第58話 苦労の心境
テストで消えていました。遅くなってすみません。
歪んだ視界に突如として黒いものが映った。
「おーい、リーン生きてるかー?」
「……ソルト?」
ぼんやりとしていた視界を瞬きして多少クリアにさせるとそこに映るのは僕の仕事(まぁ特科が落ち着いたから大分減ったんだけど)を代わりに片付けてくれていたらしいソラと、幾つかの教材を片手に目の前で手を振ってくるソルトだった。最近人を髪の色で分ける癖がついてるような気がする……
そもそもいつ入って来たんだ?
「何かあった?」
相も変わらず重い体を起こすのも億劫で寝たまま聞くと、微妙に困ったような顔で頷いた。
「アルとメイが処刑されてんだが……」
「……あー、さっき言ってたね。ソラがあの二人犠牲にしてきたって。うん、ほっといて」
「え、お前あの場に居たのに覚えてねぇのか!?」
全く、ソルトは意識が混濁した状況というのをまるで分かっていない。そもそも僕、学園の寮についた事すら覚えてない。それ以前の記憶なら道路脇に植えられた木の数でも覚えているというのに。
「……あー、多分コイツ帰る途中から記憶ぶっ飛んでると思うぞ?そもそもここ数か月の疲労で何故生きてるかすら分からない位だからな……」
「そのとーり。アルとメイには悪いけど質問攻めから逃げたいなら自分でどうにかしてもらって……」
「人間余裕ないと非情になるもんなんだな……」
何を言う。こうして点滴無しで生きてる位には余裕あるのに。僕にとっては快挙だぞ、これ。
とそこでふとソルトが持ってる教材が気になった。
「……ねえ、ソレ何?」
「ん?ああこれか?アレだよ、地獄の関門夏休みの宿題による研究『何故灯火島は滅びたのか』と『ヴィレットと灯火島の共通点』。毎年中1はコレが宿題になんだろ?」
「……この学園、マジでマニアックな問題好きだな……」
横からそれを眺めてたソラが嫌そうに教材を一瞥する。確かにあんな隣の島、歴史が好きな人でもなければ気にしないだろう。なにせあそこにあった国が滅びたのがまず3万年前だ。
「やっぱ先輩もそう思います?俺もあんな利用価値の無い島研究にするとか普通じゃないと思うんですよね……」
「……それ以前に夏休み期間に宿題を終える自信が無いんだけど……」
仕事から解放ある程度されたのにこの体調じゃ一体いつ布団から出れるのか……ああ、研究とか一番時間かかるものじゃないか……
「ソラー……健康になりたいー」
「諦めろ」
酷い!即答ですか!?僕そんな子に育てた覚えない!!
「育てられた覚えもねぇよアホ」
「ああ、昔の可愛かったソラは何処へ……僕がぶっ倒れる度に真っ青になって医務室に運んでくれたり代わりに仕事してくれたりご飯持ってきてくれたりしたのに……」
「今でも同じ行動してると思うんだが?」
ソルトからの目が冷たくなりました。お前昔からそんなに倒れてたのか?って訴えてくる。封印具つけられたのが5歳だからなぁ。当時のアレは拷問。性能も今より劣ってたし、ちょくちょく耐え切れなくなったのについては当たり前だと僕は考えてたりする。
「ホント体弱いんだな……」
「隊長のお陰もあって今ではこの前までの3割増しで負担かかってるらしいよー……」
「は?」
おかしいよね。封印加工は大分楽になったのにどこぞの地下にある青い精神的な何かと契約しただけでこれだよ?エンスと一緒にわざわざアレを目覚めさせたの失敗だった感じが否めない……
「疫病神に取り憑かれたからな……」
「ええと、それは7科の隊長の事ですか?」
「それ以外に何があるのさ……最近は大人しくなったけど、一昨日までは体貸せって煩かったし……」
一体何故いきなり大人しくなったのか。いや、いいんだけどね?気付いたら体の一部の感覚無いとかよりよっぽどいいんだけど、何か逆に黙られるのも怖いと言うか……
「…………公爵が全力で石壊そうとしてたからな……」
「え?ソラ何か言った?」
ボソッと呟いたのは分かったけど、肝心の内容を聞き取れなかった。が、それに対しソラは何でもないと首を振る。机に肘をついてペンを止めたから仕事は切り上げるらしい。
「んで、中等部の宿題ってそんなに質も量も有る物なのか?」
「さり気無く話逸らしましたね……ええと、質問の答えを言うとかなり色々な意味で酷い……というか濃いですよ。高等部はどうなんですか?」
そうか、そんなに酷いのか。ソルトの顔色が若干悪い。それ、僕もやんなきゃいけないんだよね……?
