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Silver Breaker  作者: イリアス
第五章 犠牲になった者
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第59話 嘘吐の本音

今回は全て過去編です。次回で過去編(前編)が終わる予定。

 一面に広がった銀世界に凍てつく風が吹き付ける。しかしそんな寒さを物ともせず笑顔でそれを眺める子供が一人いた。


「とうさんとうさん!ゆきつもった!!」


「凄いねぇ、二年連続で積もるなんて思ってなかったよ」


 窓から身を乗り出して目を輝かせたリーンに危ないよ、と声をかけつつ自分も同じ態勢になる。ローゼンフォールやここ、ウィンザーは殆ど雪が降らない。それだけ温暖な気候だという証拠なのだがここ二年はかなり寒く、珍しく大雪が降り積もったようだ。


きょねん(去年)ふった(降った)?」


「うん、去年はもう少し遅い時期にだけどね……」


 そう呟いて誰も足跡をつけていない真っ新な雪を感慨深げに眺めているシトロンにふぅん、と相槌を打った。リーンは去年の冬は様々な所を転々と‘逃げていた’ので何処の地方で降っていた、というのは分からない。たった一年で180度変わった生活に泣きそうになり、思わず窓の柵を握りしめた。


「……そっか、じゃあぼくはローゼンフォールにいなかったんだ。ゆき、いっかしょ(一カ所)でしかみてないし」


「なら今回は盛大に楽しもうか。今は何の心配もなく遊べるでしょ?」


「あそぶ?ゆきで?」


 同い年位の友達がいないリーンは矢張り遊ぶという事をよく分かっていない。エンスが城から積み木やらミニカーやらを持ってきてもどこが面白いのかが分からないらしい。寧ろ本を読んでいる方が面白いし為になる、と言い切った日にはどうしようかと大人達で頭を抱えたものだ。


「そうだ!雪合戦でもかまくらでも雪だるまでも雪合戦でも何でもあるぞ!」


 突然バンッ!と大きな音を立てて開いたドアにビクっと親子二人肩を揺らす。バクバクと煩い心臓の上に手を置いて振り返ればそこにはやけに暖かそうな重装備に包まれたエンスと呆れたような護衛役、リトスとコウが立っていた。


「エンス君……いつ来たの?」


「先ほど入らせて頂きマシタ。リーン君と雪合戦する!って叫んで聞かなくテ……」


「こんなガキらしいエンス久しぶりに見たぜ……」


 げっそりとやつれた護衛二人に同情の眼差しを送ってやると二人が乾いた目で目礼する。駄目だ、完全に子守モードになってるらしい。


「にいさま、いまゆきがっせん(雪合戦)にかい(二回)いったよね。てかあさごはんまだだし」


「なら食べてからやろう。雪は楽しいぞ。ちょっと寒いが」


 軽く15cmは積もっている状態でちょっとの寒さではないが、相変わらず温度変化がいまいち感じられないリーンには実際に‘ちょっと寒い’としか感じていないので鵜呑みにしてしまった。それに相変わらずか、と大人組が一瞬眉をしかめたのを見ていないリーンが楽しいの?という疑問を顔に出す。

 それを横目に、リーンを抱え上げシトロンが窓を閉めた所でリトスが意見した。


「まぁ、偶には子供達に遊んでもらいまショウ。市民への配給準備は済ませてありますシ、残りはその時次第で組むしか今は出来ませんカラ」


「それもそっか。最近はやらなきゃいけない事詰め込んでばっかだったしね」


 戦争を今にも起こしそうな国王にハラハラしつつ過ごす日が一日位無くてもいいだろう。とただでさえ構いまくっている息子を更に構う事に決めたシトロンにコウが溜息をつく。リーンに反抗期が来たら大変そうだ。主にシトロンが欝になりそうで。


「ホント、子煩悩だな……」


 それが‘有限’だなんて事に気付かず、コウは鈍い色の空を見上げた。


   ◆   ◆   ◆


「それそれっ!」


「ちょ、シトロンさん痛い!何やったらこんなに雪固く丸められんですか!?」


「元気デスネェ」


 いざ庭に出れば後はひたすら雪合戦が始まった。何故か一番乗り気だったエンスが最も当たっている。かれこれ一時間は固めて投げて中てられてを続けている精神年齢の低い3人組(リトスとコウはシトロンより幾らか実年齢は低いが精神年齢は高いらしい)が実に楽しそうだ。


