閉鎖生態系ダイエット
その計画は自殺行為だった。だが、この国で最も愛される「英雄」に公開処刑されるという代案を考慮すれば、自殺の方がよほどまともな進路に思えた。
俺たちはマダム・グリッスルのレストランの裏手にいた。オークの老女が、大剣と見紛うばかりの骨抜き包丁を研いでいる。
「《亀裂の女王蜘蛛》だって?」
グリッスルは呆れたように頭を振った。
「八メートルの蜘蛛の乳搾りをしたいって言うのかい」
「ただの蜘蛛じゃない」
俺は空の薬瓶を弾帯に詰め込みながら訂正した。
「《アラクネ・レジーナ》だ。奴の毒にはユニークな神経毒性がある。生物学的競合を避けるために、宿主と『外部の寄生体』との接続を遮断するんだ。サニー・ナイトの寄生体に、自身の体を拒絶させられる物質はそれしかない」
「そんなの、エリートギルドが経験値稼ぎ(XPファーミング)してない場所でどうやって見つけるの?」
ルナが尋ねた。彼女の様子は変わっていた。視界を遮らないように髪を(キッチンナイフで)ショートに切り、廃品置き場から盗んだキチン質補強付きのレザージャケットを着込んでいる。
「北部封鎖指定区域。通称『屠殺場』だ」
グリッスルが包丁を研ぐ手を止めた。
「『屠殺場』は五年前に協会によって立ち入り禁止にされたよ。マナが不安定なんだ。重力が逆さまになったり、空気を吸うだけで肺が石に変わるなんて噂だ」
「完璧だ」
俺は笑った。
「そこなら誰も俺たちを探さない」
十分後、違法メカニックのヴァレリアが「注文の品」を持って到着した。
彼女は重い金属製のケースをテーブルに投げ出した。
「アーサー、あんたの防護スーツだ。銀糸を編み込んだ炭素繊維製。酸には耐えられるが、直接噛まれたらアウトだ。だから、なるべく噛まれないようにしな」
俺はスーツを装着した。黒くタイトで、タクティカルなダイビングスーツのようだ。無数のポケットとストラップが付いている。寄生体が満足げに振動した。奴は効率性を好む。
「それから、お嬢ちゃんには……」
ヴァレリアは箱から奇妙な物体を取り出した。金属製のバトンで、先端にクリスタルの球体が付いている。
「マイク?」
ルナが眉をひそめた。
「《霊的共鳴増幅器》さ」
ヴァレリアが説明する。
「あんた、叫ぶと幽霊に聞こえるって言ってたね? こいつはその叫びを収束させる。音波を物理的な運動エネルギーに変換するんだ。要するに、歌うだけでゴブリンの頭を爆発させられるってわけさ」
ルナの目が輝いた。彼女はマイクを手に取り、アイドルの決めポーズをとった。
「ショータイムね」
封鎖区域までの道中は静かだった。「屠殺場」は放棄された旧工業地帯にある。その亀裂は空に浮いている他のものとは違い、地面から生え出し、セメント工場を丸ごと飲み込んでいた。
入り口は現実空間の不規則な裂け目で、病的な紫色の光を放っていた。「危険:バイオハザード レベル5」と書かれた錆びた看板がフェンスに掛かっている。
俺たちはフェンスを切断した。
「いいか、ルナ」
ポータルの縁で立ち止まり、俺は言った。
「中に入れば、俺たちは食物連鎖の頂点じゃない。ただの前菜だ。カラフルなものには触るな。水は飲むな。それから、もし可愛いものを見つけたら、撃て」
「了解」
俺たちは踏み込んだ。
亀裂を通過する感覚は、へそをストローで吸い出されるようなものだ。世界が回転し、胃がひっくり返る。そして突然、オゾンと排気ガスの臭いが消え、湿ったカビと甘い土の香りに変わった。
目を開ける。
洞窟ではなかった。森だった。
だが、木々は木材ではない。石灰化した骨でできており、赤い肉の葉が静かに脈打っていた。
空は遥か彼方の岩盤の天井で、発光する真菌によって照らされている。
「なんて酷い場所……」
ルナが囁いた。
「綺麗」
「巨大な消化器系だ」
俺は地面の苔を採取しながら分析した。
「見ろ。土壌が酸性だ。ここのすべては、落ちてきたものを消化するために進化している」
骨の木々の間を歩く。静寂が重くのしかかる。鳥はおらず、遠くで水が滴る音と、何かが泥の中を動くズルズルという音だけが聞こえる。
【 環境分析 】
【 マナ飽和度:300% 】
【 生命反応:高密度 】
「止まれ」
俺は拳を上げて命じた。
