第68話 辻褄の不同
暑い夏がやってきた。梅雨は明け、じめじめとした空気から解放されたが代わりに熱を伝える太陽に辟易しながら、フィリアは青空を見上げた。
「フィリアー、次のしょるいちょーだーい」
「あ、うんごめん」
そんな快晴のウィンザーの一角にあるタウンハウスでは、今日も今日とて引き篭もって書類相手に四苦八苦しているリーンが居た。室内で空調が聞いているとは言え日差しばかりは遮れず、かと言ってカーテンを引くのは気が引ける。何より外に出なさすぎるリーンを日光にあてる為には閉める訳にもいかない。
「てかフォー、外出ようよ。ここ一週間で2回しか外出てないってどういう事?ホントに子供なの?遊んで来なよ」
「んー、外出たらたおれる自信あるからやめとく。ついでに遊ぶにも仕事おわんない」
「残業に追われるサラリーマンみたいな台詞言わないでよ……」
確かに外に出たら倒れそうという主張には頷ける。フィリアがローゼンフォールに引き取られてから早一月。その間に3回もぶっ倒れ、内一回は血まで吐いているのだから頷くしかないのだが、それにしてもこの引き篭もり具合には溜息もつきたくなる。
週に2回外に出るだけマシ、という驚愕の事実を知ったのはつい最近だが、折角外出したその理由が城に書類貰いに行ったという、非常に泣けてくる程ワーカホリックと化した6歳児には未だ慣れない。いや、慣れたくない。
「ああ、彩夢の子供らしさが懐かしい……」
「つーかコレヴィレット中のこせきだかんね。これでもアヤメひめの名前探しについやしてる時間なんだから文句言わないでほしいなぁ」
それを言われると何も返せない。うっ、と唸って黙ったフィリアに一つ溜息を落とす。
エンスといいフィリアといい、自分を子供扱いしたがるのは分からないでもないが、生憎並の子供と戯れて遊ぶには精神年齢が釣り合わないのだ。なんとまぁ捻くれた子供だろう、と周りからの評価を受けようがそれが変わる事はない。
そもそもリーンのこの異常なまでの枯れた精神の理由は過酷過ぎる生活(5回に渡る村からの追い出し、父が自分を庇って死亡、終わらない仕事の山、平民の癖にと蔑んでくるウザイ貴族に絡まれるetc……)の所為であって、どちらかと言えば自分は被害者なんじゃ、と達観した考えを持てる位には枯れ尽きている。リトスあたりからは「悟りでも開きそうデスネ」と呆れられる位だ。
尤も、普段は周りのそういう目が気に食わないので敢えて子供らしく振舞うという更に可愛くない事をやっているのも枯れている要因の一因だが。ただし残念ながら子供らしく振舞うのも表上か心配をかけているのを分かっているエンスの前のみだが。それを知ったフィリアはドン引きしたが、そんなの知ったこっちゃないの精神である。
「って、アレ?フォー、彩夢探してくれてるって事は仕事は?」
「しりょうまち。リトが探してくれてるらしいからもうそろそろ来ると思うんだけど……アレ来ないと流石にほばく系の魔法なんて作れないし」
「……いや、まずその歳で魔法理論出来てるのがおかしいっていうツッコミは無し……?」
勿論無しである。幾ら暇つぶしで読んでたとはいえ、渡す魔導書全てを理解して更に続きを強請るリーンにはあのリトスでさえも教育を間違えたのかと頭を抱えたものだ。因みに誰もが正しく教育をしたつもりだったが、家の力には敵わなかっただけである。
「けっこうかんたんだよ?それに一度じょうほうの書理解すれば他はだいたい分かるし」
「それって辞書並に分厚いアレだよね……?よく読む気になったね」
「ヒマだったから」
素晴らしき暇つぶしだ。暇を持て余した神々の遊びもびっくりな程ハイレベルな暇つぶしに、呆れる事すら馬鹿馬鹿しい。世の中の暇人はきっとそんな物を読む時間に当てようなどさらさら思いつかないだろう。
「ああでも、この仕事終われば一だんらくつくし、今度町に出てみる?ただし暑くない日に」
「え、いーの!?行く行く!行きたい!!」
余りにも詰まらなさそうな顔をしていたので一応提案してみれば素晴らしい食い付き様だ。そんなにも外に出たかったのか、と残念ながらインドア派なリーンには分からない感性をしみじみと考えた。