「にーさまー。いくよー」


 と、そこであまりやる気のない掛け声と共にリーンが突如魔方陣を魔力で作り上げる。ギョッとして二人が振り返れば、そこには風で巻き上げられた雪が魔力で集められた僅かな水気でかなりの大きさの球になっていた。


「は!?え、ちょっと待ってフォー!?」


「いつの間にそんな術の応用覚えた!?」


 当たったらヤバい。本能的にその凶暴さを垣間見える雪玉(と呼べる程可愛いサイズではない)に慄いて叫ぶと、ふ、とこれまた突然魔術が止まり雪玉は地に落ちた。ドシン!と音を立てて辺りの柔らかい雪をまき散らす。あれ?と二人が顔を見合わせ首を傾げると、魔力を止めたリーンが鬱々とした様子で地面を蹴り上げる。


「……ししょうがね、おぼえさせたの」


 テンションが一気に下がったリーンに全員が顔を引き攣らせた。師匠、まあそのままリーンの魔術の師だ。つい先月、国王が制御を覚えさせろと寄越してきた50代の神官。見た目は若いが中身はそこそこの歳で、異常に趣味が悪い極悪非道な神官とも言う。

 そんな彼がリーンに物を教えるようになって以来、ぱったりとエンスへの反抗は止まり、代わりにやけに懐く様になった事で彼が何を仕出かしたのかが分かるような気がするだろう。


「……そ、そうか……うん、今はそんなの頭の隅に追いやってしまえ。な?」


「うん……そうだね。できたらそうしたいな」


 出来たら、という部分が気になる。瞳が仄暗い光を宿したのに全員が同情した。こうしてより一層国王への反発心は強くなっていく。そもそも何故あんな行方不明が特技で子供の教育に大変宜しくない人物をつけたのか甚だ疑問だ。

 と、そこで屋敷から衛兵が一人駆け寄ってきた。それに何だと雪玉を作る手を止めると、最上級の敬礼でエンスに敬意を払った衛兵が彼に報告する。


「申し訳御座いません殿下。ウィルヴィウス城の方から殿下にお会いしたい方が訪ねていらっしゃると連絡が来たのですが……」


 本気で申し訳なさそうな彼にエンスは目をスッと細め、眉間に皺を寄せた。先ほどまで雪で遊んでいた子供とは思えないほどガラリと変わった雰囲気が彼に纏わる。


「私に?分かった。今から戻ると返しておいてくれ」


 そう毅然とした態度で臣下を返した後、屋敷の中へ衛兵が入るのを確認する。そしてドアがパタリと閉じたのを見ると同時にエンスは頭を抱えてしゃがみ込んだ。


「っだー!誰だ!よりにもよって今日来た奴は!」


「あーあ、また城に逆戻りデスカ。折角出て来たノニ」


「しゃーねーなぁ。つー訳でシトロンさん、リーン、悪いけど帰ります」


 本気で嫌そうな3人に苦笑してシトロンはハイハイと頷く。リーンも物足りなさそうな顔をしている所を見ればきっと楽しかったのだろう。それに少しホッとする。


「じゃ、リーン。次回はキッチリ時間作ってくるからな!次は雪だるまだ!」


「うん、おしごとがんばって」


 健気な言葉にエンスはにへらっと気味の悪い笑いで返し、3人組は渋々退場した。後ろから手を振って見えなくなるまで見送ったリーンは、はぁ、と一つ寂しそうな溜息をもらす。そんな息子の頭をポンポンと軽くシトロンは叩いて意識を切り替えさせようと試みる。


「さて、忙しい人達は帰っちゃったし、私たちはもう少し雪で―――」


 唐突に言葉を切ったシトロンにリーンは不思議そうに顔を上げる。すると何故か目の前にある顔は酷く険しくて、それに対し何か良くない物を感じ取った。


「と、うさん?どうしたの?」


「……フォー、やっぱり家に戻ろう―――ッ!?」


 途中で言葉を切ったシトロンは急いでリーンを抱え上げその場から大きく飛び退く。リーンが突然の事に目を見張った瞬間、目の前に銀の何かが煌いた。何かは間一髪で避けたシトロンの髪の一部を切り裂く。


