第37話 凍雨の幾年
今回と次回である意味の伏線回収します。
コンコン。
部屋にノックの音が響く。それに書類を片付けていた手を止め、ふわりと微笑んだ。手元のランプから部屋全体の明かりに光源を変え、音の先へ足を運ぶ。
客人を待たせるのも悪いと足早に進み、開けた扉の先で立っていた客が予想通りの人物である事に少し安堵する。しかし、彼はそんな素振りを少しも見せず、覚悟を決めた表情で立ち尽くす少年に笑いかけた。
「いらっしゃい、メイ君。待っていたよ?」
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
カチコチ、カチコチ。
時計の針以外の音がしない、人々が寝静まったような真夜中。身体は休息を求めている筈なのに眠れず、僕は人知れず寝返りを打った。そうすると目に映るのは、僕専用に作られ薄い暖色に塗られた壁が特徴的な医務室の一室と、チェストボードに一つだけ置いてあるフィリアの小瓶。
今僕は不安定なのだろうか。随分と久しぶりに泣きそうになる自分に驚きつつも、目の前にあったそれを握り締める。
「……はは、SSSだってさ。もう今までみたいに、茶化して自分を人外扱いするとか、そんなレベルじゃないみたいだよ?」
どうしてだろう。別に人と違う事をしてきた訳じゃない。寧ろ、人より食事も少なかった幼少期を考えれば並以下が普通の生活をしてきた筈だ。
親が分からない。そんな子供はこの時代数え切れない程居る。でも、僕のように常識外れた人なんて早々居るのだろうか?
ろくに食事も取れなかった。そんな人は探すまでも無い。この国の民ほぼ全員が体験した事のある、一種の恐怖だったんだから。しかし、極限状態に追い詰められた人の魔力が増えやすいなんて調査結果は上がってきていない。
他は何が原因としてあるのだろうか?レアスキル?呪い?遺伝?幾らでも要因となりそうな物は上がってくるのに、一向に特定できない。
いつか魔力に自分が押しつぶされてしまう日が来るのではないか。5万年という長い歴史上ですらこの歳でここまで魔力が増えた人物が居ないのに、何故、よりにもよって僕が該当してしまったのだろうか。それが不安で、怖くて、辛い。
鬱々と考え込んでしまうこの時間は嫌いだ。空は闇しか写さなく、黒々とした世界が広がるこの時間が。
夜目は効くから闇なんて関係なく動ける筈なのに、誰も動かない、誰もこの恐怖に気づいてくれない夜は僕をどこまでも惨めに見せる。
「雪も、夜も、赤も、白も、皆大嫌いだ。……何でだろうね?赤はキミが好きな色だったのに、やっぱ僕は好きになれないんだ」
あの頃は楽しかったなんて、言ってはいけないような時代が懐かしい。ちょっと人より魔力が多かっただけ。少し人が怖かっただけで、それ以外は大切なモノに囲まれていたあの時が心に突き刺さる。
父さんが居なくなって、代わりにフィリアが居て。
屋敷でフィリアに色んな事を教えているだけで楽しかった。時々妹を心配する彼女の力になれる事が嬉しかった。僕には分からない位に人を信用できた、純粋で綺麗だった彼女が好きだった。
フィリアが気に入ったモノはどれも綺麗なモノばかりで僕も目を輝かせていたモノばかりの筈なのに、唯一心に止まらなかったモノ、赤色。
赤い夕暮れ、赤い宝石、赤い炎―――紅い、血の海。
赤に染まった風景を思い出し、ギュッと目を瞑ってやり過ごそうと蹲ると、何故か時間にそぐわないノック音が響く。それにハッとして、漸く現実に戻った気がした。
「……誰?」
「俺だ。入るぞ、リーン」
上体を起こして問いかければ、何と正体は学校の寮に住み込んでいる筈のソラから。それに目を丸くするとゆっくりと扉が開く。
「どうしたのさ、こんな時間に」
基本常識人に育ってくれたソラがこんな非常識な時間に僕を訪ねてくるのは凄く珍しい。暗い部屋なのに、それを物ともせずにズカズカと踏み入る様子に首を傾げていると、僕よりもずっと大きい手が伸びてくる。
「どうかしたのはお前の方だろ。……お前と契約してオレ達はリンクしてんだ。今はお前からオレの一方通行状態だけど、御陰でこっちにはお前の揺れが筒抜けなんだよ」
クシャっと、まるで子供の相手をするように頭を撫でてくるソラに、僕はふつりと押し黙る事しか出来なかった。
そうだった。僕とソラは精神や魂といった深い所で繋がり続けている。それは比喩でもなんでもなく、純粋に、意図的にだ。
「怖いなら怖いって言え。キツイなら態度に表せ。……前から散々言われてんのに、ホンットお前は人を自分から頼ろうとしねぇよな」
呆れたように嘆息するが、言っている声は凄く優しい。本当は自分の恩人が自分を頼ってくれない事に凄く苛立っているのに、彼の高すぎる自尊心が僕の行動一つ一つで傷つけられまくっているのに、僕が安定していないのを理解して敢えて優しく相手をしてくれている。
その事実に、少し心が軽くなった。
「だって、僕が弱音吐くと皆心配するから、さ。キミには隠せないけれど、心配かけるよりは一人で抱えてる方がずっとマシ―――」
「じゃねえだろ。……フィリアさん握ってる時点で、お前がどの位辛いか位は分かってんだよ。―――お前の負担の一つがオレだから、こんな事言える奴じゃないってのは自覚してるけどさ」
頭を撫でていた手が止まった事に顔を上げると、いつの間にやらか僕ではなくソラが泣きそうになっていた。
「……別にソラの事を負担だなんて思った事は―――」
「無くても。……オレは文字通りお前の寿命削って生かさせて貰ってんだ。負担になってない訳が無いだろ」
痛いくらい苦しい事実に、再び僕は俯いた。悩ませたくて、苦しませたくてソラを救った訳じゃないのに、僕の行動は今ではソラを泣かせそうにしている。一体、いつ選択を誤っていたのだろうか?
