第31話 出撃と緊迫
テストも終わり、夏休み目前!
作品内でも少しづつ伏線回収期こと夏編が近づいてきています。
それはよくある親子の光景だった。
「ママ~、このほんよんで~」
夜、そとに行ける時間ではなく退屈していた子供が差し出した本に、母親は肯定を示しながら手を伸ばせば有名なタイトルが金で記されていた。
「あら、‘やさしい少女と大きな木’?本当に貴女はこの本が好きねぇ」
少し大きめの絵本を手に取り微笑んだ母に、娘はうんと頷く。明るい色を多く使われた表紙には、両の目が違う色の少女と巨大な木が描かれている。この国では、昔から有名な童話だ。
「はやくはやく!」
スカートを掴み、背伸びをしてまで促してくる娘にクスリと笑って、母はソファに座り、本の表紙を捲った。
「昔々、ある所に、貧しくても決して優しさを忘れない少女が居ました。彼女の名前はルーエ、不思議な事にルーエは目の色が違います。ルーエは綺麗な金と紫の目を持っていました―――」
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緊張に包まれる屋上。
至高の存在たる王の姿が何人にも見られてはいけないと、隠蔽用の結界を張った中で僕等はいつもの調子を忘れ、展開した画面に映る資料を睨めつける。
『一応お前の仕事範囲ではないから報告は後回しにされていたが、彼が敵である以上はお前も直接出る事になる。丁度ウェルダーの経歴を漁っていた所だ。リーン、昔読んだ報告書の内容を簡潔に教えろ』
あの膨大な書類から資料を集めるのは難航しているのだろう。その点この記憶力は面倒なそれを短縮するにはピッタリな能力だ。
「了解。本名ディグリス・ウェルダー。今はフォロート領になっているウェルダー子爵領の元当主兼元ヴィレット軍セレナイト部隊副隊長で、政治の腕はそこそこ。魔術は量BBに質Aと高ランク。但し国民を道具としか思っていないクズで、先王派筆頭の一人だった為6年前に捕らえられ終身刑を言い渡された。が、何者かの手引きにより脱獄。以後行方不明だった人物。家族構成は……貴族ならではの異母弟妹とかが居る様な状態だから一一言ってたらキリないのでパス」
その他必要事項は?と聞いても首を横に振られる。さて、アレを一体どうする気なのだろうか。
どこからか聞こえてくる生徒たちの楽しげな声を意図的に頭から遮断してエンスに続きを促す。今は仕事中、あの声に惑わされる訳にはいかない。
『ふむ……では逆に‘時止めの砂時計’について訊こう。アレに対抗出来る人間は、今現在誰だ?』
次はまた難しい質問が来たな……正直、僕自身もあれがどれほどの力を秘めているか詳しくは分からないのだ。
何せ、僕が生まれる何百年も前に紛失した物なので資料が圧倒的に少ない。存在した事こそ確かだが、最早伝説級に古い物である以上逸話が多すぎて真偽も不明だ。
「そうだな……多分、僕の‘永遠風護’は通じる。守りが効かなくても無効化があるからね。後は恐らく‘フォロートの護符’位強力なアミュレットなら大丈夫だろうけど……ああ、それとゼラフィードの‘翡翠方陣’なら時間操作のアイテムだから少しは対抗出来るかも」
結界をすり抜けて流れる風は湿度が凄く、恐らく火属性の人はあまり使わない方が良さそうだと判断できる。となるとフォロート侯は出さない方が無難だな。あの人は火属性だから。メイも護符は持ってるだろうけど、実力が違いすぎる。魔力量は兎も角、技術が負けているし彼はまだ実戦経験が少ない。
で、ゼラフィードは却下。王族をそんな前線に出す訳にはいかない。特にあそこは幾ら最下位の王位継承者しか居ない王族とはいえ、エンスが本家王族の血筋を自分以外絶やした御陰で第一王位継承者が生活してる場所。おいそれと領内からゼラフィードの人を外に出してはいけない。
「……つまり、実質動けるのは僕だけだね。幾らオーバーSが強いとはいえ、時の流れには逆らえないし」
どんよりとした空気に比例するように、テンションが下がっていく僕。溜息を一つ吐き出して、諦観の表情でエンスを一瞥した。それに苦笑して、エンスは書類の束を指差した。
『すまないな。頼んだ』
「へいへい。どうせこんな事になると思ってましたよ。あ、助手にアルも連れて行くから、学園に何人か人配置して。ソラ一人で大抵の事は熟せるけど、多勢に無勢って事態も無いとは言えないし」
