だ。
「あー……うん、エンス、ちょっと身だしなみ整えようか」
「え、あ、すまない」
フィリアが呆れた声で促すと漸く気付いたらしく、少々頬を赤く染めて直しにかかった。と、そこでどうやら爆走して置いて来たのであろうリトスが追いついた。
「エンス、焦り過ぎデスヨ。で、フィリア君、リーン君の様子ハ?」
「今は大分落ち着いてます。ちょっと熱が高いのが問題ですけど、まぁある意味いつもの事なので……寧ろ心臓止まる事がいつもの事って時点でもう何が問題かボクには全く分からないんですが」
「えーと……返す言葉も無いな」
エンスの反応を見ると本当にちょくちょく死んでいるらしい。人間そんな簡単に死んだり蘇生したり出来るものだったのか?フィリアの常識ではそんな筈が無いと訴えているのだが、何分ここは非常識の塊ローゼンフォールだ。常識を説いても無駄な気もする。
「兎に角中へどうぞ。まだ意識戻ってないけど、フォーの様子見るでしょ?」
扉を開いて中へ招く。いつもだったら流石に来客が王子なのだ、全メイド・バトラーが出迎えるのだが今日は特例としてフィリア以外の迎えは無い。勿論、元々その辺りに口煩く無いエンスはそれに対し何も言わないし、特に思っていないのだが。
「ああ、この時期に倒れられたというのが正直痛いしな……」
「予定まで2年切ってるからねぇ。軍の編成は行けそう?」
「無事に私がSランクに昇格シマシタ。第一王子派も第二王子に移ったようですし、敵が一ヶ所に固まって少しやり易いですしネ。着々と人数も集まってイマス」
Sランク、というのは圧倒的カリスマを誇る。そして今Sランクになりそうな人の大半が第三王子についているのだ、本当に有能な物と現状甘い汁を吸えていない者、そして‘銀’に可能性を見出した者と国王に嫌われた者が集まったのが今の革命軍だ。中々に面倒な派閥だが、それが十分な戦力と数えられる程に崖っぷちな国なのだ、此処は。
「そうですか。じゃあリーンが休む暇もありますよね」
「え、あ、いやそれはチョット……」
「リーンに任せてるのは軍というか、使える魔術の開発とか改良とかそっち方面が主だからなぁ……仕事が無くなる日が来ないんだが」
休ませたいのは山々だ、と非常に苦い顔で呟いたエンスに、苛めすぎたかとフィリアは反省する。扱き使いたくて使っているのではない。本人が扱き使われる事を求め、それを許可しないと困るのが此方なだけだ。
リーンの部屋は屋敷の奥の方に用意されている。現在この屋敷を使っているのがローゼンフォールだとリーンのみなので最も日当たりと景色が良い部屋だ。そして同時に今では医療機器が充実している部屋でもある。
ノックをして一応確認を取るが、応えは無い。少し残念に思いながらフィリアが扉を開けると、案の定未だリーンは眠っていた。
「……顔色が悪いな」
「発汗と呼吸量もかなり上がってマスネ。これで解熱剤が効いてる状態デスカ」
右手首には点滴が繋がれ、その点滴の量もかなり多い。一時頑張って肥えさせたのに、今では頬も痩せこけ、子供特有のふくよかさが無い腕が痛々しかった。最近は演習もさせていなかったので体力はガタ落ち状態だろう。回復したら少し体を動かさせるべきかもしれない。リーンは革命軍の重要な戦力だ。
「原因が原因だからボクも‘水’で回復させる訳にもいかなくて」
「寧ろこの身体に魔力を注いだら逆に毒ですからネェ。因みにアズル君は?」
「夜中に呼ばれたらしいんですけど、城で仕事があるって事で今はローゼンフォールのお医者様と交代中です。アズルさんも不眠不休状態で、大丈夫ですかね……?」
主治医のアズルが居ない事に不思議がられたのでフィリアも又聞きの情報だが答えた。そもそも彼女も今朝リーンの状態を聞かされた身だ。夜中どれほど屋敷が騒然としていたかは分かっていない。
「アズルの事なら多分コウが休ませるだろ」
「なんだかんだでちゃんとお兄ちゃんやってますからネ。漸く人と同じ生活を送れるようなったのに、徹夜からの仕事ぶっ続けなんて絶対やらせないでショウ」