ルナが凍りついた。
行く手が蜘蛛の巣で塞がれている。だが、ただの巣ではない。船のロープほどもある太く白い粘着質のケーブルが、二つの石灰岩の塔の間に張り巡らされている。
そして巣に捕らえられているのは……数年前に放棄されたであろう、ギルドの輸送馬車だった。
「奴の縄張りだ」
俺は囁いた。
「馬車の中に何かがいます」
ルナがマイク型バトンを向けた。
「魂を感じます。とても古くて、とても怒っている魂」
俺たちは宙吊りの馬車に近づいた。
アーサー(寄生体の方)が熱源反応を感知した。
蜘蛛ではない。もっと小さい。
人影が馬車の中から飛び出した。
ルナが反射的に反応した。
「キャアアアッ!」
彼女がマイクに向かって叫んだ。
目に見える衝撃波がクリスタルから放たれ、空中の人影を直撃し、バキッという音と共に骨の木に叩きつけた。
「殺すな!」
俺は叫んだ。
「解剖するんだ!」
倒れた生物に駆け寄る。
魔物ではなかった。
人間だ。あるいは、かつて人間だったモノだ。
かつてはエリートハンターの鎧だったであろうボロ布を纏っている。肌は灰色で、目は白濁していた。唸り声を上げているが、噛みつこうとはしない。彼は……怯えていた。
「生存者?」
ルナがマイクを唸らせたまま近づいてきた。
「屠殺場から生きて戻った人はいないはずじゃ……」
俺は男を調べた。首に噛み跡がある。そして、腕の皮膚の下で何かが動いていた。
「こいつは生存者じゃない、ルナ。こいつは食料庫だ」
メスを取り出し、男の腕を素早く切開した。
硬貨ほどの大きさの小さな白い蜘蛛たちが、傷口からわらわらと這い出してきた。
「いやあああっ!」
ルナが悲鳴を上げ、蜘蛛を踏み潰し始めた。
「キモいキモいキモいッ!」
「産卵寄生か」
俺はその光景の恐怖を無視し、感嘆しながら説明した。
「女王は獲物を殺さない。卵を植え付けるんだ。幼生は宿主を内側から食い荒らすが、肉が腐らないようにゆっくりと生かし続ける」
男が俺の手首を掴んだ。驚くべき力だった。
「逃げろ……」
彼は血の泡を吹きながら、しわがれた声で言った。
「奴は……振動を……感じる……」
地面が揺れた。
地震ではない。足音だ。
俺は見上げた。
骨の樹冠の上から、八本の脚が音もなく降りてきた。黒く、剛毛に覆われ、先端は槍のように鋭い。
女王蜘蛛の体が巣を伝ってゆっくりと降りてくる。その巨体はバスほどの大きさがある。八つの赤い目が闇の中で輝き、俺たちに焦点を合わせていた。
そして最悪なことに、奴にあるのは顎だけではなかった。
蜘蛛の頭頂部、甲殻と融合するようにして、女性型の上半身が生えていた。生物学的なルアー(疑似餌)だ。その女の胴体はニヤリと笑い、針のような歯を見せた。
「来客だわ」
蜘蛛が人間の胴体を使って「話した」。その声は、何かが弾ける音と囁き声の不協和音だった。
「喋る新鮮なお肉なんて、久しぶりね」
ルナが震える手でマイクを構えた。
「アーサーさん……あなたの計画って、これと戦うことでしたっけ?」
「計画は毒の採取だ」
俺はスーツのアドレナリン注射器を起動し、答えた。寄生体に筋肉制御の40%を明け渡し、目が赤く染まる。
「だが、どうやら献血には協力してくれそうにないな」
女王が液状の糸を噴射した。
俺はルナを横に突き飛ばした。糸が着弾した岩盤が、瞬時に溶解する。
「ルナ!」
俺は転がり、立ち上がりながら叫んだ。
「歌え! お前が知ってる一番うるさくてイラつく曲を歌え! 俺が登る間、奴の気を引くんだ!」
「登るって!?」
ルナが巨大な脚を避けた。
「毒腺に到達しなきゃならない! 毒腺は鋏角の裏側にある!」
ルナは深呼吸し、アンプを最大出力にし、巨大蜘蛛を睨みつけた。
「上等よ、この特大ゴキブリ!」
彼女は叫んだ。
「ショーが見たいの? なら見せてあげるわよ!」
彼女はかつてのJ-POP/ファンクのヒット曲のサビを歌い始めた。
音波はあまりに強力で、蜘蛛の八つの目のうち二つを破裂させた。獣が悲鳴を上げ、後ずさる。
俺はその混乱に乗じた。
死に向かって走る。
蜘蛛の脚の一つに飛びつき、メスを甲殻に突き立て、生きた怪物を登り始めた。
世界で最も奇妙なポップコンサートが周囲で爆発する中、収穫の時間の始まりだ。