多分、アイテムを攻略すれば伝説の不思議空間も解けて僕が加護をかけた人以外も近づけるようになるだろう。となればアルの存在は必須だ。本当に、彼は良い時期に入ってくれた。
『分かった。ではコウをそちらに派遣しておこう。アレならちょくちょく出入りしているから生徒たちの不安も無いだろうしな』
おや、思った以上に大物が来るようだ。ま、あの脳筋族は訓練以外に能がないから丁度いいだろう。僕等のように机に向かってストレス溜めなくていいんだから、少しぐらい多めに働いて貰おうじゃないか。
「ん、こっちはそれで問題無いよ。取り敢えず、ウェルダーの位置が分かったら―――」
『ああ、直ぐにそちらへ連絡する。それとアル君については許可はするがこの事件、本来ならAランク相当の危険度だ。彼は立場が特殊だから承諾出来るが、未だCランクレベルの彼では非常に危ない。守りきれよ』
アルが本来許されている危険度ランクは、6階級中間より少し高め程度のCランク。普通ならAランクの相手が居る場所に向かわせるなんて事は出来ない。けれど、僕はそれを知りつつも依頼し、そして王はそれに忠告付きの許可を出す。
嫌になるほど真剣なその目に、フッと小さく息を漏らした。全く、このバカ王は人の心理を突くのが本当に上手すぎるんだ。‘守る’という重い言葉は僕の脆い心を重く押さえつけてしまう。しかし、それと同時に義務感をも与えてくるその単語に不思議な感情を覚えながら、僕はあえて笑顔を作った。
「勿論。伸ばされた手には守る自信が出てこないけど、手元にあるものを‘守る’のは僕の専売特許だからね。風の力は伊達に防御に優れてないさ」
向こうもこの言葉が強がりと分かっているのだろう。寧ろ頬を釣り上げ、不敵に笑って見せた。
『ほう、そこまで言うなら信じてやろうじゃないか』
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城から送ってもらった軍服を誰にも気付かれないように抱え、アルの部屋を訪ねる。
今日が金曜、しかも午前で授業が終わった日という事も重なり、テストの返却まで全ての過程が終了した開放感から皆外に出てしまっているので、寮内ですれ違う人は誰も居ないのだからあまり意味のない行動ではあるのだが。
一応はいつ連絡が来るかも分からない緊急の問題ではあるので足早に歩き、少し粗めにノックをする。最初に一回、次に四回。それが僕等が決めた任務の伝達法だ。
「リーン君。一体何の……」
がチャリと音を立て開いたドアの向こう側には顔を顰めたアルが顔を覗かせる。口を開くや否や直接訊いてきそうなアルに口元に指を立てて沈黙を促す。無言で頷いて部屋の中へ入る事を勧めてきた事に、有り難く受け入れて室内へと足を踏み入れる。
僕の書類だらけの部屋とは違う、物が少なくてこざっぱりとした広めの部屋に一瞬羨望を覚える。ああ、この部屋ってこんなに広かったんだ……
「で、今日は何の事件ですか?」
アル自らが防音結界を張ったことで僕も安心して口を開き、軍服と一緒にカバンに突っ込んできた書類を机に置く。
「詳しくはこれを読んで欲しいんだけど、簡単に説明すると凶悪賞金首が超危険な魔道具片手にフラフラしているトコが見つかったんだ。魔道具の効果は時空及び空間操作。突入する場合にあたり魔道具無効化用に僕が、解除法の解析にあたりキミが選ばれた」
パラパラと資料と調査報告書を流し読みするアルの顔がどんどん曇ってゆく。特に、ウェルダーの功績のページにたどり着くと厳しい顔で糸目を僅かに開いた。
「……成程。随分と厄介な事件ですね。表に公開するのは解決後ですか?」
「いや、もうそろそろ放送局にも情報は行ってると思う。ただ、正直軍の方が情報錯綜してて纏まった資料が中々渡せなかったんじゃないかな?」
そう言いつつテレビをつけても残念ながらこの時間ではニュースがやっていなかった。それに少々落胆しつつ、肩を竦めてアルに向き直った。
「と、まぁこんな状況みたいだね。ごめん、普通なら回ってこないような危険度なのに巻き込んじゃって……」
「いえ、元々僕の願いはそこにあったので寧ろ喜ばしいんですが。それより、リーン君こそ大丈夫なんですか?聖痕使いながら普通の術も起動、しかも彼の主要武器を見れば剣……僕が同じことをやったとしたら術の起動すら危ういんですが……」
視線を彷徨わせながらも僕を心配してくれる様子に、にっこり笑って頷く。……そうか、やっぱりレアスキルと魔力の併用はアルのレベルじゃ難しいのか。よし、今度から訓練内容にそれも加えよう。