「とうさん!?」


「……今日はまた随分と積極的だね。昼間っから出てくるなんて」


 忌々しげに舌打ちしたシトロンにリーンが目を丸くして驚く。このボケ親父が悪態をつく所なんて初めて見た。


「え、なに?なんなの?」


「……ちょーっと悪いおじちゃん達がお金になりそうなもの狙いに来たんだよ。リーン、ちょっとここに結界張るから待っててね」


 訳が分からないと何処から飛んできたかも分からないナイフを凝視して、後ろで自分を抱えている父親に尋ねれば微妙に濁された答えが返ってくる。そして返事を言う前に地に降ろされ、気づけば結界の中だ。


「ああ、リトス達返さなきゃ良かったな。こんな団体客が来るなんて……」


 独りごちた瞬間、再び何処からか魔術が降ってくる。いや、魔術だけでなく顔を隠し剣を握った怪しげな人‘達’もだ。危なげなくそれを避けたシトロンの前に幾つもの人影が集う。


「……侯爵、その子供を渡して貰いたいと再三伝えた筈だが」


 怪しげな人物の内、一人がくぐもった声で詰問する。その内容に驚いたリーンがシトロンを見上げると、本気で嫌そうに顔を顰めいつの間にか出してきた双銃を相手の一人に突き付けていた。


「渡さない、とも再三言ったよ。この子は私の息子だ」


「しかし同時に神聖な供物だ。供物は捧げられて初めて役立つ存在だろう」


「この世界に当分生贄は要らない。……去年、あの娘が自分から捧げられたばかりだ」


 会話だけで何となく察してしまったリーンは顔色を真っ青にさせる。寒さではない理由で震えが出てきて人知れず左手を握りしめた。歯の根が合わない。頭の奥でなった警鐘と共に思い出すのは、去年の春先の出来事だ。


「と、さん……ダメ。そのひとたち、ダメ……」


「大丈夫。大丈夫だよリーン」


 シトロンの安心させるような柔らかな声にもその震えは止まらない。分かってしまったのだ。4番目の村を追い出される直前、自分を捕まえに来た人たちと同じだ、自分を、価値の有る存在を狙う人攫いだ、と。そして彼らはの真の武器は、『剣』では無い。それを伝えたくても脳内で纏められなくてリーンはただ思った事をそのまま叫ぶ。


「……ちがう、とうさんちがうから!だめ!にげて!」


 切羽詰まった様に叫ぶ息子を一時的に無視し、銃の照準を敵の心臓部に合わせた。頭は駄目だ。外れたらどこにも中らない。出来るだけ中る確率の高い胴体を狙わねばいけない。


「……その子供の言う通りだ。子供を置いて逃げろ。我々とて無意味に人を襲いたいとは思わん」


「却下。フォーを置いて逃げるとか有り得ないよ。今まで君たちが下がってくれたから戦闘は無かったけど、今回はそうも言ってられないみたいだしね」


 不敵に笑うシトロンにリーンはダンッっと結界を強く叩く。駄目だ、本当に接近戦が出来そうもないあの装備では駄目なんだと思うのに上手く言葉に乗せられない。逃げなければいけないのに、聞いてくれない。