雪の積もった一面の銀世界で、生きたいと掠れた声で呟いた少年がいた。それに僕は少しの代償を払って応えた。それは、いけない事だったのだろうか?
「おいおい、別にお前が責任感じんなよ?生かしてもらった事には感謝してるし、今でも死にたくはないからな。ただ、負担が多いお前に更に負担かけてんのが心苦しいだけで」
「……なら、良かったけど。ところで、キミがこんな夜中に来たって事は、エンス達にも―――」
「伝えてねぇよ。お前が嫌がるの分かってるしな。てかオレが既に、皆に黙ってた事に怒ってるって言い回してきたからお前がウジウジ悩んでる事になんて気がついてないだろ」
ソラの思わぬ機転にホッと息をつく。僕が不安定になると皆まで引きずるからあまりバレたくはないのだ。
「ありがと……ねぇ、ソラ。僕はさ、これから何百年も生きる事が決定したけれど、キミはどうなんだろうね?」
「……今の所は成長遅くなってる兆しはねぇけど、アズルさんの話では8割の確率で止まるってさ。だからお前と別れんのも、この仕事から逃げ出すのも当分先だろうな。てかマジリトスさんとの追いかけっこキツイわ。あの人なんで脱走経路に女子トイレとか平気で使えるんだよ。追いかけられる訳ねぇだろうが」
今までとは違い、本気で嫌そうに溜息をつくソラに思わずクスリと笑ってしまう。まるで疲れたサラリーマンのおっさんのように頭を抱えるその様子が可笑しくて、口元に手を当てるとソラも苦笑半分で微笑んだ。
「少しは気も晴れたか?」
「あ……」
さっきまで鬱々としていたのに、今では笑えている事に自分で驚き、胸の上に手をやる。……うん、大分、落ち着いてる。一つ明るい話が出ただけでこうも簡単に落ち着けた事に、寧ろ苦笑しか出てこない。
「うん、ありがとう……あはは、駄目だね。一度怖いと思うとそれに引きずられて色々考えちゃうや」
「お前の場合抱えてるモンが大きすぎなんだよ。部隊設立終わったら少し責任他の奴に押し付けとけ。ガキが背負う重さじゃねぇんだよ」
「む、ガキとは失礼な。キミと僕、4つしか差無いんだけど」
そりゃ背丈は子供だけどさ。……150無いのに成長遅くなったとか絶望しかない。1年分成長するのに10年だよ?冗談も程々にして欲しい。
「オレもガキだっつの。法律上はな」
「法律で言ったらエンスもギリで子供なんだけどね。あとひと月は未成年」
昔は16が成人だったらしいけれど、とある時代の国王が少しでも息子の即位を遅くする為に20まで引き上げたらしい。御陰で僕の保護者も未成年という笑えない状態が今も続いているんだけど。
「あの人が未成年……駄目だ、違和感しか無い」
「ぷっ……ソラだって僕位の頃のエンス見てんじゃん」
しかも無駄に顔の造りが良いから子供の頃はマジ天使な見た目を地で行ってたし。但し中身は例に漏れず魔王サマ。この国全部俺のモノ、民草大好き腐れ貴族は地にひれ伏せ、使えるモノは子供だろうがこき使う、が彼のデフォルトだ。
「……ああ、あの無駄に煌めいてた13歳か。オレの腐ってたあの頃とは正反対な」
「キミが13の時には軍服で被災地駆けずり回ってたしねー。むさい男共に囲まれて。煌めきどころかむさ苦しいだけの世界だったし……そして既にその頃ローゼンフォールは復旧するだけに留まらず、遊園地の建築に入ってたけど」
無駄に行動力と金と権力がある人物達が乗り気になっただけで、ああも作業が順調になるとは考えてなかったけれど。
「あそこは異常者の集まりだからな……メイ君を見てつくづく感慨に浸ったさ」
何故同じ階級の貴族なのにこんなにも違うのか、か。その感慨は実に身に覚えがある。先程感じてた程ではないが、最初はかなり絶望したからなぁ。
はふ、と溜息をつくと呼吸ついでに湧き上がる眠気。それに耐え切れず欠伸を漏らすとソラが問答無用で頭をベッドに押さえつけた。ゴツンと衝撃がきて地味に痛い。
「寝れそうなら寝ろ。……魔力の件も大丈夫だ。お前が魔力に潰される前にエンスさんに封印具解除許可出させるさ」
流石に繋がってるだけはある。ほぼ完全に見切られていた様で、それが少し悔しい。実際通じているのは感情や状態の一部だけなのに。僕はそんなに分かりやすいのだろうか?
