野戦手術(麻酔なし)
マネージャーの骨の刃が、鼻先数ミリを通過した。あまりに激しい風圧に、俺の左目の血管が破裂する。
虚勢を張っている時間はない。俺はワックスで磨かれた床の上を滑るように後ろへ飛び退いた。直前まで俺が寄りかかっていた鋼鉄のテーブルが、まるで発泡スチロールのように真っ二つに切り裂かれる。
「ルナ! 結界だ!」
俺は転がりながら叫んだ。二撃目がコンクリートの床を穿つ。
「塩と灰の結界!」
ルナが叫び、白い粉を空中に撒いた。
半透明の紫色の光壁が、俺たちと怪物の間に立ち上がる。マネージャーがそれに衝突した。結界は即座にヒビ割れ、ガラスが砕けるような音を立てたが、それでも二秒の時間を稼いでくれた。
【 脅威分析進行中 】
寄生体が視界に図解を乱射する。
【 ターゲット:生体機械ハイブリッド 】
【 構造:チタン製内骨格およびトロール再生筋組織による被覆 】
【 弱点:現行構成においては存在せず 】
「最高だな」
俺は目から流れる血を拭いながら悪態をついた。
「トロールの肉でできたターミネーターかよ。どんな物理ダメージを与えても、再生能力の方が上回るぞ」
マネージャーが裂けた口で笑った。何気ない動作で、ルナの結界の残骸を粉砕する。
「抵抗は無意味です、ドクター。私の反射神経は人間の三十倍。あなたが動く前に、筋肉の収縮が見えていますわ」
彼女が踏み込んできた。
俺は逃げようとしなかった。戦おうともしなかった。
病理学者が兵士よりも得意とすること――ただ一つ、「観察」をした。
トロールの筋肉を持っているなら、トロールの代謝機能も持っているはずだ。
トロールは生体焼却炉のようなものだ。再生と超怪力を維持するために、常軌を逸した速度でカロリーを燃焼する。そして、この部屋は……。
俺は周囲を見回した。タンク。何百ものタンク。
大半は保存された臓器が入っている。だが、そのタンクに供給されているチューブは……。
「ルナ!」
俺は白衣の端を切り裂く横薙ぎの一撃を避けながら叫んだ。
「幽霊だ! そいつらを起こせ!」
「えっ?」
ルナはサーバーの陰に縮こまっていた。
「アーサーさん、あれはただの肉塊ですよ! 意識なんてありません!」
「細胞記憶がある! 叫べ! 霊的なノイズを出せ! そいつらをイラつかせるんだ!」
マネージャーが止めの一撃を構えた。串刺しにする気だ。
ルナは自暴自棄になり、目を閉じて金切り声を上げた。喉からではない、魂からの叫び。精神的な衝撃波。
効果は即座に、そしてグロテスクに現れた。
周囲のタンクが泡立ち始めた。保存液に浮いていた心臓、目玉、肝臓が、霊的エネルギーに反応して暴れ出す。実験室全体が、切断された千の臓器の「泣き声」で震え始めた。
マネージャーが躊躇した。ほんの一瞬だが、超自然的なノイズによってセンサーがオーバーロードを起こしたのだ。
それこそが、俺に必要な好機だった。
俺は走った。出口へではない。「高カロリー栄養溶液 - O型陽性」とラベルが貼られた、最も近いタンクへと向かって。
「おい、肉人形!」
俺は挑発した。
彼女が首を回し、サイバネティックな瞳が俺を捉える。
「原始的な戦術ですね」
彼女は霞むほどの速度で突っ込んできた。
俺は避けなかった。強化ガラス製タンクの前で、位置を死守する。
彼女の刃からオゾンの臭いがするまで待った。彼女の瞳に、俺自身の死の影が映るまで待った。
そして、膝から崩れ落ちた。
刃は俺の頭上を通過し、背後のタンクに深々と突き刺さった。
ガシャアアアン!
