関わりたくない人〜ロージンの場合〜
前作「関わりたくない人」のカンティーナの息子の話です。
毒母の歪んだ感情に染まって全てを失ってしまうけど…という話です。
思えば小さな頃からずっとそうだった。
母は俺に興味が無いのだ。
「おかあさま!明日は学園で発表会があるのです!」
「まあ、ロージンそうなの。…でも明日はお母様、忙しいのよ。」
「でも、少しくらい…」
「ダメよ、明日はアンジランのお友達と一緒に習い事の見学に行くのよ。」
習い事の見学なんていくらでも変更できるんじゃ無いのか!
子供心にもそう思っていた。そしてそれは今でも間違いでは無かったと思っている。
そもそも我が家は由緒ある子爵家だ。しかも俺はその後継である長男だ。
……なぜ後継である俺が優先されないのか。
しかも、しかも!母上はいつもアンジランの友達家族のことをこう言って貶していた。
"男爵やら平民やら、あまり良いお家柄ではないから気を遣わないといけなくて疲れるわ"
なぜそんな下層の人間の為に時間を割き、嫡男である俺の交友関係を蔑ろにするのか。
当時の俺は幼かった事もあり、その疑問を解決するだけの事情にも思い至らなかった。
その結果。
母を独り占めする弟であるアンジランに。そして自分よりも格下のくせに家族に恵まれているように見える奴らに。
憎悪と嫉妬の炎を燃やすこととなったのだ。
※※※※※※
「おい、アンジラン!お前は本当にトロいんだよ!俺が遊んでやるって言ってるんだから、言うとおりにしろよ!」
アンジランは半泣きだ。
「え、で、でも兄さま。僕、そんな高い所怖くて行けないよ。」
裏庭に連れ出したアンジランに背丈の倍はありそうな塀によじ登れと命令した。俺だってアンジランにできるとは思っていない。
……いや、できてもらっては困る。だってこれは。
「あーあ。」
アンジランがびくりと肩を上げる。
「お前がそんな意気地なしだなんて、母上が知ったらさぞかしがっかりするだろうなぁ。」
ああ気持ちいい。涙を必死に堪える姿はいつ見ても笑える。
「まあ母上だってお前のことはこれっぽっちも期待してないだろうからな。だってその証拠に。」
ニヤリとしながら告げてやる。
「お前が出来なくたって何も言われないだろう?それはお前なんてどうでも良いって事なんだよ!」
今まではこれで良かった。ひどい言葉を投げつけて溜飲を下げる。普段母を独り占めしているんだからこのくらいの事は許されるだろ?
だがこの日は違った。
命令に従ったのだ。
アンジランはよじ登り始めた。そして塀の上まで行ってしまったのだ。
「兄さま!ボク出来たよ!お母さまも喜んでくれるよね!」
喜ぶわけがない。こんな危険なことをさせた俺が怒られてお終いだ。
だからもう少し煽って、母に報告できないようにしてやろうと考えたんだ。
「そうだな。お前にしてはよくやったと思うよ。けどさ。」
つまらなさそうな顔で言う。
「お前の歳ならそこから飛び降りるくらいの勇気がなければなぁ。褒めてはもらえないんじゃないか?意気地無しって」
みるみるうちにアンジランの目に涙が溜まる。
俺に逆らおうとするからだ。これで自慢気に報告する気は無くなっただろう。
「ハシゴを借りてきてやるから待ってろ。」
ゆっくりハシゴを取りに行って恐怖を味合わせてやればいい。
そう思って後ろを向き、2歩3歩と歩いた時、後ろから凄まじい音がして、アンジランの泣き声が響き渡った。
アンジランは幸いにも足の骨を折った程度で済んだ。ただ、"複雑骨折"という完治には相当な時間がかかる事態となってしまった。
「アンジランはしばらく領地でお祖父様お祖母様と一緒に療養する事になったの。しばらくは会えないからさよならをしてきなさい。」
母にそう言われた時は絶望しそうになった。だって。だって!領地でまた母を独り占めにするんだろう?