「……ならば、最早躊躇う事は無い。‘愛に忠実’という名の意味通り、その身を自らの甘さで滅ぼすがよい」


 唐突にシトロン―――レモンの花言葉を呟いた敵に、遂にリーンがヒクリと喉を鳴らす。意味を知られた。知られてしまっているなら……


「ダメ!とうさん!やだ、にげ―――ッ!」


 結界が解けた。手をついていた壁が何故か突如無くなった事でつんのめり、そのまま地面に身を伏せる。が、そんな事に気を回している余裕も無く、必死に左手を伸ばす。


「何で、結界が……!?」


 愕然とシトロンが呟いて再び張りなおそうとした。が。


「穢れろ、忠実な愛を負に染めて逝け」


 パリン、とガラスが砕けるような音と共に集団は消え去り、代わりにそこには白銀の中に倒れるシトロンの姿だけが残った。伸ばされた手は、ただ空を切る。


   ◆   ◆   ◆


「……とう、さん?ねぇ、おきて、とうさん……おきて……」


 呆然と、リーンは虚ろな目でうつ伏せになったシトロンを揺さぶる。それは最早作業のような動きで、しかしそれに応える者は誰もいない。


否、いなかった。


「ッリーン!」


 遠くから聞こえた叫び声に体をビクリと竦ませる。急に現実に戻って来たリーンは声が聞こえた方を振り向き、急いで駆けてくる先程居なくなった3人に水気を含み始めた瞳を向ける。白銀の世界に現れた予想外の3人。必死の形相にボンヤリとしていた意識を戻した。


「あ……にい、さま……!」


 ハッとしたリーンはシトロンの方を振り向く。切羽詰まった顔で歩き悪い雪を踏みつけて来る様子に、気付いた。まだ、まだ呼吸はしている。苦しそうな喘鳴を孕んでいるが未だ息をしている事に今更ながら気が付いた。生きている、そう、まだ生きているのだ。


「ッシトロンサン!?」


「おい、マジかよ!?」


 真っ青な顔で目を開いた彼らに、再び濡れた目をやる。ポタリ、雫が一滴氷の大地に滴り落ちた。


「たすけて……父さんを、助けて!」


 悲鳴のような、血を吐くような声を絞り出してリーンはエンスへ縋りついた。

 その言葉に応えるかの様にエンスが到着し治癒魔法を発動させる。冷え切った体をリトスが抱き寄せて来る。洸が周りに結界を張り、同時に何処かへ急いで連絡を入れる。その一方で何も出来ない、何をすればいいのか分からないリーンは唯々譫言の様に父を呼び続けた。


「……これ、何だ?リーン、シトロンさんは何を掛けられた」


 一向に魔術が通用しない事に違和感を覚えたエンスが訝しげに、しかし早口に訊いてくる。それに対しリーンが応えられるのはただ一つだけだった。

 救えなかった、救われなかった村の人達が掛けられた、魔術が広がる世界で最も傷を穿たれる呪いが、シトロンに降りかかった‘災い’だ。


「名前の、のろい。意味知られると、自分をひていされるの……」


「ッ!?エンス、治癒は効きまセン!コウ、急いで屋敷に運びなサイ!エンスは急いで増幅系の石を用意!リーン君、シトロンさんの部屋を暖めて来て下サイ」


 それを聴いた瞬間リトスの顔が強張り、かと思えば機敏に動き始める。涙で濡れる目でそれに頷いたリーンは雪の中を歩く時間すらもどかしく、部屋へ直接飛んで転がり込んだ。


   ◆   ◆   ◆


 部屋に運び込まれた真っ青なシトロンを前にして、リトスはゴクリと生唾を飲み込んだ。


「いいですか、一度しか言いまセン。この呪いは『世界逆転(ライフ・パラドックス)』という通称で呼ばれる術デス。解呪には一つ、S級魔術の‘魂清め’だけが効きます。コウ、今これが出来るのは貴方だけデス。呪文は覚えてマスネ?」


「魂清め!?おい正気か!?」


「正気デスヨ!そん位しないとこの穢れは祓えないンデス察しろボケ!」


 虫の息なシトロンの前でそんな言い争いが起こる。恐怖に押し潰されそうなリーンを抱き締めるエンスも僅かに震えているが、そんな事に気付く程余裕がある人物はこの場に誰も居ない。温度が完璧に管理された部屋でカタカタという音が僅かに響く。


「コウ……出来ない?」


 涙目で、しかし漸く流すことを止めたリーンの絶望したような声にチッと舌打ちを一つ打つ。これでは完全に退路を断たれてしまったではないか。


「あーもう、分かってる。多分出来る。多分」


「不確定な要素は要りマセン。ヤレ」


 命令形の口調にもう一回舌打ちをしつつ、コウは机の上に散りばめられて様々な石を幾つか握る。魔力的に術を完成させられる自信はないのだが、瀕死なシトロンを前にしてそんな事言える筈も無い。