これが他の季節ならまだ外に出ても良いが、夏は鬼門だ。去年はほんの小一時間コウに肩車されて散歩に行っただけで体調を悪くした程だ。
「言っとくけど、多分僕とちゅうでたおれるからね?」
「え、なにその宣言」
要らないとさえ感じられる宣言だが、残念な事に本当になるだろう。前のように体力が無い訳では無いのだが、魔力を封印され圧迫を受け続けるリーンの虚弱っぷりは他の追随を許さない程だ。
「たおれたら車まで運ぶのよろしくねって事。ただ流石にそろそろフィリアも色んな物そろえたいだろうからひさしぶりに出ようかなって思っただけだし」
「それはすっごい嬉しい。服とか食べ物とかは支給して貰えたとは言え小物入れとかは貰えなかいからちょっと困ってたんだよね」
「え、言ってくれればその位わたしたのに……って、自分で選びたいか。ごめん、はいりょが足りなかったね」
自分が姫だ(少なくとも周りからは思われている)という認識が薄いフィリアは世話になっている、という感覚が強いらしくこちらから提案しないと中々意見を出してくれない。
リーンからすればもっと我儘言ってくれた方が楽なのに、と思っていたりするのだがそんな考えを読み取れる訳も無くフィリアは色々溜め込み続ける。そうして今の状況が引き起こされているのだが、そろそろリーンとしては働いているのだから多少の意見を伝えてほしいのだ。
「んーん、こっちがお世話になってる以上この現状だけでも有り難……」
「そのにんしき直そーよ。僕はあくまで灯火島王家の方をあずかってるだけ。君は本来客人としてもてなされる側。なのに自分から仕事したいって言い出したからこっちもそれに応えたまで。ね、ちょっとは要求出してよ」
「って言われても、なんか申し訳無いし……」
この堂々巡りを何度繰り返した事か。まだ駄目か、と深い溜息をついたリーンにフィリアが居心地悪そうにもぞりと動く。この謙虚さは様々な歴史書に書いてあるように、卑屈とさえとれる謙遜が何よりの美徳とされたあの国の血筋だからだろうか。にしてもその血は相当薄まってる筈だ。寧ろ血が濃く表れたのは妹の方だろう。
「あーもう、しょーがないなぁ。じゃあお給料で好きな物買ってきてね。オーランジュ……は今じょうせい不安定だからアレだし、ビルドバリの方に行くか……大体どんな物そろえたい?」
「え、あ、えーと髪留めとかハンカチとか鞄とか?」
ビルドバリ、つまりローゼンフォール領の中心だ。あそこなら確かにこの情勢に負けない程店がひしめき合っている筈だ。オーランジュは昔こそ劇場や一万年前の遺跡など観光業が盛んだったが、今では南東部に位置しているというのが仇になってウィンザーの影響が色濃く出てしまっている。
「ん、じゃあ中心街に行こうか。……ただ、今はかなり物価が高い。フィリアが本当に必要だって思った物を先に買わないともう手に入らないかもしれないよ」
「分かってる。これでも半年位妹探ししながら市井で生活してたんだよ?ボクだって馬鹿じゃないから」
「ならいいんだ。お金、足りなくなったら言って。フィリアをこっちにかくまうのは僕らにとってぎむだからさ、あんまえんりょしないでよ。こっちはせきにん取ってるだけ。君を不自由な目に合わせてるなんて兄様にバレたら、僕殺されかねないし」
最後の言葉には少し茶目っ気を込めて。しかし本気で言っているのが伝わったらしく、困ったような笑顔で頷いてくれた。ようやく得た了解に、少し肩の力を抜く。
「まぁエンスがフォー殺すとか絶対無いけどねぇ」
「兄様かほご過ぎだからねぇ……まぁ、げんいん僕なのは分かってるけど……」
そりゃあ父親目の前で死なれた子供相手に甘くならない訳がないか、と嘆息しつつ書類に目を向ける。あの時はかなり必死に縋り付いてしまったし、死んだ原因がトラウマの術だ。過保護に扱われるのも当たり前だ。それに対し多少うざったいと思わないでもないが、その位はかけた心配を秤にかけて享受している。
「まぁあんだけ倒れれば心配にもなるよね……」
微妙に理由が違う、とは流石に教えない。実際その理由も過保護の一部に入っているだろう。
「こっちだってすきでたおれてんじゃないもん」
「あー、封印具だっけ?私のこれじゃ違和感程度しか感じないけど……」