いつ来るか分からない任務なので持ってきた軍服の上着だけ羽織り、アルに微笑みかけた。
「あはは、僕を舐めて貰っちゃ困るなぁ。これでも階級にそぐう程度の実力は持ってるつもりだよ?」
何、師匠からの虐待を受ける前に聖痕と武器の併用は覚えていたし、魔法の使用も徹底的に調教を受けている。元々僕は剣や槍を操る前衛向きではなく、杖で魔力を収束して相手を爆発させたり補助を使って人を貶めるタイプのバリバリ後衛職が本来のスタンスだ。アル程連携は難しく無かった。
一方、僕の言葉を受けたアルは同じくクローゼットから軍服を出してきて、Tシャツの上に羽織りつつホッとした様に溜息をついた。
「……成程。何気リーン君って、自分の実力理解しているんですね。偶に突飛な事言い出すんで正直不安だったんですけど」
……そうか。僕はアルにそんな風に思われていたのか。いやまぁ、確かに昔は常識知らずだった事は否定できない。けれど今はある程度は理解しているつもりだ。幾らオーバーSの中で最弱とはいえ、その辺にいるような雑兵と一緒にされる程落ちぶれている気も無い。
「失敬な。過大評価するのも危なくて嫌だけど、自分を過小評価しすぎて実力が出せないのも嫌だからね。その辺りはコウとかエンスとかに入れ込まれてるもん。……本音、アルだって最近はメイより強い自信、あるでしょ?」
「…………ええ、まぁ」
そう。僕がアルを軍に誘った当時はほぼ同じ位だった強さが、今ではアルの方が僅かに上になってきているのだ。アルに自分の実力を能力で数値化して貰って伸び代を伸ばし、苦手を克服できるように組んだ基礎訓練の成果だろう。
いやぁ、どこぞのサボリ魔に頭フル回転させただけはあったよ。アレと過ごしたにしては素晴らしく有意義な時間を過ごせたね。
「ほら、前のアルなら謙遜してただろうけど僕が徹底的にキミに修行中彫り込んでたからね。無意識の内に自信はつくんだよ」
クスクスと笑って指させば、不本意だという様に口元をへの字に曲げる。それが更に面白くて笑い声をより大きくすると、耳元でアラーム音が鳴り開けてもいない画面が視界に展開される。それに僕もアルも真面目な表情に移り、通話ボタンを押せば切羽詰ったようなエンスの顔が画面いっぱいに広がる。
『リーン!……それにアル君も居たか。丁度良い、緊急のため説明は簡潔にする。貴族の嫡子が持っている救助要請コードが反応した。使用者はメイ君だ』
思ってもいなかったその名に、僕等は揃って目を剥く。あのメイが、救助要請?何かの悪い冗談にしか聞こえない。
「なっ、え、どういう事です!?」
混乱状態に陥りそうなアルを目で諌め、エンスは報告書と思われる書類に視線を落として淡々と報告をした。しかし顔に広がる焦りが消えていないという事は、相当な厄介事だろう。
『詳しい事までは判らないが、その現場近くとは一切連絡が取れなくなった。それと同時に別方向から連絡があってな。報告を結合した結果メイ君は対戦中、しかも相手はウェルダーだ……ッ!』
予想していた中での最悪な事態に、自分がヒュっと息を呑む音が響く。そう、予想は出来ていた。ウェルダー領は現在フォロート領になってるし、何よりも彼を昔牢獄に引きずり入れたのはフォロート侯本人。息子のメイが狙われる可能性だって、十分に考えられていた……ッ!!くそ……
「……メイについてた護衛もやっぱりアイテムには叶わなかったって事か……アル、キミが行くとメイに正体がバレ―――」
「構いません、行きます」
ある意味予想通りだった答えに、幾分か引きつった笑みを浮かべてこくりと頷く。彼の意志はちゃんと定まっているようだし、ならそれに僕がとやかく言える立場じゃ無い。
その様子を確認してから、画面の向こうのエンスは主としての顔に変え、僕等に任務を言い渡す。
『……では、アルト・ルーラ陸曹、ローゼンフォール三等空佐、頼んだ。三佐には市街地での長距離テレポート及び、封印具の完全解除を、両者には聖痕の使用を許可する!』
封印の解除許可にテレポートの許可。ここ数年一度も受けたことのない高待遇に一瞬目を見張り、しかし不敵に笑って見せてからそして跪く事で了解を示し、僕等はその部屋から消えた。
残されたのは、ただ画面の向こうの王だけ。
『……これで、メイ君も軍入りの可能性が大きくなったか』
僕はこの時は知らない。エンスが彼の軍入りについて、とうの昔に画作していた事など―――