だがそうはならなかった。
「アンジランのことはお祖父様お祖母様にお任せしましょう。私はこちらに残って社交をしなければならないから。可哀想だけど治るまでの間は仕方ないわね。」
俺は歓喜した。邪魔なアンジランを排除できた!しかも何故怪我をしたのかはバレずに済んだ。
あの後呻いているアンジランに駆け寄って
「おい、お前がハシゴを待てなかった事にしておいてやる。勇気を出した結果がこんな鈍臭い事に繋がったなんて恥ずかしいだろ?」
そう言ってやったのだ。アイツは母の期待を裏切ると言う言葉に弱いんだ。
兎にも角にも俺は邪魔者を追いやり母を独り占めできるようになったのだ。
相変わらず母が学園の行事へ参加する事はなかったが、アンジランがいない事で随分と俺に執着してくるようになった。
……母の歪んだ上昇志向のせいで俺までこんな事になるだなんて、あの時誰が想像していただろう。
※※※※※
母はよく愚痴を溢していた。それは主に自分に対して"充分な敬意が払われない事"に対するものであった。
そしてその事が原因で、俺の学園での行事に参加しづらい状態になっていた事も知った。
そうか。母は子爵夫人にも関わらず元平民だからという事でイジメを受けていたのか。
それなら頑ななまでに学園との関わりを避けていた事にも合点がいく。
一時のこととはいえ母を恨んだ事に申し訳なさを感じた。
そういえばアンジランはあれから数年経ったが未だにこちらに戻っていない。骨折は酷いと治癒後も歩行困難になるとも聞いている。おそらく子爵家子息を名乗らせるには恥ずかしいほどの後遺症を得てしまったのだろう。
そのせいもあってか、母はアンジランなどまるで存在もしていなかったかのように過ごしていた。
そして俺は。母の唯一の息子として母の教えを忠実に学んだ。
爵位による身分差を格下相手に充分分からせてやったのだ。男爵家の子息子女、優秀との触れ込みで学園に入ってきた平民など。子爵家の子息子女だって、母は
「我が家は歴史も勢いもある子爵家なの。同位だからと甘い顔を見せてはダメよ、すぐつけ上がるから。」
と言っていた。貴族は舐められたらお終いだからな。ちゃんとどちらが上か分からせてやらないといけない。だからあえて厳しく接してやっていた。これもまた上に立つものの義務だからな。
だから、気に入らない奴らには容赦なく詰め寄った。
「お前さあ、男爵子息風情が上位貴族のグループに出入りしてんじゃねえよ!子爵の俺でさえ許されないのに、どんな手を使ったんだよ!男爵なんて最下層の分際で!」
そう。男爵なんて最下層の分際で!何故か上位貴族の子息と仲が良いんだ。俺だってあっちの仲間入りをしたいのに!俺の家は子爵だぞ?なんでお前如きの後ろにいなければならないのか。
そう詰め寄ったが、止めに入ってきた奴がいた。
従兄弟のテンタイオだ。コイツも…!
「お前だって!侯爵子息なんて言いながら爵位も貰えるかわからないような三男坊じゃないか!将来は平民確定の癖に子爵家を継ぐ俺より上に立っているつもりか!」
俺は本気で思っていた。この3人の中で子爵家嫡男である俺が一番上に立っているのだと。
※※※※※※
コンコン
「入れ。」
父に呼び出された。俺は普段母と別邸で暮らしている。だから父とはあまり会うことがないのだが、この日の父はかつてみたことのない、とても難しい顔で出迎えてくれた。
「父上、授業が少し長引きました。遅くなり申し訳ありません。」
父に話しかけた時、他にも来客がいる事に気が付いた。
祖父、祖母。……テンタイオの母、フェレーラ・エステライヒ侯爵夫人。
ああ、やっぱりアイツは理解していないんだな。
将来は平民になる癖に親の力を使って俺に頭を下げさせようって魂胆か。
「いや、急な呼び出しで悪かった。至急伝えなければいけない事ができてな。」
まあいい、向こうの言い分を聞いてやってから俺が叱責した理由を告げれば解決だろう。
そう1人納得して父の話の続きを待った。
「ロージン、俺としては大変残念な事なんだが。」
父が言葉を濁している。
「お兄様、私が伝えても良いのよ。」
「いや、これは私の義務だからな。すまない、気を遣わせて。」
父と叔母が訳の分からない会話をしている。呼び出しておいてなんだというのだ、少し苛つく。