「高等部は逆に少ないな。自分で勉強なんて出来んだろ?って感じで。但し論文やら魔術の試験やらが休みの間にあるが」
「魔術?」
「BBB級……まぁそれは建前で本音は4文字レベルの高位技術ランクモノだな。それ以上の術を使えるようにして来い、だと」
なるほど。流石うちの学校、鬼畜だ。一般的な公立高校に行ったら魔術の試験そのものが無い位(下手すると魔力がFランクの大人とかもそれなりにいるから)なのに、使えない訳が無いよなと言わんばかりの鬼具合だ。
「うげぇ、四文字ですか?たかが高校生に「瞬間移動」だの「疾風怒濤」だのを使えと?」
「極端すぎるでしょ、それ。そう易々と転移系の術使われちゃたまんないよ」
ただでさえ凶悪犯罪者はここの教え子も少なくないんだから……高等教育を受けさせるというのはそれ相応のリスクもあるんだけど、この学園の卒業生が犯罪起こすとマジで天災並だから困るんだ。
色々と内密に処理させられた事件の数々に重い体に更に頭痛が加わる。眠くは無いけど動きたくもない。
「いやまぁ、そりゃそうなんだけどさぁ……あ、そうだ先輩って転移系使えないんですか?」
「あ?ああいや使えん事は無いが……」
「僕が使う事の方が多いからねぇ……ソラも災害救助用に正確に使えるようになった方がいいよー」
とは言えソラの魔力量じゃ精々が自分ともう一人、それが限度だろうけど。
「……え?お前使えんの?」
「この間自分含め4人をフォロートからウィンザーまで運びましたが何か?」
バサッと落ちた資料たちの音が夏の熱がこもる部屋によく響いた。諦めと驚愕の混じった目に一つ溜息を落とした。
……ソルトや、この程度で驚いてたらこれから先僕の友人やってけなくなるぞ。特科入った以上遠慮はしないからね。
◆ ◆ ◆
窓から吹き付ける風が金の髪を揺らした。
「とうさん?どっかいたいの?」
冷たい冷気に気付かないかの様に全開の窓の前に立つリーン。先ほどまで夜空を眺めていた、キョトンとした目の奥にある感情が分からなくてシトロンは自嘲の笑みを内心浮かべる。
「いや、ただ寒いなぁって思っただけ」
「あ、さむかった?ごめん」
慌てた様にバタンと音を立てて窓を閉め、こちらを振り返って大丈夫?と言いたげな顔で首をかしげる息子にありがとう、と小さく返した。それに嬉しそうな顔をしてピョン、と外を眺める為に用意した椅子から降りて最近お気に入りの巨大な魔導書に手を出したリーン。ほんの少しほっとしつつ、しかし苦いものを奥に噛みしめた。
リーンが封印をかけられてから二月が経過した。二週間熱に魘され、その後も起き上がる事すら億劫そうだった彼は突如として半月前に体を起こしたのだ。
『……もう、だいじょうぶだよ』
そう言って無邪気に笑ったリーンに最初は皆大喜びしたものだ。冬を越せないのでは、と恐々としていた最中の驚喜な出来事だ。動けるなら少し寒いから暖かいローゼンフォールに帰ろうか、なんて話も出てそれを引き留めるエンスに大爆笑もした。
―――リーンの言葉が嘘だと知る前までは。
『侯爵!何故リーン君を起こしてるんですか!?』
そんなアズルの絶叫に大人たちは全員目を丸くした。実際それを叫んだ頃にはリーンは眠い、と言って寝付いてしまっていたのでその事を知らないが逆にそれが問題だったのだ。……封印具の反動は、本来そんな楽なものではない。
起き上がったし本人の調子も戻ったから、と不思議そうに眼を合わせた彼らの前でアズルは青い顔をして様々な機材を用意し、そしてリーンの体を調べ上げた。勿論本人が寝ている間にだ。そして分かった結論が―――
「……フォー、やっぱり少し寒いね。暖房つけようか」
「え、あ、うん」
一瞬ビクっと肩を揺らしてから誤魔化す様にへらっと笑った子供にシトロンはデロッとした笑みで返す。まぁ、それに対し嫌そうな顔をしたところまではご愛嬌だ。
暖房、と言っても貴族の館―――正確には自領のでは無くウィンザーにあるタウンハウスだが―――ともなれば設備は機械でなく魔法仕掛けのものばかりだ。少しの魔力で半機械化した魔導具にスイッチを入れれば直ぐに部屋は温まる。健康なシトロンには僅かに暑い位に。
