偶像(アイドル)の多臓器不全
適合する宿主を失った《飢餓の寄生体》とは、漏洩している原子炉のようなものだ。単に殺したいのではない。かつて人間の意識があった空洞を埋めるために、質量を消費したいのだ。
かつてサニー・ナイトだった怪物が咆哮した。それは音ではない。貴賓席の防弾ガラスを粉砕する物理的な衝撃波だった。
「散開ッ!」
俺は叫んだ。
ルナはソニック・バトンの反動を利用して左へ滑り、俺は最後のミリ秒でブーツの噴射装置を起動して右へ飛び込んだ。
黒い肉の触手が、一瞬前まで俺がいた場所を叩き潰し、鉄筋コンクリートを粉末に変える。
【 戦闘分析 】
【 ターゲット:不安定 】
【 敵体温:400℃、上昇中 】
【 推奨戦略:直接交戦を回避せよ。代謝崩壊を待て 】
「待てだと?」
俺は転がり起きながら唸った。
「待ってたら最前列の客が食われちまう! プロセスを加速させるぞ!」
怪物は複数の頭を回転させた。逃げ惑う群衆を無視している。痛みの源を求めているのだ。俺たちを。
「こっちよ、イカ野郎!」
ルナが転倒したスピーカーボックスの上に飛び乗り、叫んだ。マイクを調整する。
「あんたの鼓膜をぶち破る一曲よ!」
彼女は収束された音響波を放った。空気が歪む。
攻撃は怪物の開いた胸郭を直撃し、肉をゼリーのように振動させた。獣は悲鳴を上げて後退したが、すぐに適応した。筋繊維が再構成され、鋼鉄のように硬化して音を吸収する。
「進化が速すぎる!」
ルナが警告した。
怪物は主口腔から黄金のエネルギー光線を放った。かつての「英雄」としての力の残滓、今や腐敗し紫色に染まった力だ。
光線がステージを薙ぎ払う。
避けられない。ルナが射線上にいる。
「シールド!」
俺は寄生体に命じた。
俺の左腕が爆発的に膨張し、黒いキチン質と骨になった。地面に足を踏ん張り、固定する。
光線が盾を直撃した。
自分の皮膚が焼ける臭いがする。凄まじい威力だ。骨が悲鳴を上げている。俺は後ろへ引きずられ、ステージの床に溝を刻んだ。
「アーサーさん!」
ルナが攻撃を止め、恐怖に顔を歪めた。
「演奏を続けるんだ!」
俺は歯を食いしばり、エネルギーの奔流に耐えながら叫んだ。
「奴を引きつけておけ! 俺が《侵襲的手術》を行う!」
光線が止んだ。怪物が再充填を必要としている。
三秒間の好機だ。
俺は盾を解除し(それは煙と死んだ皮膚となって崩れ落ちた)、走った。
逃げるためじゃない。中へ入るために。
触手の塊に向かって直進する。
怪物が俺を掴もうとした。
寄生体の知覚を使う。世界がスローモーションになる。
左。スライディング。跳躍。
ミスリルのメスで触手を切断する。酸性の血がマスクに飛び散り、バイザーを溶かした。俺はマスクをかなぐり捨てた。
今、俺は獣の核と対峙していた。開かれた胸部で、溶鉱炉のように輝く露出した心臓だ。
「腹が減ってるんだろ?」
俺は目の前の恐怖を赤い瞳に映しながら囁いた。
「神の代謝機能ってのは燃費が悪いからな。カロリーが必要だろ」
ベルトから最後の小瓶を取り出した。
毒ではない。酸でもない。
《ダンジョン産ブドウ糖濃縮液》と《ドラゴンの強心剤》の混合物だ。
要するに、象が心臓破裂するまで音速で走り続けるレベルの、液状エネルギーだ。
怪物は小瓶を見た。本能は危険を察知しなかった。餌だと認識したのだ。
胸郭が開き、小瓶を持つ俺の手に副口が食らいつく。
俺は投げなかった。噛ませてやったのだ。
副口が俺の右手ごと小瓶を飲み込んだ。
牙が手袋を貫き、肉に食い込む痛み。
俺は絶叫したが、笑っていた。
「ボナペティ(召し上がれ)!」
俺の中の寄生体が噛みつきに反応し、血液を硬化させて怪物の口を俺の手に固定した。その致命的な一秒間。瓶が奴の喉の中で砕ける。
俺は拘束を解くために獣の胸を蹴り飛ばし、手を引き千切られるような感覚と共に後方へ跳んだ。
効果は即座に現れた。
宿主を失ってすでに加速していた怪物の代謝に、ロケット燃料が注入されたのだ。
ドクン。
心音がスタジアムのスピーカーを通して響き渡った。
ドクン!
速くなる。
ドクンドクンドクンドクン!