「父上、叔母上、今日はどういった理由での呼び出しでしょうか。もうじき試験が始まるので、私もそんなに暇ではないのですが。」
「はあ。喋り方まで貴方のお母様そっくりになってしまったのね。」
ムッとする。が、俺は母から教わっている。
「母からは子爵家嫡男として高い矜持を持つよう日々言われております。特に理不尽な扱いについては屈しないようにと常々厳しく躾けられておりますので。」
ぷっ。叔母が如何にも可笑しいというように吹き出した。
「叔母上。確かに貴方は侯爵夫人だ。だが、だからと言ってそういうさも人を馬鹿にしたような態度を取るのはいかがなものかと思いますが。」
そういうと叔母は真面目な顔に戻った。そして父に告げた。
「兄様。自分で、って仰ってたけど。この子はガツンと言わなきゃ無理よ。……まだ肉親の情がある兄様にはできないわ。私に任せて。」
※※※※※※※
「さあ、何から言うのが1番ショックが少ないかしら。」
叔母が意味深な言い方をする。
「そうね、貴方に選ばせてあげる。1番ショックな事から始めるか、1番ソフトな所から始めるか。」
「別に私はなんでも構いませんが。……ならば1番ショックな事からお聞きします。」
叔母がつまらなさそうな声で言った。
「あらそう。じゃあ遠慮はなしでね。」
「ミニーモ子爵はウチのテンタイオが継ぐ事になったわ。」
「は?何をご冗談を。私と言うれっきとした嫡男がいるのにそんな横暴!いくら自分の息子が可愛いからってやっていい事と悪い事があるでしょう!」
「可愛いから子爵を継がせる?何の冗談よ。貴方の後始末であの子が割を食ったって言うのに。前から最悪の場合は、と覚悟はしていたけど、先々週のとある事がとどめを刺した、と言えば分かるかしら。」
先々週?特に何もなかったぞ?何かあったのか?
「まあ普段の行いを見ている限り、先々週の出来事は貴方にとってはなんの変哲もない日常でしょうからね。思い出すのは無理かもしれないわね。」
何の変哲もない日常を過ごしただけで子爵位を掠め取るなんて!俺は声を荒げた。
「日常?その程度のことで爵位を掠め取るなんてどういうことだ!父上!父上から叔母上ではなく、ちゃんと侯爵閣下に抗議をしてください!」
「まあ!それじゃあ私がちゃんとしていないみたいじゃない。……ねえ兄様。これで分かったでしょう?敬意なんてこの子の中でかけらも育ってないのよ。あのねえ。テンタイオはね、子爵位なんか要らないのよ。あんたのそのなけなしのプライドの証だかなんだか知らないけど、あの子にとっては要らないものを継がなきゃならないなんて迷惑千万な話なんだからね!」
興奮したのか叔母の口調がきつくなる。
「ふう。ごめんね、話がどんどんずれて来てしまったわ。ここからはちゃんと順序立てて話します。」
叔母の話が進むにつれ俺は意識を保つのがやっと、という状態になってしまった。
「そんな…アイツが!アイツが侯爵子息になるなんて!」
「ロージン、貴方まだその程度しか理解出来ていないの?ほんっとうにお母様そっくりになってしまったのね。」
悲しげなのか呆れなのか。叔母にそう言われたが、俺は母を侮辱されるのは許せなく怒鳴り返した。
「この話に母は関係ないでしょう!母は!母は高位貴族から虐めにあって満足な社交をする場も与えられなかったんだ!それを母に問題があるかのように!」
怒りに任せて一息に言ったが。
叔母どころか、祖父も祖母も。……そして父も。
「おい、お前は子爵夫人が社交に顔出しできない理由を深く考えた事、なかったのか?」
祖母が険しい顔で続ける。
「お前の母親はね、私の顔に泥を塗った上に上位貴族の夜会に出入り禁止になったのよ。貴方の学園のお友達ならみんな知っているはずよ。それを、それを教えて貰えないなんて!貴方もまた周囲に敵しか作っていなかったということね!」
祖母の言葉に祖父は拳をグッと握り締め、叔母はふるふると首を振り。
父は。
「本当にすまない。情に流されず早々にカンティーナから引き離すべきだった。……対応を誤った父を許してくれ。」
こう言って頭を下げた。
「なっ、なんなんだよおっ!みんなで寄ってたかって!おれっ、俺はっ!」
はあはあ。
「俺は!子爵家嫡男として高い矜持を持って!なのに!なのに今更継がないなんて!」
そうだ、そうだよ!今更平民なんて!