「人と同じ……?」
首を傾げたフィリアに二人は苦笑した。エンスは汗ばむリーンの顔を拭ってやりながらその疑問に答える。
「アズルはある意味リーンと同じでな。生まれつき呼吸器に異常をきたしていたらしいんだが、ヴィレットに越してきてから更に悪化したらしいんだ。あ、因みにアイツ等ミッテルラント生まれな」
「……あぁ、だから東文字なんですね、洸さん」
こちらでは滅多に見る事の無い文字に疑問を感じていたのだがそれで納得した。言語の性質上東文字はほぼ完全に廃れている。因みに言語の性質というのは、ヴィレットとは文化的な問題で語彙が此方と合わないからだ。文化的に適応しているミッテルラントでは今なお公用語として使われ続けている。
「そういう事デス。で、コウが10にならない頃に両親が亡くなったそうデ。アズル君の入院費やら生活費やらを色々やって稼いでたらしいんですヨ。まぁ最終的に金額と魔力的な意味で軍に落ち着いたって訳デス」
「お陰で昔は荒れてたなぁアイツ。荒れてたのはリトも一緒だが」
「そりゃ荒れますヨ。村から引き離されて強制的に従軍させられた挙句、守らなきゃならないのがあの屑デスヨ?士気もクソもありまセン。無駄に厳しい鍛錬と微妙に豪華な食事と娯楽皆無で上官にイビられる地獄でしたカラネ」
どうやら何だかんだでこの人も苦労したらしい。今では飄々としていて掴みどころが無い性格だが、昔は少し雰囲気が違ったようだ。
「あれ、じゃあフォーも昔は違ったんですか?」
元々こんなにも困った性格をしていたとは思えない。昔からこの病弱幼児を知っていたらしい二人ならどんなだったか教えてくれるかな、とチラリと未だ目を覚まさないリーンを横目で見ながら尋ねると、二人とも苦い顔を一瞬浮かべ、すぐに苦笑した。
「あー……まぁ、今よりもずっと子供っぽかったな。あの人にベッタリ―――とと、シトロン前当主に懐いててな」
「エエ、一時は警戒心が強い猫みたいだったんですが、段々とそれも解れていきましテ。一時は駄々捏ねたりもちゃんとしてたんですヨ?怖い夢を見たと泣く事もありましたし、肩車一つで喜びもしましたし、熱を出してぐずる事もありマシタ」
今思えばシトロンに拾われ、警戒を解いた頃はなんて子供らしかったのだろうか。当時は大人びている、冷めた考えだと思っていたが‘こう’なってしまった今となっては本当は子供だったのだと、今更ながらに認識した。逆に言えば、今は本当に精神が成熟しかけているのだ。子供ではなく、しかし大人にもなれない。思春期の子供のようで、その実知識量の偏りと発想力がそうではない。見事に歪に育ってしまったものだ。
「へぇ……フォーもちゃんと子供だったんですね。あー、何か彩夢を思い出すなぁ」
もう長らく会えていない唯一の肉親に思いを馳せる。あねうえ、と舌足らずな声で呼んでくれた妹と、あのリーンは一応同い年なのだ。リーンの振る舞いから懐かしい妹を思い浮かべるのは少々無理があるが、この子供子供した体や高い声は何となく彩夢を思い出させてくれるのだ。今は細くてそれも薄れつつあるが。
「フィリア、彩夢姫は絶対に探し出す。だが、済まないが今はそれより先に別の事を考えて居てもいいか……?」
切ない笑みを浮かべたフィリアに痛ましさを覚え、ついエンスがそう訊いてしまうと、フィリアは顔を上げて同い年の少年に思いきり笑いかけた。
「うん、大丈夫。あの子は確実に生きてるから。今はあの子やフォーが安心して過ごせる国を少しでも早く造らなきゃね。だから頼りにしてるよ?‘銀の王子様’」
案外しっかりとした受け答えに思わず目を白黒させるが、それも一瞬。動揺を抑え、人を見て行動する事に長けたエンスはその琥珀の瞳を見据え、不敵な笑みを浮かべて見せた。碧の瞳は先程まで心配に揺れていたソレではなく、覚悟を決めギラついていた。そして、自信満々に頷く。
「ああ、任せておけ。‘灯火の姫君’」