ガラスが爆散した。
三百リットルの栄養液――ブドウ糖シロップのように濃厚で、成長促進剤がたっぷりと含まれた液体――が、消火ホース並みの圧力で彼女に噴射された。
マネージャーは後退しようとしたが、液体は粘り気が強く、彼女は全身ずぶ濡れになった。
「さて、手術の時間だ」
俺は囁いた。
靴底に仕込んだ即席の磁気ブーツを起動し、ぬめりの中で踏ん張る。濁流の中へと踏み込んだ。
マネージャーは俺を切り裂こうとしたが、粘液がセンサーを妨害し、足元を滑らせる。
俺は彼女の背中に飛び乗った。
剣など使わない。俺が使うのは愛用のメス――《加速真菌の胞子》に浸した、ミスリル製スカルペル10番だ。
金属骨格を切ろうとはしなかった。狙うのは、トロールの肉とチタンが出会う場所。首の接合部だ。
わずか三センチ。正確な切開を入れる。
「何を……」
彼女が言いかけたが、声が途切れた。
彼女を覆っていた栄養液が、開いた傷口へと流れ込む。
トロールの肉 + 成長促進液 + 真菌の胞子。
反応は劇的で、そしておぞましいものだった。
彼女の再生能力が暴走し、制御を失った。首の筋組織が膨張を始め、数秒で二倍、さらに三倍へと肥大化する。傷口から肉の腫瘍が噴出し、金属を飲み込み、油圧ピストンを窒息させていく。
「致命的エラー(クリティカル・エラー)」
彼女の声はロボットのように歪んだ。
「組織拡張、パラメータを超過」
「超高速ガン化だ」
俺は説明し、彼女の背中から飛び降りてルナの横に着地した。
「あんたの体はあまりに速く治ろうとして、自分自身を窒息させてるんだ。肉が機械を押し潰してるのさ」
マネージャーが膝をつき、自分の首をかきむしった。肉塊は成長を続け、偽の顔を弾き飛ばし、制御不能に脈打つ筋肉と皮膚の醜悪な水風船へと変貌させていく。
建物の警報が鳴り響いた。回転する赤色灯。
【 バイオハザード封じ込め起動。60秒後に当該セクターを焼却します 】
「退院の時間だ!」
俺はルナの腕と、盗み出したデータが入ったハードディスクを掴んだ。
走る。
背後では、かつてマネージャーだったモノが、人間でも動物でもない奇声を上げながら、自分自身の暴走した成長に飲み込まれていった。
裏口を蹴破り、雨の路地へと飛び出す。
外壁の霊的結界はすでに消滅していた。服を裂きながら有刺鉄線のフェンスを乗り越え、バンの中へと転がり込む。
「出せ! 出せッ!」
俺は叫んだ。
ルナがキーを回す。エンジンが咳き込み、抗議の声を上げ、そして息を吹き返した。
濡れたアスファルトにタイヤを空転させながら加速する。数秒後、背後の倉庫を鈍い爆発が揺さぶった。砕けた窓からオレンジ色の炎が舌を伸ばす。ヘリックス・ファーマが証拠を焼却しているのだ。
チエテ川沿いの高速道路に入り、安全な交通量に紛れるまで、俺たちは十分間無言で走り続けた。
ルナは震えていた。彼女は自分の手を見つめている。
「アーサーさん……あれ……あたしたち、あの人に何をしたんですか……」
「俺たちは生き残ったんだ」
俺は乾いた声で答えた。ポケットからくしゃくしゃになったタバコを取り出したが、火はつけなかった。俺の指もまた、震えていたからだ。
「あれは人間じゃなかった、ルナ。もう二度と戻れないほどにな」
「でも、タンクの中の臓器……」
彼女は唾を飲み込んだ。
「私が叫んだとき……声が聞こえたんです。子供たちの声が。アーサーさん、たくさんいたんです」
俺は目を閉じた。真実の重みがのしかかる。
ベータ株。加速成長。魔物と人間を融合させる試み。
ヘリックスは兵器を作っていたのではない。彼らは人類の強制的な「進化」を作り出そうとしていたのだ。そしてその原材料として、亀裂戦争の孤児たちを使っていた。
膝の上のハードディスクに目を落とす。
「名前は手に入れた」
恐怖が冷たい怒りへと変わっていく。
「誰が資金を出したのか、その記録もここにある」
「それで、どうするんですか?」
ルナが涙を拭いながら尋ねた。
「警察に渡しますか?」
俺はユーモアのない笑い声を漏らした。
「警察はソヴレニティの犬だ。そしてソヴレニティはヘリックスのスポンサーだ。これを渡せば、俺たちは死人も同然だ」
俺の中の寄生体が振動した。戦争の匂いを嗅ぎつけたのだ。そして今回ばかりは、そいつは肉を欲していなかった。「復讐」に飢えていた。
「拠点に戻るぞ」
俺は言った。
「いくつか電話をかけなきゃならない。もし奴らが生物学で神の真似事をしたいって言うなら、悪魔が検死解剖を執り行うとどうなるか、教えてやる時間だ」