「今までっ今までバカにしてきた奴らになんて言われるか!」
俺の心の叫びを聞いた途端、申し訳なさで震えていた父から表情が抜け落ちた。
「ああ、本当にお前はカンティーナの息子なんだな。継ぐべきものが……継ぐべきものが継げなくなったというのに。」
父が涙を流すのを初めて見た。
「まず最初に気にするのが"バカにされる事"なんだなあ。」
叔母は父の背を撫でながら告げた。
「そうね、貴方には最後の慈悲をあげる。子爵家の継承については学園にいる間は公表を控えてあげるわ。だから余計な事は言わないことね。例えば…」
慈悲なのか叔母たちの都合なのかさえ今の俺に判断がつかない。例えばの続きが怖い。
「例えば"テンタイオが平民になるのを嫌がった末爵位を奪った"とか。」
「侯爵夫人が"実家の爵位継承に口出しをして祖父母もそれに加担した"とか。」
叔母はまだ言うべき例え話がないか考えているようだ。
「まあもっと色々ある気はするけど、とにかく貴方は子爵家嫡男です、って顔をしておきなさい。」
卒業までは。じゃないとね。
※※※※※※
父からの呼び出しから数日後、普段は絶対に近寄ってこないテンタイオから話しかけられた。
「……少し話したいんだが、あまり聞かれたくない話なんだ。」
それだけで内容は分かるというものだ。
今までテンタイオに言ってきた事を考える。この後罵声を浴びるのか、隅から隅まであげつらって詰られるのか。
いい話なんか想像できるはずもない。それに今まで散々馬鹿にしてきた従兄弟に頭が上がらないところなど同級生に見られたくない。
そんななけなしのプライドがまだ残っていて、テンタイオに従って人気のない所までついて行った。
「昨日聞いた。」
テンタイオがポツリと言った。
「何をだ。」
「母上と叔父上から呼び出されて、ミニーモ子爵を継げと言われた。お前も承知していると。本当なのか?」
ああ。これから卒業まで馬鹿にされる日が続くのか。
「そうだよ。良かったじゃないか、お前は。俺のお陰で平民になることは無くなったんだろう?礼でも言ってくれるのか?」
心底軽蔑した、という顔でテンタイオが詰め寄った。
「お前、本当に何も分かってないのな。上位貴族のグループに入りたそうにしていたのにさ、人間関係とかみんなの立ち位置とか興味なさすぎだよ。」
「仕方ないだろう!誰も教えてくれなかったんだから!」
がさり。建物の影からもう一人現れた。
「……ブルーノ。」
「教えてくれるわけないじゃん、誰も。従兄弟とはいえ侯爵家の息子と」
テンタイオが続ける。
「あと数年でお父上が侯爵を継ぐという男爵令息に喧嘩を売るような奴に。」
「しかも高位貴族の子とそれ以外への態度があからさまに違うんだぜ?そんな奴に親切にして自分も仲間だと思われたら大変じゃないか。」
ああ、その通りだ。そんな奴に親切にしたところで。
「しかもさ、それでどんだけメリットがあるのかと思えば。たかが子爵家の嫡男じゃないか。」
あまりの言い草に精一杯睨みつけるが、顔色ひとつ変わらない。
「そもそもお前の思い違いが酷すぎるんだよ。」
「はあ?」
「お前、俺のことを平民まっしぐらの三男坊とか言って馬鹿にしてたけど!」
今にも殴りかかって来そうなテンタイオをブルーノが宥める。
「侯爵令嬢との縁談がまとまりかけてたんだよ、こいつ。」
テンタイオを軽くこづいたブルーノが怒りの眼差しで俺を見ている。
「そうだよ!俺は子爵位なんぞ要らなかったんだよ!お前っ!お前のせいでっ!」
「こいつはロザリア・シユトレリッツ侯爵令嬢と結婚しようって誓い合ってたんだよ!彼女は次女だけど、姉上が隣国の公爵家に嫁ぐ事になったから、婿を取って後継にならないといけないんだ。だから2人とも"三男で婿入りにも支障がない"こいつの身分をどれだけ喜んでいたことか!」
「何が"俺のお陰"だよ!お前も!お前の母親も!親子二代で迷惑ばっかりかけやがって!」
「そんっそんなっ、俺は俺…は。」
「子爵家の者としての高い矜持だったか?そんなもんお前ら親子にはハナからないんだよ!ただただ貴族である事に胡座をかいてるだけの出来損ないの分際で!」
はあはあ、興奮したのか顔を赤くして怒鳴りつけていたテンタイオがどうにか冷静にならないと、と深呼吸してから再び話し始めた。
「出来損ないはすまない、言ってはいけない言葉だった。……普段お前に言われてどれだけ傷つくか分かっていたのについ出てしまった。」
恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい!