「むー……このほんおもしろいけど、まわりくどい」
「まぁ昔の本だからねぇ……っていうかフォー、いつの間にそれ見つけて来たの?」
「リトからパクってきた」
借りてすら居なかったのか。微妙に泥棒癖がついているような気がして一瞬叱るべきか悩む。とは言えリトスの本を盗んでくる(本人曰くパクってくる)のはこれが初めてでも無いし、彼自身一度読んだ魔導書は大体暗記している節が有る為割とその辺は寛容的だ。……本当に、普段の行動とは似ても似つかない天才振りだ。何とかと天才は紙一重、という諺が良く似合う。
「はぁ……父さんじゃもうついていけないレベルの本だよ……『無属性魔術の究極は何か』なんて大学の論文レベルじゃないか」
「ろんぶんってなに?」
無邪気な息子の疑問に肩を落とした。何だかんだで幼いのだ、この子は。
甘やかそうとすれば冷たい目で見てくるし、厳しくするには精神が保たない。子ども扱いで勉強を教えようとしても魔術関係は自分では追いつかないレベルまで進んでいる為家庭教師をつける事も出来ない、が根本的な言葉の意味や数学はまだ理解出来ていない。二律背反な手のかかる子供にハラハラさせられる。
「あー……研究の結果をちゃんと道筋立てて説明してるもの、かな?」
「へー……っうわ!?」
「フォー!?」
重い本を持って立ち上がろうとした瞬間体がグラリと揺られ傾く。それにギョッとして抱き留めて本を取り上げると目をきつく瞑って何かに耐える表情を浮かべていた。しかし直ぐにそれも取り繕うような笑いに変わる。
「あ、あはは。おもいねコレ」
「……全く、驚かさないでくれよ。まだ封印具の後遺症あってもおかしくないんだから」
「う、うん。ごめんなさい」
強張った薄い背中をポンポンと叩き気づかなかった振りをして、ホッと安堵の息を漏らしたリーンに本を返す。但しリーンをベッドの上に運んでからだ。
「ほら、そろそろ寝なさい。ちゃんと寝ないとまた熱を出してしまうよ」
「むぅ……大丈夫だもん」
プイッとソッポを向いたリーンにハイハイ、と苦笑交じりに添い寝すれば昼に疲れた体は正直で。5分もせず寝入った様子に今まで浮かべていた笑みを消し、シトロンは痛々しそうに顔を歪めながら体を起こす。枕元に置いた分厚い本をパラパラと捲って彼が読んでいた項目を探した。
「幻覚、治癒、結界ね。……隠さなくても、君が無理している事位皆知ってるよ。フォー」
悲しげに呟いたシトロンは流れるように、いつもの習慣のように桶に冷水を張りタオルをそれで濡らす。絞って綺麗にたたみ眠った―――否、意識を失ったリーンの額へとそれを置く。
リーンは知らない。こうして寝ている間に自分が微熱を出している事を。毎晩シトロンが看病している事を。飲み物や食べ物にこっそり薬と、それを‘分解’しない為の削られた天然石を混ぜ込まれている事を。
「フォーが温度をちゃんと感じられないのは薬の所為だなんて、分からなくていいんだよ」
本人が聞いている訳でもないのに語り掛けるのは何の為だろうか?
少なくとも懺悔の意図が入っている事は間違いが無い。無理に重い枷をかけた事に対する罪悪感とそれを隠そうと必死で、けれども実はとても苦しがっているリーンへの愚痴もあるだろう。
この子はまだ気付けないのだ。自分の利用価値が無くなっても無償の愛を注ぐ者がいなくならないという事実にも、ザリザリとした触感の混じる食事が不愉快だという事にも、明るく振舞おうとする様子がいじらしさでなく痛々しさを喚起させるという本音にも。
「はぁ、エンス君……子育てって難しいね……」
ここには居ない自称リーンの保護者にも愚痴るが、恐らくこんな悩みを抱えてる親なんて自分ぐらいだという自覚もある。一日一日が気を張りっぱなしな日々に疲労が溜まる。その分のストレスはまぁ、逆に息子を愛でて発散させているからどっこいどっこいかもしれないが。
「あー、幻覚系覚えられたら困るなぁ……あれ覚えられたら隠してるのか素なのかが分からなくなる自信あるよ……」
ぼやいた所で、ふと屋敷の外に感じた魔力に目を細める。夜の帳の向こうに訪れた‘彼等’に本日最大の溜息をついて重い腰を上げ、部屋の明かりを消した。