そう言って首元から引っ張り出したのは赤いネックレス。例に漏れずAAのフィリアは制限付きだ。ただし、実はエンスとアズルによる隠蔽工作で国にはBBと提出。抑えているのもワンランクだけというから中々に愉快な状況だ。
Aランクオーバーなら封印具を付ける事は義務だが、表上BBとなっているフィリアはあくまで自分の意思で掛けている事になる。あくまで国に不利益になる事はしません、という意思表示のようなものだ。
「5ランクはごうもんだよ……なれるのに3か月、真面に生活するのにさらに3か月がふつうらしいし」
「と言いながら二月で起き上がれるようになったって聞いたんだけど?」
「それは気力の問題。あと二月もかかってないから」
それが本当に気力のお陰なら、最早呆れるしかないほどの気力だ。フィリアは自分が5歳の頃は何をしてたっけ?と過去に思考を巡らした。
「……駄目だ、村を駆け回ってた事しか覚えてない」
「何言ってんの?」
普通に近所の子供たちと野山を駆け回って過ごしていた。まだその頃は彩夢も生まれていなく、両親が医者であった事も相まって村の人達にも随分お世話になっていた。
―――本気でコレ6歳児?と胡乱気に見てしまうのも尤もの筈だ。寧ろ文句は言わせない。
「いや、年齢って何の為に存在するのかを考えてた」
「あるていどの教育にたいする目安とかには必要なんじゃない?赤んぼうに数学教えてもわかんないし」
「この回答が年齢に対する疑問を感じさせる由来なんだけど……」
精神年齢と知識量が大人並だとこう育つのだろうか?だとしたら英才教育とは精神もしっかり育てなければならないという事か。貴族がよくやっているらしいが、随分と大変な物なのだろうなと変な方向へ考えが向かう。ああ、そういえば一応この子も貴族か。
「貴族って凄いなぁ」
「ああ、そういや言って無かったけど、僕文字通り生まれが平民だから。多分貴族の血筋は皆無ね」
「は!?」
一月程一つ屋根の下で一緒に暮らしておいて今更なカミングアウトな気もする。見た目といい、態度といい、魔力といい、どこから見ても貴族の息子だ。てっきり庶子なのだと思っていた。
貴族は家同士の繋がりもそうだが、顔がいい相手を選ぶ傾向にある為無駄に美男美女が多かったりする。
リーンはそんな特徴にピッタリだ。子供だから可愛さが目立つが、整った顔立ちはちゃんと肉がついて10年も経てば―――成長が止まらなければ相当モテるようになるだろう。色も白い(病的に)し、指も細い(肉が無い)し、目の色は綺麗(片目のみしか分からないが)だし、跳ね毛はまぁ、愛嬌の部類に入るだろう。背中までの長さがあるにも関わらず触っても引っかからない所は女としてイラッと感じるが。
つまりは、そんなのが平民から生まれたとか思いたくない。
「うっそだぁ……」
「少なくともボロ布まとって村の前に転がされてたのが貴族なわけないでしょ?」
と、思ったが随分とヘビーな経験だ。自分もついこの間まで焼かれた村を拠点にフラフラ妹探しに半年程かけ、その間は食べるのもやっとで服など構ってられなかったが、それをやる年齢が違う。12ともなれば普通村では働き手として認識されるが、5・6歳ではその辺で遊ばせるか家の手伝いを多少させる程度だ。
「それは確かに……あ、攫われた貴族って可能性は?」
「パーティー出てもだれもそんな反応しなかったし、だとしたら国が大々的にさわぐでしょ。他国にもいちおうといあわせはしてるらしいし」
「……駆け落ちした貴族」
「可能性はあるけど、一々貴族の血もらっていでんしけんさするの?」
「しないね」
貴族は血を見る事すら無く人生を終わらせる人まで居ると聞く。血を抜かれるなんて以ての外だろう。絶対受け入れられない。
「うーん、でもこんなハイスペックな平民―――居たね」
そういえばAAAのリトスも平民だった。会話してると馬鹿のようだが実際は頭脳戦を好むようなタイプだ。それなのに階級は二等陸佐という驚異の実力者。前髪で隠れがちだが顔は良い。
「リトの事?」
「うん」
「リトはまぁ、貴族じゃないけどそこそこの一族出身らしいからねぇ……」
―――それはつまり、逆にリーンの異質さが目立つだけではないのか?
自分を無意識に陥れていくリーンに、フィリアは呆れて何も言えなかった。