全て俺の言葉だ。男爵子息の分際で!平民の分際で!出来損ないのくせに!全部俺の口から飛び出た言葉が。
自分に向かって深く抉るように襲いかかって来た。
とうとう頭を抱えて蹲ってしまった俺の上から言葉が降って来た。
「俺たちはこれ以上口汚くお前のことを罵りたくない。だが、お前が今回の決定の不満をどんな形ででも周りに漏らしたら。」
「叔父上やお祖父様お祖母様の、"せめて学園だけは卒業させてやりたい"っていう気遣いも知ったこっちゃない!お前とお前の母親がどれだけ馬鹿にされようが恥ずかしい目に合おうが、今回の経緯を全部、何も隠さずに学園中に言いふらしてやる!」
ぽんぽんと、また興奮し始めたテンタイオの肩を叩いて宥めた後、ブルーノが話し始めた。
「こいつは言いふらすなんて言ってるけどさ。お前がさっきみたいな態度で爵位を掻っ攫われたなんて愚痴ったとしたら、それは侯爵家に対する"謂れのない中傷"だからな。詳細を口にするのは正当な説明って事になる。……そもそもこの話はお前がしょうもないことを考えなければ卒業までは誰にも伝わらないはずだ。この厚意を無駄にしないように気をつけろ。」
いつの間にか2人は去って行ったようだ。
蹲ったままどのくらいの時間が経ったのか。薄暗くなり始めたことにようやく気づき自宅に戻った。
「ねえ、最近さあ大人しいよね?どうしちゃったんだろう。」
「えーっ確かに!何だろ?何かとんでもない嫌がらせを仕込んでる最中とか?」
「いやいや、アレじゃないの?今までブルーノの事あんだけ男爵風情とか言ってたのにお父上が侯爵になられるって今更知ってヤベッとか思ってるんじゃないの?」
ふふふ、あはは。
こちらにも聞こえているのなど分かっているだろうに、隠す気もないのか丸聞こえだ。
だが、この程度で済むのなら。黙って耐えるしかない。だって。だって!
俺が子爵家の嫡男から外れたなんて知られたら。
平民だの男爵だのと言って散々嫌がらせをした奴らに何をされるか。
とりあえず、卒業までの間色んな人たちの厚情に縋ってやり過ごすしかない。
そして卒業したら…
※※※※※※
「ロージン、後で書類を届けておいてくれ。」
「はい、承知いたしました。今から参りますので正午にはお渡しできるかと思います。」
「ああ、それで充分だ。よろしくな。」
結局、卒業まで隠し通すことはできた。継承者が変わるんだからどうせバレることなんだが。
子爵家嫡男という飾りが外れれば、俺には何も残らない。そしてそんな自分が周りからどう見られてどう扱われるのか。もし周りにバラされていたら、せっかくの温情で通わせてもらった学園も居場所が無くなり中退していたかもしれない。
そう考えると、やり返すどころか感謝の念で頭が上がらない。
ただ、弊害もあった。嫡男を降りたと言えなかったことで、勤め先を探すことができなかったのだ。
結局こちらもテンタイオの情けに縋る事になってしまった。
一緒に仕事をするようになって実感したことがある。
"子爵家はテンタイオが継ぐのが正解だった"
ということだ。父との引き継ぎもスムーズだし、一応10年ほど引き継ぎ期間を設けているらしいが、そばで見ているともういつでも大丈夫なのではないかと思ってしまう。
そんなことをぼんやり考えていると、テンタイオに話しかけられた。
「ロージン?大丈夫か?書類を届けた後でいいから少し時間を作って欲しいのだが。」
「はい。分かりました。戻り次第執務室へ伺います。」
「じゃあ少し遅めだが、昼食を取りながらで良いか?」
書類を届けた後、2人で昼食に出た。
「テンタイオ、ここって。」
「ロージンは来たことあるか?最近評判らしいぞ。主菜に合わせてパンを焼いてくれるらしくてな、焼きたてホカホカのパンって心躍るよな。」
テンタイオとは主従関係だが元は従兄弟だ。仕事の時間以外はテンタイオの意向もあって、従兄弟として対等に話をする事になっている。