「わーったよ。……この人に死んでもらっちゃ困るからな」


 ガシガシと雑に頭を掻き毟り、一つ集中するように息を吐く。

 そしてスッと目を開けるとそこには先程までのどことなく軽薄な雰囲気は消え、真っ直ぐに光る金の瞳に変わった。


『紅蓮の劫火が薙ぎ払う闇』


 本来ならもっときちんとした準備で挑まねばならない程高難易度の術式を唱え始める。空気が変わったのを敏感に感じ取り、リーンは震えとは違う意味でピクリと体を揺らした。


『その燐光に耐えられるものは無く その灼熱に耐えうるものも無し』


 体の根本が、魂がねっとりと纏わりつくような闇を溶かすような感覚を覚える。熱くは無い。暖かい光が震え、緊張する身体を僅かに解す。

 じわり、とコウの額に汗が浮かび上がった。その汗は段々と玉の様に大きくなり、荒くなる呼吸と同じように様々な限界を表していく。甘い制御では発動しない呪文、並外れた魔力を持っている人でさえ使える者はごく僅かと言われる程の術はAAAの彼にはとても苦痛なものだ。

 唱えれば唱えるほどコウの顔色は悪くなっていく。それなのにシトロンの顔色は変わらない。


『願わくば 総てのものへ 浄化の業火を』


 詠唱が途切れた。赤い炎がシトロンに吸い込まれた瞬間、苦しげな呼吸と共にコウは呟く。


「……取り敢えず、これが、限界だ」


 フラフラとしていた膝がカクリと折れて地べたに座り込んだ。それにお疲れ様デス、とリトスが声を掛けるもののそれに返事を返す余裕はないらしい。一瞬心配そうに振り向いたエンスがそれを見て再びシトロンへと視線を戻す。あれで本当に呪いが解けたのかは、まだ分からない。


「父さん……」


 膨らむ不安と恐怖のあまりか僅かに吐き気がするリーンは自分が知らないうちに、は……と浅い息を吐き出す。また、自分の所為で誰かを傷つけたという罪悪感と自分という存在その物に押し潰されそうだ。

 ああ、ここを出ていかなければ……そんな悲しい考えが脳内を回り始めた瞬間。


「…………ひどい、顔色だね」


 ギョッとして俯いた視線を前に戻すと、顔色が悪いシトロンが笑っていた。務めて息を抑えているのか、呼吸は微量に荒い。


「父さん!」


 起きた。目覚めてくれた。その安堵で再び頬に熱い物が流れ落ちる。後ろでエンス達もホッと息をついた事でより緊張は払拭され、ただ感情のままに父に縋り付く。


「よ、かった……良かったよ……ッ」


 ヒクリ、しゃくり上げる自分を撫でてくれるシトロンの手は冷たい。けれどもちゃんと生きてるという事が分かる程には体温が残っていて、流れる涙は大粒になっていく。


しかし。


「……リーン(・・・)、この、嘘吐きを……まだ父だと、呼んでくれるかい……?」


 唐突の言葉に固まった。今、父親が何を言っていたのかが理解できなくて目を見開いた。

 リーンの後ろの3人が目を剥いた事すら無視し―――いや、最早気づいていないのかもしれない。ただ病床の彼は力の入っていない手でリーンの右目横を撫でつけた。


「約束、守れなかった……私を、許して、くれるかい?」


「何の、約束……?父さん……?」


「見届け、られない……私に、失望……した、かな……」


 憔悴した顔に、自嘲の笑みが浮かぶ。作り物めいたその笑顔に再び恐怖に駆り立てられたリーンの言葉に何も答えず、ただ独り言の様に、譫言の様に繰り返し懺悔を呟く。


「……ごめん、ね?……もう、わたし、は……」


 言葉が途切れる。滑り落ちた右手を思わず左手で掴んだ。全く力の入っていないその手、眠るように閉じられた一筋だけ涙の伝う目尻、聞こえてこない……聴くことの出来なくなった、荒い、呼吸の音……


「お、い。嘘、だろ……?」


「シトロンサン……!?」


 二人の息を呑む声と共に右手が再び滑り落ち、ベッドの上でパタリ、と小さな音を立てた。

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