獣が止まった。発光し始める。
赤い肉が白熱していく。放射される熱が、ステージのプラスチックを溶かし始めた。
叫ぼうとしたが、肺の中の空気が発火した。
「ルナ! 防音結界だ! 今すぐ!」
俺はステージの端へ走りながら叫んだ。
ルナは理解した。彼女はバトンを床に突き立て、俺たちの周囲に静寂と圧力のドームを作り出した。
サニー・ナイトは最後にもう一度空を見上げた。地面に転がった変形した人間の顔が、泣いているように見えた。
そして、爆発した。
炎の爆発ではない。生物学的な爆発だ。
沸騰した血、骨、そして汚染されたマナがあらゆる方向に飛び散り、カメラを、無人の観客席を、巨大スクリーンを覆い尽くした。
あとに続く静寂は重かった。
煙が晴れる。
世界最大の英雄がいた場所には、炭化した肉の燻るクレーターだけが残っていた。
俺は地面に大の字になり、息を切らしながら、破壊された右手を抱えていた。寄生体はすでに腱を編み直していたが、痛みは現実のものだ。
ルナが結界を解いて近づいてきた。彼女は煤と黄金色の粘液にまみれていた。
彼女はクレーターを見た。そして、そのグロテスクな光景を未だ世界中に映し出している巨大スクリーンを見た。
「終わったんですか?」
震える声で彼女が聞いた。
俺は苦労して立ち上がった。カメラを見る。「ON AIR」の赤いランプはまだ点いている。
メインカメラへと歩み寄る。青い血で汚れた親指でレンズを拭った。
レンズを見据える。ジン司令官、ヘリックス・ファーマ、政府、そしてその嘘を買ったすべての市民を見据える。
「俺たちは衛生清掃課だ」
カメラのマイクが俺の掠れた声を拾う。
「あんたたちが偶像化していたゴミを掃除してやったんだ。礼には及ばない」
俺はカメラを蹴り飛ばし、放送を遮断した。
五分後、裏手の通用口が爆破された。
逃走用のバンがタイヤを鳴らして止まる。サイドドアが開いた。
運転席には葉巻をくわえ、膝にショットガンを乗せたヴァレリア。後部座席にはグレネードランチャーを構えたマダム・グリッスル。
「乗れ、自殺志願者の馬鹿ども!」
ヴァレリアが怒鳴った。
「ソヴレニティの近衛隊があと二分で来るよ! サインをねだりに来るわけじゃないのは確かさ!」
俺たちはバンに飛び乗った。
ルナはバトンを手放し、泥のように座席に倒れ込んだ。俺はドアの横に座り、ヴァレリアがサンパウロの無人の通りを加速していく中、遠ざかるスタジアムを眺めていた。
街中がサイレンの音で埋め尽くされている。サーチライトを備えたヘリコプターが各ブロックを捜索している。
俺たちは公式に、この半球で最も指名手配されているテロリストになった。
「酷い顔だよ、ドクター」
グリッスルが言い、回復ポーションとオーガの肉のサンドイッチを渡してくれた。
「気分は最高さ」
俺は答えてポーションを飲んだ。味はミントと灯油を混ぜたようなものだ。自分の手を見る。皮膚は再生したが、まだピンク色で敏感だ。
ルナが笑い出した。神経質でヒステリックな笑いだったが、すぐに心からの大笑いに変わった。
「あたしたち……あたしたち、生放送でサニー・ナイトを殺しちゃいました!」
彼女は涙を拭いながら言った。
「あたしのアイドル生命、これで本当に終わりです」
「逆だろ」
俺は笑ってサンドイッチにかじりついた。
「お前は歴史上、最も忘れられないライブをやったんだ」
窓の外を見る。雨は止んでいた。街の明かりが今は違って見える。以前より輝きはないかもしれない。だが、より現実的だ。
嘘は終わった。本当の戦争が始まるのだ。
寄生体が満足げに振動した。満腹だからではない。目的が満たされたからだ。
「次はどこへ?」
高速道路に入るために急ハンドルを切りながら、ヴァレリアが聞いた。
俺はポケットから教会で盗んだ『肉の福音書』を取り出した。古い地図のページに栞が挟んである。
ヘリックス社の管轄外の場所。亀裂が古くから存在し、魔物が……「文明化」されている場所。
「南だ」
俺は答えた。
「『クリチバの遺跡』へ向かう。そこには死者が死んだままにならないネクロポリス(死者の都)があるらしい。それに、新しい実験室が必要だからな」
ヴァレリアがニヤリと笑い、アクセルを踏み込んだ。バンは夜の闇へと消えていく。混沌と、栄光と、そして偽りの神の死骸を置き去りにして。
清掃作業は完了した。
さあ、再建の時間だ。




