第25話 愚王と民衆
今日でなろう一周年!
Silver一年までもう少しです!
蒸し暑い。鬱陶しく感じるほどのそれがこの部屋を統べるたった一つの言葉だ。ジメジメとした空気が体にネットリとまとわりつくようで気持ちが悪い。にも関わらず皆から発せられる空気は、まるで真冬の風のように冷たく、そして悲壮感を醸し出している。
え?何故かって?それは勿論……
「さて、お前らの中には中学に上がって初めてな経験だから、もしかしたら軽いと思っている輩がいるかもしれん。そんな奴らに私からここの卒業生としての忠告だ。勉強しろ。さもなくば地獄を見るぞ」
今は6月。多分学生を経験したことのある人なら絶対に避けては通れないであっただろう道、中間試験が目前に迫っているのだ。
特にこの学校は普通の学校と違い、バカは容赦なく切り捨てる傾向が強い。期末じゃない分幾らかマシだが、これが後期期末だったらクラスメイトが数人消えるなんて事もザラにある位切羽詰まっている。用意周到なアルのような人たちは、既に2ヵ月前からノートを纏め始めてる位だ。
そんな具合だから先生の忠告は御尤もだったりする。流石に勉強嫌いなメイでもこの季節は真面目に机に向かっている、と言えば事の重大性はわかるだろうか?
「うあ~、テスト嫌い~」
先生が一通り説明及び脅しを終えて教室を出て行けば、スゥさんが机に突っ伏して唸る。いや、彼女は学年でも頭は中の上位あるからまだそんな事言えるのだが。これがメイだと弱音を吐く暇に単語を一つでも詰め込まないとリアルに退学の危険性が出てくる。
ちらりとメイを見れば、必死にブツブツと何かを呟いている。はっきり言って怖い。
「そう言いながら単語帳広げないでよ……お願いだから平均点上げないで……」
ネリアさん、ノートにガリガリと単語を書き込みながら言える事じゃないと思うんだけど……
そしていつもの如く僕は何もしてない。だってやっても知らない事出てこないし……
「……テストなんて、燃えてしまえ」
ポソっと物騒な事を呟いたメイにギョッとして振り向けば、まるで幽鬼のような顔で虚ろな笑いを浮かべながらひたすら何かを書きなぐっていた。どうも担任からの有難い教えに心を機関銃並に撃たれたらしく、軽く涙目だ。
「ガンバ。馬鹿には辛い関門だろうがな」
ポンと肩を叩くソルトに禁句を出されて怒るメイ。キッと一睨みして怒鳴った。
「馬鹿言うな!ガリ勉眼鏡が!!」
「メガッ……!?おい待て、今日は確かに眼鏡だがいつもは―――」
あーあ、言い合いが始まっちゃった。まぁ気分転換には丁度良いだろうから暫くは放置しておこう。万が一メイがプッツリいくと、周りに多大なる迷惑がかかったり森林破壊が進んだりするのでこの位のガス抜きが一番効率的にいいのだ。
てかソルトよ、眼鏡じゃなくてガリ勉って所に先に反応しようよ……
「すみませんリーン君、ここの問題教えてもらってもいいですか?」
「ん、いーよー。何?ああ、これか。ここはシールドの展開が必要なんだよ。ほら、そうすればこっちの式にも必然的に掛かるから」
「ふぇ~、流石はBBBランクだね~」
アルにノートを差し出されつつも見ればそこには割と展開が難しい魔術式。グリグリと描かれた図に印をつけていけば、物覚えの良いアルは直ぐに気づき、それを横目で見ていたスゥさんも関心したように呟く。
「というか、リーン君このレベルがスラスラ出てくるなら術式専門で高等部入れるんじゃないの?飛び級で」
「ん〜……入れない事はないと思うんだけど、ただ体調的にねぇ……」
てか、寧ろ余裕で入れるのだが、少しでも長くこの学園で護衛を務めるためには飛び級なんて以ての外だ。
それと実はこの仕事、給料がそこそこ良いのがメリットだが、僕のような金の有り余っている人にはデメリットが目立つ。即ち、拘束年数の長さだ。下手をすれば卒業後も教師としてこの学園に居続ける可能性だってある。……いや、多分流石にエンスもそこまではしないと思うけど……
「ああ、なんか凄く納得。ただでさえ単位が危ないリーン君が高等部何かに行ったらあっという間に退学になりそうね」
「……自分で言った事だから否定はしないけどさぁ。もう少し婉曲にというか、オブラートに包んで言ってくれない?」
ズバズバと物を言う所は十分好感に値するのだが、こういった場合は少々傷つく。こっちだって好きでこの体じゃ無いんだしね。……ただ、一番最初の記憶から衰弱状態だったせいで本当の健康とか体験した記憶ないけど。
健康?ナニソレオイシイノ?