従兄弟に後継者の席を盗られた男。世間の目は厳しいものだった。だがそれも仕事以外で良好な関係である事を示しているうちに和らいでいった。
「俺だって従兄弟から爵位を掠め取った極悪人なんて呼ばれたくないからな。」
なんて言っているけど、誰がどう見ても俺の為というのは明白だった。
「お前、本当にパン好きだよな。」
「そうだよ!パンが大好きなんだーっ!」
そんなたわいもない話をしていたが、個室に案内された事で気づく。ただの昼食じゃないと。
焼きたてのパン、熱々のスープ。主菜はパンを存分に楽しむためか割に軽めになっている。
「今日は白身魚か!このソースがまたパンに合うんだよなあ。」
満面の笑みで次々にパンを平らげていくテンタイオに苦笑しながら俺も堪能する。
たらふくパンを食べたせいでデザートはキャンセルし、食後はお茶だけになった。
「……テンタイオ、そろそろ話してくれても良いんじゃないか?」
「そうだな。……午後の予定はしばらくないからゆっくり話そう。」
※※※※※※
「俺、婚約する事になった。まずはその報告だ。」
「そうか、俺のせいでお前の良縁を壊してしまったことは今でも後悔している。本当にすまなかった。……今度の縁は心に沿うものなのか?」
テンタイオが一瞬ポカンとした顔をしてから大笑いした。
「へ?あ!あっそうか!忘れてた!そういや婚約やら何やらがややこしくなったのお前のせいだったな!」
今度はこっちがポカンだ。
「心に沿うもなにも、俺はロザリアと結婚するんだよ!ちょっと遠回りになったけどな、諦めるわけがないだろう!」
「えっ、ええっ!だってロザリア嬢は家督を継がなきゃならんのではないのか?」
「そこはもうクリアした。俺とロザリアの子か、ロザリアの姉上の子に継いでもらうことでな。それまでは義父上殿が頑張ってくださるってさ。」
ああ、本当に。
「ほ、本当に良かった…。」
「だからお前はもう気にしなくていいんだ。俺に負い目を持つな。」
気がつけば泣いていた。この数年、テンタイオの下で仕事をする事で母以外の大人の考え方を知ることができた。それで自分の歪みを自覚して、そしてやらかしてしまった事の大きさに震えていた。
特にテンタイオとロザリア嬢の婚姻をぶち壊してしまった事は心に重くのしかかっていた。
ああ本当に良かった。俺がやってしまった事は消せないが、テンタイオ達が幸せになる道ができた事を心の底から喜べた。
「あー…でな、もうひとつ言わなければならない事があってな。」
「爵位継承が早まった。」
?
「来年だな。俺とロザリアが式を挙げる際についでに。」
「ついで?!」
「まあ、その、な。気持ちとしてはとうとう結婚だー!!え?継承式?じゃ結婚式のついででいっかーて感じかな。」
驚きで何も言えない俺に向かって詳細を話し始めた。
「いやいや、叔父上が第二夫人を貰われてから数年経ったろ?継承問題がこれ以上ややこしくならないようにって、子供が出来なくて追い出されたご婦人を迎えられたんだけどさ。」
「子供、出来ちゃったんだって。で、ややこしくなる前に継承について発表しちゃおうって事らしいよ。」
「叔父上もお前に直接話すのは気恥ずかしいらしくてさ、俺に押し付けて来たんだよ。でな、ここからが本題だ。」
「えっ!こんな爆弾出しといて本題じゃなかったのか!」
「そうだよ!だって今までの話、お前に関係ない話ばっかりじゃん!この後がメインだよ。」
「えっ、子爵家を離れてみないか、だって?」
「そうなんだ。今のお前ならもう大丈夫だろう?叔父上はゾンダーブルク家、お前の母上の実家だな。あちらの縁を頼って隣国に行くそうだ。母上とは離縁した上でな。彼女はご実家から恨まれているからな、彼女がついて行くなら生活の支援は最低限だろうからな。それなら、と離縁してまとまった金を貰う方を選ぶだろうって。叔父上は第二夫人と産まれてくる子とアンジランと4人で心機一転というわけさ。」
アンジラン?