「……じゃあ、その時はエンス脅すの手伝ってね?」
「……お前、そこは交渉って言えよ。一体どういう教育受けて―――って、聞くまでも無いな。取り敢えず、お休み。寝ないと明日の仕事がキツイぞ」
「あー……何だろう、急に寝たく無くなってきた」
そう言って溜息を付き、僕は返事が帰って来る前に布団に包まった。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
一方その頃。
彼等二人が知りえない所で、また別の人物も頭を抱えていた。
「……リーンの魔力がSSS、か」
「今頃怒ってふて寝してるわよねぇ……あの子、隠し事されるの大っきらいだし」
「明日のメイ君への事情説明の折に爆発しないといいんデスガ」
実は怒るどころか恐怖に蹲っているという事には気づかず、エンス、アリア、リトスの3人は揃って嘆息した。因みにリトスが言った爆発とは、比喩でも何でもない。実際に彼が臨界点を突破すると、超膨大な魔力が暴走してあちらこちらで爆発だの旋風だの豪雨だの雷鳴だのが起こり出すのだ。
それ故に枷を付けて生活していたのだが、肝心な時にそれが付いていないとは最早笑うしかない。
「てか俺にも言わなかったってどうなんだよ、お前等」
そんな中一人、全く今の今まで知らなかったコウが拗ねて3人を睨みつける。ムスっと眉を寄せて手元のグラスを傾ける様は、妙に子供っぽかった。但し残念ながらグラスの中身は炭酸だ。
「だって、アンタに言ったら隠し事が隠れなくなりそうじゃない」
冷たい目で指をさしてくるアリアに、元々脳筋族のコウはあっけなく米神に青筋を浮かべる。
「ああ!?そんなに俺が正直者に見えんのか!?」
「まさか」
「どこがだ?」
「正直には見えませんガ、馬鹿には見えますネ」
ザックリと一刀両断され、あっという間に沈没した彼に3人揃って意地の悪い笑みを浮かべる。今更だが、この3人はドSだ。
小学生並みの知識すらも持って居ないコウでは勿論この無駄な天才に適う筈もなく、あっさりこの言葉攻めは終了した。
「……お前等なんて嫌いだ」
「そうか、それは残念だな」
しれっとした、特に残念がってもいない口調でニヤつくエンスは間違いなく性格が悪い。共に行動するようになってからの年月が年月なので今更ではあるが、改めて確認するコウだった。
「……デ、肝心の話すべき所はそこではアリマセン。ここでリーン君の封印具を緩めると、どう彼の学園生活に影響するかが問題デス」
一旦落ち着いた会話に釘を刺すようにリトスが促せば、揃って3人が顔を顰める。そう、本題はこれからだ。
「そうねぇ……作るこっちから言えば、SSSをBBBに押さえつける何て無理よ。調べたら実はここ1年位はAまでしか抑えきれて無かったみたいだし」
「ま、道理で最近は体調崩す回数が増えた訳だ。俺達の授業休みの事も少なく無かったしな」
無理に押さえつけようとしていたのだ。負担がかからない訳がない。成長期という事を見誤っていたと、重役達は重い溜息を漏らす。
「学校ではBBBで通ってますからネェ……いきなりAAに増えるのも異常デスシ」
SSSまで上がってしまっているならどんなに抑えてもAAが限度だ。それ以上は子供の躯でなくても辛い。
「……こうなったら、こじつけるか」
ポツリと呟いたエンスの言葉に、3人は胡乱げに顔を合わせた。