銀幕の六等星
──銀幕の光は、やけに冷たかった──
六道星という名前は、芸名だった。俳優を目指していた頃、彼は何度もこう言われた。
「六道星、目立たないな。まるで六等星だ」
「芸名、六等星でよくない?」
軽口のつもりだったのだろう。監督も、共演者も、メイクも、照明も。悪意があるようには見えなかった。だからこそ余計に効いた。六道星は笑って受け流した。笑いながら、心の中で自分を殴り続けた。
──六等星。誰にも見えない。必要ない存在。
売れないのは自分のせいだ。わかっている。才能が足りない。運もない。顔も華がない。声も、存在も、届かない。わかっているのに、同時に思ってしまう。
(俺を見ないお前らが悪い)
その感情を抱いた自分がいちばん気持ち悪くて、いちばん憎かった。だから彼は、使われる側をやめた。監督になった。カメラの外から世界を支配できる位置に立てば、せめて自分の価値を証明できる気がした。役を貰うのではなく、役を与える側になる。誰かに選ばれるのではなく、選ぶ側になる。
そうすれば、もう「六等星」と言われない。
六道星はそう信じて、撮った。
一本目。二本目。三本目。短編。自主制作。
出演者は、俳優時代からつながっている友人メイン。スタッフも最小で行っていた。その後、ある程度メジャーな役者も使えるようになっていった。
ある日、気づいた。
映像に、必ず「誰か」が映り込む。
カメラがパンする瞬間。ガラスに反射する影。路地裏の暗がり。窓の向こうの通行人。ほんの一フレーム、二フレーム。
六道星に似た顔が──映り込むのだ。
似ているどころではない。ほとんど同じだった。髪の生え際の癖、眉の薄さ、口角の下がり方。自分が鏡を見た時、いちばん見たくない部分だけが、そこにあった。
最初は気のせいだと思った。次に、偶然だと思った。次に、誰かの悪ふざけだと疑った。だが、現場でそんなことをする余裕がある人間はいない。何より、六道星自身に記憶がない。映り込むような撮り方をした覚えがない。そもそも、彼は撮られる側ではないはずだった。
消そうとした。
カットした。切った。トリミングした。マスキングした。色を潰した。別テイクに差し替えた。ノイズで誤魔化した。
それでも、残った。
消したはずの箇所には、違った角度で、別の影として、必ず戻ってくる。まるで編集ソフトが“必要な要素”として勝手に生成しているみたいに。
六道星は、編集点を見つめたまま、乾いた唾を飲んだ。
──これは、俺が見落としている“何か”じゃない。
もっと嫌なものだ。
他の作品では、最初からカメラの端を潰した。画を締め、余白を減らし、映り込みの余地を奪うように構図を組んだ。
それでも、いた。
画面の端。人の肩の後ろ。奥の暗がり。照明の切れ目。
六道星は、その存在を「アクセント」と呼ぶことにした。そう言い換えることで、恐怖を仕事に変えられる気がした。怖いものを「演出」と呼べば、勝てる。理解できないものを「意図」と呼べば、支配できる。そして、ふと思った。
「だったら、名前を与えてやればいい」
役者ではない。クレジット上の俳優。どんなにキャストが少なくても、そこに必ずいる名前。六道星は、エンドロールの俳優欄に打ち込んだ。
【恒星】
それは、皮肉だった。六等星と呼ばれた自分に対して。誰にも見えないと思い込んでいた自分に向けて。結局一番馬鹿にしていたのも、他人ではなく、実は自分だった。
ならば、せめて、消えない名前にしてやる。
六道星はそう思った。思っただけだ。深い意味はなかった。深い意味があってほしくなかった。
【恒星】をクレジットに入れ、作品を作り続けた。何本も、何年も。
それらの作品は、コアなファンはいるが、いまひとつ売れなかった。だが、その数が増えるにつれて、ひとつの噂が生まれた。
「六道星の映画、エンドロールに毎回、恒星っているよね」
「誰?出演者にそんな人いないのに」
「しかも一瞬だけ映ってる。怖い」
「探すと見つかる。見つけられない人もいる」
SNSで切り抜きが回る。ファンアートが出る。考察が出る。まとめ動画が作られる。皮肉なことに、そのエンドロールの噂の方が一人歩きした。
『恒星まとめ』
六道星は、それを見ないようにした。見たら、終わる気がした。怖いからではない。怖いという言葉では足りない。もっと、根っこの部分が破壊される気がした。作品の質ではなく、自分が意図しないことで話題になることに抵抗もあったのだ。
それでも、ある夜。眠れなかった夜。自分の過去に、何度も噛みつきたくなる夜。
六道星は、まるで無意識のようにまとめていた。自分の全作品から、恒星が映るカットだけを抜き出した動画を編集していた。
最初は遠景。通行人。反射。影。次第に近づく。目が合う。レンズの奥から、こちらを見ている。
編集のタイムラインの上で、恒星はゆっくりと「一本の映画」になっていった。
六道星は、再生ボタンを押した。
最初は、無音だった。その映像はただ、画面の端で誰かが歩き、誰かが通り過ぎるだけ。作品と作品の間に意味はなかった。つながりなんてないように見えた。だが、五つ目のカットで、恒星がふと立ち止まった。
おもむろにカメラの方を向いた。
ほんの僅かに口が動いた。
──声は聞こえない。なのに、六道星の耳の奥だけに、その言葉が届いた。
「……お前、まだここにいるのか」
六道星は身動きできなかった。画面の恒星は、笑っていない。ただ、淡々と、そこにいる。
次のカット……次のカット……次のカット……恒星の顔が、少しずつはっきりしていく。
照明が当たり、輪郭が決まり、存在が濃くなる。まるで、映画が彼を主役として扱うことに慣れていくみたいに。
──そして、最後のカット。
恒星は正面から、カメラを見た。六道星を見た。
音は、ないはずだった。けれど、確かに聞こえた。
「六等星って言われた時、お前がいちばん笑ってた」
「俺をいちばん馬鹿にしてたのは、お前だ」
恒星は、息をするみたいな口の動きで続けた。
「でもな、そこに役がある限り、たとえ一言であっても、セリフがなくても、そのシーンは必要だから、“ある”」
六道星の喉が、かすかに鳴った。
恒星が、少しだけ首を傾げる。
「なぁ、俺の名前を載せたのは、お前だろ?」
「お前が恒星って載せた瞬間、俺は“いる”ことになった」
そして……ごく静かに、決定的な一言が六道星にかけられた。
「……だから、乗っ取ってやるよ」
「お前がいちばん望んでいた──この恒星が」
六道星は、瞬きをしようとした。
だがその瞬間、視界が歪んだ──音が消えた。
闇が彼を包んだ……
けれどその闇は、映画館の暗転みたいに優しくはなかった。瞼の裏に貼り付く黒。スクリーンではなく、世界そのものが切り替わったような黒。
「キ──ン」という機械音のような、音のない音が、周囲を満たした。
しばらくして、モニターに文字だけが浮かんだ。
白い文字のエンドロールが、画面上にスクロールする。
──銀幕の六等星──
CAST
恒星
……
監督・脚本
恒星
──THE END──
─プツン─
ブラックアウト
(了)