「ん~、というかまずこの学園の高等部のレベルについていける時点で凄いんだけどね~。アル君は~?」
「え、僕ですか?……高等部だとどうにか引っ付くのが精一杯になりそうですね……そもそも僕よりリーン君の方が記憶力断然良いですし」
僕の異常な記憶力を知っているアルからすればなんて事無いセリフなんだろうが、学年トップ10に入らない事がないアルがそれを言うのは誇張表現にしか聞こえない。つまり、誰も本気にしない。
「おいおい、幾らなんでも謙遜し過ぎだろ。リーンの成績中の上って聞くぞ?」
「いえ、謙遜では無く……今度テスト終わってからリーン君と神経衰弱でもやってみたらどうです?絶対僕の言った意味わかりますから」
神経衰弱……なんだろう。僕には凄く突き刺さる単語だなぁ……
「なんであのゲームこんな名称にしたんだろうねぇ~?」
「あ、それ僕知ってる」
昔リトスが得意げに話してたから知っていただけだが、僕は昔それが常識だと思い込んでたりした。普通そんな雑学を知らないって事には気づいて無かったし。
「答えは普通の人が持ってる画像記憶力だとどこに何の札があるか覚えてらんないからなんだって。たしかヘルメス辺の国ではメランコリーとかいう名前だった筈」
「……アナタ本当に雑学袋よね。無駄知識満載」
呆れたようなネリアさんの声にほっとけ、とフイとそっぽを向いて拗ねて見せる。
無駄知識の理由は、昔、まだ時間があった頃に種類問わず片っ端から本を読んでいただけなのだが、よく考えれば僕は一体どこで文字という物を覚えたのか。ずっと前にふと気づいたその事を未だに悩み続けていたりもするのだが、残念ながらそこの記憶は全く無い。
それ以前に、あの頃文字の読める平民なんて、果たしてどれ位なのだろうか?
「……平民階級で文字?」
うーん……考えれば考える程謎は深まる。そこから手がかりにすればもしかしたら……
「どうしたの?」
一瞬顰めた顔に気付いたのだろう。ネリアさんが不思議そうに僕を覗き込む。
「いや……僕はどこで文字をならったのかなぁって」
「は?学校じゃねぇのか?」
何を言ってると言わんばかりに胡乱げなソルトに、僕は否定を込めて首を振る。
「僕、学校通い始めたの小3からだし。因みに家庭教師の経験も無いから」
「というかそれって、喪失してしまっている記憶の内にあるって事ですか?」
「は!?記憶喪失!?」
ええ?と取り乱すソルトを尻目に僕らは苦笑する。学年では結構有名な話題なんだけどな……平民上がりの記憶喪失貴族って。
「そっかー、どっからか聞いてくるかなーと思って何も言わなかったんだけど、まだ知らなかったんだ」
「寧ろ僕らが仲良いの知ってるからこそ今更と思われてたんじゃないですか?」
成程。それは盲点だった。
「じゃあ丁度良い機会だし教えとくね」
そう前置きしてクスリと微笑して見せる。ここまで親しくしてもらってるんだから、秘密はよくないよね、うん。
「僕が持ってる最初の記憶は、寒い冬の季節。古くて隙間風が吹くような家で硬いベッドに寝かされてた時なんだ」
テスト前に何をやってるんだ、と思うものの今言わなかったら言う機会を逃がしそうなので、息抜きの一環にしてもらおうじゃないか。
「って事は、平民の家か?」
「そう。何でも僕は森の中で寝巻きのまま転がってたんだって。凍死しなくて良かったねぇって、その家の叔母さんが言ってた」
ふっと頬を意識的に緩めてあの時を思い出す。大変だったねぇ、と優しい目で言ったあの人に今の僕が会ったら、どんな顔をされるのだろうか。それはそれ以上を考える事が怖くて放置しているけれども、出来れば、もう一度お礼を言いたい。
「そこで記憶が全く無いのが分かって、僕は暫くその村―――貧しくて、食べるものにも事欠くような村で暮らせることになった、んだけど、その後どっかの貴族の私兵に村焼かれちゃってね。それから色んな所転々と回ってたどり着いたのが、ローゼンフォール領にある森」
暖かい春の日差しが差し込んでいたそこで、僕は動く体力どころか気力すら残っていなかったけれども。
「目を瞑って木に寄っかかってたら人の気配がしてね。なんだろうって思って目を開けたら目の前にまさかの身なりの良いお貴族様。しかも護衛すらつけてない、ね」