「ああ、アンジランはな、あの怪我の時に療養という名目で引き離すことが出来たんだよ。もう12歳か?産まれてくる妹か弟かを楽しみにしているらしいぞ。」
「そう、だったのか…。良かった。俺は、俺はてっきり」
「ああ、お前には言えないからな。言えばカンティーナ殿に筒抜けだったろうから。アンジランはあの時母から引き離してくれた周囲に感謝しているそうだ。」
「兄であるお前には一切の手間をかける気がない。だが弟であるアンジランにはそれに輪をかけて興味がなかったそうだよ。」
驚愕だ。あれだけアンジランの事しか考えていなかった母が?
「お前はアンジランにべったりだと思ってたろう?けど、あれはアンジランじゃなくて。」
"僕の周囲には母上が見下すことのできる家柄の子だけを侍らせていましたからね。僕は彼女たちとの縁を繋ぐためだけに存在していたんですよ"
「それなら俺は。俺は!アンジランに嫉妬からなんて酷いことを!」
「アンジランも同じ事を言っていたぞ。自分だけ抜け出して、兄を助ける努力をしなかったって。」
"兄のことだって、僕が祖父母に訴えれば引き離すこともできただろうに。僕の醜い嫉妬のせいで"
嫉妬?アンジランが俺に?
「カンティーナ殿はアンジランに呪いのように言っていたそうだよ。」
"貴方は可哀想ね。お兄様は大きくなれば子爵になって皆んなから傅かれるようになるのに、貴方は平民になるのよ。私とも身分差ができてしまうわ。貴方のことを可愛がれるのはお兄様が子爵を継ぐまでなの。本当に可哀想"
母は弟にまでそんなことを。……だからアンジランは母の期待に沿うためにあんなに無理をしていたのか。
「残念ながら君の母上はそういう人だ。ああなってしまったら矯正なんて考えない方がいい。そこでだ。」
「君もカンティーナ殿のご実家の伝手を使って」
"もう少し自由に生きてみたらどうだ"
父が隣国に渡って3年。母にまつわる問題を片付けてから。
俺は子爵家を去った。
「兄さん!やっと会えた!」
大きくなったアンジランが抱きついて来た。
「お前には苦労をかけてしまったな。本当に申し訳ない。」
父に声をかけられる。横には第二夫人だったアンソワ殿と…。
「その子が、私の妹なんですね。」
抱かれていた妹がこちらに手を伸ばす。顔を近づけるとペタペタと触り
「お兄様、こんにちは。」
たどたどしく挨拶してくれた。
「いきなりの大家族じゃ不安かしら?せっかくだから皆んなで一緒に住みたいとは思っているんだけど、貴方の気持ちを尊重するわ。」
アンソワ殿がそう言ってくれたが、しばらくやっかいになってから近くに家を借りる事にした。いや、馴染めなかったわけじゃない。だが。
「近くに住んで、食事時には一緒に過ごさせてもらうよ。何かにつけて甘えるとも思う。けど、まだ今は独りの時間が大切なんだ。」
全てを消化し切るにはまだ少し考える時間が欲しい。
「そうだな。無理に進む必要はないからよく考えるといい。そして夜眠る時に寂しいと感じるようになったら。」
「部屋はいつでも準備できているから。」
独り自宅で寝支度をしながら家族の顔を思い出す。
案外寂しいと思うようになるのは早いかもな。
明日家族に会うことを楽しみにしながらぐっすりと眠りについた。
親の役割って大切!って常々思っているんですが、それは"どれだけ長い時間一緒に過ごすか"という事ではないとも思ってます。
完全に放置されて歪んでしまった兄。常にそばにはいてくれたけれども愛情は得られなかった弟。
モチーフというか、参考にした親子は実在していたりします。彼らがどうなったのか、離れてしまったから知る事はできないけれど、どこかで自分たちの歪みに気づいてくれるといいなぁと願いながら。