人が怖くて逃げたのに辿り着いた先にまた人が居て。あの頃は相当精神的に参ってた所為で最初は屋敷の中、少ししか人の気配がしない所ですら苦痛だったけれど、不思議とあの人の横は落ち着いた。
「それがローゼンフォール前当主……」
「うん。ホント、僕を見て一瞬目を剥いたかと思ったら猫でも拾うみたいに襟掴まれて、人が動けないのをいい事に屋敷に連れ帰られて、気付いたら貴族の仲間入り。それが約5歳の時の事。いやー、我ながら凄い経験だと思うよね」
「いや、凄いどころじゃ無いと思うよ~……」
ちゃうちゃう、と手を振るネリアさんとスゥさん。アルは肩を竦め、メイとソルトは奇妙なモノを見るような目を向けてくる。自分でもどんな理由だ、と言いたくなることは分かっているので苦笑をもって返す。
「でもまぁ、拾われた後は楽しかったよ?無駄に広い屋敷で行方不明になる父さん探したり、無駄に広い家で何かを爆発させた父さんを叱ったり、無駄に広い家から脱走した父さん捕まえる為にローゼンフォールの私兵を領中に回したり」
「どんな父親だよ」
「行方不明癖と脱走癖と破壊癖がある常識がバグりまくった見ていると反面教師になりまくる、尊敬はするけどああはなりたくないと熟考するような父親」
あの人の短所なら淀み無く言えるだろう。温厚だけど常識がウイルス感染したパソコン並にバグを起こしている事も相まってとんでもない人物を巻き込んでたり、人望は厚いけどパシリにされる位人が良かったり、かと思えばお坊ちゃん育ちと思えないアクティブさを発揮したり。
「……それ、本当に楽しかったの?私だったらキレる自信あるけど」
「楽しかったよー?魔力が多いからって村の人達に睨まれる事も無く、平民だからって蔑む身内もいなく、一日三食オヤツ付き。当時からすれば考えられないリッチさだよね」
「……サラッとヘビーなこと言ったな。今」
うげぇと顔を顰めるメイに、首を傾げてみせる。こういった苦労がそこまでは重くないと解らない所がお坊ちゃんだよね。
「え?今のそんなに重い話~?」
「あの、因みに僕らが5歳位の頃だと、一日二食食べれれば良かった時代ですからね?あと魔法は貴族が危害を加えてくるモノだから魔力が強い人間は迫害相手っていうのも割と普通の事です」
「まずあの頃は商売で金が手に入っても食料本体が無かったからなぁ。金は食べられねぇし、食い扶持で何も出来ない子供と年寄りはただの邪魔物。捨て子だの間引きだのはしょっちゅう聞いてたしな」
「私、ウェッジウッド出身だけど王都が近いから凄い貧困だったわよ。割とその辺に死体が転がってたし」
僕らのような平民階層で生活した経験がある者としてみれば、今言ってる事だってマシな部類だ。その更に裏を知っている僕からすれば、人身売買だの人体実験だの、果ては精霊降臨実験なんてアホらしい物にまで手を出していたのも常識だ。
「…………いや、えーと、なんかごめん」
「いや、メイが謝るのは筋違いでしょ。てかメイが知らないのも無理はないんだけどね。フォロート領ホント有り得ない位整ってたし。食料も分け隔てなく配給してたんでしょ?」
そんな事やってた貴族なんて、ローゼンフォールとフォロートとゼラフィード位だ。他は「は?平民?あああの金づる共な」的な認識だったし。
「いや、でもなんかさぁ……」
「ダイジョーブ、あの頃国王なんか面白がって城に金貨ばら撒いてたりしてたから。それに比べればメイは悪気ないんだから問題なし」
『は!?何やってたの/んだ、あの馬鹿!?』
……初めて見ました。平民にすら馬鹿って呼ばれる国王。よかったね、エンス。君はまだ馬鹿じゃないらしいよ?
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「へっくしゅ!」
「陛下?風邪ですか?風邪ですね?風邪なんですね?全く無茶するからですよ。ほら病院行きますよー」
「え、おい待てアズル!風邪じゃなくてきっと誰かが噂話を……!」
「あーはいはい。そんな迷信信じないで下さいねー」
「いやだから迷信じゃなくてだなーーーー!!」
そして彼は無事?過労という名目で入院となるのだった。おしまい。
「おしまいじゃなーーーーーいっ!」
「陛下、病院で怒鳴らないで下さい。取り敢えず、幻覚を見てるようなので精神科に―――」
「誰が行くか!」